尾道 2004‐09 [日本の町散歩(中国・四国)]
私が二十歳になる前、ちょうど、駅で改札の仕事をしていた頃である。仲の良かった同僚が、ある日の夜、突然、リュックサックを背負って職場に現れた。今から、ひとりで夜行列車に乗り、尾道というところに行くのだという。
そこがどんなところなのか、聞いてみたいと思ったが、私は改札口での業務に忙しかった。「なんで尾道なん?」とだけ聞くと、彼は子供のような丸い目をして、「だって、尾道、いいじゃん!」とニコニコしている。私が接客を済ませて振り返ると、だがもう彼はそこにいなかった。改札口の向こうへと駆け出していった彼の、青いリュックが楽しげに揺れるのが、ちらりと見えた。
私が念願の二輪免許を取得したのは二十七歳になってからだった。なんとかその年は夏休みを確保し、生まれて初めてのツーリングに出かけることにしたが、前日になるまで、行き先を考える余裕はなかった。いよいよ明朝出発だという晩、東へ向かうべきか、西へ向かうべきか、と考えあぐねた私の脳裏に、突然、あの小さなリュックが映し出された。 ・・・眠れなかった。次の朝がきて、太陽が昇り始めたころ、もう私は、瀬戸内の海岸沿いを、尾道目指して疾走していた。
朝の尾道水道にて
その時の滞在以来、私は、尾道という町のトリコとなった。尾道は、よく言われるようなピクチャレスクな町では、決してない。しかし、むしょうに楽しい。何度歩いても違う路地に入り込み、違う街角に出て、思いがけない風景に出会える。飾らない、生活のにおいがする。観光地ずれしていないというべきか。普通の町の普通の営みが、そのままの姿で存在する。決して、テーマパークのようなつくりものがあるわけではなく、また町並み保存のように、過保護にまもられもせず、昔から歴史を塗り重ね、壊され、朽ちて、それでも呼吸しつづける、ありのままの町の、つややかで、みずみずしい息遣いがする。
倉敷や竹原などのように一部の街区を保護地域として景観を徹底的に仕立て上げ、魅力を強調するのもひとつのやり方だろうし、それはそれで楽しい。しかし、そこを歩く時に感じる、どうもこれは「生きた町なのか」という違和感、ある種の居心地の悪さは、決して拭い去ることができない。
だが尾道は、決して景観としてまとまっていなくても、普通の生活がとくに仕立て上げられずに普通のとおり残っている。押し付けがましさがまるでなく、歩く人のその日の感性のままに、何とおりにも歩ける町なのだ。
保護が行き過ぎた「テーマパーク」のような町では、その町の歴史や文化が、現代の施政者や都市計画家によって再編集され、「テーマ」「イメージ」「魅力」が固定化されてしまっているので、歩く人はその決められたものを、受動的に「鑑賞する」、もっと言えば一方的に「イメージを消費する」だけになってしまうだろう。
だが、尾道では、昔ながらの生活の知恵や文化が、そこここにありのままに残っている。それが、これみよがしな、博物館的なものではないからこそ、その延長線上に自分の存在を感じられる。自分の足で、自分の決めた道筋で、迷いながら歩く道すがら、ガイドブックにないような、自分だけの「発見」にそこここで出会う。そういうプロセスを通して、歩く人が能動的に、主体的に町そのものに「関わっている」「発見している」という自覚を得ることができる。そうした経験を積み重ねることで、旅人とその町は、切っても切れない関係になっていく。
尾道が「生きている」と感じられるもう一つの理由は、「やまねこカフェ」などをはしりとして、新しい文化を生み出そうとする魅力的な店や工房などがこの数年で多数できたことにもあるだろう。
商店街はいろいろ企画があるし、尾道紅茶や尾道帆布、彩工房のように地元の方が頑張っているだけでなく、他地域から職人さんやアーティストが移住して来て、個性的なお店や工房を出していることも大きいだろう。NPO法人によるすてきな映画館もできた。
