武蔵野(1) 2008-09 [日本の町散歩(関東)]
先ごろまで、東京の西のはずれにある東久留米というところに住んでいた。池袋から郊外電車でわずか20数分という便利な場所で、駅前のロータリーを取り囲むように高層マンションが並ぶ。そんな真新しいマンションの一室が私の部屋であった。
不思議な場所だった。林立する高層マンションに囲まれていても、夜になると、廊下まで涼やかな風が吹き込み、ほのかな草の匂いがした。遠くざわざわと、林の鳴る音が聞こえた。
マンションの脇には、取り残されたようなかぼそい商店街があり、つきあたりまで進んだところに、それはそれは小さくてお粗末な、東久留米駅の旧駅舎が、大規模な新駅とマンションに挟まれて、しかしまだ現役で残されていた。
私は、昭和24年建造というこのおんぼろ駅舎が好きだった。眺めているうちに、かつて一面の農村だった頃のこの地の様子が、ありありと浮かんくるからだ。
さえぎるものの何もない、武蔵野の真っただ中の小さな駅。土埃のもうもうと舞う駅前のあぜ道を、籠を頭上に載せた老婆が歩き、手押し車やリヤカーが行き交った頃があっただろうか。
高度成長の時代が来て、畑や雑木林は切り開かれ、そこにたくさんの団地ができた。ちょうど、私達の父母の世代である。この小さな駅の改札を、明日を信じる多くのサラリーマンパパが利用し、雨の日には、妻であり母である多くの女性たちが、ジャノメ傘で迎えに集まっただろう。
そんな武蔵野の移り変わりを、私は想像して楽しんだ。そして、武蔵野の歴史の残り香を、もっと探してみたいと思った。
タワーマンションに囲まれてぽつりと残った小さな駅舎は、2008年になってもまだ、知る人ぞ知る勝手口のような改札口として、生き残っていた。
なにしろ改札を抜けると、そこはもうホームという便利さだ。新駅のように、わざわざ改札口までエスカレーターやらで上り下りする必要などない。究極のバリアフリー駅である。
以後、基本的には時系列(撮影順)で、武蔵野の風景を紹介してゆく。
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◎東久留米周辺にて 2008年10月
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◎東久留米の竹林公園 2008年10月
東久留米市内には多くの湧水があることで知られているが、この竹林公園もそのひとつ。
住宅街の中にはる小さな園地だが、湧水源まで簡単にゆくことができる。
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◎東久留米から清瀬、秋津方面へ 2008年11月
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◎西武安比奈線とその風景(埼玉県川越市) 2008年11月
西武新宿線南大塚駅から、北西に延びる線路がある。1967年以来、列車が走らない朽ち錆びた線路は、それでも手を伸ばすかのように3キロ以上つづき、入間川のほとりで途切れている。
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◎小野路の春
小野路は多摩川の南だから、正確には武蔵野ではないという人もいるが、多摩地方の自然が残る貴重な地域として紹介する。
小野路は町田市と多摩市の間に取り残された山中にひっそりと残る、旧鎌倉街道のかつての宿場町。懐かしい町並みが残り、すこし山中に入るとのどかな多摩の里山歩きが楽しめる。
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◎八国山のふところにて 2009年4月
狭山丘陵の東端が、八国山。
北は所沢、南は東村山。住宅地に囲まれて、武蔵野の雑木林がそっくりそのまま残っている。
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◎志木市宗岡、荒川沿いの農地にて 2009年4月
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◎東大農場を訪ねて 2009年5月
田無の駅からほど近い場所に、22ヘクタールの農地が広がっている。ここは東京大学農学部に付属する、研究用の農場。東大の土地というだけあって、周囲の開発の波にも関せず、水田、畑、木立、果樹園など武蔵野の自然がすっぽり残されており、一般住民の出入りも自由である。
近年、東大が農場を千葉県に移転させる計画を発表し、この土地が売却されることになったが、近隣住民の反対などで移転計画は中止。めでたくこの緑地がこの地に残されることになった。
