黒石 2016 [日本の町散歩(東北)]
弘前から直線距離で15キロ、郊外電車に揺られてわずか30分の距離にあるのが黒石。弘前に本藩があった津軽藩の支藩が置かれた地であり、弘前同様に「こみせ」もあれば「ねぷた」もあるという、まさに弘前とは兄弟のような関係の町である。「こみせ」は雪深い地方ならではの、歩道に設けられたアーケードのことであるが、弘前のそれがいかにも現代的なのに対し、黒石の「こみせ」はズバリ、江戸時代からのもの。まとまった形でそれが残っているのは、全国的にも黒石のみという貴重さである。
古めかしい木造のアーケードが続く風景を求めて、弘前からのプチトリップを敢行した。
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この消防屯所をすぎると、すぐに「中町」。
「こみせ」が連続して残されている重要伝統的建造物群保存地区である。
「こみせ」の中を歩いてみよう!
中町通りも「鳴海醸造店」を過ぎて少しすると、昔ながらの商家と「こみせ」の風景は終わってしまう。
しかし、今度は普段着の黒石が姿を見せてくれる。
ここから先は「中町」ではなく「前町」というそうだ。
こんどは、中町と前町の境から西に延びている「横町」を歩く。
昭和の高度成長期には銀座通りと並んで、黒石随一の繁華街だった通りである。
この横町の裏手に、先ほどの中町とをつなぐポケットパークのような隠れ広場がある。
商家の裏地、裏庭(かぐじ)をつないで作られたので「かぐじ広場」と呼ばれている。
さて、前町の通りが、いまは県道268号(黒石市役所通り)となっている内町の通りと交わる交差点から再び歩き出そう。
さて、こんどは前町、中町の一本東側の通り「浦町」を通って北上していこう。
ふたたび、中町通り。
「松の湯」に入ってみよう!
・・・・
こんどは横町から。
昭和の時代に、繁華街として賑わった街並みを歩く。
それにしても、黒石の印象は歯の抜けたような街並み。。
陰影と変化に富んだ町なのだが・・
なんとなく、寂しい気持ちのまま、駅方面へあるいていく。
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◎弘南鉄道弘南線の旅◎
「田舎」と名が付くのに、なんとなくカッコイイ駅名に惹かれて降りてみる。
田舎舘駅をあとにし、さらに3駅先の「津軽尾上(つがるおのえ)」駅で降りる。
古めかしい木造のアーケードが続く風景を求めて、弘前からのプチトリップを敢行した。
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弘前から黒石への足はこの弘南鉄道弘南線。
弘前から昼間でも30分に1本走っていて便利。黒石駅に到着。
弘前から昼間でも30分に1本走っていて便利。黒石駅に到着。
黒石駅前の様子。スーパーが併設されている。
ここから市の中心部までは徒歩で10分弱と、適度な距離感。
ここから市の中心部までは徒歩で10分弱と、適度な距離感。
黒石からも臨める岩木山。
黒石駅前に残る趣ある建物。元医院?
その右側の青い屋根の建物が1912年創業(!)の「すごう食堂」
その右側の青い屋根の建物が1912年創業(!)の「すごう食堂」
圓覚寺
いきなり蔵あらわる。
青い森信用金庫黒石支店の敷地内にあるように思われるが
青い森信用金庫黒石支店の敷地内にあるように思われるが
一番町通り。
中心部と駅とをつなぐ役割を果たした商店街だった様子。
中心部と駅とをつなぐ役割を果たした商店街だった様子。
一番町通りから東へ折れると甲徳兵衛町。
黒石を代表する飲み屋街の通りである。
黒石を代表する飲み屋街の通りである。
ほとんどは現役の店のようだ。
みちのくの小さな町なのにこんなに立派な飲み屋街があって驚く。
みちのくの小さな町なのにこんなに立派な飲み屋街があって驚く。
甲徳兵衛町の建物はスナック街
甲徳兵衛町と横町をつなぐ路地「よされ横丁」
北国の飲み屋街は独特の雰囲気がある。
こちらは「株梗木横丁(ぐみのきよこちょう)」と呼ばれる通り。
正式町名にもなっている。由来が気になるが。。
正式町名にもなっている。由来が気になるが。。
甲徳兵衛町を東進すると・・火の見櫓?
