秋の小布施 [日本の町散歩(中部)]
人口1万人ちょっとの小布施町は、行政区画上では長野県で最も小さい町だそうだが、いまや年間100万人もの人が押し寄せる観光地。「町おこし」の成功例としてよく取り上げられる場所でもある。
実は私はひょんなことで1990年ごろから小布施の名を知っていたのだが、当時はまだ町おこしが始まったばかりの頃で、北斎の美術館があり栗が名産ということくらいしか情報がなく、あらためて訪ねてみる機会もなかった。しかし、最近になって書店の観光ガイドの棚にふと目をやり、「小布施」の名前がタイトルに入っているものが多いことにすっかり驚いてしまった。北信濃地区のガイドブックの背表紙には軒並み小布施の名が踊り、中には「小布施・長野」と、県都長野市さえも差し置いて上位にその名が冠されているものまである。
たかが10年そこそこでこの成果。私は小さな驚きと、決して小さくない期待を胸に、慌ててバイクに飛び乗り、訪ねてみた。
さすがにそれを拾ってむさぼり喰うわけにもいかず、早速栗菓子で有名な「竹風堂」の二階にお邪魔することにした。一階は菓子店なのだが二階は食堂となっており、栗おこわ(栗強飯)に煮汁や山菜などのおかずがついた定食にありつけるのだ。地元の栗ともち米を炊き合わせただけの、素朴な素朴な栗おこわ。しかしこれが旨かった。・・・・・・・化学調味料に慣らされたわが舌が、いま罪を認め全面降伏している。ほのかに香り立つ甘い香、口に含めば頬いっぱいに広がるなこのふくよかな味わい。決して甘すぎず節度と品位に満ちた表情の中からにじみ出る味わいの奥深さに、思いがけず感じ入るばかりである。他のお店でもこの時期は栗おこわを出してくれるらしい。そのうち、栗おこわのハシゴでもしてみようか。秋の小布施は、この栗おこわだけを目当てに来たとしても十分な見返りがありそうである。・・・そうそう、竹風堂の定食で付いていた「むかご」のあえ物。主役に負けない旨さであった。
さて、小布施である。9月以降、秋が終わる11月まで、私はそれから何度か小布施を訪れてみた。まず、やはりいま小布施で最も観光客を寄せつけているのは、地元商店・企業主導で修景・整備された「栗の木テラス」周辺の一角であろう。北斎の美術館のほか、カフェやバー、プチホテル等がこじんまりとした地区内に纏まって作られており、その有り様は、こぎれいだというにとどまらず、おしゃれでさえある。
しかし、古い町特有の、人の営みが積み重ねられた、そのありのままの風情はしのぶことができない。だだっ広い駐車場の印象と相まって、大型の観光バスで連れてこられた観光客たちが、あくびをしながらぶらついている風景は、どちらかというとテーマパーク、もっというとショッピングモールの風情に近いのではないかとも感じる。これはこれで楽しいのだけれど、「修景」前の古い町並みはどんなだっただろうという思いに駆られるのもまた事実である。
・・・・だがこの風景もまた、年輪を重ねていくごとに、また歴史になっていくことだろう。
この一角だけを歩いて、小布施とは狭いところだと、観光地としては物足りないと、いう人がいるかもしれない。
しかし、心ある旅行者であるならば、是非、そこを少し離れ、ありのままの周辺の集落をぶらついてみてほしい。そうして初めて、小布施とはどういう土地なのかを知ることができる。そうおもう。
集落、というイメージとは少し異なるのが小布施の町だ。どの家も大きく、ゆったりと広い敷地を持ち、しかも最近の建材を用いた新築の住宅が多いからだ。そのさまはむしろ都市郊外の富裕な住宅地のほうによく似ていて、農村の集落にありがちな、うらぶれて朽ちた建物や界隈はほとんど見られない。やはり小布施は、むかしも、いまも、経済的に豊かな土地なのだ。
だが、仔細に観察すると、その豊かさというものが、単に広くて新しいということだけでなく、もっと精神的な部分にまで及んでいることを感じる。道は隅々まで掃き清められ、四季折々の花が美しく手入れされて庭や路傍を飾っている。新築された住宅は、どの家の設計もかなりセンスが良く、和の感覚を現代風に巧みに生かしたものばかりだ。