現在では農業塾なども開催され、新たな局面を見せている。
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◎小手指ケ原 2009年5月
1333年に鎌倉倒幕に向かう新田義貞軍と、迎え撃つ鎌倉幕府軍が最初に火花を散らしたのがこの小手指の原である。いまも白旗塚など、合戦にまつわる古跡が点在するが、このあたりは本当に武蔵野といった趣きの原っぱで、いまも茶畑や桑畑などがのどかに広がっている。
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◎武蔵小金井 2009年6月
大岡昇平「武蔵野夫人」の悲しき主人公「道子」の住んだハケの町、武蔵小金井。多摩川が長い年月をかけて削った段丘の崖のことを、土地の人は「ハケ」と呼ぶ。ハケのたもとでは無数の湧水が湧き出し、緑豊かな農地と村落、そして住宅街を形成した。武蔵小金井では、今も道子が住んだような木立に囲まれた古い家を散見することができる。
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◎東久留米に夏が来る
黒目川と並んで東久留米市内を貫流する落合川も、市内の湧水を源とし、黒目川以上に清らかな流れを見せる。付近の住民が気軽に遊泳したり虫取りをしたり、川遊びを楽しむことができる等、東京都内とも思えない、まことに貴重な水辺である。
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◎板橋区赤塚、四葉界隈 2009年7月
東京23区内でも、武蔵野の匂いを残す風景はところどころに残っている。西東京市に隣接する練馬区はもちろん、杉並区や中野区でも探せばそこが、武蔵野であったと分かる街角がある。そんな地区のひとつが、板橋区の赤塚、四葉の周辺である。
ここは、武蔵野台地の北の端、荒川に削られてできた段丘の上に位置する住宅街で、崖のすぐ下には広大な高島平の団地群が広がっている。だが、この四葉の丘の上は、区画整理によって宅地化が進んだとはいえ、いまもところどころに農地が広がり、武蔵野の残り香を感じさせてくれる。
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◎清瀬のひまわり畑 2009年8月
武蔵野の真っただ中にある清瀬市では、いつ頃からか遊休農地を利用してひまわりが植えられるようになった。8月になると、下清戸地区では10万本ものひまわりが一斉に咲き、見事な武蔵野の夏の風景をつくっている。東京都内では最大規模のひまわり畑という。
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◎柳瀬川の夏 2009年8月
柳瀬川は狭山地域に端を発し、埼玉県と東京都の境を北東に向けて流れて荒川にそそぐ、武蔵野を代表する川のひとつである。別名を、久米川ともいう。
この川もかつては汚れがひどかったそうだが、今はかなり浄化が進み、釣りや水鳥観察等をする人も多い。
武蔵野はまた、戻ってきているのだと思える風景のひとつである。
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◎三富新田にて 2009年8月
三富(さんとめ)とは、古く江戸は元禄時代に開墾された武蔵野台地上の広大な農地である。三富は上富、中富、下富の総称であり、各住戸が間口40間(約72m)、奥行き375間(約675m)に均等に区割りされ、その区割りの中で屋敷部、農地部、そして雑木林の部分が計画的に整然と配置された独特の景観が特徴であり、今に至るまでその伝統の区割りを残しているところが最大の特徴である。とくに三芳町上富地区ではいまは県道となった旧「六間道」の両側に昔ながらの区割りのままに農業を営む多くの農家が続き、とくにサツマイモでは一大産地となって潤っているようである。
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◎武蔵小金井と野川流域の風景 2009年9月
再び武蔵小金井にやってきた。ハケ下の数多くの湧水を集めて流れる野川に沿って歩くためである。野川の流れを見ていると、ここが東京都内であるということを忘れそうになるほど清らかな流れであり、沿道も実に緑豊かであるが、この川も数十年前には汚染が進み悪臭を放っていたのだという。
自治体や付近住民の努力から、現在みられるような美しい野川の風景が戻ってきた。
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○武蔵野(2) 2009~2010 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-08-06
