武蔵野(3) 2011-12 [日本の町散歩(関東)]
2010年、私は都心にほど近い豊島区の椎名町駅周辺に引っ越しをした。
新居の周辺は、もちろん完全な市街地であり、畑もなければ並木もなく、
武蔵野の野の風景を見ることはできない。
かわりに、商店街や、古びたアパートや、小さな公園があるばかりだ。
しかし、もとはここも武蔵野のただなかであっただろう。
人々の顔つきの穏やかさ、街にたゆたう、どこか緩やかな空気に、
その片鱗を感じることができる。
だからなのか、私の武蔵野探訪は、その後も止むことがなかった。
2011年から2012年は、狭山丘陵と呼ばれる地域を歩いたり、三芳町などの畑地をめぐったりした。
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◎東大和市芋窪~蔵敷あたり 2011年3月
多摩湖の南岸にあたるこの付近は、宅地が見られるものの、緑地も多く残され、静かで落ち着いた雰囲気である。芋窪、蔵敷は、ともに青梅街道沿いの古い集落であり、地区の鎮守の寺社や森なども大切に守られている。冬が終わりを告げる頃、あてもなくこのあたりを歩いてみた。
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◎ぼだいぎ池を訪ねて 2011年3月
狭山湖と多摩湖にはさまれた地域は、遊園地やゴルフ場などに開発されているところも多いが、武蔵野の林や畑地が、昔ながらに残されている部分もある。そんな林の谷戸の奥に、眠るように残された小さな湧水の池が、ぼだいぎ池(菩提樹池)である。
詳細を誇る昭文社の道路地図でも掲載されていないほど小さな池であるが、昔から地域の水がめとして珍重されてきたほか、現在では周辺の湿地と合わせ貴重な自然遺産として残り、埼玉県によっても保護されている。
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◎早春の石神井公園 2012年3月
池袋から急行電車ならわずか10分、石神井公園には二つの大きな池がある。石神井池と、三宝寺池である。ぼだいぎ池よりも場所はずっと都心寄りで、東京都23区内。もちろん周辺は完全な住宅地だが、ここも同じく武蔵野の豊かな湧水によってできた池である。
とくに西側にある三宝寺池とその周辺は、武蔵野古来の植生を残していると言われ、一部の群生林は天然記念物に指定されているほど貴重なものである。中世には豪族豊島氏がこの池を水源として重んじ、そのほとりに石神井城を築いた。
現在でも、池周辺に残された公園の緑の中を歩くと、武蔵野の自然の生み出した時間の堆積を感じることができる。
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◎狭山丘陵の北側裾野を歩く 2012年4月
狭山湖、多摩湖を含む狭山丘陵は、東京都と埼玉県の境に広がっている東西11km、南北4kmの丘陵である。周辺が都市化される中、この丘陵だけは孤島のようにぽっかりと豊かな緑を保っていて、その裾野には茶畑、雑木林、ため池、古い集落など、武蔵野の昔ながらの里山風景がかろうじて残り、気ままな散歩が楽しめる。
今回は、北西側の裾野の一部にあたる入間が原を歩いてみた。このあたりは「さいたま緑の博物館」と称されているが、実際にはほぼ自然のままの里山そのものといっていいだろう。
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◎狭山丘陵の南側裾野を歩く(1) 2012年5月
埼玉県である北側裾野が開発と隣り合わせであるのに比べて、東京都になる南側裾野のほうが、遥かに昔ながらの風情を保ち落ち着いているのは興味深い。北側は手の届くところに西武池袋線が通り開発がされやすかったのに対し、南側は便利な鉄道路線が通っていないということにも因るだろうし、一方では、埼玉県より東京都のほうが緑地の保全に積極的でありまた、それを行うだけの財源もあるということであろう。
