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扶餘 2008 [アジアの町紀行]

歴史のはるかなる百済国、その都が置かれた地が扶餘(扶余)である。
私は、そこにゆきたいと、ずっと思っていた。

私の生まれ育った関西は、この百済王国との関係が深い。
大阪市や堺市にはいまも「百済」を名乗る土地がいくつかあり、
小さいころ、住んでいた家の近くを流れる汚れた川も「百済川」といった。
奈良県にも百済にちなんだ寺や村があるそうだ。
百済と大和とは、人物の行き来が盛んだったようである。

660年、百済王国は唐と新羅の連合軍により滅ぼされた。
百済滅亡のあと、多くの百済人が日本に落ち延び、現在の大阪や堺に定住したそうだ。
だから、百済は、私にとっても、ひょっとしたら、遠い故郷かもしれないのだ。

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宮南池(クンナムジ)の朝


扶餘(扶余)の市街地から10分ほど南に歩くと、この美しい池がある。
傍らに百済の離宮があったそうで、その庭園に造られた、韓国で最初の人造池であったという。
いま、この池の周囲は完全な田園であり、静かな朝の散歩が楽しめる。
しかし、かつて王国の時代には、この池の楼閣で、夜ごと宴会が繰り広げられたのだろうか。

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扶余市街地の朝。

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いまの扶余は、ほっとするような小さな町だ。
滅んだ都のあとに、いつしかまた町ができ、そこを私たちは歩くことができるだけだ。
市街地周辺に残された遺跡を除けば、ここがかつての王都であったと感じることはあまりない。
しかし、町の人々の表情や空気にはどことなく余裕があり、
そのストリートには、韓国の田舎町の楽しさがぎゅっと詰まっている。

自分の足だけで、端から端まで、一日でめぐることができる。

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夕方、扶蘇山(プソサン)にのぼる。
美しい白馬江のほとりに位置するこの山城が、百済最後の王宮だった場所であるという。
南側の斜面からは、いまの扶余の町並みを望むことができ、
一方、北側の斜面は断崖となり、王宮の女性たちは最期のとき、そこから白馬江に身投げしたという。

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扶蘇山の南斜面から町を望む。


暮れてゆく扶余の町はずれを当てなく歩くと、
この地が刻んできた、悠久の時の流れに思いを馳せることができる。

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白馬江沿いの食堂では、ウナギが名物。



撮影 2008年12月-2009年1月
本文 2013年6月

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