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常陸太田 2015/16 [日本の町散歩(関東)]

○○ヶ丘、といえば大抵、ニュータウンにつきものの地名だが、常陸の国の「鯨ヶ丘(くじらがおか)」は、悠久の歴史にその名を刻む、由緒正しき地名である。何といっても4世紀ごろ、日本武尊が東夷征伐のためにこの地を巡った際、丘陵の起伏があたかも鯨が洋上に浮遊している状に似ているとして「久自」と名付けたそうだが、それが転じてこの地域は「久慈」となり、丘はいつしか「鯨ヶ丘」と呼ばれるようになったという。
鯨の背中に似たこの丘に、戦国時代以降、佐竹氏によって太田城が築かれ、城下町も造られて丘の上はたいそう賑わったらしい。江戸時代には水戸藩領となり、町はますます栄えた。丘の周辺はこぼれんばかりの稲穂が実る豊かな穀倉地帯となり、その美しい風景は水戸八景の「太田落雁」として称えられた。その城下のはずれではまた、引退した徳川光圀(水戸黄門)が質素な隠居生活を送った。
そんな鯨ヶ丘も、いまは過疎化が進み、ずいぶん静かになったとか。夏も盛りを迎えようとする頃、舗道に濃い影を落としながら、私は丘をめぐってそんな歴史の残照を訪ね歩いた。

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JR水郡線、常陸太田駅。常陸太田支線の終点である。
水戸駅まで35分程度とそこそこの利便性だが、途中乗り換えが必要な列車もある。


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さて、JR駅から国道を挟んで広がるこの土地は、旧常北太田駅(日立電鉄)。
2005年までここから大甕、久慈浜方面へ私鉄が延びていた。
常陸太田は、かつて二つのターミナル駅を持つ町であった。


さて、常陸太田は鯨の背のような台地上に町があることは先に述べたが、駅の辺りはちょうどクジラの尾びれにあたる部分といえよう。ここから、クジラの背に向かって、なだらかな坂を上ってゆく。

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この坂を「木崎坂」という。


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木崎坂を上ってゆくと途中商店街となるが、現在では営業している店は少ないようだ。


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木崎坂より西側を見る。急斜面となっている。


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同じく東側を見る。結構上って来たようだ。


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木崎坂を登りきったあたりから東へ降りてゆくこの坂が、下井戸坂。
途中、井戸のある神社がある。


さて、木崎坂を登り切り、ようやくクジラの背の部分にさしかかると、目の前に公園があり、そこで道は二手に分かれている。左へ進むと「西通り」、右へ進むと「東通り」となり、どちらも鯨ヶ丘のメインストリートであったという。

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重要な分岐、合流地点であるここはひときわ賑やかな場所で、
以前は太田警察署があったり消防署があったりしたそうだが、いまは静かな公園になっている。


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公園から駅方面(木崎坂)を振り返る。


◎西通り(西本町)
西通りと東通りは、はっきりと性格が異なり、西通りは官公庁やお抱え商人の店が多く集まる、どちらかといと山手の通りであり、東通りは庶民の為の商店や銀行が所狭しと並ぶ下町ふうの通りであったという。いまもこの二つの通りを歩くと、その雰囲気の違いを感じ取ることができる。なお、西通りは北行き、東通りは南行きのそれぞれ一方通行となっており、時折路線バスも通る。

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右の古い商店は立川醬油店。
常陸太田は醬油も名産で、他にヨネビシ醬油店もある。


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朝、通学の学生達が大挙して西通りをゆく。


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西通りのシンボル、梅津会館(郷土資料館)は、かつての常陸太田市役所。
昭和11年建築で、昭和53年まで現役の市役所として使用されていた。


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日立電鉄のバスが西通りを走る。
左の古い建物は司法書士事務所とある。


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和田薬局。


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和田薬局の正面ファサード。
薬名を記した昔ながらの木板がずらりと並び圧巻だ。


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和田薬局の南隣りには蔵が並ぶ。
通称「親子蔵」と呼ばれ、いまはギャラリ―として活用されているようだ。


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「親子蔵」を南側から見たところ。


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午後の西通り。


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「助川総合印刷」前にて。
このような風情ある建物が、現役の印刷屋さんであるということが嬉しい。


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西通りと東通りを結ぶ短い通りは、かつての塩の道の一部。いまも「塩横丁(塩横町)」と呼ばれる。
左の「水竹居」の額のある建物は休業中のフランス料理店「オーベルジーヌ」だが、
その右の建物は「塩町館」という人気の蕎麦・饂飩店として今も活用されている。


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心魅かれる理髪店を発見したが、いまは営業していないようだ。


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西通りはお堅い通りらしく、こうしたビル建築も多い。


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ゆるくて小粋な店を発見。「金茶猫と庭仕事」。古本屋さん?カフェ?


