SSブログ

死人の峠 [日々のよしなしごと]

 京都にいた頃、市街の北方からはるか丹波に連なる山々を、バイクで巡るのが好きだった。普通はもちろん、昼間に出かけるのだが、一度だけ、思い立って夜の山道を走ったことがある。

 それは、秋の深まる日の夜だったと思う。京の下町にある自宅を出たのが8時ごろだっただろうか、西大路から今出川通りへ、夜の市街をゆっくりとバイクを転がしていった。鴨川にかかる橋のたもとで北へ曲がると、大好きな加茂街道である。鴨川の堤をゆくこの美しい道。だが、ものの十数分、川をさかのぼってゆくと、京の盆地は早くもどんづまりを迎える。その先は、ひとつの街灯もないような、か細い山道が曲がりくねって12キロ先の山奥の集落へと続いているだけだ。
 その集落の名を「雲ケ畑」という。鴨川の源流にあるささやかなその村は、まさに鴨川の源流にあるがゆえに、古来ひとつの決まりごとがあったらしい。それは、村に死者が出ると、村人総出で遺体を運び、峠を越えて別の谷までそれを運んで荼毘にふさなければならない、ということ。帝の飲み水にもなる鴨川に、死人のケガレが入ることを忌んだからである。そうしてその死人を持ちあげて行った峠を「持越峠」といい、今も残っている。

 さて、私は夜の山道を、その持越峠へ向かっていた。ちょっとした肝だめし、くらいの軽いノリである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 市街の喧騒は今や遠く、そこは街灯もない細道。・・・真っ暗闇なので、自分がいったいどんなところを走っているのか分からないのだが、ひたすら勾配を上っていることだけは確かだ。脇を流れる鴨川が、すでにかぼそい渓流と化し、ところどころ滝となりながら、水しぶきをあげて流れ落ちているのがなんとなく分かる。目の前の闇の中には、ヘッドライトの細長い三角形の光によって、ただ前方のほんのわずかな部分だけが、映し出される。ある瞬間、そこに鬱蒼とした杉木立が切り取られ、次の瞬間には、滝にかかる小橋の欄干が、切り取られる。光の中に微かに浮かび上がるカードレールの影だけを頼りに、右へ左へバイクを転がし、少しでもスピートが落ちれば、すぐにスロットルをあおる。正直にいうと、闇が怖いのだ。スロットルを少しでも弱めようものなら、何かにとって食われてしまいそうな気がする。闇に追い立てられた私は、必死で、三角形の光が映し出すものにただ飛び込むべく、ひらすら追いかけ続けるしかないのだ。

 寒い。そして、遠い。それにしても、遠い。雲ケ畑はこんなにも遠かっただろうか?
 こんなに遠いはずは、ないのだ・・・

 どれくらい走っただろうか。道は、行き止まった。あるはずの雲ケ畑の集落は消えうせてしまい、そこにはなぜか、小さな灯が瀟々と一本だけ立っている。それはあたりを遠慮がちに照らしながら、無言のまま、そこが相当な深山であると私に示した。
と、そこに、寺らしきものがあった。確かめると、「岩屋不動志明院」とある。

 私は、それを見て、背筋が凍る思いがした。

 ご存知の方もおられるだろうが、京都でも最大のタブーと言われている寺である。かつて京都に人が住みつく以前、その平地にはさまざまな妖怪たちが跋扈していた。京が都となり、人が続々と集まって来ると、物の怪たちは、地のどんづまり、雲ケ畑のさらに奥へと逃げ込んで息を潜めるようになった。それはつまり、ここだ。あの司馬遼太郎氏が、鬼火を見たのもこのあたりであったという。寺に宿泊した氏は真夜中、障子がひとりでに開閉したり、何者かに建物を揺さぶられるといった怪異体験をしている。空から笑い声が聞こえることもあるらしい。

 そこまで思いだしたとき、私も何かを聞いた。ざわざわと暗闇が鳴り、すすり泣くような声。もう生きた心地がしない。はたして、すぐ左手の藪から何かが顔を出しているようだ。それは、さきほどからの妙な声の主に違いなかった。物の怪か!私は全身に力を込め、覚悟を決めて振り返るや、そいつを睨みつけた。・・果たしてそこにいたのは、・・・

 ・・・好奇心旺盛な若い鹿が、見慣れないバイクに、眼を丸くしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は、Uターンした。やみくもにバイクを駆るうちに、雲ケ畑の集落を行き過ぎてしまったようである。しばらく、元来た道を戻ると、果たして、とぎれとぎれに家並みが現れた。
 そして、右へ入る真っ暗な枝道が出現した。私の事前調査に従うならば、これが例の「持越峠」への狭い上りである。・・・私は、そこへ飛び込んだ。するといきなり、勾配がきつくなった。あたりは鬱蒼とした林である。その昔、夜ごと、遺体を担いで上がっただろうこの坂を、私はいま、深夜一人でバイクを登らせていることになる。無論、追い越す車も人もいなければ、対向車のあろうはずもない。誰もいないことに私はいささか腹が立ち、半ばヤケクソのようにして、私は峠の頂上へとバイクを運び、そして峠に出た。

 そこは意外に見晴らしのきく峠だった。ヘッドライトで暗闇を照らしだすと、のっそりとした山々が不気味に静まり返って、どこまでも続いているのが見てとれた。目を凝らせば、はるか下のほうに、雲ケ畑と思われる集落の灯が、いかにもたよりなげにちらちらしている。私は、思わずバイクのエンジンを切ろうとして、慌ててその手を止めた。
 ここは、「持越峠」・・・死霊や物の怪があたりにうようよしているとしたら、私はどうなるだろうか? エンジンを一度でも切ったが最後、もう二度とエンジンはかからないかもしれない・・ そして、ヘッドライトを消して、点かなくなったなら、それこそ真っ暗闇・・・結果として、街灯ひとつないこの峠を、私は下りてゆくことすらできなくなり、いやおうなく、魑魅魍魎の世界に引きずり込まれてしまうに違いない・・・ しかし、次の瞬間、私は、思い切ってエンジンのスイッチを切り、続いて一気に、ヘッドライトも消した。そして、・・・・見た。

 そこは、真っ暗闇などでは決して無かった。 青く、やわらかな薄光で、すみずみまで満たされていた。顔を上げれば、天空いっぱいにうずもれるようにしてきらめく無数の星。東を見れば西のほうの星々が瞬き、西を見れば東のほうの星々が瞬いて、今にも降りそそがんばかりに躍動し、無言の饗宴を繰り広げた。そこに、たっぷりとふくよかな月。それは神々しいばかりの輝きをたたえ、しずかに、しかも生き生きと光を投げかけて、山の向こうの、そのまた向こうの、見渡す限りの世界のすべてを、ひとしく照らし出していた。正面を向き直れば、まるでやさしく打ち寄せる青波のように、山々の稜線が幾重にも重なって続くのが、影絵のように、幻灯機のように、ほのかに浮かび上がり、そこに向かって突き出た半島の先端にいま、私は立っていた。 

 降り注ぐ星月の光を全身に浴び、虫たちもまた全身を震わせて鳴き競い、この世の生を謳歌している。その和声は山々にこだまし、さんざめきとなってこの宇宙を満たしていた。これ以上ないような贅沢な時空を、気がつけば私はひとり占めしているのであった。


 ・・・私は、無事もなかったように、峠を降り、山を下りた。とんでもない異次元体験をしたような気がしたが、家に帰り着いてみると、出発からたった2時間しか経っていなかった。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。