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三春 2016 [日本の町散歩(東北)]

梅、桃、桜の三つの「春」が一緒に来る町だから「三春」・・・そんな町の名前は出来すぎ、というかちょっとあざとい気もするが、そうは云ってもそんな名前に私もつい魅かれて、いつか行ってみたいとつねづね思っていた。
それは戦国時代から続く、わずか三万石の、山あいの小さな城下町。郊外にある樹齢1000年以上という天然記念物の「三春の滝桜」が全国的に有名だが、それだけでなく、春になると三春の街全体が桜に包まれるという。そんな三春の町を、まさに春らんまんの時期に訪ねることができたのは幸運であった。

それでは、私のしがない成果を、ご覧頂こうと思う。
(滝桜は、町から離れている為、撮影していませんので、あしからず)

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朝。市内の桜川沿いにある「ぬる湯旅館」前。
昨晩はここに宿泊した。気持ちの良い朝だ。


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「ぬる湯旅館」は、全国でも珍しくなった「宿泊できる銭湯」として知られる。
左のレンガ造りの部分が銭湯の部分。木造部分から右が宿泊棟。
目前の桜川は、数年前までは細い川筋で道路も狭かったようだが、
見事に改修されている。


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現在の玄関。正面の新築された建物が現在の宿泊棟。
左側の川に面した木造部分は老朽化の為、
現在は宿泊棟としては使用されていないようだ。


今日は、まずこの「ぬる湯」前から、桜川に沿って北上し、町内の桜を見て回ることにしよう。

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いきなり、右側に素晴らしい桜。
鳥居は川を渡ってこの奥にある「三春大神宮」のもの。
旧三春藩の藩社でもあったところだが、今回はまずは素通り・・


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川沿いを歩くと、このように土蔵が並ぶ一角が。


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奥に見える通りは、郡山へと続く県道288号線。


「御免橋」という橋で桜川を渡り、西側への丘へと登ってゆく。
登りきったところに「福聚寺」(ふくじゅうじ)という桜の名所があるという。

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道中の坂道。
このあたりは「御免町」と呼ばれ、江戸時代には武家屋敷が並んでいたそうだ。


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振り返って、登ってきた坂道をみたところ。


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見事な枝垂れ桜。



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福聚寺に到着。三春藩主であった田村氏三代の墓があるという。


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境内いたるところで桜が咲いている。


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本堂の裏手が山になっているので、登ってゆく。


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なかなかの絶景である。遠くは飯豊連峰であろうか。


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福聚寺をぐるりと取り囲むように山道が続いている。


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福聚寺を囲む道筋から分かれてさらに山へ分け入る道が。
道標には「桜谷散策路」とある。行ってみよう。

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5分ほどで、道は舗装路となり、開けたところに出てきた。


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正面は「三春町歴史民俗資料館」。真新しい建物に桜が映える。


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町に降りていく。


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再び桜川の川べりに出てきた。


川を渡ると「大町」という地区。
ここは三春城のすぐ下にあたり、昔から藩の施設や商店が多い城下町の中心地区であったところ。
現在も町役場や三春郵便局、図書館など、公的機関がずらりと並んでいる。

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町役場前の通り。ゆるやかにカーブしている。


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建物はみな新しく、電柱なども地中化され、じつにこざっぱりした印象。
右方向が城山である。


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左のタワーのある建物はNTT。


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この界隈唯一といっていいお店がこの、めがね・宝石・時計の「トミタ」。
建物のてっぺんに時計がついているのが良い。まさにランドマークだ。


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西方向へあるいていく。引き続き、よく整備された街並みが続く。
左の駐車場のある広いエリアは、藩の「講所」「正道館」の跡地という。


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ここから東側は、まだ道路改修が途中のようである。
右に古い看板建築の酒屋さんの建物が頑張っているが、
早晩セットバックさせられるのであろうか。


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道路改修前の、古い町並みの雰囲気を感じられるのもあとわずかか。
右側は歩道拡幅の準備が進められている。


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歴史のありそうな洋館が出現!