このような動きが、先に書いたような「自分なりの発見がある町」「自分も参加している気になれる町」という魅力を倍増させ、そこに街の実在感が生まれる。それは、おしゃれであるとさえいえる路地の雰囲気をも作り出す。
尾道は、猫町としても有名だが、犬もまた多い。
猫は、この町の支配階級にあたり、朝晩を中心に、数多くの猫が町を巡回している。
尾道は、箱庭だ。目の前には海がある。だが振り返ればそこは山に囲まれていて、そのはざまで町が確かに鼓動している。もういちど海へと目をやると、その向こうにずっと島並みがつづいている。
海辺と、商店街と、山の手と。。。
胎内的環境とでもいったほうが、尾道の持つ独特の情緒が伝わるだろうか。神戸や長崎などは、町が大きすぎて騒がしすぎるのと、海向こうに島もない。尾道ほど、ほっこりした安心感や生活感の中でたゆたうようにさまよえる町は少ない。
しずしずと海を行きかう、たくさんの渡船。路線は少なくなったが、人も車も満載で行きかう朝晩のアクロバットな運行は、いつまで見ていても飽きることがない。街中を縦断する山陽本線の列車。街のどこにいても、遠くからしじゅう聞こえてくる踏切の音に、この街の静かな生命が感じられる。山を見上げれば、やはりするすると移動するロープウェー。書いているだけで、またわくわくしてくる。
こうした尾道の独特の地形と風光は、決して偶然の産物ではなく、古代、ここにこの街がかたちづくられた時から、この街は風水学的につくられた計画都市だったとする面白い研究がある。
目の前にある島の配置、背後にひかえるいくつかの山、その間を通る海。はるか昔、この空間に「気」を通すべく、周辺のあちこちに計画的に巨石が置かれ、寺社がつくられていったのだという。
尾道には、夜の店も多い。町の西半分は、「新開(しんがい)」という、町の規模に不釣合いなくらいに充実した、迷路のような花街で、この町の、かつての栄華をしのばせる。
片岡何某の小説にも登場するという老舗バー「暁」には、気さくなマスターとともに、何人かの女性達がカウンターに立っていた。県境に近い山村の出身という女性は、私よりいくらか年上。中学生の息子を残し、ひとり尾道に生きていた。私はなんとなく彼女が好きだったが、先の春、訪ねてみると、「暁」はいつの間にか閉店してしまっていた。
今もかわらず活力に満ちた福本渡船の様子。制服姿の高校生たちが朝の尾道水道の主役だ。
商店街の主役は、昔ながらの手押し車でとれたての魚を売り歩く、「晩よりさん」と呼ばれるお母さんたち。
私はまた、尾道へ向かっている。「次はァ~、おのみちィ、おのみちィ・・」 ・・・ガタン、ガタンと走る列車がリズムを刻むとともに、私の心は期待と興奮でしだいに張りつめてゆくのだ。
左手の車窓を凝視する。そこには、ドック、クレーン、倉庫と、殺風景な風景が続いていく。と、チラリ、何かが見えた。・・・また風景が続く。
やがて列車は大きく右にカーブを切り、「何か」は突然、その全景を現す。
夕陽にかがやく、まばゆい尾道の海。
おびただしい人工物に囲まれたその光景は、決して美しいものではないはずだが、なぜか息を呑み、心打たれる瞬間がここにある。
※犬のドビンは、2010年7月3日、18歳にて永眠した。
※岸本渡船は2008年4月末日、桑田渡船は2011年3月末日をもって廃止された。
2013年現在、尾道の渡船は駅前渡船、福本渡船、尾道渡船の3航路である。
そこがどんなところなのか、聞いてみたいと思ったが、私は改札口での業務に忙しかった。「なんで尾道なん?」とだけ聞くと、彼は子供のような丸い目をして、「だって、尾道、いいじゃん!」とニコニコしている。私が接客を済ませて振り返ると、だがもう彼はそこにいなかった。改札口の向こうへと駆け出していった彼の、青いリュックが楽しげに揺れるのが、ちらりと見えた。
