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ソウル 2008 [アジアの町紀行]

 仕事で中国に携わるようになって早や5年。その間、アジアの中の、ひいては世界の中の日本、中国ということを、いやおうなく考えさせられることにもなった。そして、韓国という国の存在を、当然といえば当然だが、知らないでは済まされない、と思うようになった。
 世界の中で、日に日に影を薄くしてゆく日本。その一方、経済面でも文化面でも、堅調に影響力を増しているのが韓国である。中国でも、日本より韓国のほうが人々に明らかに人気があるし、当の日本でも「韓流」はすでにブームではなく、現代の日本のメディアを支える主要なジャンルとして定着した観がある。
 悔しいではないか。私は15年も前、高校の修学旅行で韓国を訪れた。そのとき、韓国の婦人達が嬉々として私達日本の男子高校生にボディタッチしに来たのを覚えている。いまや逆だ。日本のご婦人がたが、憬れの韓流スター達を拝もうと、喜び勇んで韓国に向かう。
 そんな韓国の魅力というのは何なのか? その原動力となっているものは何か? 日本はもう、韓国に勝てないのか? 
 まあ、そんなこともありながら、いつしかずっと近くなった、お隣の国をとにかく見てきたかった2008年の秋。たった二日ではあるが、私はソウルの街を歩いてみた。

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三清洞の街角にて

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地下鉄二号線の窓から見る朝の漢江(堂山鉄橋)


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地下鉄二号線堂山駅。新旧車両の並び。


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電鉄線新道林駅の朝。
日本のラッシュ風景に似て親近感を覚える。


◎ホテルのある鍾路三街(チョンノサムガ)あたり

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朝、ホテルの窓から。鍾路三街近くの観水洞あたり。
周りはラブホテルが多い。韓国はビジネスホテルとラブホテルの区別があいまい。


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都心近い鍾路(チョンノ)周辺も、
一歩メインストリートを入れば迷路のような路地が広がる。


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◎鍾路二街から仁寺洞(インサドン)方面へ

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仁寺洞は、ソウルの伝統文化のメッカと言える場所。もとは李朝時代からの陶磁器の工房が並んでいたらしいが、現在では伝統工芸品を扱うショップの一大集積地。表通りを一歩入ると迷路のような路地にカフェや伝統酒場がひしめき合い、歩くのがとても楽しいエリアだ。近年、サムジギルのようなおしゃれスポットも誕生し、若者にも人気の街という。

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サムジギルは、約70店舗が入るアートコンプレックス。
伝統工芸品から現代アートまで幅広く、若者でにぎわう。


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サムジギルのような伝統工芸を今風に扱って見せる施設によって
韓国の若者はより伝統文化に馴染みを持ち、仁寺洞の賑わいも保たれていると感じた。



◎仁寺洞(インサドン)から北へ

安国(アングク)の交差点を北へ渡り、ギュヨクギルに入っていくと、今度は街並みがみるみる洗練されてゆく。
ホテルのあった鍾路周辺はラブホテルや小さな卸商店の密集する猥雑なエリアだった。北へ5分歩けば伝統工芸と伝統酒場の街「仁寺洞」だった。そしてさらにそれを過ぎると麻布や広尾も真っ青かという雰囲気の街となる。こうした街並みの千変万化っぷりは東京をはるかに凌いで面白い。

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◎嘉会洞(カフェドン)~北村(プクチョン)

そして丘をのぼってゆくと、今度は韓国の伝統的なつくりの家屋がふえてゆき、嘉会洞(カフェドン)から北村(プクチョン)地区に入ってゆく。このあたりは意図的に昔ながらの韓式住宅が保存され、生活に根付いた無形の伝統文化の保全も行われているという。テーマパークのようなところかと想像していたが、実際にどの家にも一般の人が住んでいる。それらの人々は伝統文化を守り伝えていくことを誇りに思っているようであった。

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◎三清洞(サムチョンドン)

さて、この静かで落ち着いた北村地区から、今度は東へ坂や階段を下りてゆくと、また急にセンスの良い華やかな道に出る。本当にソウルは5分あるけば街の色がガラリと変わる。
三清洞(サムチョンドン)は、ここ数年でしゃれたお店がぐっと増えて、今や江南の狎鴎亭(アックジョン)等をもしのぐデートコースになっているとのこと。大型店が並んでいるわけではなく、基本は住宅地というストリートにギャラリーやカフェ、小規模なレストラン等が散在する様子は、代官山や関西の苦楽園口界隈にも似て若々しく、好ましい。

