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春の松代 [日本の町散歩(中部)]

北信濃は千曲川のほとりに位置する松代は、武田信玄が山本勘助に命じ築かせた海津城(松代城)の城下町である。江戸時代には真田氏が入場し、十万石を有する雄藩の中心地として、有名な「真田文武学校」なども置かれ栄えた。

いまの松代は、長野市に編入され、あまり観光ガイドなどにも取り上げられることの少ない、静かな目立たない町である。しかし、今でも武家屋敷、町屋、寺町などが残り、十分に往時を偲ぶことができるだけでなく、かつて武家の町として君臨してきた誇りと、質素倹約、文武両道を旨として藩政を行った真田一族の思いが、今もそこここに感じられ、歩けば自然と背筋が伸びる。

華美を排した質実剛健な家並み。由緒正しき門構えのその脇から、控えめに見え隠れする四季の花々の奥ゆかしさ。町の外に広がる豊かな里山のいきいきとした美しさ。観光客に積極的に挨拶してくれる地元の学生たち。寺社も多く、目的なしにぶらぶらと歩いて、ただの田舎町ではないこの町の歴史の断層を垣間見るのは楽しい。

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本誓寺(寺町)
 

 3月。松代へは長野駅から路線バスに乗った方がはるかに便利だが、あの古めかしい松代の駅に迎えてもらいたくて、長野電鉄のローカル電車に乗る。
今日は、朝から雪である。北信濃の春は遅い。

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雪の朝。松代駅に向かって近づいてくる長野電鉄の電車。



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松代駅の掃除は、すぐ裏手にある松代中学校の生徒が担当しているそうだ。
この日は、早朝から三人の生徒が雪かきに来てくれていた。


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松代は制服姿の学生の多い町。
朝の駅は列車が着くたびに愛らしい若者たちが降りてくる。


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もっと小さな学生さん達も、駅を通って学校へ。


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電車の本数は朝でも40分に一本程度と数少ないが、寒い朝には電車のライトが頼もしい。


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歴史を重ねた駅のホームに、雪が舞い積もる。


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古びた風情の松代駅の外観。




4月はじめ。松代の本当の春を告げるのは、東条地区のアンズ畑である。
松代藩は、代々アンズの栽培を奨励していたそうだ。隣町の屋代近郊にも「あんずの里」と呼ばれるアンズ畑の広がる地区があるが、いずれも松代藩による栽培がその端緒のようだ。その昔、伊予から嫁いできた姫君が、持ってきた宇和島アンズの種を植えて故郷を偲んだためとも、杏仁が咳止め薬として珍重されたためとも言われている。
松代の町の東の郊外には田園が広がり、その山裾に近い東条(ひがしじょう)地区の傾斜地に、目を見張るばかりのアンズが咲き誇る。

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善光寺平と北アルプスを望む東条のアンズ畑。



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東条地区の斜面にある菅間の集落。松代の中心から歩くと30分程度かかる。


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そうして、町にも春が訪れる。

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藩校の建物が現存する文武学校。


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旧真田邸の界隈は史跡として整備されており、
家紋の六文銭をデザインしたモニュメントが町のところどころに見られる。


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広小路から谷街道の家並みを見る。



裏通りへ入っていく。

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水路に沿って屋敷が続く、竹山町の街並み。


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象山神社の桜。


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竹山通りを奥へと歩き、休憩所として開放されている山寺常山邸を過ぎたあたり。
町の区画は基本的に直線道路で形作られているが、
所々このような鍵状の曲がりがあるのは、松代が武士町だからか。


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象山の裾野を流れる神田川の流れ。


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象山のふもとにある恵明寺。宇和島から松代にアンズの木を伝えた豊姫がここで眠る。


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恵明寺の桜。



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いまは田畑が散在するこのあたりも、かつては武家屋敷が並んでいたという。

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田畑とお屋敷の混在する代官町の南あたり。


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今でも六文銭をかかげる民家もちらほら見かける。


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中央に水路が流れるこの裏柴町の通りも、かつての武家屋敷通りという。


