SSブログ

神戸電鉄 1991-1993 [鉄道少年の頃(関西鉄道写真アーカイブ~1994)]

神戸は本当にお洒落な街であるが、この神戸電鉄はあまりオシャレな電車ではなかった。オシャレというにはあまりに路線条件が険しかったのかもしれない。神戸市内から六甲山をまともに登り、裏六甲の山あいや雑木林を抜けて各地に線路を延ばすこの鉄道は、その各所に点在するニュータウンを結ぶ都市近郊鉄道ではあるが、またそもそもは山岳鉄道でもあり、駅のつくりにも電車のつくりにも、どこか都会の電車になりきれないローカル私鉄然とした野暮ったさや田舎臭さも随所にのこしていて、その多面性がとても面白い鉄道であった。
3000系や新型車両等、外見こそスマートさを感じるものの、走りのほうはそれとは裏腹に、がっつり山岳鉄道のそれ。全モーターをフル稼働させ、50~60km/hの低速でうんうん言いながら勾配を這い上がっていく。そのペースはさすがに安定しているが、全線にわたって営業上の最高速度は70km/hで、おせじにも「軽やかに駆けてゆく」という表現のできない走りっぷりであった。

1990年代初頭の当時は裏六甲のあちこちで宅地開発が進み、沿線人口が急増。単線区間が残っていた神戸電鉄もその複線化をどんどん進め、電車の本数や両数を増やすなど輸送力増強に大わらわだった時期。もはや完全な都市鉄道になりきるのも時間の問題かと思われた。神戸電鉄そのものが、横浜の相模鉄道のように、大手私鉄へ昇格するのも決して夢ではない・・・そう誰もが思っていたものである。

FWshintetsuNS040(1).jpg

鵯越-菊水山間のトンネルを抜け六甲越えに挑む3000系4連の準急有馬温泉ゆき。1992年7月
 
 /////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

FWshintetsuNA005(1).jpg

神戸電鉄ターミナル新開地駅の様子。3番線まである地下駅だが、どこか薄暗くどんよりしており
長野電鉄の長野駅に近い雰囲気であった。800系3連の普通鈴蘭台ゆき(左)は旧塗装車。右の
1100系3連の準急志染ゆきは新塗装。車体は似ているが800系は旧型車両の機器流用車であり
1992年までに廃車となっている。1991年5月。


FWshintetsuNA006(1).jpg

新開地駅にて。最初の写真よりやや左を向いて撮影。左の1番線に3000系4連の普通三田ゆき
真ん中の2番線に1300系4連の準急谷上ゆき(珍しい・・)が停車中。
右の4番線にもおそらく粟生線系統の電車が停車している。1992年3月。


FWshintetsuNA001(1).jpg

六甲を下り神戸市街の住宅地を走る1300系ほか5連の普通新開地ゆき。長田-湊川。1991年5月
写真の1362Fは1987年増備の1300系のラストナンバー。古臭いスタイルの1000系列だが
3扉となり表示幕の字体も新しく、運転席後ろには「K」の金属プレートが取り付けられた。


FWshintetsuNS001(1).jpg

地下の湊川駅を出発し、地上に出た所から急勾配が続く神戸電鉄。Kマークも誇らしげに
増備された3000系後期車が住宅地をゆく。湊川-長田。1991年5月。


FWshintetsuNS002(1).jpg

長田-湊川間をゆく1300系ほか普通新開地ゆき。1991年5月


FWshintetsuNA002(1).jpg

勾配を登りマンションが並ぶ長田駅に駆け上がって来る3000系4連の準急志染ゆき。
湊川-長田。1991年5月。


FWshintetsuNA003(1).jpg

長田駅に停車中の3000系4連の準急志染ゆき。1991年5月。


FWshintetsuNS021(1).jpg

長田駅に到着した1500系4連の普通有馬温泉ゆき。
この頃はまだ新開地から有馬温泉へ直通する電車が多くあった。1992年3月。


FWshintetsuNS022(1).jpg

長田駅を通過し都心を目指す3000系4連の急行新開地ゆき。1992年3月。


FWshintetsuNS020(1).jpg

急斜面にマンションが立ち並ぶ長田駅に到着し乗降客を扱う1300系4連普通新開地ゆき。
1992年3月。


FWshintetsuNS003(1).jpg

長田を通過しさらに都心へ下りてゆく1000系デ1050形ほか急行新開地ゆき。1992年3月。


FWshintetsuNS023(1).jpg

モーターを唸らせ都心から長田駅に上がって来る1000系デ1050形ほか4連急行三田ゆき。
1000系列でもデ1000・1050形等は非冷房、二扉でいかにも古臭い感じがあった。1992年3月。


FWshintetsuNS025(1).jpg

丸山駅に下りてくる300系4連の準急新開地ゆき。鵯越-丸山。1992年3月。
このあたりまでくると、住宅は残るがだいぶ山がちになる。
300系は1960年登場の神鉄初の高性能車で、ファンも多かった。1994年に廃車。


