佐原 2013 [日本の町散歩(関東)]
利根川のほとりに位置し、江戸時代の昔から、利根川舟運の中継地として栄えた佐原には、今も当時を偲ばせる古い町並みが残っている。市内を流れる小野川(利根川の小さな支流)に沿ったエリアはとくに有名で、ここを歩くと、河岸として賑わった往時の有り様が目に浮かぶし、香取街道沿いにも古い商家が数多く残っているのがみられる。
だが、佐原の特徴は、こうしたかつての古い町並みが、今のそのまま生きていると感じられることである。公の手によってテーマパークのように並べたてられたり、入り込んできた若い人たちによって修復再利用されているのでもなく、書店は書店のままに、旅館は旅館のままに、荒物屋は荒物屋のままに、佃煮屋は佃煮屋のままに、数百年のときを越えて立派に営業を続けているところが多いのだ。
時代がどんどん移り変わりゆく中、こうした家業を続けてゆくには並々ならぬ努力が必要である。佐原には、そうした気骨と誇り、そして助け合いの精神とを持ち合わせた、独特の風土があるように思われる。
今は舟の行き交うこともない利根川のほとり、かつての商都は、いまも商都のままに、静かに息づいている。
佐原に到着前、年配とおぼしき車掌が、「次は~、さわらッ」と、「ら」にアクセントを置いた発音でアナウンスをしたのに驚いた。「さ」にアクセントがあるものと勝手に思い込んでいたのだが、どうも地元で聞いてみたところ、そうではないようである。
江戸時代から明治期にかけては、河岸のあった小野川と香取街道を中心に町が形成され賑わった。
鉄道ができて以後、舟運は低迷し、小野川周辺の西側、つまり駅側へふくらんで新しい昭和の繁華街が形成されていった。
人口減少と車社会の到来により、駅前繁華街もいまやゴーストタウンに近い状態となったが、それでも駅と小野川に挟まれたエリアには、昭和の香りをよく残す飲み屋街などもあり、むかし町散策とは違った探検が楽しめる。
さて、いよいよ佐原歩きの白眉、小野川沿いに出てきた。
だが、佐原の特徴は、こうしたかつての古い町並みが、今のそのまま生きていると感じられることである。公の手によってテーマパークのように並べたてられたり、入り込んできた若い人たちによって修復再利用されているのでもなく、書店は書店のままに、旅館は旅館のままに、荒物屋は荒物屋のままに、佃煮屋は佃煮屋のままに、数百年のときを越えて立派に営業を続けているところが多いのだ。
時代がどんどん移り変わりゆく中、こうした家業を続けてゆくには並々ならぬ努力が必要である。佐原には、そうした気骨と誇り、そして助け合いの精神とを持ち合わせた、独特の風土があるように思われる。
今は舟の行き交うこともない利根川のほとり、かつての商都は、いまも商都のままに、静かに息づいている。
佐原に到着前、年配とおぼしき車掌が、「次は~、さわらッ」と、「ら」にアクセントを置いた発音でアナウンスをしたのに驚いた。「さ」にアクセントがあるものと勝手に思い込んでいたのだが、どうも地元で聞いてみたところ、そうではないようである。
佐原の表玄関であったJR佐原駅。
駅は堂々としているが、鉄道の退潮により駅前はひっそりとしている。
駅は堂々としているが、鉄道の退潮により駅前はひっそりとしている。
店舗や百貨店が軒並み撤退し、ゴーストタウンのようになった駅前の町並み。
江戸時代から明治期にかけては、河岸のあった小野川と香取街道を中心に町が形成され賑わった。
鉄道ができて以後、舟運は低迷し、小野川周辺の西側、つまり駅側へふくらんで新しい昭和の繁華街が形成されていった。
人口減少と車社会の到来により、駅前繁華街もいまやゴーストタウンに近い状態となったが、それでも駅と小野川に挟まれたエリアには、昭和の香りをよく残す飲み屋街などもあり、むかし町散策とは違った探検が楽しめる。
香取街道沿いのそば屋。佐原はそばでも有名だ。
さて、いよいよ佐原歩きの白眉、小野川沿いに出てきた。
佐原に到着。もう少し風情のある電車にならないものか。
撮影 2013年4月(一部 2012年5月)
本文 2014年2月
本文 2014年2月
2014-02-28 20:33
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