奥吉野(西吉野~洞川・天川~十津川)2006 [日本の町散歩(近畿)]
京都北山、丹波方面の山々に女性の面影を見るなら、この紀伊の山々はまさに父性の山である。
どこまでも続いてゆくたおやかな山容を見ていると、物言わず何事にも動じない、悠久の風を感じる。
その向こう側には、今や名高い観光の地となった熊野古道が通じているが、今回は手前側、奈良県内南部をツーリングのルートに選んだ。
奈良盆地の南端となる五條から西吉野村を通り、天川村へ。
その後一度高野山へ抜け、その後龍神から国道425号を使って十津川村へとルートを辿った。
バイク旅での撮影であり、自分の足で山々を歩いたわけではないが、
少しでも紀伊の偉容がとらえられていれば幸いである。
西吉野
西吉野は奥吉野の入り口に位置する里山地域であり、それほど山深いという印象ではない。
ここは奈良が生んだ希代の映画作家、河瀬直美監督の作品「萌の朱雀」の舞台となった。
私は、主人公たちが住んだあの山の家を訪ねてみたいという思いを抑えきれず、ここに立ち寄った。
天川
天川(てんかわ)とは、また簡単明瞭にして雅な趣きをもつ、美しい地名である。
このあたりまでくると、紀伊も深山幽谷という感じがあるが、じっさいに天川、および町内の洞川(どろがわ)地区は、山伏(修験者)が全国から集まってくる大峯山のお膝元であり、どことなく謎めいた感じが漂う。
十津川
十津川は、紀伊山地の中央部に位置する、言わずと知れた秘境の地である。
しかし実際に十津川に沿ってバイクを走らせると、そこは商店や温泉、公共施設も多く、案外に生活のしっかりした地域であるというような、むしろ明るい印象を受ける。
十津川は、山間にあるため、耕作物の収穫が期待できない。遠い昔、十津川の人々はこうした事情を権力者に訴え出て、租税を免ぜられてきた。そのかわり、有事の際には戦士として駆けつけ権力者を守る、これが十津川の掟であった。
だから、十津川は地勢の面でも、社会性の面でも、他地域とは異なる、半ば独立した村落共同体として長く存続してきた歴史があり、そのことから、十津川郷士と呼ばれる独特の豪気とプライドを持つ人々が生まれたといわれる。
秘境であるはずの十津川の村々がむしろ明るい印象を与えるのは、そういったことも背景にあるのではないかと思う。
どこまでも続いてゆくたおやかな山容を見ていると、物言わず何事にも動じない、悠久の風を感じる。
その向こう側には、今や名高い観光の地となった熊野古道が通じているが、今回は手前側、奈良県内南部をツーリングのルートに選んだ。
奈良盆地の南端となる五條から西吉野村を通り、天川村へ。
その後一度高野山へ抜け、その後龍神から国道425号を使って十津川村へとルートを辿った。
バイク旅での撮影であり、自分の足で山々を歩いたわけではないが、
少しでも紀伊の偉容がとらえられていれば幸いである。
十津川郷にて
西吉野
西吉野は奥吉野の入り口に位置する里山地域であり、それほど山深いという印象ではない。
ここは奈良が生んだ希代の映画作家、河瀬直美監督の作品「萌の朱雀」の舞台となった。
私は、主人公たちが住んだあの山の家を訪ねてみたいという思いを抑えきれず、ここに立ち寄った。
賀名生(あのう)バス停。ここも「萌の朱雀」に出てくる。
本当は、列車の駅になるはずだった場所。
本当は、列車の駅になるはずだった場所。
平雄地区の家。
天川
天川(てんかわ)とは、また簡単明瞭にして雅な趣きをもつ、美しい地名である。
このあたりまでくると、紀伊も深山幽谷という感じがあるが、じっさいに天川、および町内の洞川(どろがわ)地区は、山伏(修験者)が全国から集まってくる大峯山のお膝元であり、どことなく謎めいた感じが漂う。
洞川の集落。
十津川
十津川は、紀伊山地の中央部に位置する、言わずと知れた秘境の地である。
しかし実際に十津川に沿ってバイクを走らせると、そこは商店や温泉、公共施設も多く、案外に生活のしっかりした地域であるというような、むしろ明るい印象を受ける。
山間に多くのつり橋がある。
龍神と十津川を結ぶ国道425号線。
北山の477号と並んで近畿を代表する「酷道」である。
北山の477号と並んで近畿を代表する「酷道」である。
425号国道に沿って峠を越え、十津川へと降りてゆく。
十津川に上湯川、西川が合流する平谷地区。
小さなダム湖ができ、十津川温泉のささやかな温泉街がある。
小さなダム湖ができ、十津川温泉のささやかな温泉街がある。
十津川は、山間にあるため、耕作物の収穫が期待できない。遠い昔、十津川の人々はこうした事情を権力者に訴え出て、租税を免ぜられてきた。そのかわり、有事の際には戦士として駆けつけ権力者を守る、これが十津川の掟であった。
だから、十津川は地勢の面でも、社会性の面でも、他地域とは異なる、半ば独立した村落共同体として長く存続してきた歴史があり、そのことから、十津川郷士と呼ばれる独特の豪気とプライドを持つ人々が生まれたといわれる。
秘境であるはずの十津川の村々がむしろ明るい印象を与えるのは、そういったことも背景にあるのではないかと思う。
野広瀬のバス停。
谷瀬のつり橋。
撮影 2006年8月、9月
本文 2013年6月
本文 2013年6月
2012-06-07 01:43
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