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正面から見たファサードも美しいこの建物は、かつての眼科医院という。
大正12年建築というが、いまも住居として使用されている。


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洋館の先に、桜に囲まれた鳥居がある。
なお鳥居の手前に橋の跡があるが、桜川の旧流路はここだったという。



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鳥居をくぐると緩やかな階段になっているので上がってみる。


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重厚な表門を持つこの神社は「田村大元神社」。
城山の麓に建つ旧領内総社という。


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表門から拝殿をみたところ。


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この神社から城山に上がってゆくこともできるが、
いったん再び階段を下り、街歩きに戻る。


田村大元神社は城下町の東端にあたり、町はここで途切れるが、南に曲がる道筋があり、その方向に町が少し続いている。ここを新町という。三春は江戸時代から馬の産地でもあったそうだが、そのせり場がこの新町にあったため、多くの馬商人(馬喰)が集まってにぎわったという。そのため、新町では多くの民宿が生まれ、今も一般住居であるにも関わらず伝統的に屋号をもつところが多いのだという。
ここにも桜の名所たるお寺がいくつかあるようだ。

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ゆるやかに上りになっている。


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州伝寺入り口。


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新町の道筋。


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真照寺への入口付近に、旧せり場を示す標柱。


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真照寺の山門。


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真照寺本殿前


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真照寺本殿の裏庭は水芭蕉が群生していることでも知られる。


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再び新町の表通り。
「大林文庫」?はて?図書館?


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「大林文庫」の矢印の先にはこじんまりしたお屋敷が。
社人渡辺日向守屋敷跡とあり、現在は公民館的な使われ方をされている様子。


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さて、町の中心部に取って返し、今度は城山に登ってみることにする。


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城山への入口のひとつ、藩校明徳堂の表門。
現在は三春小学校の門となっている。


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城山に抱かれた三春小学校。
地方の町では、小学校は歴史的な良い場所に立地していることが多いように思う。


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もうひとつの城山への登り口である「お城坂」。


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城山も春爛漫である。


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江戸時代の二の丸跡であるという。


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反対側(北側)から城山を下りてゆく。


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北町に降りてゆくこの坂を「三分坂」というらしい。


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三分坂から横道に入る路地。

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通りに出た。
国道288号線でもあるこの通りに沿ったエリアを「北町」という。


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北町でも、城山に近いこのあたりは武家屋敷街であったという。


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「北町」を町の中心街方向へと降りてゆく。
このあたりから下は町人地か。「清酒 三春駒」の看板がそそる。


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右に蔵を改造したようなお店を発見。


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食事処「山惣」(やまそう)

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店内の雰囲気。三春素麺や「ほうろく焼」等郷土料理が味わえる。


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「山惣」を過ぎると歩道の幅が広くなり、整備された街並みとなる。
左の巨大な施設が三春交流館「まほろば」。三春出身の建築家、大髙正人の設計になる建物で、
演劇やコンサートも可能な施設である。降り切ったところが「大町」。


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「大町」界隈の様子。


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大町界隈は、交流館「まほろば」のある北町との交差点を境に東と西で性格を異にしている。先ほど見たように、東側はかつての藩の施設が立ち並んだエリアで、現代でも町役場をはじめ官公庁の施設がずらり並んでいたが、西側(北町との交差点より西側)は城下町時代からの町人地。商店がずらりと並ぶ、三春一の繁華街であったという。
そのいまの様子に、驚く。
古い町並みはまったく残っていない。それらを大胆に取り壊し、車道と歩道を広げて、電柱も地中化。通りはすっかり現代風になっている。

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古い町並みは無くなったが、それぞれに伝統を意識し
趣向を凝らした商店のファサードが並ぶ。


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車も通りやすいが歩道も広いので、多くの人が歩いている。


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大町の西端ちかくに大型スーパー「ヨークベニマル」。
昔からあった店舗ではなく、町によって最近郊外地から移転誘致されてきたという。
三春町が中心街を大胆にリノベート、現代化しようとしている一方、
コンパクトシティを目指し、町の賑わいを集約させようとしていることが分かる。


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大町通りのすぐ一本北に、こんなに素敵な石畳の道がある。
「磐州通り」と名付けられている。


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町の改修が進む前の、昔ながらの三春が残っているようにも思える。


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大町の通りとは百メートルも離れていない
(磐州通りから大町通りを見たところ)

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これは、桃・・??


