SSブログ
前の30件 | -

びわこ色の京津線 2020 [鉄道撮影行]

京阪電鉄の京津線(けいしんせん)は、関西に住む人でも知る人の少ない、地味な路線といえる。その名の通り、京都と大津(滋賀県)を結ぶ都市間連絡路線であるが、JR東海道線なら長いトンネルでわずか2駅、9分で結んでしまうのに対し、こちらの京津線は、くねくねと山越えをして22分。しかし京都の中心部と、琵琶湖畔の浜大津まで直結できるメリットがあり、京滋地区に縁のある人にとっては、存在価値がないとも言えない路線だ。そして、鉄道好きにとってはこたられないくらいに、電車が面白い走りをする路線でもある。
つまり、京都市内は地下線を走り、県境の山越え区間では最大61パーミル等という急坂や急カーブの連続をこなし、大津市内ではなんと道路の中を路面電車のように走るという、22分間で目まぐるしく路線環境が変化する路線なのだ。
この過酷な線区を、1997年の登場以来走り続けてきたのが、800系車両である。この800系、こうしたオンリーワンの路線を走るにふさわしく、京阪電車の中でも独特のカラーを身にまとってきた。琵琶湖の色をイメージしたという水色とグレー、そして京都西陣を象徴する伝統色のひとつである苅安色(かりやすいろ:やや青みがかった黄色)の帯。私は仕事でしばしばこの路線を利用し、何となくこの車体色が好きであったが、残念なことにこの度、京阪電鉄のCI戦略の一環で、他の車両と同じ緑色に塗り替えられることとなってしまった。
塗り替えが始まって3年。最後まで従来塗装で残った803Fを追って、久しぶりに鉄道撮りを敢行してみた。

FWDSC_7831-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

金武・辺野古 2008 [沖縄紀行]

金武(きん)と辺野古(へのこ)はどちらも沖縄本島中部の町、そして、コザ同様、どちらも米軍基地のお膝元である。金武はキャンプ・ハンセン、辺野古はキャンプ・シュワブのいわゆる「門前町」であって、米兵を相手にしたアメリカ風のファサードを持つお店、建物がひしめいている。1960年代、いわゆる「Aサイン」の時代には街は閃光のように妖しく煌めいた。しかし、その多くはとうの昔にシャッターを下ろし、その扉は錆びついて色褪せている。はかなく悲しい時代の名残を伝える廃墟のような建物がいくつも続き、ひと気はほとんど無く、心に穴があいてしまいそうな、索漠たる風景が続く。
天気のせいもあってか、出来上がったのも暗い写真ばかりで、申し訳ない。今から10年以上前の写真だが、あの頃はこんな風にも撮っていたんだなあと思う。

FWhenokoRG001-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

彦根 2019 [日本の町散歩(近畿)]

彦根には20代の頃一時期仕事で通っていたこともあって、ろくに興味も抱かずに来たが、訪れてみると実際大した町である。井伊家の城下町として幕藩体制下で重要な位置を占めたことは知っていたが、その城下町風情をここまで楽しめる町であるとは思っていなかった。有名な「夢京橋キャッスルストリート」「四番町スクエア」は、平成の世に再開発された商店街だが、テーマパーク然として浮いているのかと思いきや、いまや街にも溶け込んで文句なく楽しいし、街の北西に伸びる「花しょうぶ通り」商店街は、通り全体が伝建地区であり、まさに江戸時代からの花街であったろう雰囲気を今に伝えてくれる。両者の間にある「ひこね銀座」「本町通り」は、ちょっと落ち目の昭和の繁華街だが、これはこれで面白い。栄えているところ、さびれているところ色々含めて、これだけ商店街の多い町も珍しいのではないか。そしてそれらの背後、芹川までの間にある旧足軽屋敷群の一帯の、しっとりと落ち着いた風情。「久左の辻」(銀座町)界隈の裏通りの変化に富んだ密やかな表情。いずれも路地歩きにはうってつけのエリアだ。
城のみならず、城下町にもこれだけ様々な要素を取り揃えて観光客を楽しませる演出力は、特筆に値する。いわゆる「ゆるキャラ」ブームには鼻白む私だが、「ひこにゃん」すらこの町の企画力の現れに思えてくる。

FWDSC_6917-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

引田 2019 [日本の町散歩(中国・四国)]