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◎吉音(キルム)・弥阿里(ミアリ)
ソウル市街の北部には急峻な山が迫っている。朝鮮半島北部の各地へと続く街道は、この山々を越えてゆき人々は過酷な歩行を強いられる。そんな山道のひとつ、ソウルから元山地区を通り北朝鮮へと抜ける街道が、都心を離れ最初に超える峠を、ミアリ峠といった。
朝鮮戦争の頃、ミアリ峠は北朝鮮への最短経路のひとつであることから、多くの拘束された人々がこの峠を北へと連行された。そして、悲しい歌も生まれた。
現在、この谷にはびっしりと住宅が張り付いている。道路の下には地下鉄が走り、ソウル都心までわずか10分の、ごく普通の郊外住宅地と化している。しかし、弥阿市場をはじめとする昔ながらの市場が多く、都心ではもう見られない薄汚い旅人宿や占い師の集まる路地などから、かつてのここが街道沿いの峠町であったことがしのばれる。また、ここは知る人ぞ知る、日本でいうところの「ちょんの間」が集まる窪地のある地域でもある。
表、裏、様々な表情を合わせ持つ、ソウル郊外の街である。

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地下鉄吉音駅構内。
地下鉄通路に物を並べて販売する光景は、郊外ならでは。


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地下鉄4号線が地下を走る大通り。一般車道と完全に分離され、
まるで路面電車の専用軌道のようにきちんと整備されたバスレーンとバス停。
様々なな行き先のバスが次から次へとやってきて、スムーズに乗降を済ませ去ってゆく。
こういうことを、行政主導でどんどんやってしまえるのが、韓国の強みである。


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吉音駅ほど近くにある、「弥阿里テキサス」と呼ばれる売春地域。
各店舗の玄関に、通路を向いて置かれたベンチ。ここに、夜は女性が座る。
昼は静か。


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急な傾斜に多くの人家がひしめきあう。
高度成長のころにできた、急ごしらえの家が目立つ。


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賑やかな商店街、弥阿市場近くにて。


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◎徳寿宮(トクスグン)
市庁前の広場に面して、徳寿宮がある。ここは1470年に作られた王家の私邸。その外周は石塀の続く都心の散歩道となっており、家族連れやカップルがそぞろに歩いている。

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ソウルでは彼氏が一眼レフを持ち、彼女をモデルにバシャバシャ
撮っているカップルがやたらと多かった。流行っているのだろうか。


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◎鍾路二街(チョンノイガ)
ホテル近くまで戻ってきた。
都心でありながら、一歩わき道に入ると人間味あふれる路地が広がっているこのエリアは面白い。

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◎清凉里(チョンニャンニ)
清凉里駅は、韓国の東海岸や江原道方面への列車が発着するターミナル。しかし、釜山等の韓国中央部へ向かわないこの駅は、東京の上野駅や大阪の天王寺駅の雰囲気にも似て、どこかうら寂しく、やるせない気分にさせる場所でもあったという。今も細々と長距離列車の発着があるが、都心への直通列車が増えたいま、ターミナルとしての地位は低下し、黄昏の街という雰囲気をさらに高めている。

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この道の奥にあるのは売春地区。


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売春街のすぐ横には、卸の青果市場があった。


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中央電鉄線の漢南駅。漢江に沿って走る中央電鉄線は利用客も本数も少ない。


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地下鉄三号線の玉水(オクス)駅にて。夕方ラッシュの真っ最中。


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ソウルを代表する書店のひとつ、Bandi & Luni's Bookstoreの鍾路タワー店。
地下鉄鍾閣(チョンガク)駅に直結しており、地下店舗だが店構えも店内もとても洒落ている。


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◎南大門市場
東大門市場の規模にはかなわないが、ここもソウルを代表する巨大市場である。購買客の年齢層が高いのかと思っていたらそんなことはなく、若者やカップルの姿も多いのが興味深かった。

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◎明洞(ミョンドン)
ソウルを代表する繁華街が、言わずと知れたミョンドンである。近年では各地におしゃれスポットが続々できているソウルだから、ミョンドンはもはや下火なのでは・・と多少案じながら地下鉄駅を降りたがその瞬間、そうした心配は全くもって杞憂であることを察した。
ソウルの銀座、といわれるが、銀座のようなゆったりした高級路線では決してなく、むしろ新宿をもっと洗練させたかのような、意気盛んなストリートがあちらにもこちらにも、網の目のように広がっていた。こんなに元気な繁華街が日本にあるだろうか。
男の独り歩きは面映ゆいが、もし私が女性なら、きっと日付が変わるまで沈没してしまい脱出できないだろうと思う。