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右に、小さなお社のようなところに上ってゆく階段を発見。


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王子神社。大町地区の鎮守様だという。


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桜でうずもれる境内。


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王子神社の裏山から、西方向の「荒町」地区を臨む。


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裏山から奥の方へ、またこのような散策路が続いている。
三春町の良いところは、中心街の表通りもきれいに整っているが、
こうして自然を楽しめる散策路もまた至る所に整備されているところである。


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この道はどこへ続くのか・・


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荒町のはずれに出てきた。
変わらない町のたたずまいに、やはり少しほっとする。


ここから一度、三春駅方面へ歩いてみようと思う。

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荒町から駅方面へ、表踊りとは別の一本裏手の道がある。
今では「愛姫小路」と名付けられているようだが、旧街道のような趣の道だ。


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「みそまんじゅう」の古い木の看板が下がる店。


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線路が見えてきた。JR磐越東線である。


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跨線橋から見た三春駅の遠景。
いわき方面行き列車が発車するところだ。


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ローカル線ながら、立派なつくりの三春駅。
観光案内所やレストランなども入っている。

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午後の三春駅はなかなか賑やかだ。


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列車が行ってしまった後のプラットフォーム。


さて、再び荒町に戻り、お寺めぐりをしようと思う。

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荒町の通り。


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龍穏院入口


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龍穏院本堂。
龍穏院は、三春藩主秋田氏の菩提寺のひとつであるという。


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「ヤマダイ酒店」の裏手の駐車場に見事な桜。


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法蔵寺山門。


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法蔵寺。山門より本堂を臨む。


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本堂。


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法蔵寺は桜はもちろん、四季折々に様々な花が楽しめる寺という。
裏手の墓地のほうまで回ってみることにする。

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なかなか見ごたえのあるお寺でした。


さて、少し前のガイドブックなどを見ていると、この法蔵寺から南へ「職人横丁」なる道すじが伸びていると記されており、興をひく。しかし、現地で最新の地図などを見ると、そこには何の記載も案内もない。いったいどうなっているのであろうか。訪ねてみようと思う。

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左に「渡辺石材店」。少なくともこちらには職人さんはいそうだが・・
しかし、この右側に「吉田屋」という鍛冶屋さんが、趣深い土蔵で営業を続けている
はずであった。しかし、その土蔵はもはや影も形もなかった。


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三春町発行のブックレットには、この「職人横丁」について、次のように書かれた紙片をわざわざ挟み込んであった。
「いつのころから、狭い路地に職人さんたちが集まっているということから「職人横丁」の名前で親しまれ始めました。しかし、近年相次いでそうした職人の方が店を閉められ、平成25年現在では営業している店舗を紹介することが難しい状態です。平成23年ぐらいまでのこととご了承いただきたくお願いいたします。かつては城下町として、三春にも多くの職人がいたことを、資料館の常設展示などで感じて頂ければ幸いです」

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大通り(中町)に出てきた。
このあたりを「中町」と呼び、職人、商人が多く住んだ地域であったという。
道は国道288号で、郡山へ行く方面である。道の両側とも、商店が続いている。

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この道筋は、拡幅する様子は今のところ見受けられない。


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しばらく進むと、リノベートされた蔵が並ぶ一角に出てきた。
「三春なかまち蔵」という施設で、観光案内処、カフェ、そば店等が入居する。


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中町交差点かいわい。


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シンプルだが情趣ある建物。


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さらに進むと、町名は「八幡町」に変わる。
もう少し進んだところに八幡神社があるという。