私が念願の二輪免許を取得したのは二十七歳になってからだった。なんとかその年は夏休みを確保し、生まれて初めてのツーリングに出かけることにしたが、前日になるまで、行き先を考える余裕はなかった。いよいよ明朝出発だという晩、東へ向かうべきか、西へ向かうべきか、と考えあぐねた私の脳裏に、突然、あの小さなリュックが映し出された。 ・・・眠れなかった。次の朝がきて、太陽が昇り始めたころ、もう私は、瀬戸内の海岸沿いを、尾道目指して疾走していた。
海雲塔下の道
尾道水道に朝が来る
朝の尾道水道にて
福本渡船乗り場あたり。向島、そして因島を望む
朝の突堤にはおじさん達が集う
アイスクリーム屋「からさわ」前の突堤にはベンチが
岸本渡船(しまなみフェリー)
尾道渡船乗り場近くにて。多くの船が係留されている。
その時の滞在以来、私は、尾道という町のトリコとなった。尾道は、よく言われるようなピクチャレスクな町では、決してない。しかし、むしょうに楽しい。何度歩いても違う路地に入り込み、違う街角に出て、思いがけない風景に出会える。飾らない、生活のにおいがする。観光地ずれしていないというべきか。普通の町の普通の営みが、そのままの姿で存在する。決して、テーマパークのようなつくりものがあるわけではなく、また町並み保存のように、過保護にまもられもせず、昔から歴史を塗り重ね、壊され、朽ちて、それでも呼吸しつづける、ありのままの町の、つややかで、みずみずしい息遣いがする。
天寧寺脇の上り坂
尾道の山の手では猫石にときどき出くわす
尾道はアスレチック迷路のよう
風情ある山裾の道
浄土寺の階段
倉敷や竹原などのように一部の街区を保護地域として景観を徹底的に仕立て上げ、魅力を強調するのもひとつのやり方だろうし、それはそれで楽しい。しかし、そこを歩く時に感じる、どうもこれは「生きた町なのか」という違和感、ある種の居心地の悪さは、決して拭い去ることができない。
だが尾道は、決して景観としてまとまっていなくても、普通の生活がとくに仕立て上げられずに普通のとおり残っている。押し付けがましさがまるでなく、歩く人のその日の感性のままに、何とおりにも歩ける町なのだ。
渡し場近く、海沿いの商店にて。ワンコが店番。
尾道の商店街はかなり長い。
東西2キロにわたって6つの商店街が連続する。
東西2キロにわたって6つの商店街が連続する。
下校時間帯の商店街は、自転車に乗る制服姿の中高生が目立つ。
商店街周辺には無数の路地が広がっている。
鍛冶屋が集まっていた界隈。
鍛冶屋が集まっていた界隈。
保護が行き過ぎた「テーマパーク」のような町では、その町の歴史や文化が、現代の施政者や都市計画家によって再編集され、「テーマ」「イメージ」「魅力」が固定化されてしまっているので、歩く人はその決められたものを、受動的に「鑑賞する」、もっと言えば一方的に「イメージを消費する」だけになってしまうだろう。
だが、尾道では、昔ながらの生活の知恵や文化が、そこここにありのままに残っている。それが、これみよがしな、博物館的なものではないからこそ、その延長線上に自分の存在を感じられる。自分の足で、自分の決めた道筋で、迷いながら歩く道すがら、ガイドブックにないような、自分だけの「発見」にそこここで出会う。そういうプロセスを通して、歩く人が能動的に、主体的に町そのものに「関わっている」「発見している」という自覚を得ることができる。そうした経験を積み重ねることで、旅人とその町は、切っても切れない関係になっていく。
尾道の路地は小路(しょうじ)と呼び、名前のついているところもある
郵便局近くの電気店にて
旧船着き場前にて
海岸沿いの道は、今ではきれいに整備されている
尾道が「生きている」と感じられるもう一つの理由は、「やまねこカフェ」などをはしりとして、新しい文化を生み出そうとする魅力的な店や工房などがこの数年で多数できたことにもあるだろう。
商店街はいろいろ企画があるし、尾道紅茶や尾道帆布、彩工房のように地元の方が頑張っているだけでなく、他地域から職人さんやアーティストが移住して来て、個性的なお店や工房を出していることも大きいだろう。NPO法人によるすてきな映画館もできた。