引田(ひけた)は、瀬戸内海に面した香川県の町。瀬戸内の町でも、四国側のほうは私にとって初である。山陽の町の闊達さとはまた異なった、しっとりとしたやさしさがあるように感じた。街並み保存などの目立った動きはなさそうで、そういう意味では地味な印象だが、江戸時代から風待ちの良港として栄えた名残が、この町のそこここに残る。そしてその頃から続く地場産業が、いまも盛んなのが良い。いわゆる讃岐三白(綿、塩、砂糖)のうち、引田は砂糖と塩で知られた。この地でいう砂糖とはもちろん手作りの和三盆の事で、「三谷製糖」等、いくつかの製造所が残る。塩もほうも、近隣でよく取れる小麦や大豆との掛け合わせで、この町に醤油産業を生んだ。最盛期には7軒もの醤油蔵がひしめきあっていたというが、今は赤壁の「かめびし醤油」がのれんを守る。明治期以後、三白に代わる地域最大の地場産業として成長した手袋も重要。いまも隣町の白鳥とともに、国内産製品の9割(!!)を生産するという。「このあたりの女性の花嫁修業というと、何よりも手袋編み」とは「手袋ギャラリー」の地元ご婦人の弁。今に生きる産業が、街に静かな活気を与えている。

FWDSC_5752-1.jpg


続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

御所 2019 [日本の町散歩(近畿)]

「御所」と書いて「ごせ」と読む。前項の葛城古道歩きの出発地、拠点となる街である。大和盆地の南端に位置し、古くから奧大和、吉野、高野等の山地と大和盆地の中継地として栄えたという。江戸時代には御所藩(桑山氏)の陣屋町となり、その後、葛城川を隔てた東側に、円照寺を中心とした寺内町も形成され、御所は今に至るまで、葛城川をはさんで西と東に陣屋町と寺内町のふたつの表情を持つ。
現代においては、御所には都市として特別に目立つ部分はないように思われるが、江戸後期以降も大和絣(かすり)等の特産品を送り出し、つい最近まで繁栄していた面影は、街を歩けば随所に感じられる。有名な今井町にも劣らず重厚な町屋、蔵など歴史的町並みが随所に残り、陣屋町時代の環濠の名残りさえも見られる御所の街歩きは十分に見ごたえがある。駅前周辺から商店街まわりの昭和な街並みもまた、味わい深い。本気になって町おこしをすれば、十分に観光客を呼び込むことができるように思うが、そうはならないところがまた土地柄でもあるのだろう。

FWDSC_5340-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

葛城古道(櫛羅~名柄~風の森) 2019 [日本の町散歩(近畿)]

私が思春期を過ごした奈良に戻ってきて3年が経つ。大和盆地は言うまでもなく我が国黎明の地であり、数々の史跡が残された貴重な土地であるが、大都市圏に隣接するが故に、景観の荒廃が著しい。しかしながら、その南方のどんづまりの山裾に、「葛城古道」と名付けられた古代からの道筋が残されているというので、訪ねてみた。
葛城・金剛連山の麓をたどる、この13キロの道の周辺は、平野部に大和朝廷が起こるよりもさらに前、農耕文明が起こり、豪族が住み、王朝があったともされる地である。さらには数々の神々の伝説を含み、一説には天孫降臨の地ではないかとも言われている。山麓の谷戸には、隠れるような神社や古刹が今も残され、古道に沿って点在する集落には、はるか昔の古代文明の名残が、どこかに息づいているのかもしれない。葛城古道を歩く旅は、そんな幻のようなひそやかなロマンを追った、どこかミステリアスな旅でもある。

FWDSC_4137-1-2.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

醒ヶ井 2019 [日本の町散歩(近畿)]

醒ヶ井(さめがい。醒井とも)は近江の東端に位置する中山道61番目の宿場町。宿場としての規模はさほど大きくは無かったようだが、その名のとおり目も醒めるばかりの清冽な湧水が湧き出ていることで良く知られた。この湧水は、いまもこんこんと湧き出して地蔵川という美しいせせらぎを成し、古い家並みがその両側に続いているその光景は、宿場町であった時代とそう変わらないのではないかと思えてしまうくらいに美しく調和していて、歩く現代人の心を癒してくれる。とくに夏前には「梅花藻」という水中花が、この地蔵川に咲くため、多くの人で賑わうそうだ。私が訪れた6月初旬ではまだ咲いているのはわずかであったが、それでも見ごたえのある街並みであった。

