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和歌山のイルカ漁を題材にした映画「ザ・コーヴ」アカデミー賞受賞に寄せて [日々のよしなしごと]

私はまだこの映画を見ていない。機会があれば一度拝見してみたいものである。
私など、この騒動?を通じてイルカ漁の存在自体を初めて知ったくらいだ。
イルカなぞ美味いのだろうか? 私はそんなものを食べてみたいとは全く思わない。

しかし日本のある地域で、そのようなものがあっても不思議ではないとは思う。
またそれが、歴史的にさまざまな事情あって成立している伝統文化なのだろうということは
容易に想像できる。

私は日本人である。
だから、日本の一地域にそういう伝統があるのなら、自分とは直接関係がなくとも大切にしたいし、
他国の人から色眼鏡で見られて映画化されたのなら、素直にそのことに対して怒りたい。

私は日本人である。
だから、日本の一地域にそういう伝統があるのなら、自分とは直接関係がなくとも大切にしたいし、
他国の人から色眼鏡で見られて映画化されたのなら、素直にそのことに対して怒りたい。

最大の問題は、なぜイルカ漁が批判されているのか?という点が、全然見えてこない点である。
イルカに、種として存続の危機が迫っているのかといえばそうでもない。
映画自体を見る機会がまだないので、
関係者のインタビュー等からしか話を推測できないのがつらいのだが、
かろうじて、生物濃縮された水銀値がどうだ、という詭弁を持ちだして、
話をすり替えているという印象を持たざるを得ない。
結局のところ、そこにはイルカはカワイイし、頭もまあまあいい「高等生物」だから、
という、極めて単純で独善的な感情しか見いだせない。
これでは、狂信化した暴走と同じである。
まあ、イルカはカワイイ。
だからといって、他の誰かを悪者に仕立て上げるその発想は、いい大人のものではない。

そもそも、動物に勝手に優劣をつけたり評価したりする発想がいけすかない。
イルカ漁がだめなら、闘牛はどうなのだ? アメリカ人お得意の、バッファロー狩りは?
狩猟というものが趣味やスポーツとしてまかり通るあなた方の文化は何でしょう?

「これだからアメリカ人は・・・(お手上げ)」とでも言いたくなる。
クジラ問題にしても、彼らは日本の何倍もの数を殺し、油だけとって捨てていたのだ。


「日本や日本人が世界からどう見られるか」ということは、
もちろん私が日ごろから大変気にしているテーマである。
しかし、そのことに過敏になりすぎるあまり、
国際的に批判を受けそうなものは「見なおすべき」と考えてしまうのは偽りの「謙虚」であり
偽りの「国際主義」であろうと思うし、
ましてや、そそくさと事実を隠すというようなことは戒めるべきであろうと思う。
不快は不快、虚偽は虚偽として指摘すべきである。

そういう意味で、今回の「撮られた側」の対応はどうであろうか。
日本政府は、コメントを何も出していない。
あくまでも「たかが映画」として無視するつもりなのかもしれない。
マスコミはといえば、「盗撮により撮られた作品」としてやんわり非難するという、
相変わらず中途半端な姿勢である。
それに対し、撮られた張本人である和歌山県太地町の対応の何と涙ぐましいことか!
この映画が日本で上映されないよう、上映しようとする先々に内容証明を送って
上映しないよう懇願して回っているという。

このいずれもが、私はうまくないと思わざるを得ない。

たかが映画。しかも、いたってお気楽なB級エンターテイメントなのだろう。
しかし、それは、エンターテイメントとしてではなく、ドキュメンタリーとして、
じっさいにアカデミー賞をとってしまったのである。
それほど作品としては、素晴らしいと感じられるものなのに違いない。
しかし、その内容は虚偽内容を含み、
その創作活動によって、一部ではあるが日本国民が傷つけられた。
やはり、政府としてきっぱり一言、「NO」と言うべきではないのか??
(もちろん、政府としてそれ以上のことをすべきではないと思うが。)

また、盗撮だの肖像権だのという法的見地からの批判。
これは、正当ではあるだろうが、まったく無力なものだろう。
盗撮にしても肖像権にしても、その法的概念は確立されたものではなく、じつに曖昧なものだ。
このような抜け穴だらけ、というか実態のないとさえいえる法的概念を盾にして、
全世界を前に燃え上ってしまった映画作品の「いのち」の炎に対抗できると考えるのは、
人間というものをよく知らない人間だけがすることであろう。
法治国家だからといって、法を過信するのは、人間として誤っている。

最後に、和歌山県太地町の対応である。
これが、あまりに下手すぎた。
映画が出来てしまった責任は、はっきりいって、撮られた側にもあると思う。
伝統文化を誇る気持ちがあるなら、なぜ、正々堂々と撮らせなかったのか?
そのうえ、この期におよんで日本国内で上映禁止にして、何の意味があるのか?

確かに、映画を見て、「こんなかわいいイルカちゃんを殺すなんて許せない!」とか言い出す
純粋無垢なオトメちゃんも数多く出現するだろう。
しかしそういう人々は、
いざ太地町に行ってその歴史や本当の実態を知るやいなや、
態度を180度変えるような人々でもあるだろう。
そして、そんなことをすぐに忘れてしまうくらい、シアワセな人々でもあるだろう。

良識あるほとんどの日本人は、そんなに低能ではない。
堂々と公開させたらよいし、
心配ならパンフレットに手記やイルカ漁の実態に関する資料を挟むなどの、
条件付きにすればよいのだ。
日本の片隅に暮らす、実直な漁民たちが、いかに世界から踏みにじられたか!
それを日本国民に知ってもらうチャンスではないか。

相手は日本人ではなく、世界なのだ。
だから、太地町漁協は、アカデミー賞会場に祝電でも送ってやるべきだった。
たとえば、次のような内容で。

>「あなた方の映画は、科学的裏付けを欠き、異文化ならびに地域文化に対する
>敬意を欠き、その創作過程においてとられるべき人間としてのしかるべき配慮や
>作法を完全に欠いており、私どもはその成果を心配していた。」
>「しかし、ドキュメンタリーを標榜することで、アカデミー賞審査員ならびに観客の
>心情を実に見事にコントロールし、結果として素晴らしいエンターテイメント作品を
>完成させ受賞に至ったことは賞賛に値する。」
>「ひとえに、イルカ族に対するあなた方の徹底したピュアで盲目的な愛のみが
>これを成し遂げたものと思われる。我々は、確かにあなた方の心ない創作活動
>により尊厳上も傷つけられ、精神的に破壊されたが、これを励みとして今後一層
>誇り高きマイノリティとして、イルカ漁という地域伝統文化の維持発展に邁進
>することを決意するものである」

>「追伸。聞くところによると、あなた方の国では、われわれよりもイルカ族の活用
>方法は多様化しているそうだが、次回はぜひその紹介作品の制作を期待する」

と。
それが世界にこの映画と一緒に流れれば、それでよかったのだ。
今からでも遅くないだろう。
あるいは、対抗して、映画を作りますか。

まあ、化けの皮は、いずれは剥がれるものだが。
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