○武蔵野(3) 2011~2012 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-01-16
○武蔵野(4) (玉川上水)2012 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20
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不思議な場所だった。林立する高層マンションに囲まれていても、夜になると、廊下まで涼やかな風が吹き込み、ほのかな草の匂いがした。遠くざわざわと、林の鳴る音が聞こえた。
マンションの脇には、取り残されたようなかぼそい商店街があり、つきあたりまで進んだところに、それはそれは小さくてお粗末な、東久留米駅の旧駅舎が、大規模な新駅とマンションに挟まれて、しかしまだ現役で残されていた。
私は、昭和24年建造というこのおんぼろ駅舎が好きだった。眺めているうちに、かつて一面の農村だった頃のこの地の様子が、ありありと浮かんくるからだ。
さえぎるものの何もない、武蔵野の真っただ中の小さな駅。土埃のもうもうと舞う駅前のあぜ道を、籠を頭上に載せた老婆が歩き、手押し車やリヤカーが行き交った頃があっただろうか。
高度成長の時代が来て、畑や雑木林は切り開かれ、そこにたくさんの団地ができた。ちょうど、私達の父母の世代である。この小さな駅の改札を、明日を信じる多くのサラリーマンパパが利用し、雨の日には、妻であり母である多くの女性たちが、ジャノメ傘で迎えに集まっただろう。
そんな武蔵野の移り変わりを、私は想像して楽しんだ。そして、武蔵野の歴史の残り香を、もっと探してみたいと思った。
東久留米駅北口駅舎。2008年8月
qこの駅舎は、1995年に今の新駅舎とロータリーができるまで、それは60年もの長い間、東久留米駅そのものだった。建物の周りは狭く、自動車はおろか自転車を満足に停めるスペースさえない。タワーマンションに囲まれてぽつりと残った小さな駅舎は、2008年になってもまだ、知る人ぞ知る勝手口のような改札口として、生き残っていた。
なにしろ改札を抜けると、そこはもうホームという便利さだ。新駅のように、わざわざ改札口までエスカレーターやらで上り下りする必要などない。究極のバリアフリー駅である。
以後、基本的には時系列(撮影順)で、武蔵野の風景を紹介してゆく。
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◎東久留米周辺にて 2008年10月
東久留米市最南端に端を発し、市内を貫流する黒目川。
かつては曲がりくねっていたそうだが、昭和40年代に改修が進んだ。
東久留米市氷川台。
かつては曲がりくねっていたそうだが、昭和40年代に改修が進んだ。
東久留米市氷川台。
駅付近より黒目川に沿って下流に歩いてゆく。新座市石神。
黒目川の周辺。武蔵野らしい小さな雑木林が散在し、
その中をぬけてゆく小道も多い。新座市道場。
その中をぬけてゆく小道も多い。新座市道場。
西東京市谷戸町。ひばりが丘駅付近の住宅地の様子。
西東京市住吉町。住宅の中に、キャベツ畑がところどころに見られる。
上の写真に同じ。
ひばりが丘-保谷間の西武池袋線。周囲はやはりキャベツ畑。
西武線も保谷あたりから次第に武蔵野らしくなってくる。
西武線も保谷あたりから次第に武蔵野らしくなってくる。
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◎東久留米の竹林公園 2008年10月
東久留米市内には多くの湧水があることで知られているが、この竹林公園もそのひとつ。
住宅街の中にはる小さな園地だが、湧水源まで簡単にゆくことができる。
湧水源付近。この流れは落合川に注ぐ。
東久留米市南沢。
東久留米市南沢。
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◎東久留米から清瀬、秋津方面へ 2008年11月
東久留米市氷川台。
新座市新堀。典型的な都市郊外の風景。
清瀬市野塩。農村の頃の雰囲気をわずかに残す小道。
秋津駅を過ぎて所沢市に入ると、ひときわ武蔵野らしい田園風景が広がる。
所沢市上安松。
所沢市上安松。
東村山市青葉町。住宅と雑木林がまだらに続いてゆくこのあたり。
秋の雑木林。東村山市青葉町。(上記三点)
野火止用水の様子。東村山市恩多町。
野火止用水に沿って続く道。東村山市恩多町。
野火止用水は玉川上水から北東へ別れる分水で、1655年完成の歴史を持つ。