FWDSC_3695-1-2.jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

御手洗 2019 [日本の町散歩(中国・四国)]

気候が良くなると瀬戸内方面に出掛けたくなることは「真鍋島」のときに書いた。今年は広島県にある「大崎下島(おおさきしもじま)」に行くことにした。目当ては「御手洗(みたらい)」という小さな町である。
御手洗は江戸時代から瀬戸内を行き来する船の寄港地として栄えた街のひとつ。瀬戸内屈指の遊郭があったことでも知られ、そうした時代の表情を今に残す貴重な街並みがあるという。2016年にはサントリーの「オランジーナ」のCMで、島の街並みを自転車で駆け抜ける若いフランス人の女先生の映像が話題となった。あのCMは、明らかに木下恵介監督の映画「二十四の瞳」の大石先生登場シーンのパロディであったが、1950年代の小豆島の美しい風景にも見劣りしない、現代の瀬戸内の島のさんざめく光が、この御手洗の街で撮られていた。・・・そんな御手洗に向かうのに格好の交通機関がある。JR広駅から出ている瀬戸内産交の路線バスである。下蒲刈島、上蒲刈島、豊島と、芸予の島々を順番に渡り、丹念に集落をめぐってゆくから、それぞれの島の暮らしの様子が車窓からつぶさに見て取れるのだが面白い。揺られること90分。ようやく御手洗に到着だ。

FWDSC_3276-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

竹原 2019 [日本の町散歩(中国・四国)]

尾道に通っていたころから、竹原には興味があった。決して街並みとしては美しくない尾道とは対照的に、「安芸の小京都」と言われ、早くから街並み保存の進んだ竹原。大林宣彦監督の映画「時をかける少女」でも、情緒的なシーンでは尾道ではなく竹原で撮影されていた。映画に出てくる「堀川君」の住む醤油屋は、竹原に実際に現在も存在する「堀川醤油醸造所」である。
江戸時代以降、昭和の中期まで、竹原の主な産業は、製塩だった。かつては全国シェアの8割を占めたという広島県の製塩。それによって竹原の街並みは作られていった。製塩業の衰退して久しい今、いったい竹原の街はどのように維持されているのか。街並み保存に長年力を入れてきた街だけに、その成果が見てみたく、今回の訪問となった。

FWDSC_2835-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

東京<荒木町> 2016 [日本の町散歩(関東)]

東京はその茫漠とした平野の谷間に、様々な個性を持った魅力的な街々を、幾つも幾つも隠しているが、荒木町もそんな街のひとつである。駅で言うと丸ノ内線の四谷三丁目と、都営新宿線の曙橋との間に挟まれた一帯であり、地形的には、すり鉢状の窪地になっている。そのすり鉢の底にあった池の周りにその昔、茶店が立ち並び、芸者や風流人らが集ったことが街の起こりだというが、その花街としての歴史は、戦争をはさんで昭和40年代まで連綿と続いていたらしい。だがその後、さびれた。
いま、荒木町は飲み屋街として再び脚光を集めている。街のそこかしこに、花街だった時代の色香が残っているのが面白い。集まっている店や人も、どれもひと癖ありそうなのばかりで、いまも呑み助にはたまらない街である。そして、すり鉢の底の池も、まだある。ずいぶん小さくなったとはいうが、いまもマンションやネオンに囲まれてひっそりとその水面を揺らしている。

FWDSC_4781(1).jpg



続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

小湊鉄道 春の沿線 2016 [日本の町散歩(関東)]

「10年ひと昔」という言葉が死語になるくらい、高度情報化による今の環境変化は目まぐるしい。パソコンが生まれ、スマホが生まれ、いまやグーグルとアマゾンで何でもできてしまう。しかし、この小湊鉄道の古びた列車に揺られていると、そうした出来事は全て夢の中の出来事で、本当は、何十年も前から、我々の暮らしというのは昭和の頃から何ひとつ変わっていないのではないかという気がしてくる。おそらく、それもまた本当なのだろう。
窓外を流れていく沿線の景色も、おそらくかつてとそう変わってはいない。それと同じように、道を歩く人の心も、本当はそう変わってはいないのだと思う。菜の花でうずまった、穏やかな春の上総地方。悠久の時空を旅しながら、変わりゆくものと、変わらないものとに思いを馳せることができるのが、小湊鉄道の最大の魅力である。