このような動きが、先に書いたような「自分なりの発見がある町」「自分も参加している気になれる町」という魅力を倍増させ、そこに街の実在感が生まれる。それは、おしゃれであるとさえいえる路地の雰囲気をも作り出す。
尾道駅の西側にあるレンガ倉庫。レストランとして再利用されている。
渡し場近くにあるおしゃれなベーカリー
尾道のランドマークのひとつ、喫茶「こもん」の脇の道。
長江通りの長い坂道。
午後は小学生から高校生まで、学生たちが次々に坂を下りてくる。
午後は小学生から高校生まで、学生たちが次々に坂を下りてくる。
尾道は、猫町としても有名だが、犬もまた多い。
尾道で一番有名な犬、ドビンは最近太りすぎ。
かつて「案内犬」して鳴らしたらしいが、最近ではグータラしているところしか見かけない。
歳なので仕方がないか。
かつて「案内犬」して鳴らしたらしいが、最近ではグータラしているところしか見かけない。
歳なので仕方がないか。
猫は、この町の支配階級にあたり、朝晩を中心に、数多くの猫が町を巡回している。
尾道は、箱庭だ。目の前には海がある。だが振り返ればそこは山に囲まれていて、そのはざまで町が確かに鼓動している。もういちど海へと目をやると、その向こうにずっと島並みがつづいている。
海辺と、商店街と、山の手と。。。
胎内的環境とでもいったほうが、尾道の持つ独特の情緒が伝わるだろうか。神戸や長崎などは、町が大きすぎて騒がしすぎるのと、海向こうに島もない。尾道ほど、ほっこりした安心感や生活感の中でたゆたうようにさまよえる町は少ない。
しずしずと海を行きかう、たくさんの渡船。路線は少なくなったが、人も車も満載で行きかう朝晩のアクロバットな運行は、いつまで見ていても飽きることがない。街中を縦断する山陽本線の列車。街のどこにいても、遠くからしじゅう聞こえてくる踏切の音に、この街の静かな生命が感じられる。山を見上げれば、やはりするすると移動するロープウェー。書いているだけで、またわくわくしてくる。
尾道で最も東にある渡船、桑田渡船が向島に着く。
桟橋を上がっていくのはなかなか脚力がいりそうだ。
桟橋を上がっていくのはなかなか脚力がいりそうだ。
瀬戸内の島々に向かう船が出るターミナルにて。
井戸が残る、石畳の小路。向こうは海。
かつて、魚市場があった路地である。有名な蒲鉾屋がこの角にあるのも納得。
かつて、魚市場があった路地である。有名な蒲鉾屋がこの角にあるのも納得。
山の手の路地。持光寺から光明寺へ抜ける道。
ほっこりできる茶房「帆雨亭」の秋。
長江、山城戸(やまきど)あたりの路地。
こうした尾道の独特の地形と風光は、決して偶然の産物ではなく、古代、ここにこの街がかたちづくられた時から、この街は風水学的につくられた計画都市だったとする面白い研究がある。
目の前にある島の配置、背後にひかえるいくつかの山、その間を通る海。はるか昔、この空間に「気」を通すべく、周辺のあちこちに計画的に巨石が置かれ、寺社がつくられていったのだという。
持光寺の門は独特の石造り。これも風水学によるものとか。
尾道随一の古社、艮(うしとら)神社。
尾道のど真ん中にありながら、どことなく妖気のようなものが漂う不思議な社である。
尾道のど真ん中にありながら、どことなく妖気のようなものが漂う不思議な社である。
持光寺への参道。
なぜか犬がぶら下がっていた。
山の手を上がり下がりする路地の階段。
最近では「猫の細道」と名付けられ、周辺に隠れカフェやバーなどができている。
最近では「猫の細道」と名付けられ、周辺に隠れカフェやバーなどができている。
「猫の細道」沿いにあった謎の物体。よく見ると猫石もある。
西国寺への階段。
尾道は背後に千光寺山、西国寺山、浄土寺山の三つの山を持つ。
尾道は背後に千光寺山、西国寺山、浄土寺山の三つの山を持つ。
