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シュティフターという作家 [日々のよしなしごと]

 先日来、オーストリアの作家、アーダルベルト・シュティフター(1805-1868)の作品(小説)のいくつかに触れる機会があり、その印象がなかなか出会うことの少ない種類のものであったので、少し紹介したいと思う。
 私が読んだのは、岩波文庫から出ている「水晶、他三篇-石さまざま-」と、最近復刻された同じ岩波文庫の「森の小道・二人の姉妹」である。下の画像は、後者の表紙であり、写真かとみまがうほど写実的で美しい表紙の絵は、シュティフター自身の筆になるものという。
 小説のほうも、よく似た印象を受ける。どの作品も、淡々とした筆致で、精緻ではあるが、およそストーリーの起伏というものには乏しい。読者の心理を惹きつける作家の妙技にスポイルされた現代人への受けは甚だよろしくないだろうことと思われる。代表作と言われる「水晶」も、冒頭からクリスマスの何たるかという作家自身の講釈が数ページにたって続き、思わず勘弁してほしいなあと思ったほどである。だが、その行間からこぼれ出る「何か」・・・それがあるために、少しずつ読み進めることができた。
 結論からいえば、読んで大正解だったのである。ことにその「水晶」の清々しい読後感は、ちょっと他に比べるものが思い当たらないくらいだ。

FWシュティフター.jpg


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 「水晶」の舞台は、雪と氷の峰々によって外界から隔絶され、昔ながらの暮らしを続けている、アルプス山中の小さな村である。小説では、前述のとおり、クリスマスに関する講釈に始まり、それに続いて、この村の情景とその村人達の暮らしぶりが、少しの間またとくとくと、丁寧に描かれる。そのうち、若い靴づくり職人の店にフォーカスがあたり、その職人が峠の下にある別の町から美しい妻を貰うさまが述べられる。二人の間に、いつしか幼い兄妹が生まれる。

 この間の描写も、写実的であり、それ以上に説明的である。シュティフターは実際にそういった場所に詳しいのか、他所から来た妻やその子供に対して村人たちがどこか一線を引いてしまう様子など、ひとつひとつの事象を優しく撫でるように、そして噛んで含めるように述べられている。

 そして、クリスマスイブの夜がやって来る。その日幼い兄妹は、峠を越えて祖母の家にお使いに出るのだが、その帰り道に、降りしきる雪の中、峠付近で道に迷ってしまうのだ。雪と氷だけの世界でさまよう幼い子供達は、誤って尾根道をどんどんのぼっていってしまい、クレバスが口を開ける氷の山に足を踏み入れてしまう。・・・夜のとばりが降りる・・・

 ・・・・・さて、この先を書こうか書くまいか、未読の方に対して迷ってしまうが、シュティフターの作品は行間にこそ味わいがあって、ストーリーはあってないようなものだから、書いてもよかろうと思う。・・・いや実際のところ、何も起こらないのだ。
 たしかに兄妹はその夜、帰ってこなかった。村では当然、おお騒ぎである。二人は氷雪のなか、山頂付近までのぼりつめてしまい、戻れなくなってしまったのである。だが、二人は泣きも騒ぎもせず、小さな氷の洞穴で体を寄せ合い、おばあちゃんがくれたコーヒーで体を温め、励まし合いながら夜を過ごす。そんな二人の目の前で、夜空の星々は千変万化し、不思議な天体ショーを見せてくれる。その妙に我を忘れているうちに、二人は朝を迎える。

 翌朝、村人総出の捜索の甲斐あって、二人は無事保護される。泣いて頬ずりする母親に対し、小さな妹はこう答える。「わたし、昨晩、キリストさまをみたの」。
 このクリスマスイブの「事件」のおかげで、母親も子供達も、もはや他所ものではなくなった。村人たちは安堵と喜びで、いつも以上ににぎやかなクリスマスを過ごす。
 めでたしめでたし。・・・・・・・・・・・・・・

 どうだろうか。最後まで、表題となっている「水晶」は出てこない。氷雪の山々に囲まれた舞台設定が水晶のようと言えなくもないが・・・ 
 だが、私の味わった読後感は、まさに「水晶をみた」という思いでいっぱいなのである。皆さんは、早春の安曇野の小川に流れ落ちる、雪解け水の清冽なほとばしりをご存じだろうか。例えるものがあるとすれば、ちょうどそれくらいのものだ。 清らかで透明な何かが、一見写実的なあらゆる行間から、あってないようなストーリーの端々からこぼれ出て、私の心の中にあざやかな水晶の輪郭をもって浮かび上がって来るのである。
なかんずく、全体の白眉ともいえる、氷洞の中から二人が見る夜空の光景、その描写の美しさよ。。

 人を信じるこころ、日々の暮らしをいつくしむこころ、変わらぬ大地への感謝のこころ、時空を超えた何ものかへの畏れのこころ、・・・・そういったものの結晶が、この作品であり、シュティフターの作品なのだと思う。 

 シュティフターは書いている。
 「風の吹くこと、水の流れ、穀物の生長、海の波立ち、春の大地の芽ばえ、空の光、星のかがやき・・・これらをわたしは偉大だと考える。壮麗におしよせてくる雷雨、家々を引き裂く電光、大波を打ち上げる嵐、火を吹く山、国々を埋める地震などを、前にあげた現象より偉大であるとは、私は思わない。」
 (岩波文庫「水晶他三篇」280ページ 手塚富雄訳)

 その作品群は、あまりにも地味ではあるが、その底には実に決然とした、私達が思い出すべき価値観が眠っている。それがかえって、現代人の心に鮮烈な印象を残すことがあるのではないか。
 多くの現代人に読まれることが期待される作家である。 

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