ホーチミン・シティ 2008 [アジアの町紀行]
ホーチミン・シティは、街並みにかつてのフランス統治時代の影響をよく残していることから、東洋のパリなどと称されているが、タクシーが空港を出たその瞬間から、そんな甘い幻想は吹き飛んだ。
そこは、想像とはまったくかけ離れた、苛烈で、けたたましい街だった。つまりは、バイクである。ベトナムはバイクだらけだよと聞いてはいたものの、これほどまでに凄まじいものとは思ってもみなかった。バイクの大群がまるでイナゴの群れのようにまさに四方八方からグルグルと渦巻きながら押し寄せてくる様子は、鳴門の大渦もかくやと思うほど、その猛威に息をのみ、恐怖すら覚える。これでは中国の街のほうがよほど穏やかだ。
しかも、この地の人々は、我々エトランゼに対し決して笑顔を見せない。カメラを向けると、まるでつっかかって来んばかりに睨みを利かす。まるで媚びとか愛想というものがない。タイの人々とは大違いだ。
かといって粗暴というのではない。笑顔をつくってくれる人もいる。だが、その目は決して私に笑いかけていない。彼らは、一日一日をひたむきに生きる自分達と比して、馬鹿みたく逍遥している能天気な外国人を、ひややかに憐れんでいるのだ。 ・・・私はそんなこの地の人々に、すぐに魅了されてしまったのだった。
私はまる二日間、フーさんというバイクタクシーの運転手と、昼夜を問わず行動をともにした。
彼は日本語と日本のギャグが素晴らしく上手で、よく笑い、よくおどけた。
一緒に食事をし、飲み、歌い、笑い合ったが、彼が私に対して本当に心を許したと感じられる瞬間はついになかった。
そのかわり、私の要望には確実にこたえてくれ、うそをついたり、いい加減な対応をすることも一度もなかった。
■ホーチミン・シティの朝
■チョロンにて
チョロンは現在のホーチミン市の西部にある中国人居住区街のことで、その中心にビン・タイ市場を擁する。サイゴンの旧市街地の西5キロほどのところにあり、かつてはサイゴンとチョロンは別の街としてあつかわれていたらしい。
■バイク(と自転車)に乗る人々(1)
ベン・タイン広場~ファン・グー・ラオ通りあたり
■ホーチミンの午後
■バイク(と自転車)に乗る人々(2)
ベン・タイン広場周辺にて
サイゴン川を渡って2区の商店街へ。
ホーチミンにいる間、私の脳裏にひどく鮮やかに浮かんでいたことば、
それは「キズナ」ということ。
それは、帰国してからもずっと後を引き、私の心に、温かく強いものを残した。
親と子、姉(兄)と妹(弟)、男と女、そして男と男。
ごく身近にいる人々同士、お互いを信じあい、支えあい、そして結ばれている、
そんな人と人のキズナが、この街では一層、強いように思われた。
一生懸命に生き、一生懸命に愛し、信じぬき、一生懸命にまもる。
歴史がそうさせたのかどうか、それはわからない。
私は終始、のけものだったが、とてもよい旅をしたと思った。
そこは、想像とはまったくかけ離れた、苛烈で、けたたましい街だった。つまりは、バイクである。ベトナムはバイクだらけだよと聞いてはいたものの、これほどまでに凄まじいものとは思ってもみなかった。バイクの大群がまるでイナゴの群れのようにまさに四方八方からグルグルと渦巻きながら押し寄せてくる様子は、鳴門の大渦もかくやと思うほど、その猛威に息をのみ、恐怖すら覚える。これでは中国の街のほうがよほど穏やかだ。
しかも、この地の人々は、我々エトランゼに対し決して笑顔を見せない。カメラを向けると、まるでつっかかって来んばかりに睨みを利かす。まるで媚びとか愛想というものがない。タイの人々とは大違いだ。
かといって粗暴というのではない。笑顔をつくってくれる人もいる。だが、その目は決して私に笑いかけていない。彼らは、一日一日をひたむきに生きる自分達と比して、馬鹿みたく逍遥している能天気な外国人を、ひややかに憐れんでいるのだ。 ・・・私はそんなこの地の人々に、すぐに魅了されてしまったのだった。
夜のドン・コイ通り。