FWDSC_1985(1).jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

信濃路の春(と秋) 点景 2009 [日本の町散歩(中部)]

関東に越して最初の春、私の信州通いは始まった。武蔵野の端にあった私の自宅から、バイクにまたがっていくつも山を越えていくのが面白かった。所沢から正丸峠を越えて秩父に入り、小鹿野から志賀坂峠を経て群馬県は上野村を快走したのち、険しい山道を辿ると十石峠で、そこから緩やかな下りを降りてゆくと、ようやく信州・佐久平。自宅からここまでで6時間を要したが、植生や空気が次第に変化していくのが肌で感じられる道中は、まったく弛緩することがなかった。県都長野までは、千曲川の川筋を辿るか、菅平を超えるかして、さらに2時間。時間の都合で、素直に上信越道を疾走することもあったが、この下道ルートは私のお気に入りで、何度往復したことか知らない。これらの撮影行の成果は「春の松代」「夏の須坂」「秋の小布施」等のページにまとめられているが、ここでは、それらに掲載できなかった道すがらの写真達を、落ち穂拾い的に集めてみた。

FWshinsyuRG002(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

山梨・富士山(断章) 2009 [日本の町散歩(中部)]

2008年秋に大阪から東京に転居したのち、ゼファー1100(中古)を購入した私は、少しでも春めいてくると居てもたっても居られず、セーターを幾重にも着こんでツーリングに出かけた。
関西育ちな私は、やはり富士の山容はちらっと見えただけでも感激してしまう。それがどんなに遠く小さくとも、その崇高な姿にはどうしようもなく惹きつけられてしまうのだ。
そんなわけで、富士山のチラリズムを求めて(?)、甲州を一日走ったときの記録がこのページである。いつか本格的に撮りに出ようと思いつつ、かなわぬまま現状に至ってしまったが、10年前の記録としてここに留めておきたい。

FWyamanashiRG011(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

阪神間 2018 (4)冬の芦屋 [日本の町散歩(近畿)]

さて、春、夏、秋と阪神間のステキ町をめぐってきたが、最後の大トリを飾るべきはもちろん、芦屋であろう。日本一の高級住宅街であるのはもちろんだが、芦屋の魅力は、ここが単なる住宅街ではなく、地元の人々の日常が生み出す街的なストリートをあちこちに抱えている点であろう。その雰囲気は単にオシャレやハイソなどと表現できる生易しいものではなく、一般庶民の日常世界をキッパリ突き放してしまったようなところがどこかにあって、よそ者を面食らわせるがしかし、・・・それでも背伸びをしながら歩いていると、しだいに鏡の向こうの異世界を歩くような、不思議な浮遊感が湧いてきて、コキゲンな気持ちになれるのだ。
芦屋川の桜が咲き乱れる春も良いが、芦屋がもつ街的な審美性がもっとも際立つのは、余計なもののない冬という時期ではないだろうか。・・・そう思って最後にとっておいた街歩きを、皆さんも楽しんで頂きたい。

FWDSC_2068(2).jpg


FWDSC_0943(2).jpg


続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

貞光 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

高松でオシャレな女の子が沢山歩いていたけれど、徳島に入ると、いわゆるキレイな女性を見つけるのが急に難しくなる。列車に乗り合わせた女子高生達はおさげに白ズック、男子に至っては、高校生にもなるというのに鼻水垂らして居眠りしている。田舎にはつきもののはずのヤンキー風の不良学生さえ、徳島では見かけない。誰もが野暮ったく、純朴そのものだ。そこがいい。
今回訪れた貞光という町は、そんな徳島の朴訥とした感じが、良い形で結晶化されている町だ。脇町と同じく、吉野川流域における物資の集散拠点として栄え、うだつのある街並みを特徴とするが、観光化という意味では脇町に大きく後れを取り、脇町で進んでいた電線地中化や道の駅の開設等も全くなされていない。しかし、それがいい。決して観光客のためではなく、住民のための生活の場として、うだつの町並みや昭和の街並みがいまに生きているというのは、じつは全国的にも貴重なのではないか。・・・私はすっかり貞光が好きになってしまった。

FWDSC_0609(2).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

村上 2017 [日本の町散歩(中部)]