武蔵野の農地開拓に多大な貢献をしたこの水路は、志木市で新河岸川に注ぐ。
野火止用水は玉川上水から北東へ別れる分水で、1655年完成の歴史を持つ。
武蔵野の農地開拓に多大な貢献をしたこの水路は、志木市で新河岸川に注ぐ。
秋の雑木林は色とりどり。東村山市恩多町。
万年橋付近の野火止用水。東村山市恩多町。
東久留米市柳窪。柳窪は東久留米市の南端に位置し、
昔ながらの農村集落の面影を残す貴重な地域である。
昔ながらの農村集落の面影を残す貴重な地域である。
東久留米市柳窪。
東久留米市柳窪。
東久留米市南町。
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◎西武安比奈線とその風景(埼玉県川越市) 2008年11月
西武新宿線南大塚駅から、北西に延びる線路がある。1967年以来、列車が走らない朽ち錆びた線路は、それでも手を伸ばすかのように3キロ以上つづき、入間川のほとりで途切れている。
川越市豊田本。
上掲6点、川越市大袋。
上掲5点、川越市池辺。
上掲2点、川越市増形。かつてここに貨物列車の基地があった。
夜の帳がおりる、西武新宿線南大塚駅。三日月と、向こうに富士山が見えた。
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日産村山工場の跡地。武蔵村山市榎。2009年2月。
武蔵村山市榎。2009年2月。
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◎小野路の春
小野路は多摩川の南だから、正確には武蔵野ではないという人もいるが、多摩地方の自然が残る貴重な地域として紹介する。
小野路は町田市と多摩市の間に取り残された山中にひっそりと残る、旧鎌倉街道のかつての宿場町。懐かしい町並みが残り、すこし山中に入るとのどかな多摩の里山歩きが楽しめる。
上掲いずれも町田市小野路町。
私の愛車、KAWASAKIゼファー1100。
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東久留米市金山町。2009年3月。
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◎八国山のふところにて 2009年4月
狭山丘陵の東端が、八国山。
北は所沢、南は東村山。住宅地に囲まれて、武蔵野の雑木林がそっくりそのまま残っている。
東村山市諏訪町。
東村山市多摩湖町。
八国山のふもと、わずかひと駅間を往復する西武園線の電車。
菜の花咲き乱れる北山公園。初夏の菖蒲でも有名。
東村山市野口町。
東村山市野口町。
東村山市野口町。
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清瀬市中里。2009年4月。
清瀬市中里。2009年4月。
東久留米市中央町。2009年4月。
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◎志木市宗岡、荒川沿いの農地にて 2009年4月
木の電柱が残るのどかな地区である。
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西東京市向台町。2009年5月。
西東京市柳沢。2009年5月。武蔵野大学脇の道。
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◎東大農場を訪ねて 2009年5月
田無の駅からほど近い場所に、22ヘクタールの農地が広がっている。ここは東京大学農学部に付属する、研究用の農場。東大の土地というだけあって、周囲の開発の波にも関せず、水田、畑、木立、果樹園など武蔵野の自然がすっぽり残されており、一般住民の出入りも自由である。
近年、東大が農場を千葉県に移転させる計画を発表し、この土地が売却されることになったが、近隣住民の反対などで移転計画は中止。めでたくこの緑地がこの地に残されることになった。
現在では農業塾なども開催され、新たな局面を見せている。
上掲5点、いずれも西東京市緑町。
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西東京市ひばりが丘。
ムを今に伝える団地群も、老朽化により建て替えが進む。2009年5月
ムを今に伝える団地群も、老朽化により建て替えが進む。2009年5月
東久留米市学園町。2009年5月。
東久留米市学園町。2009年5月。
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所沢市城(上掲4点とも)。