とくに、武蔵村山市の岸地区から三ツ木地区、本町地区にかけての丘陵裾野には、数多くの谷戸があり、宅地開発されているところもあるが、ほぼ昔の景観を保っているところもある。
今回は2回にわけて、そんな谷戸の数々をめぐってみた。
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◎狭山丘陵の南側裾野を歩く(2) 2012年5月
今回はバイクではなく電車とバスで来た。バイクや自動車で訪ねると、駐車した場所に再び戻らなければならず、かえって行動の自由が制約されるが、公共交通機関であれば、どこからスタートしどこへ抜けてもよいという気楽さがある。
なお、狭山丘陵南側を訪ねるのに良い交通手段がある。それは、梅70系統の都バスである。都バスというと、東京都23区内、とくに山手線の内部を走るイメージだが、この路線は異端も異端、西武新宿線の西武柳沢駅前から出発して田無駅、東大和市駅前を経由、ひたすら青梅街道を西進してなんと青梅駅(青梅車庫)までゆくというロングラン路線なのだ。何の因果でこれが都バスとして残っているのかはわからないが、味気ない新青梅街道ではなく、蛇行する旧街道に沿って、昔ながらの集落を丹念に拾いつつ走るバスは面白い。
このバスに乗れば、奈良橋を過ぎたあたりから多摩湖の南岸地域を走り、車窓にこの付近の情趣をつとに感じることができる。今回は、武蔵村山市に入ったあたりでふらりと後者ボタンを押してみた。
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◎三富地区(三芳町~狭山市) 2012年8月
「鉄塔 武蔵野線」という映画(1997年)がある。銀林みのる氏の同名の小説を映画化したもので、主人公は東京都保谷市(現:西東京市の一部)に住む、ちょっとおとなしめの小学生である(なんと子役時代の伊藤 淳史)。彼が年下の子分と一緒に、ある夏休みの日に自宅の近くの送電線をひたすら自転車でさかのぼって、その源をつきとめようとする、そんなプチ冒険を淡々と描いた映画である。
実際に映画のロケは保谷から埼玉県日高市にかけて、現実の東京電力武蔵野送電線をたどって武蔵野一帯を中心に行われたため、この映画には建売住宅、高速道路、空き地、畑、ラブホテル、廃棄物処理場、雑木林、団地といった現代の武蔵野のあらゆる光景が盛り込まれ、思春期にさしかかる前の少年の日の、長い長い夏の一日を陽炎のように濃密に彩っている。
中でも印象的だったシーンのひとつが、炎天下の中、果てしなく続くとも思われる畑地を二人が汗をかきかき横切っていく部分。その舞台となったのが、まぎれもなくこの広大な三富新田地区である。
私にとって武蔵野の原体験となったこの映画の面影と、典型的な武蔵野の夏を求めて、私はことに暑い夏の日を選んで、この地を訪れた。
「鉄塔 武蔵野線」という映画(1997年)がある。銀林みのる氏の同名の小説を映画化したもので、主人公は東京都保谷市(現:西東京市の一部)に住む、ちょっとおとなしめの小学生である(なんと子役時代の伊藤 淳史)。彼が年下の子分と一緒に、ある夏休みの日に自宅の近くの送電線をひたすら自転車でさかのぼって、その源をつきとめようとする、そんなプチ冒険を淡々と描いた映画である。
保谷市といえば東久留米市のとなりである。実際に映画のロケは保谷から埼玉県日高市にかけて、現実の東京電力武蔵野送電線をたどって武蔵野一帯を中心に行われたため、この映画には建売住宅、高速道路、空き地、畑、ラブホテル、廃棄物処理場、雑木林、団地といった現代の武蔵野のあらゆる光景が盛り込まれ、思春期にさしかかる前の少年の日の、長い長い夏の一日を陽炎のように濃密に彩っている。