のっけから食い物の話で恐縮だが、鮭好きにとって越後の村上は聖地のようなところである。なにしろ、100種以上の鮭の料理法が村上には伝わるというのだ。太古の昔から、晩秋になると近くを流れる三面(みおもて)川に、おびただしい数の鮭が遡上してくる。江戸時代の村上藩がこれに目を付けたところから伝統のサケ漁が成立し、今に至るまで町の一大産業で有り続けているという。
村上藩の偉いところはこれだけではない。地酒、和菓子、お茶、それから伝統工芸の「村上堆朱(ついしゅ)」・・豊富な名産品を育て上げたこの町の心意気と、それによって培われたであろう文化的雰囲気を感じてみたくて(・・いや単純に鮭料理を腹いっぱいに食べてみたくて)私は冬の初めにノコノコとこの村上にやってきたのであった。

FWDSC_9114(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

阪神間 2018 (3)秋の御影・住吉 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間という地域のルーツはもちろん、大正時代から昭和初期にかけて邸宅街として発展した歴史にあるが、その頃の古き良き「残り香」を最も感じさせるのが、阪急電車の御影(みかげ)駅の周辺から住吉川にかけてのエリアであろう。谷崎潤一郎の邸宅があったことでも知られ、豪壮な「御影石」の石垣に囲まれたお屋敷や美術館が点在するこの地域は、当時のモダニズムを色濃く残しながらも、どちらかと言えば「和」情緒をより強く感じさせる。
いまや「お屋敷」の多くは取り壊され、その跡地は巨大なマンションや分譲住宅がいくつも並ぶ光景へと変わったが、それが元あった邸宅敷地のとてつもない広さを物語っているわけで、実はいまよりもずっと豊かだったこの地の人々の、当時の充実した暮らしぶりが、そこはかとなく偲ばれるのである。

FWDSC_9338(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

日野 2018 [日本の町散歩(近畿)]

日野もまた近江商人のふるさととなった町のひとつ。「日野の千両店(せんりょうだな)」と言われる通り、ここの人々はとりわけ日本各地に多店舗展開し、流通網を作り上げる術に長けていたと言われる。土地の恵を生かした漢方医薬と木工品(椀)を二大看板に、全国を股にかけて渡り歩いた日野商人たちの故郷は、いまは鈴鹿山麓の里山のただ中にある、ちいさな町に過ぎない。
しかしこの町の家並みが持つ、まれに見る品の良さはどうだろう。質素倹約を重んじた近江商人であるから、決して華美な家並みでないのは分かるが、それだけではない。日野の町を歩けば、近江八幡や五個荘とも違う、教養や文化的な豊かさを内に秘めた、ゆとりのようなものが感じられるのである。その雰囲気はどことなく、信州の小布施を思い出させる。
そういえば日野もまた、平成の大合併の風潮の中で、誇り高く独立を守っている数少ない町のひとつなのである。

FWDSC_8375(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

脇町 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

徳島県を西から東へと流れる吉野川は、日本三大暴れ川のひとつに数えられ、「四国三郎」の異名もとる堂々たる大河。脇町は、この中流域の北岸に位置する小さな町である。江戸期以降、ここには周辺の農村から葉藍が集まり、職人や商人たちがこれを染料の藍にした。吉野川の舟運によって下流の町や京・大阪へも運ばれた「阿波藍」は、この町に富をもたらし、脇町の商人たちは、その富の象徴としてこぞって我が家と隣家との境界部分に「卯建(うだつ)」と呼ばれる防火壁をこしらえたが、現在でも通りの両側に約400メートルにわたって続く「うだつの町並み」は日本でも唯一無二の存在である。
しかし私がこの脇町のことを知ったのは、うだつへの興味からではなく、山田洋二監督に「虹をつかむ男」によってであった。映画では、西田敏行演じる中年男が、つぶれかけた映画館の再興を期して、このうだつの町並みを奔走するのであるが、そこでは、日本の古き良き町の人々の交流の様子が実に生き生きと活写されていた。

FWDSC_7307(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

今庄 2018 [日本の町散歩(中部)]

