サンチュ(ラプラン)(夏河) 2013 [アジアの町紀行]
念願のチベット圏に行ってきた。
チベットといっても、許可証がないからいわゆる「チベット自治区」には入れず、青海省と甘粛省に所属する町をはしごしただけであるが、それでもそこは十分チベットであった。
まず訪れたのは、行政区分上は中国甘粛省に入る、中国名「夏河」という町。チベットの地域区分の上ではアムド地方ということになり、町の名もチベット名では「サンチュ」。
ここには、ラプラン寺という非常に大きな寺院があり、町はその門前町として古くから存在したという。そのラプラン寺はチベット仏教の最大派閥であるゲルク派の六大寺院のひとつであり、アムド地方では唯一無二の大寺院として各地から修行僧や巡礼者を集めているという。
中国国内でも、この町は「中国の小チベット」と呼ばれ、チベット自治区まで行かずともチベットの文化や雰囲気を体感できる場所として中国人観光客にも人気があるという。
私はここを、巡礼の季節としては最後のほうになる3月初頭に訪れ、3泊した。その様子を写真で紹介したい。
サンチュの町には残念ながらチベット料理の店が少ない。チベット人も、四川料理の店や回族の料理のほうが美味しいのでそちらに行くらしい。
現在では漢民族の流入もすすみ、町の東側一帯は中国人が圧倒的に多いが、ラプラン寺のある西側一帯は一部の商店主に漢民族や回族なども見かけるものの、基本的にはチベット人の町。
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大通りから北へ、裏通りに入ってみると、表通りとは全く違う、チベット人の土着の集落が砂山に張り付くようにしてあった。
北側の
大通りに戻り、西へ歩く。町を西の端まで抜けると、道路はそのまま寺院の敷地内に入っていく。
夕食に入ったチベット料理屋で。
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二日目
チベットでは、老若男女問わず、朝4時から、最寄りの寺院の周りを念仏を唱えながら一周するのが日課。
中には、チベット独特の「五体投地」という全身を使った厳しい作法でもって、泥だらけ、傷だらけになって参拝を進める人たちも多い。それを、特殊な世界といえばそれまでだが朝から誰しもスーツを着て、満員電車に揺られるのが当たり前という日本の風景も、だいぶ特殊ではないか。
チベットでは、100年後もおそらく寺院の参拝から朝が始まるという光景は変わらないだろう。
しかし、日本の100年後は、いま我々が当たり前と思っている社会常識とはまた、全然違う生活になっているだろうと思う。
寺院をぬけると、抜けたところに小さな盛り場があった。
ここが面白い。
チベット人の集落はさらに奥へと続く。
戻っていく。
チベット人ばかりが集まるチベット食堂に一人で入ると、それまで騒がしかった店内が急に静かになる。
私のことを、中国人(漢民族)だと思って、みんな黙ってしまうのだ。
チベットが、中国に侵略され現在に至るまで自治権すら満足に与えられていないのは周知のとおり。だから、チベット人が中国人を嫌うのは当たりまえだ。たったひとり、自分たちの店に漢民族が入ってきたのなら、石を投げられても、袋叩きになってもおかしくない。
でも、チベット人は、中国人と思しき私に対して、そっと背を向け、ただ黙っているだけだ。まるでみんなが私におびえているよう。そういうところが、チベット人のチベット人たるゆえんなのだと思う。
そういうときの会話のよすがに、私がうまく活用したのが「数珠」。
チベット人は、どんな悪ガキの兄ちゃんでも数珠を、持ち歩いて大切にしている。
だから、私もチベットではつねに数珠を手に持って歩いていた。チベット人たちは、中国人らしき私が数珠を手にしているのをみて、次第に興味を持ち始める。そして、おっかなびっくり会話が始まり、私が日本人であるとわかったときの、みなの喜びようは、なかなか恥ずかしくなるくらい。 一瞬にして、冷え切っていた場がなごみ、みんな目を輝かせて寄ってくるのだ。
彼らがいまの日本の本当の姿を見て、果たして感心してくれるか、それはわからない。
でも、私は、日本と日本人のことを、大切にしたいと思う。
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チベットといっても、許可証がないからいわゆる「チベット自治区」には入れず、青海省と甘粛省に所属する町をはしごしただけであるが、それでもそこは十分チベットであった。
まず訪れたのは、行政区分上は中国甘粛省に入る、中国名「夏河」という町。チベットの地域区分の上ではアムド地方ということになり、町の名もチベット名では「サンチュ」。