数年前、まだ私が関西にいるときに初めてこの映画を見た。私にとっての、最初の武蔵野体験は、何よりこの映画だったかもしれない。映画にとらえらえたその移ろいゆく都市近郊の風景は、大阪の南の郊外地域で少年時代を過ごした私にとっても、永遠につづくかのようだった暑い少年の日のあの夏の日々へのオマージュとぴったり重なるものがあり、他方、畑や雑木林がまだらになってえんえんと続くという、関西には珍しい武蔵野独特の風情への憬れをかきたてるものでもあった。
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◎三鷹市郊外にて
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◎烏山の寺町
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◎サツキとメイの住んだ町~所沢市牛沼地区
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◎安松あたり
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◎深大寺の周辺地域
ゆっくり
ゆっくり
ゆっくり
行きなさい
あなたの
決めた道を
~おおたか静流(映画「鉄塔 武蔵野線」サウンドトラックより)
武蔵野にまた、夏が来る。
○武蔵野(1) 2008-09 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2010-07-20
○武蔵野(2) 2009-10 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-08-06
○武蔵野(4) <玉川上水> 2012 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20
新居の周辺は、もちろん完全な市街地であり、畑もなければ並木もなく、
武蔵野の野の風景を見ることはできない。
かわりに、商店街や、古びたアパートや、小さな公園があるばかりだ。
しかし、もとはここも武蔵野のただなかであっただろう。
人々の顔つきの穏やかさ、街にたゆたう、どこか緩やかな空気に、
その片鱗を感じることができる。
だからなのか、私の武蔵野探訪は、その後も止むことがなかった。
2011年から2012年は、狭山丘陵と呼ばれる地域を歩いたり、三芳町などの畑地をめぐったりした。
東大和市蔵敷
2011年3月
2011年3月
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◎東大和市芋窪~蔵敷あたり 2011年3月
多摩湖の南岸にあたるこの付近は、宅地が見られるものの、緑地も多く残され、静かで落ち着いた雰囲気である。芋窪、蔵敷は、ともに青梅街道沿いの古い集落であり、地区の鎮守の寺社や森なども大切に守られている。冬が終わりを告げる頃、あてもなくこのあたりを歩いてみた。
東大和市蔵敷。
東大和市蔵敷。
蔵敷熊野神社にて。東大和市蔵敷。
狭山緑地として保全されている雑木林を歩く。
東大和市蔵敷、芋窪。(上掲3点とも)
東大和市蔵敷、芋窪。(上掲3点とも)
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柳瀬川の源流付近。新川橋にて。
所沢市上山口。2011年3月
所沢市上山口。2011年3月
所沢市上山口。2011年3月
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◎ぼだいぎ池を訪ねて 2011年3月
狭山湖と多摩湖にはさまれた地域は、遊園地やゴルフ場などに開発されているところも多いが、武蔵野の林や畑地が、昔ながらに残されている部分もある。そんな林の谷戸の奥に、眠るように残された小さな湧水の池が、ぼだいぎ池(菩提樹池)である。
詳細を誇る昭文社の道路地図でも掲載されていないほど小さな池であるが、昔から地域の水がめとして珍重されてきたほか、現在では周辺の湿地と合わせ貴重な自然遺産として残り、埼玉県によっても保護されている。