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「金茶猫と庭仕事」は、水曜、木曜、金曜のみの営業で、
庭仕事が忙しいときは休むそうです。


西通りから町の西側へ降りてゆく坂道の表情は、ひとつひとつ異なっていて素敵だ。

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下井戸坂。


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杉本坂。右に入ると遍照寺(山号:杉本山)がある。


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十王坂。常陸太田(鯨ヶ丘)を代表する風景のひとつ。


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十王坂は、別名大根坂ともいう。坂を降りた先に、太田二高(第二高校)があり、
そこの女学生達がが毎日ここを登って通学する為に、足が大根のようになるからだという。


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いまは勾配の急なこの坂を利用する女子高生は少ないようだ。


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震災後に閉店したフランス料理「オーベルジーヌ」の看板が残る。



さて、今度はそれぞれの坂道の間をつなぐ、西側斜面の路地を歩いてみる。これらの道は、太田では
「根道」と云われているそうだ。

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別雷神社の横から斜面を降りてゆく路地。


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杉本坂と下井戸坂の間の根道の表情(上4点)


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下井戸坂と木崎坂の間の根道(2点)


再び、丘の上へ・・

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西通りと東通りをつなぐ路地にて。


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立川醬油の蔵をのぞく。


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現役ではなさそうだが、どこか趣き深い建物。「橘文化服装学院」とある。


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再び、旧「高瀬理髪館」。


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◎東通り(東本町)

東通りは、いまも商店街であり、「鯨ヶ丘商店街」というとふつうはこの通りを指す。西通りよりもはるかに多くの商店が現役で残り、昔ながらのたたずまいのまま営業する老舗もあれば、若い感性のよって新店舗として活用されているところもあり、非常に歩きごたえのある、興味深い町並み。しかし西通り同様、歩いている人が極端に少なく、静まり返っているように感じられる点が寂しい。

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東通りと塩横町の交差点「東の辻」。
正面の白い瀟洒な建物は貸しホールの様子だが、ひっそりしている。


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レンガ蔵、その右に白い洋館風の建物。バラエティ豊かな建物群だ。


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・東通りのお店いろいろ

東通りは明治時代の店蔵から昭和レトロな看板建築、はたまた平成になってからのおサレ洋館等、お店の風貌が本当にバラエティに富んでいて興味深い。町並み保存などで同じような建物が並んでいる町とは対極をゆく面白さだ。ここにはほんの一例を紹介するが、まだまだ興味深い店舗は沢山あった。
だが、それにしても、人がすくなすぎる・・この街。
いま、丘の下の国道沿いに市役所も大きな銀行も、スーパーもショッピングセンターもファミレスも病院もある。わざわざ丘の下に広がる住宅地に住む「常陸太田市民」たちは、もはや駐車場もろくにない丘に登ってくる理由がないのだろう。

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「佐藤運動具店」。見事な店蔵で、左側が佐藤家の玄関。
古くから煙草産業で財をなした家のようで、内部の庭園も有名だとか。


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「大高洋服店」。見事な看板建築。
緩やかなカーブを描く入り口も素敵だ。


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「ヨコセスポーツ店」。昭和レトロの炸裂する風貌。
こちらも入り口がやや内部に入り込んでいる。


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カフェ「結+1」。常陸太田ではまだ少ない古民家改造型カフェ。
しかしこの店はそれにとどまらず、「子育て」をテーマに、
情報を積極的に発信したり催し物を開いたりする点に特徴がある。
お昼には丘の下からから車で登って来た子連れのママさん達が集まっており
コミュニティカフェとして成功していると思われる。


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東通りの冒頭にも登場したうなぎの「山城家」。
かつてはどんな町にもあった、こんな店。


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「カメブ呉服店」全景。
右は街歩きの拠点として商店会が運営する「くじら屋」。


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右のかわいい建物は雑貨店「Sunny Sunday」。
すぐ奥にある明治43年に建築のレンガ蔵と不思議な調和を見せている。


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レンガ蔵近景。元は酒屋の蔵であったらしい。
現在は「Sunny Sunday」が管理するギャラリーとして使用されている。


