千倉 2016 [日本の町散歩(関東)]
東京に住んでいて、ふらりと海を見たくなったらまず鎌倉や葉山や湘南に行く。明らかに都会の延長にあるそんな海が鼻につくような時は、三浦半島の先のほうに逃げたりするし、伊豆だって悪くない。でも、それでも癒されない、もっと素のままの海と風とに相対したい。そんな時は房総が良い。千倉は、房総半島の南端近くにある海辺の町。房総はさすがに広く、ここまで来るには東京から2時間以上。花畑の丘に囲まれ、ぽかぽかと暖かな薫風の中、どこまでも続いていく穏やかな海岸線、漁港、鄙びた町並み。それでもかすかに感じる、嫌みのない都会の香りが千倉の良さだ。
道はもちろん海に近く、ずっと南へ続いている。さわやかな青空に恵まれた春の午後、駅で借りた自転車で、どこまでも走ってゆく。
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すぐに千倉海岸へ行く。
表通りから、すこし裏通りへ入ってみようと思う。
まずは海岸方向へ・・
再び通りに戻る。
再び通りをそれて、裏道(海方面)へ迷い込んでいく。
通りに戻る。
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別の日のおなじ店。
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さらに南へ。
ここでいったん国道を離れ、右手の丘の方へ登ってから南下を続けようと思う。
国道に下りてきた。
海産物と並ぶ千倉の特産のひとつに切り花がある。黒潮が沿岸を流れる南千倉はとくに冬も平均気温が10℃を下回ることがないというほど温暖。その気候を生かした花の栽培がさかん。種類はストック、キンギョソウ、キンセンカ、なでしこ、ポピー等で、なんと2~3月に最盛期を迎えるという。田んぼの裏作として栽培されているところも多く、多くは東京などの首都圏に出荷される。
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再び、北千倉(南朝夷)あたりの家並み。
夕暮れ時もまた良い風情である。
道はもちろん海に近く、ずっと南へ続いている。さわやかな青空に恵まれた春の午後、駅で借りた自転車で、どこまでも走ってゆく。
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JR千倉駅。房総でも最南端の駅という。
2007年に新築なった立派な駅舎だが、利用客はすっかり減ってしまった。
(1990年調査の一日乗車人員1423人→2015年調査の同データ406人)
2007年に新築なった立派な駅舎だが、利用客はすっかり減ってしまった。
(1990年調査の一日乗車人員1423人→2015年調査の同データ406人)
すぐに千倉海岸へ行く。
春の房総の海は穏やか・・
海岸近くの家並み。
自作?の自転車リヤカーで道を走る
道端にキッチュな雑貨屋
雑貨屋の名は「Hay Flower」。古着も扱っている。
こういう店のたたずまいを見ると、千倉がただの田舎町ではないことを感じる。
こういう店のたたずまいを見ると、千倉がただの田舎町ではないことを感じる。
バス停「千倉中学校前」。
黄色いバス停とうす水色のベンチの対比がいい感じ。
黄色いバス停とうす水色のベンチの対比がいい感じ。
沿道には趣深い家屋がちらほら・・
こちらの家屋のある場所に「後藤利兵衛橘義光」生誕地と看板が立っている。
江戸時代の彫刻の名工であり「後藤流」の開祖とも言われる偉人らしい。
いまこの地に住まれているのは末裔の方か?不明だが、
どことなく開放的なお宅である。
江戸時代の彫刻の名工であり「後藤流」の開祖とも言われる偉人らしい。
いまこの地に住まれているのは末裔の方か?不明だが、
どことなく開放的なお宅である。
またしても洒落たお店あらわる。
古道具と器の「DAYS GALLARY」
古道具と器の「DAYS GALLARY」
こちらのバス停は「高家神社入口」。
千倉駅からこの道路沿いに南へ向かうバスで、おおむね一時間に一本。
千倉駅からこの道路沿いに南へ向かうバスで、おおむね一時間に一本。
少し開けたところに出てきた。
川尻川にかかる「千倉橋」
右の立派な建物は温泉旅館「千倉館」である。
すぐ向こうは海。
右の立派な建物は温泉旅館「千倉館」である。
すぐ向こうは海。
千倉橋のたもとにある魚屋「新吾」。
こちらの店、入れ代わり立ち代わりお客が来ており人気店であった。
こちらの店、入れ代わり立ち代わりお客が来ており人気店であった。
千倉橋を過ぎたこのあたりは沿道にずっと商店が並んでいる。
京葉銀行千倉支店があるところを見ると、このあたりが千倉の中心街か。
京葉銀行千倉支店があるところを見ると、このあたりが千倉の中心街か。
地名は「南朝夷」(みなみあさい)という
表通りから、すこし裏通りへ入ってみようと思う。
まずは海岸方向へ・・
再び通りに戻る。
引き続き南朝夷の商店街が続く。
洋品店、小間物屋、米穀店など・・昔ながらの店が並ぶ。
洋品店、小間物屋、米穀店など・・昔ながらの店が並ぶ。
左は菓子屋、右は眼鏡・時計・貴金属のお店。
このあたりが千倉の中心街と思ってきたが、近くバス停の名前は「北千倉」
町のまだまだ半分にも達していないということか?
