ビッグ・アイランド(ハワイ島) 2009 ~(2)ヒロ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]
ヒロは、ホノルルに次ぐハワイ第二の都市。約4万人が住み、もちろんハワイ島では最大の街である。その人種別構成内訳は、白人17.12%、アフリカン・アメリカン0.45%、先住民0.34%、アジア38.30%、太平洋諸島系13.12%、その他の人種0.94%、及び混血29.74%。
のっけから堅い話となったが、ヒロはアジア系移民の比率がハワイの他地域と比べても格段に高い街なのである。その多くは、かつてサトウキビ農園で働くためにやってきた、日本からの移民の子孫たち。市内のリリウオカラニ公園には今でも日本庭園があり、夏には盆踊り大会も開かれるという。
日系移民によって開発され栄え、当時の面影を色濃く残す街といわれるこのヒロの街に、私はのんびりするためにやってきた。
初めて訪れたヒロの街は、これは町ではなく映画撮影所のセットではないかといぶかしむほど、閑散としていた。古い建物が取り壊されて更地になっているところも多く、歯の抜けたようなむなしさが漂っていた。
だが、人がいないわけではなかった。よく見ると、家具屋の主人は、売り物のチェアに寝そべって、気持ちよさそうにうたた寝をしていた。そのはす向かいにある花屋は薄暗くて、営業しているのかどうかもわからないほどだったが、中で日系人らしき老婦人が二人、クスクスとおしゃべりしながらブーケをつくっていた。街の真ん中にあるKTAというスーパーは、半ば倉庫のような、古びてせせこましい、まさに日本の駅前スーパー。レジ台の女性は、来店客の全員と顔見知りのように話している。客が途切れると彼女は、聞こえるか聞こえないかの声で、鼻歌を歌っていた。
一見、茫洋とした町に見えたヒロ。だが、よく耳を澄ますと、そこここから人々の息遣いが聞こえ、言いようのない懐かしさが、じんわりと溢れていた。それは西部劇の街のような、それでいて猛々しさがなく、やっぱり日本の海辺の田舎町のような、朴訥としたムードを感じることができた。
なお、KTAは、タニグチ・コーイチという日系人が創立した、ハワイ島ではもっとも信頼されているチェーンストアで、ここが一号店だという。二号店以降は、アメリカらしいメガトン級のスーパーらしい。ハワイ島は、まことに日系人の足跡に満ちた地である。
静かな町だった。一日に4~5回はざあざあと雨が降った。そのたびに町は、何の抵抗も見せず、ただ黙って洗い流されていた。雨がやむと、時折日が差して、少しだけ人が増えた。アスファルトがつややかに光り、すれ違う人同士のあいさつが、そこここから聞こえた。
そんなとき、町はかろうじて息づいているかのようだった。
私が宿泊したホテルは、このヒロのダウンタウンから歩いて5分もかからない、ごくふつうの住宅街にあった。ダウンタウンと住宅街の間にはワイルクという川が流れていて、立派な石造りのアーチをもった橋がかかっていた。 橋から川を眺めると、そこはジャングルのど真ん中だと錯覚しそうなくらいだ。流れは渦を巻き、渓谷を深く刻み、そして伸び盛る緑に覆われていた。すぐ上流には滝があって、怒涛の水飛沫をあげ、虹をつくっているのが見える。しかも下流側を振り返れば、すぐそこに河口。川は渦巻く濁流のまま、大海原に注ぎ出ている。
こんな光景が、ダウンタウンのすぐ脇にあるのが、ハワイ第二の都市、ヒロなのだ。地球上のありとあらゆる自然の造作が、ここではぎゅっと凝縮されて、箱庭のように存在するかのようだ。
ドルフィン・ベイ・ホテル(Dolfin Bay Hotel)
夜になると、鳥や虫たちが総出で大合唱を繰り広げた。その騒々しさは、テレビも音楽ももはや聞こえないくらいだったが、だいいちそんなものは必要なかった。部屋には常に涼やかな風が吹き込んでくる。私は、毎晩、ビールを大量に買い込み、KTAで仕入れた刺身だのマリネだのを肴に、自分の部屋でひとり幸せなひとときを過ごした。