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「川又薬局」。店の前に置かれたベンチが、主人の人柄を偲ばせる。


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常陸太田を代表する和菓子の老舗「なべや」。
ちまきの他にも団子やかりんとまんじゅう等も有名。
今も丘の下からひっきりなしに客が来、店の目の前に駐車して店内へ入ってゆく。


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「なべや」前にて。
バス停(東三丁目)、傾きすぎ・・・



さて、東通りからも、脇道へ入ると、鯨ヶ丘から下りてゆく坂道となり、斜面にはお寺や小さな御社が多くあり、それらをつなぐ路地(根道)が延びている。それらをたどるのも面白い。

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塩横道。左側に大谷石造りの蔵が見える。


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大谷石の蔵を東側から見る。


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塩横道は、大谷石の蔵あたりからゆるやかにS字を描きながら下る。
「塙坂」という。


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板谷(ばんや)坂。
西通りに十王坂あれば、東通りには、この板谷坂がある。


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階段の途中(左側)にある細長い建物もいい味を出している。


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板谷坂の取り付きのすぐ左にも、奥へと伸びる小さな脇道がある。


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この小さな脇道は、奥にある小さなお稲荷様への参道であった。


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小さな脇道(参道)に入り東通りを振り返ったところ。


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なかなか魅惑的な路地になっている。


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板谷坂をもう少しくだったところ。


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お稲荷さんの所から東斜面の路地を抜けると、ひっそりと階段。
どうやら料亭(割烹旅館)「若柳」とあるが、いまは営業していない模様。


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東通りから路地を入り、いかにもお忍び色の濃い「若柳」。
常陸太田華やかなりし頃は、ずいぶん賑わったのだろう。


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和菓子「なべや」すぐ脇の路地も面白い。


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「なべや」の裏は階段となっており、下りたところは・・・


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お寺でした。。


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「なべや」から東通りを南に歩くと、すぐにこんな門が現れる。
法然寺である。


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法然寺のお堂の背後に回ると、丘の下の風景が一望できる。


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丘の下へ降りて、背後から法然寺を見上げたところ。


丘の下の住宅地の道筋。

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さてここで、東通りの裏の根道を歩きながら、私はある店を探してあぐねていた。店の名前は「枡儀団扇店」。そう、常陸太田の名産として名高い、団扇(ウチワ)を是非買い求めようと思ってである。太田団扇は、別名雪村うちわとも言い、その由来は室町時代に佐竹氏のお抱え画僧、雪村(せっそん)にまで遡るという。枡儀団扇店は、その伝統を今に受け継ぐ最後の一軒で、伝統的な手法で和紙に水墨画を描き、33の工程を経て一年がかりで手作りの団扇を生産、販売しているという。まさに夏の盛りに向かう暑い一日、是非手に入れたいものだと思い、その店を探す。

「枡儀団扇店(ますぎうちわてん)」は、ガイドブックによると東通りの北端付近を少し路地裏に入ったところにあるらしい。ということで、東通りの裏手の根道を歩いているのだが・・・

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うーむ、魅力的な「根道」が続く。


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このあたり(東坂の少し南あたり)、落ち着いた家並みなのだが・・・・


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ひょっとすると、昔は色街めいた場所だったのかもしれない


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しかし、お店らしいところが、どうしても見つからない
団扇店はどこ??


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お寺に出てきた(浄光寺)。
ということは、行きすぎなのだ。だが、どうしてもお店らしいところがない・・


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え!?
地面になんか置いて(干して?)ある。


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これは竹??
まさか・・・うちわの骨組みでは・・・とすると・・・
表に回っても、ただの民家しかないが???


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あっ!!!
このうち、何か小さな看板が置いてある!


ということで、かろうじて太田団扇最後の生き残り、枡儀団扇店を見つけることができた。
ちなみに、5枚前の路地の写真で左に写っている民家である。
あまりにも普通の民家である為、探しきれない方が多いと思うので、ご注意あれ。

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たった一人で伝統を守る枡儀団扇店の主人にして職人の圷(あくつ)総子(ふさこ)さん。
御歳92歳(!)とのこと。あいにく今年は足を痛めてしまい、
普段の1/4の量しか竹組みができなかったと嘆いておられた。
本来なら3枚前の写真の空き地いっぱいに竹組みを広げるという。
近年では、二男の方が会社を退職し、手伝ってくれているそうだ。
団扇は大きいもので2200円(税込)と決して安い買い物ではないが
独特のしなやかさを持つ団扇がくれる風は本当に心地よく、一生モノである。