道に面した小窓にさりげない書画がかかっている家があったり、一角がちょっとしたカフェや洋食屋になっている家があったりする。さらに足を伸ばせば、ツタの絡まる教会があって、午後の室内楽コンサートが行われていたりする。とにかく、田園のただ中にありながら、不思議なくらいに文化的に「開けた」雰囲気があるのだ。これはやはり北斎や小林一茶等、文化人たちを受け入れ、サロンとして栄えた伝統が、脈々と今に至るまで息づいているということなのだろうか。
小布施には百を超える「オープンガーデン」がある。一般の住民が、自分の自宅の庭を観光客のために「自由にお入りください」と開放しているのだ。それが百以上ある。冒頭に書いた小布施の人口を考えると、かなりの割合の住民が、この「オープンガーデン」に参画していることになる。考えてもみてほしい。いくら町おこしといっても、極端な話東京の郊外の住宅街で「自宅の庭を不特定多数に開放してくれ」と募って、100人がそう簡単に集まるとは思えない。驚くべきことである。そんな話が本当にあるのかと思って実際にそのいくつかを尋ねてみると、本当に開放している。中には、垣根の一部を取り払ってしまった家まである。そうかと思えば、園芸に明るくない人にも花や植物の種類がわかるよう、いちいち説明書きを書いてくれている家もある。
・・・これを、単なる金持ちの余裕と言ってしまっていいものだろうか? 人間というものは、経済的に豊かになるとまず他者に対して閉鎖的になるのが常であろう。そこから、本当に精神的なゆとりが出てくるまでには、かなりの時間がかかると思われるし、そうなるとそれはまぎれもなく文化である。
1932年、まだまだ外国人が珍しかった時代にカナダからはるばるやってきた青年医師、スタート博士を受け入れたのも小布施の町だった。博士がこの地で開いた小さな療養所は、いま「新生病院」として小布施はもとより近隣市町村にとって無くてはならない地域医療の中心となっている。長野県北部で初めてホスピス病棟を設置するなどの先進的試みも有名だし、患者と町民とのコミュニケーションのために病院入口に作られたというレストラン「メイプル」では美味しいドリアやカレーが食べられる。スタート博士は、いまも新生病院の礼拝堂に眠っているそうだ。
よそもの、それも外国人さえもすぐに受け入れてしまう小布施の伝統には、逆に日本人ならではの、柔らかく優美な感触に包まれたゆかしい誇りが感じられる。
最近の有名人は、もちろん、桝一市村酒造の経営者にして小布施の「町おこし」の立役者の一人であるアメリカ人女性、セーラ・マリ・カミングスさんだろう。
セーラさんを中心にした一連の活動の中でも、「小布施ッション」と呼ばれる情報発信のプロジェクトにはとても興味をそそられる。そのホームページを覗いてみると、次のような紹介文が書かれている。「・・小布施で毎月一回、ゾロ目の日に催されるイベント。各界で先駆的な仕事をしている講師を招き、知的で有効な情報交換を行った後に、おしゃれ、且つ気楽に、おいしい小布施の料理と酒を楽しみながら、おもしろい出会いを重ねる会・・・・」
・・・この案内文からは、しごくたわいのないイベントといった印象だが、私はその試みの裏側に、もっともっと大きな意気込みを感じる。
それは、大きいこと、急ぐこと、むやみに標準化すること、他人のそら真似をすること、といった従来の価値観への「NO」という意思表示が、ふつふつとたぎっているということである。そしてその意気は、「台風娘」セーラさんが初めて持ち込んだものではなく、もともと小布施の町に昔から育まれてきたものでもあるのだ。
いま、効率面から各地で市町村の合併が数多くなされている。うちも、うちもということで、その流れはいまや平成の大合併といわれるほど、ブームになってしまった。しかし、小布施町は、住民の圧倒的支持のもと、どこの市にものみこまれることなく、このブームに対し超然とした態度を貫いている。