ぼだいぎ池へのアプローチは、密厳院から。
周辺は古くからの家も残るが、宅地開発が進む。所沢市山口。(上掲2点とも)
周辺は古くからの家も残るが、宅地開発が進む。所沢市山口。(上掲2点とも)
谷戸の入り口には新しい住宅がぽつりぽつりと建つ。所沢市山口。
谷戸をもう少し入ってゆくと、昔ながらの田んぼが現れる。所沢市山口。
ぼだいぎ池からの水流を生かした田である。所沢市山口。
谷戸田から奥へと続く道。かつてはこのあたりも田であっただろうか。
所沢市山口。
所沢市山口。
谷戸の奥へと歩いてゆく人。所沢市山口。
奥へと入ってゆくと、湿地帯となる。道を外れると足元はずいぶんとぬかるんでいる。
所沢市山口。
所沢市山口。
ぼだいぎ池からの水流は固定されておらず周辺に湿原を形作っている。
所沢市山口。
所沢市山口。
さらに谷戸の奥へと続く道。所沢市山口。
谷戸の一番奥にくると、ぼだいぎ池が現れる。所沢市山口。
ぼだいぎ池の表情。美しく澄んだ水の色。(上掲3点)
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練馬区関町南。千川上水に沿って残された農地の風景。
2011年6月
2011年6月
練馬区関町南。2011年6月。
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◎早春の石神井公園 2012年3月
池袋から急行電車ならわずか10分、石神井公園には二つの大きな池がある。石神井池と、三宝寺池である。ぼだいぎ池よりも場所はずっと都心寄りで、東京都23区内。もちろん周辺は完全な住宅地だが、ここも同じく武蔵野の豊かな湧水によってできた池である。
とくに西側にある三宝寺池とその周辺は、武蔵野古来の植生を残していると言われ、一部の群生林は天然記念物に指定されているほど貴重なものである。中世には豪族豊島氏がこの池を水源として重んじ、そのほとりに石神井城を築いた。
現在でも、池周辺に残された公園の緑の中を歩くと、武蔵野の自然の生み出した時間の堆積を感じることができる。
東側の石神井池は、三宝寺池からの流れを人工的にせき止めて造られた池。
練馬区石神井町
練馬区石神井町
石神井池では、ボートにも乗れ、水際で遊ぶこともできる。練馬区石神井町。
上流にあたる三宝寺池に向かう道。お茶屋や古めかしい売店なども途中にあって楽しめる。
練馬区石神井町
練馬区石神井町
三宝寺池が見えてきた。
練馬区石神井町。
練馬区石神井町。
三宝寺池。古代の武蔵野の光景そのままかもしれない。
練馬区石神井町。
練馬区石神井町。
三宝寺池。練馬区石神井町。
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◎狭山丘陵の北側裾野を歩く 2012年4月
狭山湖、多摩湖を含む狭山丘陵は、東京都と埼玉県の境に広がっている東西11km、南北4kmの丘陵である。周辺が都市化される中、この丘陵だけは孤島のようにぽっかりと豊かな緑を保っていて、その裾野には茶畑、雑木林、ため池、古い集落など、武蔵野の昔ながらの里山風景がかろうじて残り、気ままな散歩が楽しめる。
今回は、北西側の裾野の一部にあたる入間が原を歩いてみた。このあたりは「さいたま緑の博物館」と称されているが、実際にはほぼ自然のままの里山そのものといっていいだろう。
案内所近くにて。入間市宮寺。
大谷戸湿地にある池。入間市宮寺。
湿地をぬけ丘陵へのぼってゆく道。入間市宮寺。
道は尾根伝いに続く。入間市宮寺。
少し西側で降りていってみると、今度は西久保湿地が広がる。入間市宮寺。
西久保湿地。入間市宮寺。
湿地の一部は水田として今も活用されているが、埼玉県が保存目的で残しているに過ぎない。
入間市宮寺。
入間市宮寺。
湿地周辺の茶畑はむろん現役である。入間市宮寺。
昔ながらの農家の風景。入間市宮寺。
出雲祝神社へあがってゆく道。入間市宮寺。
出雲祝神社は、周辺地区の鎮守の森である。入間市宮寺。