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◎内堀町

さて、常陸太田のむかし町歩きといえば、ガイドブックによればたいてい本町は東通りと西通り、そして太田七坂で紹介が終わり。だが鯨ヶ丘はまだまだ北へと伸び、街はまだまだ続いてている。
東通りと西通りがつきあたるところ、そこを「内堀町」というが、まさにそこがかつて内堀のあった場所であり、そこから北側が太田城(舞鶴城)内であったのだろう。

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本町では北向き一方通行の西通りと南向き一方通行の東通りに道筋が
分かれていたが、内堀町から北では再び道筋はひとつとなる。


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観光ガイドから外れる内堀町にも見事な店蔵はある。これは「宮田書店」。


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右の石塀は、「ヨネビシ醬油」
西本町の「立川醬油」と並び常陸太田を代表する醬油醸造所だが、
こちらのほうが規模が大きい。


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本町あたりの裏筋とは少し違う、落ち着いた雰囲気の内堀町。


◎中城町、栄町と太田城址
内堀町からさらに北へ進むと中城町、そして栄町。もと太田城のあったあたりであるが、いまは町筋がずっと続いていて郵便局や旅館、日用品店などが並ぶ。ちょっと観光化されてきた?本町あたりとはまた違う、生活感のある通りになっていて、なぜかホッとした。

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のぼりが立っている右の店は「沼田提灯店」。
提灯の専門店があるなんて、なかなか素敵な街じゃないかと思う。


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栄町の町並み。




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栄町も鯨ヶ丘。「根道」はある。


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根道をたどると、見晴らしの良い丘の中腹に出てきた。


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ここが江戸時代以来の名景「太田落雁」で有名な、まさにその場所であるという。
いまは眼下に住宅やら施設やらが立ち並び、ごちゃごちゃした景色だが、
かつては一面に水田が広がっていたそうだ。
阿武隈連山をバックに、空を渡る雁が田に降りゆく様子は、本当に美しかっただろう。


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この太田小学校の立っている辺りに、
太田城(舞鶴城)の本丸があったとみられている。


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こちらは日本煙草産業(JT)のタバコ工場(倉庫)の広大な跡地。
常陸太田周辺は昭和中期までのタバコの栽培でも知られていた。



◎西山荘へ

さて、鯨ヶ丘散策と並ぶ常陸太田観光のもうひとつの目玉は、水戸光圀公が余生を過ごした「西山荘」を訪ねることである。水戸光圀は、水戸藩主の座を退いた後,元禄4(1691)年から元禄13(1700)年に没するまで、常陸太田に移り西郊外の林の中に寓所をつくって隠居生活を送った。町民や農民とも積極的に交流を持ち、 有名な「大日本史」もここで編纂されたものという。

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鯨ヶ丘を西に下り、小さな川(源氏川)を渡る。


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西方から見た鯨ヶ丘。
正面左の木が茂っているあたりが旧太田城(現太田小学校)。
右が内堀町、本町。


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いよいよ西山荘へ。入り口手前にある西山公園。
西山荘へは右奥の道を進む。


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西山公園にある休憩所「桃源」と庭園。
このあたりはかつて水戸光圀の付き人達の屋敷があったという。
あの「助さん」の住居跡もある。


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水戸光圀公の館はもう少し奥。


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小さな門が見えてきた。

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多くの訪問者、町民や農民が出入りしたとされる「突上御門」
萱葺きの好ましい門だが、残念ながらこの時は屋根の修理中だった。


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訪問者は門で迎えたが、自分と従者は左の質素な横道を使用したという。


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さらに奥へと続く。


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見えた。


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萱葺き平屋建ての質素な御殿。光圀公の人柄の表れと云われる。


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御殿のさらに奥にはため池なども残されている。
光圀公は自分で田を作り耕作に励んだりしていたという。



◎夕暮れ時の鯨ヶ丘へ

昼間静まり返っていた鯨ヶ丘だが、夕暮れ時は時折やってくる自転車の高校生たちのおかげで、寂しさから免れている。

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<銚子屋旅館>
鯨ヶ丘に宿をとりたい方に、清潔で安心して宿泊できるこの宿をお勧めする。
西通りの北端に位置しており、鯨ヶ丘の風を感じることができる。

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朝食は部屋食なのだ☆


撮影:2015年7月、2016年6月
本文:2016年8月


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