柳瀬川をはさんで向こうに清瀬台田団地が見える。2009年5月。
柳瀬川をはさんで向こうに清瀬台田団地が見える。2009年5月。
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◎小手指ケ原 2009年5月
1333年に鎌倉倒幕に向かう新田義貞軍と、迎え撃つ鎌倉幕府軍が最初に火花を散らしたのがこの小手指の原である。いまも白旗塚など、合戦にまつわる古跡が点在するが、このあたりは本当に武蔵野といった趣きの原っぱで、いまも茶畑や桑畑などがのどかに広がっている。
所沢市北野
所沢市北野(上掲3点とも)
茶畑の間を縫って続く道。正面の森が白旗塚である。
茶畑の間を縫って続く道。正面の森が白旗塚である。
所沢市北野。自転車の学生たちが原っぱを元気に渡ってゆく。
所沢市三ヶ島
砂川堀。一部護岸がされていない個所も残っている。所沢市北野。
砂川堀。所沢市北野。
所沢市三ケ島(上掲4点)。
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清瀬市中清戸(2点とも)。志木街道沿いには、昔ながらのケヤキ並木がいまも続く。
2009年5月
2009年5月
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◎武蔵小金井 2009年6月
大岡昇平「武蔵野夫人」の悲しき主人公「道子」の住んだハケの町、武蔵小金井。多摩川が長い年月をかけて削った段丘の崖のことを、土地の人は「ハケ」と呼ぶ。ハケのたもとでは無数の湧水が湧き出し、緑豊かな農地と村落、そして住宅街を形成した。武蔵小金井では、今も道子が住んだような木立に囲まれた古い家を散見することができる。
「ハケ」の崖下に沿って続く道。小金井市中町。
「はけの森美術館」中庭の湧水から湧き出た小さな小川と、
それに沿ってつづく小径。小金井市中町。
それに沿ってつづく小径。小金井市中町。
宅地が進んだいまも果樹園が残る。小金井市中町。
小金井市中町。
住宅地のただなかに残る湧水地では、周辺運動による保存運動も。小金井市中町。
金蔵院前の道。小金井市中町。
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◎東久留米に夏が来る
黒目川と並んで東久留米市内を貫流する落合川も、市内の湧水を源とし、黒目川以上に清らかな流れを見せる。付近の住民が気軽に遊泳したり虫取りをしたり、川遊びを楽しむことができる等、東京都内とも思えない、まことに貴重な水辺である。
東久留米市南沢。2009年6月。
東久留米市南沢。2009年6月。
平成の名水100選にも選ばれた南沢湧水そばの清い流れ。
水源付近には東京都水道局の施設があり、今も実際に水道水として活用されている。
東久留米市南沢。2009年6月。
水源付近には東京都水道局の施設があり、今も実際に水道水として活用されている。
東久留米市南沢。2009年6月。
南沢湧水付近の家並み。いまも生垣に囲まれた古い家並みが残る。
東久留米市南沢。2009年6月。
東久留米市南沢。2009年6月。
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◎板橋区赤塚、四葉界隈 2009年7月
東京23区内でも、武蔵野の匂いを残す風景はところどころに残っている。西東京市に隣接する練馬区はもちろん、杉並区や中野区でも探せばそこが、武蔵野であったと分かる街角がある。そんな地区のひとつが、板橋区の赤塚、四葉の周辺である。
ここは、武蔵野台地の北の端、荒川に削られてできた段丘の上に位置する住宅街で、崖のすぐ下には広大な高島平の団地群が広がっている。だが、この四葉の丘の上は、区画整理によって宅地化が進んだとはいえ、いまもところどころに農地が広がり、武蔵野の残り香を感じさせてくれる。
諏訪神社。板橋区大門。
いまも大きな農家が残る。板橋区大門。
再び諏訪神社。板橋区大門。
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新座市堀之内。黒目川。2009年8月
新座市堀之内。2009年8月。
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◎清瀬のひまわり畑 2009年8月
武蔵野の真っただ中にある清瀬市では、いつ頃からか遊休農地を利用してひまわりが植えられるようになった。8月になると、下清戸地区では10万本ものひまわりが一斉に咲き、見事な武蔵野の夏の風景をつくっている。東京都内では最大規模のひまわり畑という。
清瀬市下清戸にて(上掲4点)。
