萩 2005 [日本の町散歩(中国・四国)]
津和野の後に訪れた、萩の町。
日本海に面した毛利氏36万石の城下町であるとともに、
幕末にはあの松下村塾があった町である。
木戸孝允、高杉晋作等、言わずと知れた明治維新の指導者を数多く輩出した萩の町。
そこは、津和野よりもずっと広く、人口も多いはずなのだが
なぜか静謐が町を支配し、とりとめなく広がる遺跡のように
もの言わぬ、その剛毅な滅びの風情が、私を魅了した。
※萩の「鍵曲がり」三景
鍵曲がり(かいまがり)とは、城下に進入した敵を迷わせ、追い詰めるための工夫の一つという。
左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手に曲げて迷路のようにすることで、城下の防衛機能を高めた。
今なお、萩市内に何か所か残っており、萩を象徴する風景のひとつとなっている。
夏空の下、萩の町の黙りこくった風情は、
ただひとつ買って帰った萩焼の茶碗の手触りとともに、
忘れ難い印象を私に残した。
日本海に面した毛利氏36万石の城下町であるとともに、
幕末にはあの松下村塾があった町である。
木戸孝允、高杉晋作等、言わずと知れた明治維新の指導者を数多く輩出した萩の町。
そこは、津和野よりもずっと広く、人口も多いはずなのだが
なぜか静謐が町を支配し、とりとめなく広がる遺跡のように
もの言わぬ、その剛毅な滅びの風情が、私を魅了した。
城下地区、菊屋横丁の風情。かつては商家が並んだという。
新堀川をボートがゆく。周りは萩名産である夏みかんの農園。
用水路である藍場川沿いにも、古い家並みが続く。
新堀川にかかる平安橋を臨む。
堀内地区にある萩高校近くにて。
橋本川の流れを玉江橋の上から臨む。
※萩の「鍵曲がり」三景
鍵曲がり(かいまがり)とは、城下に進入した敵を迷わせ、追い詰めるための工夫の一つという。
左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手に曲げて迷路のようにすることで、城下の防衛機能を高めた。
今なお、萩市内に何か所か残っており、萩を象徴する風景のひとつとなっている。
いずれも「平安古(ひやこ)の鍵曲がり」
夏空の下、萩の町の黙りこくった風情は、
ただひとつ買って帰った萩焼の茶碗の手触りとともに、
忘れ難い印象を私に残した。
撮影 2005年8月
本文 2009年10月(2013年3月 補訂)
本文 2009年10月(2013年3月 補訂)
2009-12-23 13:35
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