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中町通りの西側の路地を歩いてみる。

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愛宕神社の鳥居が見える。
丘の上に赤い屋根の本殿が見え隠れしている。


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趣深いエリア。「三春駒」の醸造元である佐藤酒造もこの近くにある。


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今度は、東側、すなわち桜川の川筋を歩いてみる。

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中町の通りと桜川の川筋をつなぐ路地。


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桜川の川べりに出てきた。
正面は大町方面で、蔵のような建物は「三春郷土人形館」。
伝統工芸の三春人形等のミュージアムという。


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桜川の川筋は道路改修が進み、非常にすっきりした散歩道になっている。
このあたりは土塀が続き、良い雰囲気。


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不動橋あたりから南側を見たところ。


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坂を上がったところに、元秋田家の代官が常駐していた屋敷跡があるという。
見えている土蔵はその名残か。


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向うに見えるのは中町通り。


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私の宿泊先である「ぬる湯旅館」。
最初に書いた通り、銭湯を併設する旅館。というか、泊まれる銭湯。
夕暮れ時の風情も素晴らしい。


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レンガ造りの部分が銭湯の部分。



「ぬる湯」に入ってみよう!!

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レンガ造りの銭湯部の右側の木造部分が旧宿泊棟だと思われる。
その間に引き戸があり、ここが現在は銭湯の入口となっている。
入ってみると、このような感じ。
この写真は内側から入口を見たところなので、右側が銭湯部となっている。


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入口を入って、右側の旧宿泊棟を見たところ。
ちょうど玄関らしき部分があるが、いまはこちらは宿泊棟としては使用しておらず
基本的にはご家族の住まいになっている模様である。
右側はご家族の居間のようだった。


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旧宿泊棟玄関から、レンガ造りの銭湯入口を見たところ。


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銭湯内部。多くの方でごった返している感じではなかった。


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裏手(中町通り側)に出たところ。こちらからも入って来られる。


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現在の宿泊棟は右の新館。専用の玄関もこちらに出来ている。
左の木造部分が旧宿泊棟で、新館からはこの内部を通ってお風呂に入りに行く。


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新館の廊下。気持ちが良い。


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法華寺。こちらの桜も見事。


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中町通りに出る。「会津屋食堂」は現役。
その向うにこれまた現役の「小滝食堂」が並んでいる。


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宵の大町通りの様子。

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この立派な街並みを見ていて、三春という町のかしこさを強く感じる。
すっきりと整然とした車道、幅広く歩きやすい歩道、そして建て直された真新しい建物群。
確かに、古く味のある街並みのたたずまいは、きれいさっぱり消え去った。
でもお店は健在だし、車もたくさん通り、そして町を歩く人もそこそこいる。
これは、ニッポンの田舎町の、ひとつの確かな理想の未来図ではないか。

味のある街並みは残っていても、シャッターを下ろした店ばかりのゴーストタウンのなんと多いことか。観光客ばかりが闊歩する、テーマパークのような「むかしまち」も多い。
こうした死んだ町よりも、三春はずっとずっといまを生きる健全な町であると僕は思う。

かつて幕末の戊辰戦争のとき、三春藩は当初、会津藩などほかの東北諸藩と同様に旧幕府側についていた。しかし、形成の変化を機敏に読み取った三春藩は、その後新政府軍に巧みに取り入り、無血降伏をする。これにより三春藩内では戦火にも遇わず多くの人命が救われ、所領も安堵されて維新を迎えることが出来た。「三春狐の裏切り」と称されることもあるが、これが三春の「かしこさ」であろう。

そんな「かしこさ」が、今の三春の街づくりに活かされている。

三春の滝桜を見るのに、なんと300円を払わなければならないが、その300円が、こうした街づくりに活かされているのかと思うと、ちょっとおもしろいような気になる。
そして、そんな三春もまた、平成の市町村合併の大嵐に呑み込まれることなく、独立した「三春町」をしっかりと貫いている。

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撮影:2016年4月
本文:2017年4月、2020年4月



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