大多喜 2012 [日本の町散歩(関東)]
房総というとまず連想されるのは海だが、大多喜は房総半島でも山をだいぶ分け入ったところにある、ささやかやな城下町である。
菜の花の色をした小さな列車がトコトコ走り、春はれんげ、夏はあじさい、秋は遅くまで紅葉が楽しめる野山に囲まれた大多喜は、今は観光地というほど旅行者が多いわけでもなく、地味で静かなたたずまいを見せているが、ここは、徳川家の四天王と言われた本多忠勝がその城主を勤め、町づくりを行った由緒ある歴史の町なのである。
秋が間もなく深まりを見せようとするころ、この町を歩いてみた。
山の上の大多喜城を見上げる、そのふもとの位置にいすみ鉄道の大多喜駅があり、駅前から城下町が広がる形となっている。城下に商人を集めて作られた町を、「城山の根の処(こ)にある屋」という意味で東日本を中心に「根小屋(根古屋)」と言うそうだ。大多喜には大多喜街道(城下町通り)に沿って北から紺屋、田丁(たまち)、猿稲(さるいね)、久保、桜台、新丁(しんまち)、柳原(やなばら)と地区が続き、これらは「根古屋七町」と総称されている。
菜の花の色をした小さな列車がトコトコ走り、春はれんげ、夏はあじさい、秋は遅くまで紅葉が楽しめる野山に囲まれた大多喜は、今は観光地というほど旅行者が多いわけでもなく、地味で静かなたたずまいを見せているが、ここは、徳川家の四天王と言われた本多忠勝がその城主を勤め、町づくりを行った由緒ある歴史の町なのである。
秋が間もなく深まりを見せようとするころ、この町を歩いてみた。
城下町通りも、脇道に入ると今はのどかな雰囲気。
城を望む。
城を望む。
大多喜の玄関口となるいすみ鉄道、大多喜駅。
存廃問題に揺れるローカル鉄道だがあの手この手で活性策を図っている。
その本社は大多喜にあり、いまやこの町を代表するりっぱな地場企業と言える。
存廃問題に揺れるローカル鉄道だがあの手この手で活性策を図っている。
その本社は大多喜にあり、いまやこの町を代表するりっぱな地場企業と言える。
いすみ鉄道に在籍するキハ52。大多喜の車庫で休憩中。
バックは大多喜駅上りホーム。
バックは大多喜駅上りホーム。
山の上の大多喜城を見上げる、そのふもとの位置にいすみ鉄道の大多喜駅があり、駅前から城下町が広がる形となっている。城下に商人を集めて作られた町を、「城山の根の処(こ)にある屋」という意味で東日本を中心に「根小屋(根古屋)」と言うそうだ。大多喜には大多喜街道(城下町通り)に沿って北から紺屋、田丁(たまち)、猿稲(さるいね)、久保、桜台、新丁(しんまち)、柳原(やなばら)と地区が続き、これらは「根古屋七町」と総称されている。
久保地区の脇道を歩いてみる。
表通りのような古い家並みはないが、のんびりと散策できる。
表通りのような古い家並みはないが、のんびりと散策できる。
だが、家並みがすっぽり消え駐車場となっているところも多い。
酒蔵小路と呼ばれている小道。
秋がふかまってゆく前の、ひととき。
新丁地区で今でも現役を続ける大屋旅館。貴重な存在。
新丁地区の街並み。
寺町通りの風情。
久保地区は、現在でも大多喜の中心街。
映画のセットのように伝統建築が並ぶ様を想像してゆくと裏切られるが、
今も伝統商家建築を守る老舗や地元民に人気の食堂等が点在する。
映画のセットのように伝統建築が並ぶ様を想像してゆくと裏切られるが、
今も伝統商家建築を守る老舗や地元民に人気の食堂等が点在する。
久保地区にいくつか現存する商家の建物。
こちらは金物屋だったという旧「釜屋」。
こちらは金物屋だったという旧「釜屋」。
寺町通りから夷隅神社を臨む。
町を流れる夷隅川と大多喜城、そしていすみ鉄道の列車。
桜台地区と新丁地区の境に位置する豊乃鶴酒造。
大多喜駅に戻ってきました。
大原からの下り急行、キハ52が入線。
撮影:2012年11月
本文:2013年3月
2013-03-16 22:19
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