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玉島 2015 [日本の町散歩(中国・四国)]

「香ばしい町並み」という表現がある。歴史が古く由緒正しい町並みを指す言葉なのだが、往時の町並みがよく保存整備されている場所に対して使われるのではなく、今は顧みられず干からびて、朽ちてゆくような町並みを指すもののようだ。玉島は、そんな表現が似合う街である。
高梁川の河口(三角州)に位置し、かつて備中松山藩が大規模に行った干拓、新田開発によって生まれた街は、備中松山城下(現在の備中高梁)と高梁川の水流によって結ばれ、同藩の藩港として廻船問屋が立ち並ぶ等して大いに栄えた。明治以降も瀬戸内の重要な港湾都市としての存在感を保ち続けたが、昭和以降は次第に衰退していったという。そして、昭和後期から平成以降のモータリーゼーションの進展は、玉島という街をもはや街でなくしてしまった。
「昭和レトロ」を売りにした街おこしもそこそこに、玉島は今も朽ち続けている。単なる「ノスタルジー」という言葉を通り越した何がしかの感慨を覚えるという意味で、非常に歩きごたえのある場所であった。

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高梁川の三角州を干拓して生まれた街、玉島。
溜川(ためがわ)にて。


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水面もせり出すように造られた長屋の家並みが印象的。


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街のあちこちに運河や水路があり、
水郷と云ってもよい風情はまずは美しい。


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溜川の水面もせり出している長屋の表側に回ってみたところ。


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左は豊島屋(てしまや)という地場のソース会社の工場群。
「タテソース」の銘柄で根強い人気を誇るという。


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◎新町
新町は、潮止めの堤防の上に築かれた江戸時代の問屋街。とくに廻船問屋の店蔵や土蔵がかつてはずらりと並んだ場所であるという。いまも虫籠窓のついた商家の建物や蔵がいくつか残り、往時を彷彿させる。

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「玉島」の名を冠した金融機関があるということは、当時それなりの
経済力のある中核都市であったということ。


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◎仲買町
新町から昭和橋を渡ると仲買町である。その名のとおり、仲買いの商人や職人たちが蔵を構えた場所であるという。玉島周辺では新町以上に古い町並みが最もよく残された地域でもあろう。

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昭和橋から仲買町入り口を見る。


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仲買町の入り口にあるこの印象的な建物は、旧玉島信用組合本店。
現在は、先ほど写真に出てきたとおり、新町に移っている。


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仲買町の様子。左の建物は「玉島味噌醤油」。


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こちらは元銭湯だった模様。


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造り酒屋「菊池酒造」。


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◎天満町
天満町は、仲買町から玉島港に沿って南へ進む道筋。いわゆる町外れにあたる場所であり、当時は色街であったという。今もその名残がわずかに感じられる。

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玉島港の風情。


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妓楼のあと?


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レトロビルの「越後屋」は今も営業する旅館である。



◎銀座商店街
玉島のルーツ、羽黒神社の丘を取り囲むように形成された商店街。文字通り、かつては玉島の中心街であったと思われ、観光パンフレットに掲載されている写真には、アーケードもついていていくつも商店が営業しているが、・・・今はアーケードは残骸のみで、営業している店舗も殆どなく、ただ寂寥感が漂うのみ。どうしてこうなってしまったのだろう。

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羽黒神社の東側から北側にかけての栄町になると
やや活気が戻り、営業中の店舗も少なくない。


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昭和2年建築の堂々たる銭湯「みなと湯」もすでに廃業していた。


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通りの向こう側には、まだ現役アーケードの残る「清心町商店街」が見える。


玉島には今も沢山人が住んでいるにはいるけれど、この街がもはや「街」ではない、と感じてしまうのは、一つにはココといった「中心街」が見つからないためだろう。しかし、玉島の街は、形成期からしてそもそも玉島と阿賀崎という二つの新田村落に跨る形であったし、江戸後期には玉島の統治は備中松山藩と伊勢亀山藩および天領(倉敷代官)の3者によって分割、分断されてしまっていた為に、強力な中心が形成されにくかったのだと考えることもできる。つまり、玉島の宙ぶらりん感は今に始まったことではなく、歴史的経緯によるものともいえるのである。
しかし、それでもなお、この「玉島銀座」の賑わいが健在であれば、少し印象も違ったのではないかと思う。玉島と阿賀崎は合併し、晴れて一つの自治体になったのは1897年(玉島町、1952年より玉島市)。遅くともそれ以後は、当然玉島は地域の中核都市として求心力を持ち、この銀座商店街のような町の中心商業地が形成されていったはずである。それが、どうしてこのように、レトロなどと云っていられない、寂寥感ばかりが募る有様にまで落ちぶれてしまったのか。モータリーゼーションの進展による中心市街地の衰退はどこに行っても大きな課題のひとつだが、ここまでひひどくゴーストタウン化してしまっているところも珍しい。街の死骸であるといっても過言でない。
最も大きな転機は、1967年に市町村合併で早々に倉敷市に編入されてしまったことであろうと思う。倉敷のお役所の興味の対象は、倉敷美観地区の観光地化や山陽新幹線が開通した新倉敷駅前の整備だけで、玉島の街場、地域社会の行く末などは知ったことでなかったに違いない。そうなると、地域住民が結束して踏ん張るしかないのだが、残念ながら玉島はこうした力も弱かったのだと推測せざるを得ない。いや、もともと弱かったからこそ、そんなにも早期に倉敷市への編入を許してしまったのかもしれない。
玉島では今になってこれらの中心市街地をレトロで売り出そうという動きが散見されるようになってきたが、後述の通町はともかく、この銀座商店街ではあまりにも遅きに失したという感じがあする。


◎通町商店街
銀座商店街から水路を渡ったところにも、もうひとつ大き目な商店街があり、こちらは通町(とおりまち)商店街という。こちらも衰退著しい様子は伺えるが、銀座商店街と比べるとまだ一応商店街の形をなしており、アーケードも健在である。玉島では唯一、街場らしい感じが残っている場所であり、「昭和レトロ」で売り出す動きも見られるが、、、ここもやはり、時間の問題で朽ちつつあるのだろうか。

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右側はかつて映画館だった場所。


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通町の西側、矢出町あたりも、古い家並みが残る。


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このあたりも、少し色街っぽい匂いがするが・・・?
通町商店街のアーケードを抜けたあたりの路地。


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「東映手芸店」とある。右の建物が東映だった模様。


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玉島の公共交通の中心、玉島中央バス停。


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玉島への玄関口となる新倉敷駅(旧玉島駅)。玉島へはバスで10分程度かかる。


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新倉敷駅前。これが、現代における「街」である。


撮影:2015年8月
本文:2016年9月







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