散歩に戻ろう。雁田山麓の小道は、またひときわ情緒豊かである。北斎の天井画で有名な岩松院と雁田薬師(浄光寺)の蒼然とした佇まいから、かつての小布施の姿をしのぶこともまた楽しい。あまり知られていないが小布施も寺社の多い町。町の西側、線路よりもさらに西側の街道筋にも、玄照寺が鎮座している。
さて、こんどは長野電鉄の線路をわたって、西側を歩いてみる。
ここまで足を延ばす観光客はほんのわずかだが、千曲川の風を感じながら農園が広がる風景の中を散歩することができる。玄照寺の門前を南北に延びる道は、どことなく旧街道の風情を残す道路である。そのまま南に進むと、松川の流れにぶつかる。
こんどは、やはり駅の西側を北方向に歩いてみる。
集落を抜けると、栗林が広がっていた。
町の中心部に戻る道すがら、紅葉まっさかりの公園を見つけた。
小布施町小布施
町外れにある中条神社も風情たっぷり。岩松院へ行く途中に立ち寄ってみた。
再び、小布施の町へ。
町の中心に戻り、こんどは甘味処、桜井甘精堂さんの庭から延びる道を、奥へ進んでみた。
小布施の風は、京の風よりもずっと涼やかで、ずっと心ひろい。
■おまけ■ 長野電鉄小布施駅
小布施へ観光バスで行って、テーマパークに来たみたいな騒ぎ方をするのは粋じゃない。
小布施へ自家用車で行って、谷街道の渋滞を引き起こし、排気ガスをまき散らすのはもっと粋じゃない。
小布施へも、やっぱり長野電鉄に揺られて行こう。
北信連山の雄大な眺めと、シックで小粋な駅が、あなたを迎えてくれます。
実は私はひょんなことで1990年ごろから小布施の名を知っていたのだが、当時はまだ町おこしが始まったばかりの頃で、北斎の美術館があり栗が名産ということくらいしか情報がなく、あらためて訪ねてみる機会もなかった。しかし、最近になって書店の観光ガイドの棚にふと目をやり、「小布施」の名前がタイトルに入っているものが多いことにすっかり驚いてしまった。北信濃地区のガイドブックの背表紙には軒並み小布施の名が踊り、中には「小布施・長野」と、県都長野市さえも差し置いて上位にその名が冠されているものまである。
たかが10年そこそこでこの成果。私は小さな驚きと、決して小さくない期待を胸に、慌ててバイクに飛び乗り、訪ねてみた。
小布施町小布施(新生病院)
9月の小布施は、ひときわ涼やかな風で私を迎えてくれた。名産の栗がもう町のあちこちにころがっている。大ぶりの小布施の栗というと、かなりの高値で取引されると聞くが、栗の木は、なんの造作もなくあたりの住宅の庭木として植えられ、この時期に町の裏通りに入っていくと、アスファルトの道路の上にゴロン、ゴロンと惜しげもなくその実を落としているのを目にすることができる。小布施町小布施(竹風堂)
小布施町小布施(上町)
さすがにそれを拾ってむさぼり喰うわけにもいかず、早速栗菓子で有名な「竹風堂」の二階にお邪魔することにした。一階は菓子店なのだが二階は食堂となっており、栗おこわ(栗強飯)に煮汁や山菜などのおかずがついた定食にありつけるのだ。地元の栗ともち米を炊き合わせただけの、素朴な素朴な栗おこわ。しかしこれが旨かった。・・・・・・・化学調味料に慣らされたわが舌が、いま罪を認め全面降伏している。ほのかに香り立つ甘い香、口に含めば頬いっぱいに広がるなこのふくよかな味わい。決して甘すぎず節度と品位に満ちた表情の中からにじみ出る味わいの奥深さに、思いがけず感じ入るばかりである。他のお店でもこの時期は栗おこわを出してくれるらしい。そのうち、栗おこわのハシゴでもしてみようか。秋の小布施は、この栗おこわだけを目当てに来たとしても十分な見返りがありそうである。・・・そうそう、竹風堂の定食で付いていた「むかご」のあえ物。主役に負けない旨さであった。
小布施町大島
さて、小布施である。9月以降、秋が終わる11月まで、私はそれから何度か小布施を訪れてみた。まず、やはりいま小布施で最も観光客を寄せつけているのは、地元商店・企業主導で修景・整備された「栗の木テラス」周辺の一角であろう。北斎の美術館のほか、カフェやバー、プチホテル等がこじんまりとした地区内に纏まって作られており、その有り様は、こぎれいだというにとどまらず、おしゃれでさえある。