バイクで繰り出すドライブこそが、暑いサイゴンで一番の夕涼み。
バイクで繰り出すドライブこそが、暑いサイゴンで一番の夕涼み。
夕方のサイゴン川フェリーで2区へと帰る人々の群れ。
サイゴン川を挟んでホーチミン市街の対岸にあたる2区はまだまだ低湿な未開発地区だが、
住宅が多く商店の集まる地区もある。
いつか、上海の浦東地区のようになるのだろうか。
サイゴン川を挟んでホーチミン市街の対岸にあたる2区はまだまだ低湿な未開発地区だが、
住宅が多く商店の集まる地区もある。
いつか、上海の浦東地区のようになるのだろうか。
サイゴン川に沿って高級ホテルが並ぶトン・ドゥック・タン通り
ホーチミンシティ一の繁華街、ハイ・バー・チュン通りの夜
ホテル・カラヴェルにあるサイゴン・サイゴン・バーから見る
ホーチミンシティの夜景
ホーチミンシティの夜景
私はまる二日間、フーさんというバイクタクシーの運転手と、昼夜を問わず行動をともにした。
彼は日本語と日本のギャグが素晴らしく上手で、よく笑い、よくおどけた。
一緒に食事をし、飲み、歌い、笑い合ったが、彼が私に対して本当に心を許したと感じられる瞬間はついになかった。
そのかわり、私の要望には確実にこたえてくれ、うそをついたり、いい加減な対応をすることも一度もなかった。
どこへ行くにも、このバイクに二人乗りした。
■ホーチミン・シティの朝
レ・タイン・トン通り
ベン・タインのバスターミナルにて。
ベトナムの伝統衣装、アオザイを来た女性は凛々しい。思わずついて行きたくなる(笑)。
ベトナムの伝統衣装、アオザイを来た女性は凛々しい。思わずついて行きたくなる(笑)。
サイゴンのランドマーク、ホテル・コンチネンタル前にて
ハム・ギー通り。
グエン・フエ通り
オールド・マーケットとして知られるトン・タット・ダム通りあたり
ベトナムでは、この菅笠(ノン)をかぶった人が本当に多い。
日本の菅笠と違い、ヤシの葉でつくるらしい。
日本の菅笠と違い、ヤシの葉でつくるらしい。
■チョロンにて
チョロンは現在のホーチミン市の西部にある中国人居住区街のことで、その中心にビン・タイ市場を擁する。サイゴンの旧市街地の西5キロほどのところにあり、かつてはサイゴンとチョロンは別の街としてあつかわれていたらしい。
踏切警手に恋をする。
サイゴン駅近くにあるベトナム国鉄車両基地付近にて。
ティー・サック通り付近。
ベトナムのビールで乾杯!
■バイク(と自転車)に乗る人々(1)
ベン・タイン広場~ファン・グー・ラオ通りあたり
アオザイ女性もバイクにまたがる。
バイクに乗る人々の表情から、その家族のありようを想像してみると楽しい。
■ホーチミンの午後
3区、グエン・ティ・ミンカイ通り裏手の路地の情景。
映画「ラ・マン」の舞台となったレ・フォン・ホン高校近くにて。
サイゴン市街からサイゴン川を少しさかのぼったところにあるタン・ダ村。
川岸に多数のレストランやバーがある。
川岸に多数のレストランやバーがある。
ベン・タイン・バスターミナル付近
■バイク(と自転車)に乗る人々(2)
ベン・タイン広場周辺にて
夜のサイゴン川の河畔にて。
サイゴン川を渡って2区の商店街へ。
ホーチミンにいる間、私の脳裏にひどく鮮やかに浮かんでいたことば、
それは「キズナ」ということ。
それは、帰国してからもずっと後を引き、私の心に、温かく強いものを残した。
親と子、姉(兄)と妹(弟)、男と女、そして男と男。
ごく身近にいる人々同士、お互いを信じあい、支えあい、そして結ばれている、
そんな人と人のキズナが、この街では一層、強いように思われた。
一生懸命に生き、一生懸命に愛し、信じぬき、一生懸命にまもる。
歴史がそうさせたのかどうか、それはわからない。
私は終始、のけものだったが、とてもよい旅をしたと思った。
撮影 2008年1月
本文 2009年9月
本文 2009年9月
2010-04-16 11:28
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