丘陵の裾野の風景。入間市宮寺。(上掲3点とも)
入間市と所沢市の境、「おまん坂」付近。入間市宮寺。
「おまん坂」から北側の斜面を望む。所沢市糀谷。
所沢市糀谷。
八幡湿地。所沢市糀谷。
八幡湿地から再び丘陵側へ上がってゆく。このあたりも茶畑。
所沢市堀之内。
所沢市堀之内。
林の中を通る道。山之神神社近くにて。所沢市堀之内。
茶園の農家の門構えには、独特の趣きがある。所沢市堀之内。
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◎狭山丘陵の南側裾野を歩く(1) 2012年5月
埼玉県である北側裾野が開発と隣り合わせであるのに比べて、東京都になる南側裾野のほうが、遥かに昔ながらの風情を保ち落ち着いているのは興味深い。北側は手の届くところに西武池袋線が通り開発がされやすかったのに対し、南側は便利な鉄道路線が通っていないということにも因るだろうし、一方では、埼玉県より東京都のほうが緑地の保全に積極的でありまた、それを行うだけの財源もあるということであろう。
とくに、武蔵村山市の岸地区から三ツ木地区、本町地区にかけての丘陵裾野には、数多くの谷戸があり、宅地開発されているところもあるが、ほぼ昔の景観を保っているところもある。
今回は2回にわけて、そんな谷戸の数々をめぐってみた。
青梅街道に沿った宅地。旧街道沿いの宅地らしい、どこか落ち着いた街並み。
武蔵村山市岸。
武蔵村山市岸。
宮野入谷戸の入り口付近にある立派なお宅。
谷戸の豊かな恵みが、ここにも表れているのか。武蔵村山市岸。
谷戸の豊かな恵みが、ここにも表れているのか。武蔵村山市岸。
宮野入谷戸に入ってゆくと、東京都が保存している「里山民家」がある。
武蔵村山市岸。
武蔵村山市岸。
あくまでも保存された旧家であるとはいえ、こんな風景が残っていることが嬉しい。
武蔵村山市岸。
武蔵村山市岸。
里山民家の裏側へ。谷戸の奥からの湧水の流れが見える。武蔵村山市岸。
湧水の小川で遊ぶ子供たち。武蔵村山市岸。
谷戸の奥に広がる「岸たんぼ」は東京都の管理。自然の景観を守るのにも努力が必要。
武蔵村山市岸。
武蔵村山市岸。
宮野入谷戸も奥のほうは耕作放棄されている。武蔵村山市岸。
宮野入谷戸の奥にあるため池周辺の湿地。
ここから浸み出してくる湧水は貴重な用水だったはずだが・・
武蔵村山市岸。
ここから浸み出してくる湧水は貴重な用水だったはずだが・・
武蔵村山市岸。
谷戸の奥から尾根筋へと上がる小道。武蔵村山市北。
丘陵の雑木林にて。
武蔵村山市岸、武蔵村山市三ツ木。(上掲3点とも)
武蔵村山市岸、武蔵村山市三ツ木。(上掲3点とも)
赤坂谷戸へ降りてきた。武蔵村山市三ツ木。
ここは赤坂谷戸の最奥部。武蔵村山市三ツ木。
赤坂谷戸の風景。武蔵村山市三ツ木。(上掲2点とも)
赤坂谷戸から尾根ひとつ越え、ヱガ入谷戸へ出てきた。
武蔵村山市三ツ木。
武蔵村山市三ツ木。
ヱケ入谷戸も大部分が湿地である。武蔵村山市三ツ木。
ヱケ入谷戸からひとつ西の三本入谷戸への抜け道。昼でも薄暗い。
狭山丘陵の南側裾野には、このような林の中の抜け道が無数にある。
武蔵村山市三ツ木。
狭山丘陵の南側裾野には、このような林の中の抜け道が無数にある。
武蔵村山市三ツ木。
三本入谷戸へと出てきた。武蔵村山市三ツ木。
三本入谷戸は、運動場や体育館などもあり、比較的人の手の入った谷戸。
武蔵村山市三ツ木。
武蔵村山市三ツ木。
谷戸から見る東京都郊外の風情。武蔵村山市三ツ木。
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◎狭山丘陵の南側裾野を歩く(2) 2012年5月
今回はバイクではなく電車とバスで来た。バイクや自動車で訪ねると、駐車した場所に再び戻らなければならず、かえって行動の自由が制約されるが、公共交通機関であれば、どこからスタートしどこへ抜けてもよいという気楽さがある。