小布施町小布施
しかし、古い町特有の、人の営みが積み重ねられた、そのありのままの風情はしのぶことができない。だだっ広い駐車場の印象と相まって、大型の観光バスで連れてこられた観光客たちが、あくびをしながらぶらついている風景は、どちらかというとテーマパーク、もっというとショッピングモールの風情に近いのではないかとも感じる。これはこれで楽しいのだけれど、「修景」前の古い町並みはどんなだっただろうという思いに駆られるのもまた事実である。
・・・・だがこの風景もまた、年輪を重ねていくごとに、また歴史になっていくことだろう。
小布施町小布施(中町)
この一角だけを歩いて、小布施とは狭いところだと、観光地としては物足りないと、いう人がいるかもしれない。
しかし、心ある旅行者であるならば、是非、そこを少し離れ、ありのままの周辺の集落をぶらついてみてほしい。そうして初めて、小布施とはどういう土地なのかを知ることができる。そうおもう。
小布施町小布施
集落、というイメージとは少し異なるのが小布施の町だ。どの家も大きく、ゆったりと広い敷地を持ち、しかも最近の建材を用いた新築の住宅が多いからだ。そのさまはむしろ都市郊外の富裕な住宅地のほうによく似ていて、農村の集落にありがちな、うらぶれて朽ちた建物や界隈はほとんど見られない。やはり小布施は、むかしも、いまも、経済的に豊かな土地なのだ。
だが、仔細に観察すると、その豊かさというものが、単に広くて新しいということだけでなく、もっと精神的な部分にまで及んでいることを感じる。道は隅々まで掃き清められ、四季折々の花が美しく手入れされて庭や路傍を飾っている。新築された住宅は、どの家の設計もかなりセンスが良く、和の感覚を現代風に巧みに生かしたものばかりだ。
道に面した小窓にさりげない書画がかかっている家があったり、一角がちょっとしたカフェや洋食屋になっている家があったりする。さらに足を伸ばせば、ツタの絡まる教会があって、午後の室内楽コンサートが行われていたりする。とにかく、田園のただ中にありながら、不思議なくらいに文化的に「開けた」雰囲気があるのだ。これはやはり北斎や小林一茶等、文化人たちを受け入れ、サロンとして栄えた伝統が、脈々と今に至るまで息づいているということなのだろうか。
小布施町小布施
小布施町中松
小布施町小布施(小布施町立図書館)
小布施町小布施(小布施町立図書館)
小布施には百を超える「オープンガーデン」がある。一般の住民が、自分の自宅の庭を観光客のために「自由にお入りください」と開放しているのだ。それが百以上ある。冒頭に書いた小布施の人口を考えると、かなりの割合の住民が、この「オープンガーデン」に参画していることになる。考えてもみてほしい。いくら町おこしといっても、極端な話東京の郊外の住宅街で「自宅の庭を不特定多数に開放してくれ」と募って、100人がそう簡単に集まるとは思えない。驚くべきことである。そんな話が本当にあるのかと思って実際にそのいくつかを尋ねてみると、本当に開放している。中には、垣根の一部を取り払ってしまった家まである。そうかと思えば、園芸に明るくない人にも花や植物の種類がわかるよう、いちいち説明書きを書いてくれている家もある。
・・・これを、単なる金持ちの余裕と言ってしまっていいものだろうか? 人間というものは、経済的に豊かになるとまず他者に対して閉鎖的になるのが常であろう。そこから、本当に精神的なゆとりが出てくるまでには、かなりの時間がかかると思われるし、そうなるとそれはまぎれもなく文化である。
小布施町小布施
1932年、まだまだ外国人が珍しかった時代にカナダからはるばるやってきた青年医師、スタート博士を受け入れたのも小布施の町だった。博士がこの地で開いた小さな療養所は、いま「新生病院」として小布施はもとより近隣市町村にとって無くてはならない地域医療の中心となっている。長野県北部で初めてホスピス病棟を設置するなどの先進的試みも有名だし、患者と町民とのコミュニケーションのために病院入口に作られたというレストラン「メイプル」では美味しいドリアやカレーが食べられる。スタート博士は、いまも新生病院の礼拝堂に眠っているそうだ。