FWshintetsuNS027(1).jpg

丸山駅をあとに六甲越えを目指す3000系4連の普通三田ゆき。1992年3月。


FWshintetsuNS028(1).jpg

鵯越駅を出ると殆ど人家はなくなる。写真は鵯越駅に下りてくる300系4連の準急新開地ゆき。
桜が咲き始めている。菊水山-鵯越。1992年3月。


FWshintetsuNS041(1).jpg

山間をゆく1000系デ1070形ほか4連の普通新開地ゆき。菊水山-鵯越。1992年3月。


FWshintetsuNS042(1).jpg

菊水山-鵯越間をゆく1000系デ1000形ほか5連の普通新開地ゆき。菊水山-鵯越。1992年3月。


FWshintetsuNS038(1).jpg

完全な山間に位置する菊水山駅に到着した1000系デ1100形ほか4連の普通鈴蘭台ゆき。(右)左は1300系か。
菊水山駅は周囲にまったく人家がなく、ハイカーのためだけに存在するような駅である。
普通電車の一部(鈴蘭台折り返しの区間電車)のみが一時間一本程度の頻度で停車した。
現在はそれもなくなり菊水山駅は完全に営業を停止している。1992年3月。


FWshintetsuNS046(1).jpg

菊水山駅を通過する3000系4連の快速新開地ゆき。1992年3月。
快速は粟生線系統に当時存在し急行より停車駅が少なかった。
なお写真のトンネルは旧線用で、右に新線用のトンネルが建設中である。


FWshintetsuNA004(1).jpg

鈴蘭台-菊水山間の山間区間を慎重に下りる800系3連の普通新開地行き。
神戸電鉄はこの区間で六甲山の峠を越えていた。1991年7月。


FWshintetsuNS039(1).jpg

菊水山-鈴蘭台間の山岳地帯を峠に向かってのぼってゆく1300系4連の普通三田ゆき。1992年3月。


FWshintetsuNS033(1).jpg

鈴蘭台駅をあとに山岳区間に向かう1000系デ1000形4連の特急新開地ゆき。鈴蘭台-菊水山。
特急は当時新たに登場した新種別で三田-新開地間に設定されていたが、普通電車と10分程度
しか所要時間も変わらないのに停車駅だけ減り不評であった。1998年に廃止されている。
1992年3月。


FWshintetsuNS034(1).jpg

鈴蘭台駅の南側にある神戸電鉄の車庫。
その脇を山越えに向かう1000系普通新開地ゆきが通過してゆく。鈴蘭台-菊水山。1992年3月。


FWshintetsuNS032(1).jpg


FWshintetsuNS031(1).jpg

神戸電鉄の要衝、鈴蘭台駅の光景(上2枚とも)。1992年3月。
鈴蘭台は神戸から六甲山地の峠を越え、少し向こう側に下りたところに開けたベッドタウン。
神鉄にとっても粟生線と有馬・三田方面へ分かれる路線の分岐点にあたり、車庫もある。
(上)左からデ1100形普通新開地ゆき、300系鈴蘭台止まり、デ1100形準急志染ゆき。
(下)左からデ1000形新開地ゆき、3000系普通西鈴蘭台ゆき、デ1100形準急鈴蘭台止まり。


FWshintetsuNS029(1).jpg

粟生線方面から鈴蘭台駅に下りてくる1000系デ1000形ほか5両の準急新開地ゆき。
左に貨物車や機関車が止まっているのが見える。1992年3月。


FWshintetsuNS036(1).jpg

鈴蘭台駅を出て単線の粟生線へ入っていく1000系デ1050形ほかの普通西鈴蘭台ゆき。
鈴蘭台-鈴蘭台西口。1992年3月。


FWshintetsuNS037(1).jpg

鈴蘭台以北も、有馬・三田方面は複線が続く。3000系4連の準急三田ゆき。
鈴蘭台-北鈴蘭台。1992年3月。


FWshintetsuNA007(1).jpg

鈴蘭台近郊の住宅地をゆく300系4連の準急新開地ゆき。北鈴蘭台-鈴蘭台。1992年3月。


FWshintetsuNS064(1).jpg

六甲を抜けて到着した有馬温泉駅の様子。300系4連有馬口ゆき(左)と2000系3連有馬口ゆき(右)
かつては新開地への直通が殆どだったが今は区間運転ばかりで完全なる支線扱い。1993年4月。


FWshintetsuNS067(1).jpg


FWshintetsuNS066(1).jpg
(上2点とも)有馬温泉駅で並んだ最新鋭2000系3連の有馬口ゆき(左)と、
最古参300系4連の準急新開地ゆき。(右) 1993年4月。


時代は曲がり角を迎え、残念ながら現在、神戸電鉄の乗客数は減少の一方である。電鉄は合理化を強いられ、一部区間では廃線さえ取り沙汰されるなど、都市近郊鉄道であるにも関わらず、厳しい情勢が続いている。

以上

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。