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追憶のピッコロ [日々のよしなしごと]

ピッコロにはお世話になった。
といっても、人でも動物でも、まして楽器でもない。
カレー屋である。

多くの人が行きかう梅田の地下街の片隅に、その店はあった。

関西一円に数店舗構えるチェーン店の本店なのだが、
席数はわずか6席(だったと思う)、地下街からトイレへの細い脇道に
隠れるようにして存在した。

「梅田に美味い店などあるはずがない」
そううそぶく友人達に、よく紹介したものだ。美味しければ今度の飲み代は払え、不味ければ俺が払う。
そんな賭けをして、私はよくタダ酒をモノにした。

決して値段の安い店ではなかったが、
その細い脇道に、いつもひっそりと数人が、文庫本を読みながら入店待ちをしていた。
事情を知らない人たちは、トイレへの行列なのだと勘違いして、怪訝な顔をして通り過ぎた。
つまり、そこに店があることすら分からないほど、目立たない店だったのだ。

入ってみても、やっぱり狭かった。
湾曲した短いカウンター沿いに、六つの席が並ぶ。
空いた席が奥のほうだった場合は、手前のお客さんにことごとく椅子を引いてもらって
ようやくたどり着くことができた。
でも、荷物の置き場に困っていると、ほかのお客さんが
「ここに置きましょか」などと、声をかけてくれるのが、この店の常だった。


カウンターの中にはいつもおじさんの店員が一人で、
6人の客を相手に、まめまめしく面倒を見、いそいそとカレーをよそってくれた。
メニューは、基本は「ビーフカレー」、「チキンカレー」の2品のみ。
常連だけは、隠れメニューの「シーフードカレー」の存在を知っていた。

数分後、目の前に湯気を立てたビーフカレーが供される。
ホロホロになったビーフのかたまりがゴロリゴロリと横たわり、
ライスは完全に隠れるほどのそのボリューム感。
正直、一口食べて、すぐに美味いと思えるようなパンチのあるカレーではない。
しかし、食べ進むにつれて、ビーフの旨みがじんわりと立ちのぼってくる。
たっぷりと濃厚で、それはそれは贅沢なカレーなのだということに、しばらくして気づくのである。

他のお客さんと肩を寄せ合うようにして、黙々と食した。
さむざむとしていた心が、ホロホロになったビーフのように、解きほぐされてゆく。
じんわりと、胸の奥のほうがあったかくなる。
なぜか、涙が出そうになる。
同席しているお客さんも含めて、いろんな人のおかげで、私はいまこのカレーが食べられるのだ。
そう、ひしひしと思えてくる。
カウンターの中のおじさんは、やっぱりいそいそとカレーを温めている。

もう少し、また頑張ってみよう。
そんなふうにいつも、心まで満たして、店を出た。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


久しぶりに大阪に帰った。
失意にまみれた私が向かった先は、やはりピッコロだった。
いつの間にか、お店はすっかりリニューアルしていた。
いまや、数十人が入れる規模。喜ぶべきことなのだろう。
かつての面影はみじんもない。

キッチンは奥。
いまどきの茶髪の若いオネエさんが、軽やかにカレーを運んできてくれた。

もう、隣の人と、肩を寄せ合って食べることもなくなった。
声をかけあって、店に出入りすることもなくなった。
少しばかりボリュームが減っただけで、
カレーの味は変わっていない、とせめて思いたかった。

あの、ひたすらご飯を炊き、カレーを温め続けていたおじさんは、どこへ行ってしまったのだろう。



2010年1月
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