よそもの、それも外国人さえもすぐに受け入れてしまう小布施の伝統には、逆に日本人ならではの、柔らかく優美な感触に包まれたゆかしい誇りが感じられる。
小布施町小布施(新生病院)
最近の有名人は、もちろん、桝一市村酒造の経営者にして小布施の「町おこし」の立役者の一人であるアメリカ人女性、セーラ・マリ・カミングスさんだろう。
セーラさんを中心にした一連の活動の中でも、「小布施ッション」と呼ばれる情報発信のプロジェクトにはとても興味をそそられる。そのホームページを覗いてみると、次のような紹介文が書かれている。「・・小布施で毎月一回、ゾロ目の日に催されるイベント。各界で先駆的な仕事をしている講師を招き、知的で有効な情報交換を行った後に、おしゃれ、且つ気楽に、おいしい小布施の料理と酒を楽しみながら、おもしろい出会いを重ねる会・・・・」
・・・この案内文からは、しごくたわいのないイベントといった印象だが、私はその試みの裏側に、もっともっと大きな意気込みを感じる。
それは、大きいこと、急ぐこと、むやみに標準化すること、他人のそら真似をすること、といった従来の価値観への「NO」という意思表示が、ふつふつとたぎっているということである。そしてその意気は、「台風娘」セーラさんが初めて持ち込んだものではなく、もともと小布施の町に昔から育まれてきたものでもあるのだ。
いま、効率面から各地で市町村の合併が数多くなされている。うちも、うちもということで、その流れはいまや平成の大合併といわれるほど、ブームになってしまった。しかし、小布施町は、住民の圧倒的支持のもと、どこの市にものみこまれることなく、このブームに対し超然とした態度を貫いている。
小布施町小布施
散歩に戻ろう。雁田山麓の小道は、またひときわ情緒豊かである。北斎の天井画で有名な岩松院と雁田薬師(浄光寺)の蒼然とした佇まいから、かつての小布施の姿をしのぶこともまた楽しい。あまり知られていないが小布施も寺社の多い町。町の西側、線路よりもさらに西側の街道筋にも、玄照寺が鎮座している。
小布施町雁田
さて、こんどは長野電鉄の線路をわたって、西側を歩いてみる。
ここまで足を延ばす観光客はほんのわずかだが、千曲川の風を感じながら農園が広がる風景の中を散歩することができる。玄照寺の門前を南北に延びる道は、どことなく旧街道の風情を残す道路である。そのまま南に進むと、松川の流れにぶつかる。
小布施町大島
小布施町大島(長野電鉄松川橋梁)
こんどは、やはり駅の西側を北方向に歩いてみる。
小布施町 林
小布施町 北岡(北岡神社)
小布施町 林
集落を抜けると、栗林が広がっていた。
小布施町 北岡
町の中心部に戻る道すがら、紅葉まっさかりの公園を見つけた。
小布施町小布施
町外れにある中条神社も風情たっぷり。岩松院へ行く途中に立ち寄ってみた。
小布施町 中条
再び、小布施の町へ。
小布施町小布施
小布施町 中央
町の中心に戻り、こんどは甘味処、桜井甘精堂さんの庭から延びる道を、奥へ進んでみた。
小布施町小布施
小布施の風は、京の風よりもずっと涼やかで、ずっと心ひろい。
小布施町小布施(小布施堂)
撮影:2009年9月、11月(一部2009年5月)、2010年11月
本文:2010年5月(一部2012年1月)
本文:2010年5月(一部2012年1月)
■おまけ■ 長野電鉄小布施駅
小布施へ観光バスで行って、テーマパークに来たみたいな騒ぎ方をするのは粋じゃない。
小布施へ自家用車で行って、谷街道の渋滞を引き起こし、排気ガスをまき散らすのはもっと粋じゃない。
小布施へも、やっぱり長野電鉄に揺られて行こう。
北信連山の雄大な眺めと、シックで小粋な駅が、あなたを迎えてくれます。
小布施駅 2011年11月撮影
2010-05-13 15:19
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