今年は何度か福井方面に足を運んでいるが、その度に北陸線の車窓から見て気になっていた町があった。それが、北陸トンネルを抜けてまもなく左手車窓に現れる、今庄である。長いトンネルを抜けてきた後だからなのか、どうもこの町だけがセピア色に見える。いや、なんだか白昼夢のような、現実離れした場所のようにも見えたのだ。
越前の南端に位置し、北国街道の宿場町として栄えたというこの町に、今日は降り立ってみた。そして、驚いた。街道筋の町並みが圧巻なのは言うまでもない。飾られもせず、護られもせず、ましては作り物なんかではない本物の町並みが、ただ色褪せてそこに続いている。それだけではない。少し裏手へと足を踏み入れれば、これが現代の風景だろうかと目を疑うような路地や抜け道が、こんどは色鮮やかに、続いているのだ。これは掘り出し物だと思った。こんな山かげに、よくぞこんな魅力的な町が隠れていたものだと思う。・・・そんな私の興奮もどこ吹く風。今庄の町は、人々から忘れられるがままに、今日も眠りこけている。

FWDSC_6386(1).jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

真鍋島 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

気候が良くなると、瀬戸内の町に、時折ふらりと行ってみたくなる。尾道、笠岡、下津井、牛窓と、いつも陸から海を眺めてばかりだったのだが、やはりたまにはこの穏やかな海に浮かぶ島に渡ってみたいという衝動にかられる。小島まで含めるとその数1000を超えるという瀬戸内の島。その中で、私が最初に選んだのがこの真鍋島である。笠岡からのフェリーが、白石島、北木島を経て最後にたどりつく島は、本州側からも四国側からも20kmと、どちらからも隔たっており、瀬戸内古来の漁村風景が残されているという。
そんなのどかな空気に触れてみたくて、この夏、私もフェリーに乗り込み訪ねてみた。結論から言うと、その日は撮影行には暑すぎたのであるが、、、、ともかくご覧頂きたい。

FWDSC_6904(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

阪神間 2018 (2)夏の岡本・本山 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間のステキな街々をめぐる旅の第2弾は、若者の多い街、岡本~摂津本山である。阪神間には、神戸大学や関西学院大学を始めとして多くの大学キャンパスがあるが、中でも甲南大学、甲南女子大学、神戸薬科大学があるこの岡本周辺は、多くの若者が闊歩する街としてよく知られている。学生街といっても、安い定食屋やチェーン店、アパートがひしめいている場所ではない。個性豊かな雑貨屋やカフェが点在する、むしろ垢抜けた一帯で、石畳の坂道をゆく女子大生達のファッションを眺めているだけでも、目が覚めるような心地がする。地域住民のグループが結束して行っている独自の看板規制運動等でも注目されており、だからなのか、チェーン系のカフェであっても安っぽさとは無縁で、街に溶け込んで洒落て見えるのが面白い。
かつては梅林が広がることで知られた地域だけに、すこし駅を離れると、すぐに六甲山に抱かれた静かな住宅街になるのも好印象だ。豪邸の並ぶ芦屋や夙川等と比べれば、人懐っこい緑豊かな細い路地が、斜面に沿ってうねうねと続いている。

FWDSC_5974(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

越前大野 2018 [日本の町散歩(中部)]

北陸本線の列車に乗って京都から向かっている。北陸トンネルを過ぎてしばらくすると、回りの家並みが随分と好ましいものになっていることに気付く。楚々とした、慎ましやかな家並み。無駄に主張するところがなく、こざっぱりとして清潔な印象。それでいて、どこか京、近江の家並みが持っていた優美さも受け継がれている。私の場合、それはそのまま、越前という地域全体の印象にもつながっているのだが、そんな越前の良さが凝縮された町のひとつが、この大野であろう。
九頭竜水系もずいぶんと上流にさかのぼった小さな盆地に、この町はある。山に囲まれ、400もの湧水に恵まれた水の良さが、大野という町のすがすがしさを生んでいる。水が良ければ人も良く、醬油に清酒、そば、羊羹と、名物にも事欠かない。戦国時代以来の歴史を持つ朝市が毎朝開催される町としても、全国唯一無二の存在だろう。
梅雨の明け切らない時期、目まぐるしく変わる空模様の下、この町を歩いてみた。

FWDSC_4446(1).jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

三国 2018 [日本の町散歩(中部)]

