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水上勉の「櫻守」を再読する [日々のよしなしごと]

 水上(みずかみ)勉は、私がひそかに読み続けている作家のひとり。私と水上作品との出会いは、今は絶版となってしまった新潮文庫「霧と影」だった。単なるミステリーとして読み始めたその作品は、推理小説とはいうものの、何やらただならぬ、くろぐろとしたものが奥に潜んでいるような気がして、まだ中学生だった私をおびえさせた。

 確かに、水上氏の作品は、人が持って生まれた宿命というか、そうした人間というものの悲しみややるせなさが、あたかも怨念のように籠っているものが多いように思う。とくに、初期の作品には、救いようのない、人生の暗い淵をのぞいたような後味の悪いものも多いし、だから水上は嫌いだという人もいよう。

 しかし、そんな人にも、この「櫻守」だけはおすすめしたいと思う。

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 一介の植木職人の一生涯を淡々とつづった、一見地味なこの小説。モデルとされた有名な笹部氏(小説では竹部)は、主人公の心の師匠として脇役に回っており、全編のクライマックスかと思われたあの「荘川桜」の移植の話でさえ、実にそっけなくつづられている。しかし、なぜか不思議な余韻を残し、いつまでも忘れ難い作品。

 あまりに忘れ難いので、先日読み直してみて、驚いた。どの行間をとってみても、詩的、かつ力強い情感で溢れんばかりに満たされている。これほどまでに作者の熱意が傾注された作品であったかと、今更ながらに気付いた。

 それでいて作品全体のもつ、このえも言われぬ品格、この美しさ。
 世代を超えて、いまも花を咲かせ、生き続けるあの櫻、この櫻。自然の静かな息吹が明滅する中で、それぞれが宿命を背負った、人の生涯の妙、はかなく移ろいゆく世の在り様、そうしたもののお互いの交錯、交感の中から、消えてしまうもの、残りゆくものが見事に浮き彫りにされている。まるでシンフォニーである。

 古来、日本人は、人間は、このようにして生き、死んできた。
 その群像は、生き迷ういまの私達にとってとても貴重な何かを示しており、その啓示は新鮮でさえある。

 「弟子」の結婚にあたり、「師匠」は新婦に次のような言葉を贈る。虫が苦手だった、自身の亡き妻を回想しながら。
  ・・・虫がいてこそ、鳥が住みます。鳥が住むからこそ、花や果が育ちます。花や果が育つと、山は美しい。・・(本文より抜粋)

 荘川桜はもとより、登場人物たちが愛し、丹精こめた各地の桜は、武田尾でも、岡本でも、海津でも、・・今も美しく咲き誇っている。


 なお、誇り高きある宮大工を主人公に据えた、併録の「凩(こがらし)」も秀作。
 人生が、いとおしくなる一冊。いつまでも手元に置いておきたい一冊。
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