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◎柳瀬川の夏 2009年8月
柳瀬川は狭山地域に端を発し、埼玉県と東京都の境を北東に向けて流れて荒川にそそぐ、武蔵野を代表する川のひとつである。別名を、久米川ともいう。
この川もかつては汚れがひどかったそうだが、今はかなり浄化が進み、釣りや水鳥観察等をする人も多い。
武蔵野はまた、戻ってきているのだと思える風景のひとつである。
城前橋にて。清瀬市下宿(2点とも)。2009年8月。
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ラブホテル、倉庫といった取り留めのない郊外風景と
どこまでも続いてゆく鉄塔の風景も、見慣れた現代の武蔵野の光景のひとつ。
所沢市坂之下。2009年8月。
どこまでも続いてゆく鉄塔の風景も、見慣れた現代の武蔵野の光景のひとつ。
所沢市坂之下。2009年8月。
◎三富新田にて 2009年8月
三富(さんとめ)とは、古く江戸は元禄時代に開墾された武蔵野台地上の広大な農地である。三富は上富、中富、下富の総称であり、各住戸が間口40間(約72m)、奥行き375間(約675m)に均等に区割りされ、その区割りの中で屋敷部、農地部、そして雑木林の部分が計画的に整然と配置された独特の景観が特徴であり、今に至るまでその伝統の区割りを残しているところが最大の特徴である。とくに三芳町上富地区ではいまは県道となった旧「六間道」の両側に昔ながらの区割りのままに農業を営む多くの農家が続き、とくにサツマイモでは一大産地となって潤っているようである。
広大な耕地とどこまでも続く鉄塔群。
農家の耕地を奥へ進んでいったところ。
かつて雑木林は燃料(枝)や肥料(落ち葉)に活用されたが、
現代では刈り取られているところもある。
かつて雑木林は燃料(枝)や肥料(落ち葉)に活用されたが、
現代では刈り取られているところもある。
まだ若い雑木林。コナラやエゴノキ等が多いという。
県道(表)から見た屋敷部分。ケヤキ等に囲まれている。
三芳町上富(上掲5点とも)。
三芳町上富(上掲5点とも)。
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朝霞市根岸台。2009年8月。
朝霞市根岸台。2009年8月。
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◎武蔵小金井と野川流域の風景 2009年9月
再び武蔵小金井にやってきた。ハケ下の数多くの湧水を集めて流れる野川に沿って歩くためである。野川の流れを見ていると、ここが東京都内であるということを忘れそうになるほど清らかな流れであり、沿道も実に緑豊かであるが、この川も数十年前には汚染が進み悪臭を放っていたのだという。
自治体や付近住民の努力から、現在みられるような美しい野川の風景が戻ってきた。
ハケを下りる坂道。小金井市前原町。
小金井神社あたり。小金井市中町。
ハケ下に沿って続く道にて。小金井市中町。
美しい野川べりの光景。小金井市東町(上掲2点)。
小金井市東町(上掲2点)
安心して子供が遊べる川が、都内にあることが嬉しい。
三鷹市大沢。
三鷹市大沢。
左端に見える川べりの峰岸家には、つい最近まで現役の水車が残っていた。
三鷹市大沢。
三鷹市大沢。
峰岸家は、現在は水車とともに資料館として整備されている。三鷹市大沢。
三鷹市大沢地区には、美しい野川の流れを受け、わさび田や湿原、農園が残る。
三鷹市大沢。
三鷹市大沢。
三鷹市大沢。
野川の東側にある台地から。この台地上には天文台の森がある。三鷹市大沢。
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撮影:2008年8月~2009年9月
本文:2011年(2013年7月補訂)
本文:2011年(2013年7月補訂)
○武蔵野(2) 2009~2010 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-08-06
○武蔵野(3) 2011~2012 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-01-16
○武蔵野(4) (玉川上水)2012 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20
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2010-05-12 11:35
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