なお、狭山丘陵南側を訪ねるのに良い交通手段がある。それは、梅70系統の都バスである。都バスというと、東京都23区内、とくに山手線の内部を走るイメージだが、この路線は異端も異端、西武新宿線の西武柳沢駅前から出発して田無駅、東大和市駅前を経由、ひたすら青梅街道を西進してなんと青梅駅(青梅車庫)までゆくというロングラン路線なのだ。何の因果でこれが都バスとして残っているのかはわからないが、味気ない新青梅街道ではなく、蛇行する旧街道に沿って、昔ながらの集落を丹念に拾いつつ走るバスは面白い。
このバスに乗れば、奈良橋を過ぎたあたりから多摩湖の南岸地域を走り、車窓にこの付近の情趣をつとに感じることができる。今回は、武蔵村山市に入ったあたりでふらりと後者ボタンを押してみた。
青梅街道沿いの古い集落は、武蔵野風情たっぷりだ。
武蔵村山市中藤。
武蔵村山市中藤。
武蔵村山市中央。
武蔵村山市中央。
吉祥院近くで見つけた古い民家。武蔵村山市本町。
横田谷戸の入り口にある農家。武蔵村山市本町。
横田谷戸は東西に延びる短い谷戸。
武蔵村山市本町。
武蔵村山市本町。
横田谷戸も、入り口から入ったところはやはり小さな田んぼになっている。
武蔵村山市本町。
武蔵村山市本町。
横田谷戸。武蔵村山市本町。
横田谷戸を奥へ踏み込んだあたり。雑木林となっている。
武蔵村山市本町。
武蔵村山市本町。
武蔵村山市本町(上掲2点とも)
横田谷戸から北の入山谷戸へ抜ける道。武蔵村山市本町。
道はうねりながら雑木林の中をのぼってゆく。
武蔵村山市本町(上掲2点とも)
武蔵村山市本町(上掲2点とも)
入山谷戸。この谷戸は野山北公園としてよく整備され、
田んぼは付近の小学生の実習に使用されている。
武蔵村山市本町。
田んぼは付近の小学生の実習に使用されている。
武蔵村山市本町。
谷戸の奥はやはり湿地となっているが、もとはここも水田だったらしい。
武蔵村山市本町。
武蔵村山市本町。
上の写真のさらに奥になる野山北湿地。
一応公園内なので油断して踏み込んでみたところ、ずぶずぶと両足ともはまってしまい
抜け出せず一時は大声でひとを呼ぼうかと思った。
ピンチというものは案外身近に潜んでいるものである。武蔵村山市本町。
一応公園内なので油断して踏み込んでみたところ、ずぶずぶと両足ともはまってしまい
抜け出せず一時は大声でひとを呼ぼうかと思った。
ピンチというものは案外身近に潜んでいるものである。武蔵村山市本町。
谷戸の斜面の雑木林。武蔵村山市本町。
武蔵村山市本町。
滝の入谷戸へと続く道。武蔵村山市三ツ木。
滝の入谷戸。武蔵村山市三ツ木。
武蔵村山市三ツ木。
丘陵の雑木林を抜けて歩いてゆく二人。武蔵村山市三ツ木。
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武蔵野市と練馬区との境を流れる千川上水のあたり。
練馬区立野町。
練馬区立野町。
武蔵野市吉祥寺北町。千川上水の流れ。
練馬区関町南。
練馬区関町南。
練馬区関町南。
西武新宿線上井草駅。こじんまりとして古びた駅である。
杉並区井草。
杉並区井草。
杉並区井草。
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◎三富地区(三芳町~狭山市) 2012年8月
「鉄塔 武蔵野線」という映画(1997年)がある。銀林みのる氏の同名の小説を映画化したもので、主人公は東京都保谷市(現:西東京市の一部)に住む、ちょっとおとなしめの小学生である(なんと子役時代の伊藤 淳史)。彼が年下の子分と一緒に、ある夏休みの日に自宅の近くの送電線をひたすら自転車でさかのぼって、その源をつきとめようとする、そんなプチ冒険を淡々と描いた映画である。
実際に映画のロケは保谷から埼玉県日高市にかけて、現実の東京電力武蔵野送電線をたどって武蔵野一帯を中心に行われたため、この映画には建売住宅、高速道路、空き地、畑、ラブホテル、廃棄物処理場、雑木林、団地といった現代の武蔵野のあらゆる光景が盛り込まれ、思春期にさしかかる前の少年の日の、長い長い夏の一日を陽炎のように濃密に彩っている。