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再び松代駅へ

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松代駅の正面にも、大きな桜。日中は1~2時間に1本というのどかな駅。


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松代駅の構内は、ある歴史的な経緯のため広い。


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真田一族は歴史好きの女性の間でも人気。
1時間半に一本の電車で若い観光客が松代に降り立つ。


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駅の入り口にあるこのベンチには、いろんな人が座りに来る。
手押し車のおばあさんや自転車に乗ったおじさん等が、代わる代わるひとやすみ。
電車には乗らなくても、ここは気持ちのいい場所なのだろう。



海津城の桜

駅の北側にある海津城(松代城)跡。近年、櫓門など様々な建物が復元、公園として整備された。100本ではあるが桜が植えられ、春には花見が楽しめる。

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再び静かな町はずれへ

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馬場町あたりは、敷地面積が広く庭に蔵のある家が並ぶ。


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表柴町あたりまで来ると、空き地や田畑も目立つようになってくる。


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裏柴町の通りには、江戸の昔から道路の中央を流れていた水路の遺構がそのまま存在する。

昔は、水路は通りの端ではなく、中央に掘られることも多かったという。



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孝養寺近く。舗装されてない静かな路地道もある。

 

 真田氏の栄えた頃から時代がいくつも流れ、昭和の時代になって、静かなこの松代の町に、全国的な脚光が当てられた時期が二つあった。
 ひとつは、太平洋戦争の末期のこと。いわゆる「松代大本営」計画である。空襲を避け、国家中枢機能をこの松代に移転させることとなり、松代を取り囲む三つの山、象山、舞鶴山、皆神山の山麓に、巨大な地下壕が掘られた。政府、日本放送協会、中央電話局、天皇御座所、宮内省、そして備蓄庫がなどをこの松代に移す計画が極秘裏に進められ、松代の駅には深夜、正体不明の貨物列車が多数到着したという。松代の駅が広い構内を持っているのは、そのせいであるという。
 だが、計画半ばで戦争は終わった。松代が日本の首都となることはなかったが、この地下壕は今もそのまま残されており、象山の山麓に掘られた地下壕の一部は、中に入って見学ができる。

 もうひとつは、1960年代のこと。この松代がまた、日本じゅうの注目を集めた。松代群発地震である。松代を付近を震源とする地震が1965年頃から多発し、約5年半もの間、有感地震だけで6万回を超える回数の地震を記録したそうである。調査の結果、その多くが、松代の南東に位置するこんもりした皆神山の直下を震源として発生したことが判明した。皆神山は、松代を取り囲む小山のひとつであるが、孤立したその不思議な容貌や磁場の異常とも相まって、ここに古代文明が存在したとする研究もあり、妖気を秘めた謎の山として、いまでもこの山を信仰の対象とする人がいるようである。




下校の時間

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大英寺の壁にそって続く道。


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四ツ谷町あたり。街の南にある松代高校の学生たちが続々と下校中。


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かつての松代のメインストリート、中町通り。今はすっかり寂れている。


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中町通りの東側に、かつては小さな歓楽街があった。
今も数軒のスナックや銭湯が残り、往時をしのばせる。


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ジョギングをする松代中学の学生たち。


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松代駅を発車する長野電鉄の電車。


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夕暮れの松代駅

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学生たちが三々五々集まってくる午後の松代駅。


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人のぬくもりのある駅。電車の待ち時間もなんだかほっこりする。


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駅入り口を入ると待合室。暖房はないが、椅子には手作りのクッションが。


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古めかしい待合室からホームを見る。


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下校の学生を乗せて出発する、須坂ゆき電車。




 長野電鉄松代駅は、残念なことに2012年3月31日、路線の廃止によって、90年におよぶその歴史を閉じた。
もう、この町を電車で訪れ、この懐かしい駅に迎えてもらうことはできなくなった。

松代駅の写真集 「松代駅へのオマージュ ~ 駅の、ものがたり」 はこちら
  →  http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2012-04-09