三国は、歌うように風が吹く、おだやかな港町である。日本海を目の前にし、九頭竜川の河口に開けたこの街は、北前船の寄港地として越前随一、北陸屈指の繁栄を誇った。いまも九頭竜川右岸に沿って細長く3kmに渡って古い商家建築や花街跡等が続き、見ごたえがある。北側の一角を占めていた三国の花街の格式は、当時日本でも屈指と云われていたらしい。遊女達の素養の高さも世に聞こえており、書、華道、俳諧、茶の湯等に優れた者が何人もいたという。実際に江戸で女流俳人として名を残した哥川(かせん)は、出村町の妓楼出身であった。三国の商人達の教養も高かったといい、街全体がどこか文化的に豊かなものを持っていたと思われる。
三国を歩くと、ふと三味線の音が聞こえてきたり、気の利いた盆栽が並んでいたりと、ゆらゆらとそんな時代の町の気品が、今もたゆたっているように感じられるのが不思議である。

FWDSC_2679(1).jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

阪神間 2018 (1)春の夙川・苦楽園口 [日本の町散歩(近畿)]

阪神間といわれて、他地方の人ならタイガースや工場地帯を連想してしまうかもしれないが、ここでは西宮市から神戸市東部にかけて、六甲山麓に連なる郊外住宅エリアを指す。すなわち、武庫川、西宮、夙川、芦屋、岡本、御影、六甲等の一帯である。この地域について、全国的に通用する気の利いた呼び名が無いことが惜しいが、それというのもここが、日本で最も住環境に恵まれ、文化的にも豊かで、かつ洗練された都市生活が繰り広げられている地域だからである。そんなことを書くと東京あたりの人は鼻白むかもしれないが、残念ながら田園調布や成城などの首都圏の高級住宅地は、規模や品格、それに街としての魅力の点でも阪神間に遠く及ばないし、広尾~白金一帯や松涛~代官山あたりのアップタウンは素敵だが、残念ながら六甲に抱かれ海を前にした阪神間のような自然環境の魅力はない。
2018年度はこの阪神間のキラ星のような街々の中から、四季に応じて四つの地域を選び、撮り歩こうと思う。「こんな場所に住みたい」と思う気持ちは若い頃に比べて薄れたが、この地域の成熟したアイデンティティを、関西人としてもっと多くの人に知ってもらいたい気持ちは依然強い。
第1回は、阪神間でも私が最も好きなエリア「夙川」「苦楽園口」を取り上げる。

FWDSC_1350(1).jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

卯之町 2018 [日本の町散歩(中国・四国)]

卯之町(うのまち)は、南予地方の山中にポツリとある小さな町。昔ながらの宿場町風情を残す町並みが有名だが、それ以上に、不思議な異国情緒の残り香があるところが面白い。歩いていると、石畳の坂、現役の教会、アーチ型の窓を持つ旧学校等、まるで長崎ではないかと思わせるような風景が開けてくる。それもそのはず、ここはシーボルトの弟子でもあった二宮敬作が住んで拠点とした町であり、敬作を慕う多くの蘭学者が集った町でもあるのだ。シーボルトの娘であるイネも青春時代をここで過ごして日本最初の女医となったし、江戸幕府に追われた高野長英が潜伏していた時期もある。山間にありながらも、文明開化の貴重な脇役となって花開いた町なのだ。
いまの卯之町は、商店街を歩く人も少なく、賑わいはすっかり遠のいてしまった。しかし、いまも卯之町教会の十字架は空高く聳え立ち、風にそよぐ棕櫚の木が町に彩りを添えている。

FWR0047082(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

城崎 2018 [日本の町散歩(近畿)]

城崎こそは日本を代表する「温泉街」である。昔ながらの、絵に描いたような温泉情緒を、これほど楽しませてくれる場所もいまや珍しいのではないだろうか。
この街では昔から、宿の内湯はおまけに過ぎない。大谿川に沿って7つある外湯こそが城崎の本懐。それをめぐろうと、老いも若きも、ニホンジンもガイジンも、みんな町を練り歩き、道中で買い食いやゲームやショッピングに興じる。雨の日も、雪の日でもそれは変わらないのだ。
雪降る湯の街情緒もよかろうかと云いつつ、本当はカニを目当てに40歳を越えて初めて来た城崎。街をそぞろ歩く客の多くが若者であることに驚く。カップルはもちろん、OLや大学生らしき女性グループ。男性ばかりの若者グループが多いのも今ふうか。沿道に並ぶ店にも、ビアバーやパティスリーなど今風のしゃれた店が目立つ。
時代が移ろいゆく中でも、やっぱり日本人の温泉好き、そして和情緒好きのDNAは変わらないのだと改めて思う。今回はそんな喧騒をときに避けつつ、ときに交わりつつ、城崎という町の表情を追ってみた。