中でも印象的だったシーンのひとつが、炎天下の中、果てしなく続くとも思われる畑地を二人が汗をかきかき横切っていく部分。その舞台となったのが、まぎれもなくこの広大な三富新田地区である。
私にとって武蔵野の原体験となったこの映画の面影と、典型的な武蔵野の夏を求めて、私はことに暑い夏の日を選んで、この地を訪れた。
三芳町上富。
これぞ武蔵野の夏である。三芳町上富。
堂々たる鉄塔の姿。映画の二人の姿が見えるだろうか。
三芳町上富。
三芳町上富。
三芳町上富。
上富の農家の間口を入ると、奥には短冊形に畑地が広がっている。
三芳町上富。
三芳町上富。
三芳町上富。
三芳町上富。
三芳町上富。
三芳町上富。
三芳町上富。
「鉄塔 武蔵野線」という映画(1997年)がある。銀林みのる氏の同名の小説を映画化したもので、主人公は東京都保谷市(現:西東京市の一部)に住む、ちょっとおとなしめの小学生である(なんと子役時代の伊藤 淳史)。彼が年下の子分と一緒に、ある夏休みの日に自宅の近くの送電線をひたすら自転車でさかのぼって、その源をつきとめようとする、そんなプチ冒険を淡々と描いた映画である。
保谷市といえば東久留米市のとなりである。実際に映画のロケは保谷から埼玉県日高市にかけて、現実の東京電力武蔵野送電線をたどって武蔵野一帯を中心に行われたため、この映画には建売住宅、高速道路、空き地、畑、ラブホテル、廃棄物処理場、雑木林、団地といった現代の武蔵野のあらゆる光景が盛り込まれ、思春期にさしかかる前の少年の日の、長い長い夏の一日を陽炎のように濃密に彩っている。
数年前、まだ私が関西にいるときに初めてこの映画を見た。私にとっての、最初の武蔵野体験は、何よりこの映画だったかもしれない。映画にとらえらえたその移ろいゆく都市近郊の風景は、大阪の南の郊外地域で少年時代を過ごした私にとっても、永遠につづくかのようだった暑い少年の日のあの夏の日々へのオマージュとぴったり重なるものがあり、他方、畑や雑木林がまだらになってえんえんと続くという、関西には珍しい武蔵野独特の風情への憬れをかきたてるものでもあった。
畑地が終わり雑木林となる多福寺近くを通る鉄塔武蔵野線。
三芳町上富。
三芳町上富。
三富の鎮守の森、多聞院の境内にて。三芳町中富。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎三鷹市郊外にて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎烏山の寺町
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎サツキとメイの住んだ町~所沢市牛沼地区
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎安松あたり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎深大寺の周辺地域
ゆっくり
ゆっくり
ゆっくり
行きなさい
あなたの
決めた道を
~おおたか静流(映画「鉄塔 武蔵野線」サウンドトラックより)
武蔵野にまた、夏が来る。
○武蔵野(1) 2008-09 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2010-07-20
○武蔵野(2) 2009-10 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-08-06
○武蔵野(4) <玉川上水> 2012 → http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20
2013-01-16 02:58
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