ここには、ラプラン寺という非常に大きな寺院があり、町はその門前町として古くから存在したという。そのラプラン寺はチベット仏教の最大派閥であるゲルク派の六大寺院のひとつであり、アムド地方では唯一無二の大寺院として各地から修行僧や巡礼者を集めているという。
中国国内でも、この町は「中国の小チベット」と呼ばれ、チベット自治区まで行かずともチベットの文化や雰囲気を体感できる場所として中国人観光客にも人気があるという。
私はここを、巡礼の季節としては最後のほうになる3月初頭に訪れ、3泊した。その様子を写真で紹介したい。
ラプラン寺の朝。
寺院の南にある小高い丘から寺院全体を望む。
寺院の南にある小高い丘から寺院全体を望む。
ラプラン寺のすぐ南にある丘。牛の放牧が行われている。
朝の巡礼路。寺院の周りは一周3キロほどの巡礼路となっており、
巡礼者は思い思いのスピードで、この道を時計回りに歩く。
速足で駆け抜ける人もいれば、五体投地によって一日がかりで回る人もいる。
巡礼者は思い思いのスピードで、この道を時計回りに歩く。
速足で駆け抜ける人もいれば、五体投地によって一日がかりで回る人もいる。
サンチュの町には残念ながらチベット料理の店が少ない。チベット人も、四川料理の店や回族の料理のほうが美味しいのでそちらに行くらしい。
サンチュでは貴重なチベット料理店。美人のお母さんが一人で切り盛りしている。
現在では漢民族の流入もすすみ、町の東側一帯は中国人が圧倒的に多いが、ラプラン寺のある西側一帯は一部の商店主に漢民族や回族なども見かけるものの、基本的にはチベット人の町。
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大通りから北へ、裏通りに入ってみると、表通りとは全く違う、チベット人の土着の集落が砂山に張り付くようにしてあった。
北側の
ヤギの放牧
大通りに戻り、西へ歩く。町を西の端まで抜けると、道路はそのまま寺院の敷地内に入っていく。
夕食に入ったチベット料理屋で。
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二日目
チベットでは、老若男女問わず、朝4時から、最寄りの寺院の周りを念仏を唱えながら一周するのが日課。
中には、チベット独特の「五体投地」という全身を使った厳しい作法でもって、泥だらけ、傷だらけになって参拝を進める人たちも多い。それを、特殊な世界といえばそれまでだが朝から誰しもスーツを着て、満員電車に揺られるのが当たり前という日本の風景も、だいぶ特殊ではないか。
チベットでは、100年後もおそらく寺院の参拝から朝が始まるという光景は変わらないだろう。
しかし、日本の100年後は、いま我々が当たり前と思っている社会常識とはまた、全然違う生活になっているだろうと思う。
寺院をぬけると、抜けたところに小さな盛り場があった。
ここが面白い。
チベット人の集落はさらに奥へと続く。
小学生たちが集団で歩いてきた。
戻っていく。
チベット人ばかりが集まるチベット食堂に一人で入ると、それまで騒がしかった店内が急に静かになる。
私のことを、中国人(漢民族)だと思って、みんな黙ってしまうのだ。
チベットが、中国に侵略され現在に至るまで自治権すら満足に与えられていないのは周知のとおり。だから、チベット人が中国人を嫌うのは当たりまえだ。たったひとり、自分たちの店に漢民族が入ってきたのなら、石を投げられても、袋叩きになってもおかしくない。
でも、チベット人は、中国人と思しき私に対して、そっと背を向け、ただ黙っているだけだ。まるでみんなが私におびえているよう。そういうところが、チベット人のチベット人たるゆえんなのだと思う。
そういうときの会話のよすがに、私がうまく活用したのが「数珠」。
チベット人は、どんな悪ガキの兄ちゃんでも数珠を、持ち歩いて大切にしている。
だから、私もチベットではつねに数珠を手に持って歩いていた。チベット人たちは、中国人らしき私が数珠を手にしているのをみて、次第に興味を持ち始める。そして、おっかなびっくり会話が始まり、私が日本人であるとわかったときの、みなの喜びようは、なかなか恥ずかしくなるくらい。 一瞬にして、冷え切っていた場がなごみ、みんな目を輝かせて寄ってくるのだ。
彼らがいまの日本の本当の姿を見て、果たして感心してくれるか、それはわからない。
でも、私は、日本と日本人のことを、大切にしたいと思う。
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2014-01-02 04:15
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