FWDSC_0110(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

信楽 2017 [日本の町散歩(近畿)]

信楽は言うまでもなく、奈良時代から連綿と続くやきものの里である。笠をかぶり、徳利と通帳を持ったタヌキの置物が有名だが、それだけではなく、温かみのある火色を特色として、この地のやきものは多種多様の発展を遂げてきた。生活に根付いた甕、傘立て、火鉢といった大物の生産では全国トップシェアを守ってきたし、食器や人形などの小物でも個性的なものづくりが行われている。また、茶器、花器等で京文化の一端を担ってきたという側面も見逃せない。山あいの小さな町をめぐれば、方々から聞こえるろくろの音、立ち上る焼成のけむり。道端には製品、作品が無造作に積まれたりしていて、まさに町じゅうが製陶一色という感じだ。関東の益子のように道路沿いにずらり並んだショップに買い物客がつめかけ・・ということはないが、そのかわりに、あちこちに散らばっている窯元までじっさいに訪ねて歩いて回れるのが信楽の良さ。多くの窯元はギャラリー、ショップ、カフェ等を併設していて気軽に入っていけるし、製作現場の見学ができるところも多い。製作者本人と話しながら品定めができるなんて、最高ではないか。歩いていると埋もれかけた古い登り窯を発見したりもして、なかなか楽しい。

FWDSC_8450(1).jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

篠山 2016-2017 [日本の町散歩(近畿)]

秋のひと日、丹波篠山(ささやま)の街を訪ねると、「日本の田舎に元気がない」などという言説は嘘だったんだと、嬉しくなる。通りをそぞろ歩く、人の数のなんと多いことか! 人々のお目当ては、枝豆、黒豆、栗、松茸、そして、山の芋。冬になれば解禁される名物の「ぼたん鍋」(猪肉鍋)。。。こうした丹波の里山がもたらす食の恵みが、この町に豊かさとに賑わいをもたらしている。通りを見渡しても、シャッターを下ろしている店はほとんどない。昔ながらの大衆食堂、呉服屋、履物屋、果物屋、玩具屋・・・いずれも現役で軒を並べている。
それだけではない。古い町並みを残す河原町地区を中心に、おしゃれで個性的なお店が続々と誕生している。カフェ、雑貨屋、ベーカリー、ワインショップ、ゲストハウス等、いずれも外部からやって来た人々によるものだが、こうした動きが連続するのは、移住者の新規開業を容易にするスキームを作り上げた地元の仕掛人(オジサン達)がいるからだ。
新旧入り混じった魅力のつまった篠山の町。今後の地方都市の行き方のひとつのモデルを示す、貴重な例といえよう。

FWDSC_8046(1).jpg

続きを読む


nice!(1)  コメント(0) 

近江八幡 2017 [日本の町散歩(近畿)]

近江八幡もまた悠揚たる町である。琵琶湖のほとりに位置する戦国期以来の城下町は、長浜のような今ふうの町おこしからはやや縁遠いが、大坂や江戸で活躍した近江商人を数多く輩出してきた町のひとつであり、歴史的に潤沢な資金の還流があったのだろう、十分に拡張、近代化された都市的風貌を備えている。そんな中、築城とともに引かれた琵琶湖からの水路と条理制の古い街並みが、今も静かなたたずまいを昔のままに残しているのが素晴らしい。また、建築家W.M.ヴォーリズが愛し、その活動拠点としたのもこの街であり、その遺産である数々の洋風建築やメンソレータムで有名な近江兄弟社(ヴォーリズが設立)も見所のひとつだし、新しいところでは今や全国に熱烈なファンを持つ菓子会社「たねや」「クラブハリエ」を生んだ町としての魅力もある。
こうした歴史の積み重ねが、町に独特の空気の余裕を生んでいる。それは時流に左右されず、長期的視野に立った調和や合理性を重んずるという、地道で飾らない真の商業精神のひとつの結晶ではないかと思われる。

FWDSC_6897(11).jpg


続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
前の30件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。