飲み屋街「新開」にて、夕暮れ前。
尾道には、夜の店も多い。町の西半分は、「新開(しんがい)」という、町の規模に不釣合いなくらいに充実した、迷路のような花街で、この町の、かつての栄華をしのばせる。
片岡何某の小説にも登場するという老舗バー「暁」には、気さくなマスターとともに、何人かの女性達がカウンターに立っていた。県境に近い山村の出身という女性は、私よりいくらか年上。中学生の息子を残し、ひとり尾道に生きていた。私はなんとなく彼女が好きだったが、先の春、訪ねてみると、「暁」はいつの間にか閉店してしまっていた。
造船で鳴らした町でもある尾道。
日立造船の向島工場は残念ながら操業を終了したが、
そのクレーンがデザイナーの手によりライトアップ(2006年終了)。
日立造船の向島工場は残念ながら操業を終了したが、
そのクレーンがデザイナーの手によりライトアップ(2006年終了)。
今もかわらず活力に満ちた福本渡船の様子。制服姿の高校生たちが朝の尾道水道の主役だ。
福本渡船は朝夕は2隻が運航し水道の真ん中で行き違う。
駅前渡船のほうも2隻運航で、福本渡船と航路が交差しているため、
合計4隻のフェリーが狭い水道の中で巧みに衝突を避けながら行き来している。
駅前渡船のほうも2隻運航で、福本渡船と航路が交差しているため、
合計4隻のフェリーが狭い水道の中で巧みに衝突を避けながら行き来している。
商店街の主役は、昔ながらの手押し車でとれたての魚を売り歩く、「晩よりさん」と呼ばれるお母さんたち。
年老いた晩寄りさんが、車を押して向島へ戻る。
尾道の西部にある新浜桟橋にて。
瀬戸内の離島ゆきの船が出港していった。
瀬戸内の離島ゆきの船が出港していった。
大山寺の下、長江通り近くに残る小さな商店街。
長江通りや旧出雲街道。街道筋らしく、古い家も多い。
2号線沿いにある第一生命ビル。シャッターは閉まったまま。
長江通り。
懐かしいタイルが張り詰められた、福善寺前の階段。
福善寺へ上がる階段を下から見たところ。
有名なタイル小路。映画「時をかける少女」で印象的なシーンの舞台となった。
タイル小路近くの路地の出口にて。
持光寺と光明寺をつなぐ道。
福本渡船の夕暮れ。
再びタイル小路。
暮れゆく尾道水道をボートがゆく。
福本渡船乗り場近くにあるイタリアンの名店「イル・ポンティーレ」
商店街の夜は早い。夕方6時にはお店も閉まり閑散と。
尾道ルネサンスのはしり、「やまねこカフェ」は2000年オープン
尾道の商店街は、6月になると毎週土曜日に夜店が立つ。
私はまた、尾道へ向かっている。「次はァ~、おのみちィ、おのみちィ・・」 ・・・ガタン、ガタンと走る列車がリズムを刻むとともに、私の心は期待と興奮でしだいに張りつめてゆくのだ。
左手の車窓を凝視する。そこには、ドック、クレーン、倉庫と、殺風景な風景が続いていく。と、チラリ、何かが見えた。・・・また風景が続く。
やがて列車は大きく右にカーブを切り、「何か」は突然、その全景を現す。
夕陽にかがやく、まばゆい尾道の海。
おびただしい人工物に囲まれたその光景は、決して美しいものではないはずだが、なぜか息を呑み、心打たれる瞬間がここにある。
浄土寺山から眺める尾道水道と尾道の町。
浄土寺山は尾道三山の中で最も高い。
浄土寺山は尾道三山の中で最も高い。
撮影 2004年6月、2007年5月、6月、2008年5月、10月、11月、2009年6月
本文 2009年9月
本文 2009年9月
※犬のドビンは、2010年7月3日、18歳にて永眠した。
※岸本渡船は2008年4月末日、桑田渡船は2011年3月末日をもって廃止された。
2013年現在、尾道の渡船は駅前渡船、福本渡船、尾道渡船の3航路である。
やばいw行きたい!
ツーリングで行かれたんですか?バイク停めて歩いたのかな。
カメラ持って旅したくなりました。ありがとうございます!
by まざ茶 (2015-01-03 02:34)