このあたりが千倉の中心街と思ってきたが、近くバス停の名前は「北千倉」
町のまだまだ半分にも達していないということか?
再び通りをそれて、裏道(海方面)へ迷い込んでいく。
右に地魚料理の「大徳屋」
この坂の向うに海がある。
ここが千倉漁港
千倉漁港を皮切りに、南へ向かって「忽戸(こっと)漁港」「川口漁港」
「平磯漁港」「七浦漁港」「大川漁港」「白間津漁港」と続く。
千倉漁港を皮切りに、南へ向かって「忽戸(こっと)漁港」「川口漁港」
「平磯漁港」「七浦漁港」「大川漁港」「白間津漁港」と続く。
漁港だが、なんとなく垢抜けた感じもするのが千倉らしい。
防波堤の向うに潮騒。
通りに戻る。
沿道の商店街はまだまだ続いている。
今度は千葉銀行の千倉支店である。
左は料理旅館の「魚拓荘鈴木屋」
この沿道は、ここぞといった盛り上がり場所はないが
長い距離に渡って商店が断続的に途切れることなく続いている。
左は料理旅館の「魚拓荘鈴木屋」
この沿道は、ここぞといった盛り上がり場所はないが
長い距離に渡って商店が断続的に途切れることなく続いている。
脇道の表情も魅力的だ。
表通りは引き続き味のある店が続く・・
道はゆるやかにカーブを繰り返しながら、南へと続いていく。
バス停は「平舘」。
カーブの突き当り左側には「館山信用金庫千倉支店」が。
とするとまだここも中心街か。
バス停は「平舘」。
カーブの突き当り左側には「館山信用金庫千倉支店」が。
とするとまだここも中心街か。
それでもすこし鄙びてきた感じがする。
沿道にまた興味深い魚屋?を見つけた。
「カツオ」「トビ」と看板に書かれている。
これがお店の全景。お店の名前などは書かれていない。
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別の日のおなじ店。
今度は「マンボ」と書かれている。
たしかに、マンボウらしき魚が路上で(!)解体されている
手前には小魚を干す光景も。
手前には小魚を干す光景も。
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海へと続く道。
先ほどの名のない魚屋のすぐ先に、越紋商店がある。
こちらは一般受けする店構え。名前の通った鮮魚店らしく、客が次々に来る。
こちらは一般受けする店構え。名前の通った鮮魚店らしく、客が次々に来る。
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さらに南へ。
平磯地区。
このあたりまで来ると、お店はほとんどない。しかし民家はずっと続いている。
このあたりまで来ると、お店はほとんどない。しかし民家はずっと続いている。
ここでいったん国道を離れ、右手の丘の方へ登ってから南下を続けようと思う。
少し標高を稼ぐとすぐに海が見えるようになる
七浦の街並み。
房総では、家並みの上に水平線が見える・・と聞いたことがあるが
まさにこの情景か。
房総では、家並みの上に水平線が見える・・と聞いたことがあるが
まさにこの情景か。
山裾の民家
「高皇産霊神社」(たかみむすびじんじゃ)
古事記・日本書紀等の伝える天地造化の神、
高皇産巣日神を祭る神社。(館山などにもある)
古事記・日本書紀等の伝える天地造化の神、
高皇産巣日神を祭る神社。(館山などにもある)
右手に小さく映っているのが、今回の旅の相棒である自転車。
花畑
国道に下りてきた。
花畑の前にベンチが。
海側の沿道も花で埋まるようになると、花畑で有名な白間津(しまらづ)地区。
海産物と並ぶ千倉の特産のひとつに切り花がある。黒潮が沿岸を流れる南千倉はとくに冬も平均気温が10℃を下回ることがないというほど温暖。その気候を生かした花の栽培がさかん。種類はストック、キンギョソウ、キンセンカ、なでしこ、ポピー等で、なんと2~3月に最盛期を迎えるという。田んぼの裏作として栽培されているところも多く、多くは東京などの首都圏に出荷される。
千倉がどことなく垢抜けているのは、この花の栽培と無縁ではない気がする。
白間津の漁港。千倉町内としては最南端の漁港になる。
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再び、北千倉(南朝夷)あたりの家並み。
夕暮れ時もまた良い風情である。
千倉駅。
昔は特急もやってきた駅だが、今は完全なローカル駅。
昔は特急もやってきた駅だが、今は完全なローカル駅。
撮影:2016年3月、5月
本文:2017年4月、2020年4月
本文:2017年4月、2020年4月
2017-04-18 23:19
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