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◎清渓川(チョンゲチョン)
明洞からホテルのある鐘路地区へ向かおうとすると、この美しい清渓川を越える。この川は李氏朝鮮時代からの古い川。ソウル市民の生活排水を流し込む貴重な下水道でもあったが、その水質は戦後の韓国の経済成長とともに悪化の一途をたどり、河原はゴミ溜めと化しその衛生状況は目を覆うばかりであったという。そして1958年から、「臭いものにはフタをせよ」とばかり川は順次暗渠化され、1971年には上に高速道路まで建設された。それは、増え続ける道路交通需要への対策をも兼ねたものであった。
しかし、2002年、ソウル市は驚くべき決定をする。清渓川の高速道路や道路を取り壊し、清渓川を再び目に見える流れとして復活させるというのだ。世界中の都市計画関係者が驚きの目を見張る中、あれよあれよという間に計画が立てられ工事が進められ、2005年にはもう復活事業が完成してしまった。

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今や完全に市民の憩いの場として定着した都心の水辺。
この清流は、処理水ではなく実際の漢江の水や地下水によるものである。



◎鍾路二街

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◎避馬路(ピマッコル)
鍾路の大通りの南北に、それぞれ鍾路に平行して細い路地が走っている。ここは李朝時代から続く庶民の路地。高官たち(の馬)が通る鍾路を避けて、一般市民はこうした裏路地をつくり、そこを往来したのだという。いまもその一部が立派に残っており、いかにも庶民のための飲み屋や旅館、定食屋などが密集する横丁となっていて興味深い。

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◎仁寺洞
夜の仁寺洞の雰囲気は実に好ましい。
一見、静かな路地裏が続くが、その実右も左もゆっくり飲める民俗酒場である。
どの店でも、キムチやチヂミや一人鍋をつまみに、ソジュもビールも心ゆくまでしっぽり飲める。マッコリなら大きなヤカンになみなみと入ってわずか数百円の安さである。

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お店の名前は忘れたし、写真もブレてしまったが、
一人で飲んだくれている外国人相手に、この娘は本当に気持ち良く接してくれた。


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耕仁美術館の伝統茶館にて。


たった3日ではあるが、初めてきちんと訪ねたソウルは多彩な表情を見せてくれ、実に刺激的な滞在であった。
ソウルはエリアごとの個性や雰囲気の違いが日本の都市よりも際立っていて、しかもそれが実に入り組んだ形でソウル中に散らばって埋め尽くしている。日本の都市では、街は歩いて行くうちにだんだんと雰囲気が変わっていくものだが、ここでは一本の道を隔てるだけで、その場の空気感がジェットコースターのように上がったり下がったり、ガラリと変わってしまうのである。そこには情感のバランス感覚や雰囲気の微妙な変化を楽しむというような細やかさはないが、エッジが立ちパンチの利いた韓国映画を見ているように、めくるめく感じが面白い。
思えば、日本人は、笑っているようで怒っていたり、嫌いなようで好きだったり、働いているようで働いていなかったり、つまるところ、はっきりしない。
でも、韓国の人は怒るときはすごく怒り、笑うときはすごく笑うのかもしれない。だから、勉強するときは一生懸命勉強し、人を愛するときは、本当に一生懸命愛するだろう。
だからこそ、「このくそダンナ、毎日のらりくらりで、私のことを、今でも好きなのか、そうでないのか、はっきりしなさいよ!」と心のどこかで思っている日本人のオバサマたちのこころをつかむこともできるのだと思う。


最終日に、ホテルから金浦空港までタクシーを使った。車内に、乗客向けの携帯電話が備えてある。この携帯電話を通じて、各国語の通訳にコンタクトすることができるのだという。外国人の乗客が、運転手との意思疎通に困ることのないよう、無料で各国の通訳を介することができるように配慮されているのである。聞けばソウルの大型タクシーにはソウル市の指導によりすべてこの電話が設置されているそう。

旅行中に見たバスレーンといい、清渓川の復活といい、タクシーでの電話通訳といい、韓国は行政がどんどん決めていくし、一度決めたらどんどん事が進むのように見えるし、その背景には政府の強さと、大企業主導の経済政策があるのかもしれないと思う。
私は、そんな韓国をうらやましいと思った。

日本では、様々な人々が口ぐちに違うことを言って、なかなか事が決められないし、大小様々な企業が、それぞれ勝手に独自製品を出しているから、規格の統一もままならない。だから、世界からおくれを取ってゆく。

でも、そんな日本が、わたしはいいと思う。


撮影:2008年11月
本文:2013年5月

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