屋代線廃止日(3月31日)のドキュメントはこちら(松代駅を中心にレポートしています)
  →  http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2012-04-11

電車は来なくなったが、
駅舎そのものは、駅が現役だったころと同じように、今もバスの待合室として使われている。



5月の松代
 松代も五月になるとすっかり暖かく、木々は新緑となり、より武士の町らしくすっきりした装いを増す。

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真田邸裏口あたり。


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文武学校の脇の道。文武学校の隣には、今も松代小学校がある。


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竹山通りを少し入ったところにある民家のたたずまい。


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寺町にある本誓寺の表情。


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土塀がつづく寺町界隈。


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五月の松代駅。



□松代のやど ~ 定鑑堂旅館

松代の町内にある宿泊施設の情報を得ることはなかなか難しい。町内から離れた「松代ロイヤルホテル」は論外としても、探せば、老舗旅館という「定鑑堂旅館」と、民宿の「六文銭」がヒットし、ともに現役であるらしいが、楽天等の検索サイトに登録されていないほか、宿泊した人のブログなどでのレポートもほとんど見当たらず、情報がない。
「定鑑堂旅館」は、ホームページは存在する(http://www.teikando.ecnet.jp/)が、ご覧いただければ分かる通り、そこには情報らしい情報はなく、気になる部屋や旅館内部の写真がないのだ。
私は今回、思い切ってこの定鑑堂旅館に何度か投宿してみた。その結果、とてもおすすめできる場所であったため、ここで写真つきで紹介させていただきたいと思う。


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建物の表玄関。松代の街を東西に貫く谷街道沿いにある。老舗の風格漂う外観。


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部屋は和室と洋室がある。部屋の広さはいくつかあるようだが、私は一人なので6畳の部屋。


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この宿で、特筆すべきは、シーツと浴衣の糊のきき具合!
ここほど糊のよく効いた、気持ちよい布団と浴衣にそうは出会えない。素晴らしい。


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南側の部屋からの景色(南東)。手前に見える不思議な形をした山が、様々な噂のある皆神山。


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同じく南側の部屋からの景色(南西)。今も大本営の遺構が眠る象山が見える。


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玄関を入ったところにあるフロント部分。定鑑堂は、地元では料理屋として愛されており、
どちらかというとそちらの宴会などの営業のほうがメインである印象を受けた。
宴会で酔って帰れなくなった人のために、部屋が用意されているかのような(笑)
実際、電話で予約する際に、「えっ、宿泊のほうですか?」と聞き返され、
そうだと言うと、「うちは、温泉でも何でもないですし、取り立てて
自慢できるところもないですが、それでもよろしいですか?」と聞かれた。・・・奥ゆかしい。


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私のような外来の宿泊客はあまり多くないらしく、客間へ続く共有部分は
荷物が置かれ少し雑然としている。
宿のスタッフとしては、女将さん、若旦那、若女将((いずれも推測)とお会いしたが
どの方も優しく丁寧で、品のある方々。
宿泊の宣伝をしないなんて、ずいぶんもったいないと思った。


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シングル洋室の部屋の様子。決して広くはないが、布団と浴衣の気持ち良さは、相変わらず♪


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北側の部屋から見た朝の松代の街並み。


一人素泊まりで3500円程度と、非常にリーズナブル。

あと、私は好きなのはここのお風呂。
宿の方が謙遜するとおり、家族風呂を少し大きくしたようなサイズの浴室ではあるが、
それでもしっかりした広めの浴槽にはジャグジーもあり、ボディソープ、シャンプー類も
より取り見取りで、なかなかどうして快適なお風呂。

バリッと糊のあたった布団と浴衣を体験するだけでも、価値のある宿である。


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木口マリ

初めまして。木口マリと申します。
信州松代に旅行しようかと考えていてこちらのブログにたどり着きました。定鑑堂、良さそうですね。歩いて散策するゆるい一人旅をしようと思っていたので、ちょうどいいかなと思いました。
長野電鉄が廃線になってしまったのはとても残念ですね。

by 木口マリ (2015-02-24 19:05) 

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