夜半すぎには、決まってまた雨が降った。雨が降ると自然界の大合唱は、一段とさかんになった。寂しさはこれっぽっちもない。私は、くる日もくる日も、永劫に続くとも思われるこのフルコーラスに身も心も委ねきって、満ち足りた思いで眠りに落ちた。
ふと、50年の昔にこの町に来たなら、どうだっただろうと思いを馳せた。ダウンタウンには人が闊歩し、街はもっと面目を保っていたに違いない。だが今、時代は移りゆき、街場らしい賑わいは去った。ハワイ島のプランテーションが駄目になり、車社会の到来がコミュニティの散逸に追い討ちをかけた。居住区がだだっ広く拡大するとともに、中心街からは人の姿が消えた。
多くの歴史ある建物が取り壊され、いまやまるで街は野に返るかのようでさえある。そのことを残念だと嘆くこともできるし、再生のための道を模索することもできよう。だが、人はその「自然」に逆らわず、今もささやかな社会を営んで、つつましく生活を送っている。
ヒロは日暮れて・・
おまけ。
ヒロでようやく見つけた、唯一まともな酒場が、ケアヴェ・ストリートのThe Emerald Tavern。
すこし狭いが、おすすめ。
つづきはこちら
ビッグ・アイランド(ハワイ島) 2009 ~(3)ハマクア・コースト
→ http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-05-18-1
のっけから堅い話となったが、ヒロはアジア系移民の比率がハワイの他地域と比べても格段に高い街なのである。その多くは、かつてサトウキビ農園で働くためにやってきた、日本からの移民の子孫たち。市内のリリウオカラニ公園には今でも日本庭園があり、夏には盆踊り大会も開かれるという。
日系移民によって開発され栄え、当時の面影を色濃く残す街といわれるこのヒロの街に、私はのんびりするためにやってきた。
Waianuenue Street, Hilo
Keawe Street, Hilo
初めて訪れたヒロの街は、これは町ではなく映画撮影所のセットではないかといぶかしむほど、閑散としていた。古い建物が取り壊されて更地になっているところも多く、歯の抜けたようなむなしさが漂っていた。
だが、人がいないわけではなかった。よく見ると、家具屋の主人は、売り物のチェアに寝そべって、気持ちよさそうにうたた寝をしていた。そのはす向かいにある花屋は薄暗くて、営業しているのかどうかもわからないほどだったが、中で日系人らしき老婦人が二人、クスクスとおしゃべりしながらブーケをつくっていた。街の真ん中にあるKTAというスーパーは、半ば倉庫のような、古びてせせこましい、まさに日本の駅前スーパー。レジ台の女性は、来店客の全員と顔見知りのように話している。客が途切れると彼女は、聞こえるか聞こえないかの声で、鼻歌を歌っていた。
Keawe Street, Hilo
Shipman Street, Hilo
一見、茫洋とした町に見えたヒロ。だが、よく耳を澄ますと、そこここから人々の息遣いが聞こえ、言いようのない懐かしさが、じんわりと溢れていた。それは西部劇の街のような、それでいて猛々しさがなく、やっぱり日本の海辺の田舎町のような、朴訥としたムードを感じることができた。
なお、KTAは、タニグチ・コーイチという日系人が創立した、ハワイ島ではもっとも信頼されているチェーンストアで、ここが一号店だという。二号店以降は、アメリカらしいメガトン級のスーパーらしい。ハワイ島は、まことに日系人の足跡に満ちた地である。
KTA Supermarket, Hilo
Kamehamea Avenue, Hilo
静かな町だった。一日に4~5回はざあざあと雨が降った。そのたびに町は、何の抵抗も見せず、ただ黙って洗い流されていた。雨がやむと、時折日が差して、少しだけ人が増えた。アスファルトがつややかに光り、すれ違う人同士のあいさつが、そこここから聞こえた。
そんなとき、町はかろうじて息づいているかのようだった。
Dolphin Bay Hotel, Iliahi Street, Hilo
Kilauea Avenue, Hilo
Reeds Bay Park, Hilo
Keawe Street, Hilo
Kilauea Avenue, Hilo
Hilo Post Ofiice, Hilo
Mooheau Bus Terminal
Kamehameha Avenue, Hilo
Kamehameha Avenue, Hilo
私が宿泊したホテルは、このヒロのダウンタウンから歩いて5分もかからない、ごくふつうの住宅街にあった。ダウンタウンと住宅街の間にはワイルクという川が流れていて、立派な石造りのアーチをもった橋がかかっていた。 橋から川を眺めると、そこはジャングルのど真ん中だと錯覚しそうなくらいだ。流れは渦を巻き、渓谷を深く刻み、そして伸び盛る緑に覆われていた。すぐ上流には滝があって、怒涛の水飛沫をあげ、虹をつくっているのが見える。しかも下流側を振り返れば、すぐそこに河口。川は渦巻く濁流のまま、大海原に注ぎ出ている。
こんな光景が、ダウンタウンのすぐ脇にあるのが、ハワイ第二の都市、ヒロなのだ。地球上のありとあらゆる自然の造作が、ここではぎゅっと凝縮されて、箱庭のように存在するかのようだ。
Wailuku River, Hilo
Wailuku River, Hilo
ドルフィン・ベイ・ホテル(Dolfin Bay Hotel)
夜になると、鳥や虫たちが総出で大合唱を繰り広げた。その騒々しさは、テレビも音楽ももはや聞こえないくらいだったが、だいいちそんなものは必要なかった。部屋には常に涼やかな風が吹き込んでくる。私は、毎晩、ビールを大量に買い込み、KTAで仕入れた刺身だのマリネだのを肴に、自分の部屋でひとり幸せなひとときを過ごした。
夜半すぎには、決まってまた雨が降った。雨が降ると自然界の大合唱は、一段とさかんになった。寂しさはこれっぽっちもない。私は、くる日もくる日も、永劫に続くとも思われるこのフルコーラスに身も心も委ねきって、満ち足りた思いで眠りに落ちた。
Shipman Street, Hilo
ふと、50年の昔にこの町に来たなら、どうだっただろうと思いを馳せた。ダウンタウンには人が闊歩し、街はもっと面目を保っていたに違いない。だが今、時代は移りゆき、街場らしい賑わいは去った。ハワイ島のプランテーションが駄目になり、車社会の到来がコミュニティの散逸に追い討ちをかけた。居住区がだだっ広く拡大するとともに、中心街からは人の姿が消えた。
多くの歴史ある建物が取り壊され、いまやまるで街は野に返るかのようでさえある。そのことを残念だと嘆くこともできるし、再生のための道を模索することもできよう。だが、人はその「自然」に逆らわず、今もささやかな社会を営んで、つつましく生活を送っている。
Banyan Drive, Hilo
Reeds Bay, Hilo
Reeds Bay, Hilo
ヒロは日暮れて・・
Hilo Bay
Hilo Bay
Suisan Seafood Market, Hilo
Haili Street, Hilo
おまけ。
ヒロでようやく見つけた、唯一まともな酒場が、ケアヴェ・ストリートのThe Emerald Tavern。
すこし狭いが、おすすめ。
The Emerald Tavern, Keawe Street, Hilo
Keawe Street, Hilo
つづきはこちら
ビッグ・アイランド(ハワイ島) 2009 ~(3)ハマクア・コースト
→ http://club-carousel.blog.so-net.ne.jp/2013-05-18-1
撮影 2009年7月
本文 2009年7月(2013年5月補訂)
本文 2009年7月(2013年5月補訂)
2011-04-22 16:52
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0