こちら、地元の消防団の「第三屯所」とのこと。
弘前でも特徴のある消防団屯所があったが、
火の見櫓を備えたこうした屯所は、北の国ならでは?かもしれない。
弘前でも特徴のある消防団屯所があったが、
火の見櫓を備えたこうした屯所は、北の国ならでは?かもしれない。
この消防屯所をすぎると、すぐに「中町」。
「こみせ」が連続して残されている重要伝統的建造物群保存地区である。
甲徳兵衛町と中町との交差点に面して建つ「松の湯交流館」
その名のとおり元銭湯の建物を保存し観光拠点施設にしたもの
その名のとおり元銭湯の建物を保存し観光拠点施設にしたもの
こちらは「松の湯」の斜向かいに建つ「中村亀吉酒造」
銘酒「玉垂」等で知られる大正2年創業の現役の酒蔵だ。
銘酒「玉垂」等で知られる大正2年創業の現役の酒蔵だ。
「中村亀吉」前から今度は向かいを見る。
こちらも「こみせ」の張り出した立派な建物。「西谷家」とされるが内部へは入れない様子。
こちらも「こみせ」の張り出した立派な建物。「西谷家」とされるが内部へは入れない様子。
中町通りの様子。左が中村亀吉酒造。
「こみせ」の途切れている部分もある。
「こみせ」の途切れている部分もある。
「こみせ」の中を歩いてみよう!
ベンチのあるところも。
「菊乃井」の看板を掲げるのは「鳴海醸造店」。江戸時代創業の造り酒屋だ。
さきほどの「中村亀吉」と並んで至近距離に二つの造り酒屋があるとは素敵だ。
さきほどの「中村亀吉」と並んで至近距離に二つの造り酒屋があるとは素敵だ。
中町通りも「鳴海醸造店」を過ぎて少しすると、昔ながらの商家と「こみせ」の風景は終わってしまう。
しかし、今度は普段着の黒石が姿を見せてくれる。
ここから先は「中町」ではなく「前町」というそうだ。
左側「マルチ薬局」さんの独自の「こみせ」が嬉しい
向かいの看板建築の建物も、「こみせ」とはちょっと違うが
ひさしが歩道に張り出しているのが分かる
向かいの看板建築の建物も、「こみせ」とはちょっと違うが
ひさしが歩道に張り出しているのが分かる
「マルチ薬局」を外からみたところ。
これはこれで立派な建物。「こみせ」も道路との間に仕切りがついている。
これはこれで立派な建物。「こみせ」も道路との間に仕切りがついている。
つづく「マルチ商会」(農薬、肥料)も、昭和風「こみせ」付き。
伝統的な「こみせ」が途切れても中町に続く前町には昭和の「こみせ」が続く。
シャッターが閉められた建物も多いが、銀行や新聞社もあって面目を保つ前町通り。
右端の蔵には喫茶店が入る。
シャッターが閉められた建物も多いが、銀行や新聞社もあって面目を保つ前町通り。
右端の蔵には喫茶店が入る。
少し進むと右手に立派な現役店舗
大正2年創業、「上原呉服店」である。
建物は昭和6年築という。
建物は昭和6年築という。
上原呉服店の斜向かいに伝統ありそうな商家建築。奥に長い。
何屋だったかはよく分からないが、どうも上原呉服店に関連ある建物の様子。
何屋だったかはよく分からないが、どうも上原呉服店に関連ある建物の様子。
ずいぶんと奥に長いのだが、着物の仕立て工房か何かだったのだろうか。
あるいは、上原家は呉服店の前は酒造業を営んでいたというから
その名残の建物だろうか。そうだとすればすごい歴史の遺産だ。
あるいは、上原家は呉服店の前は酒造業を営んでいたというから
その名残の建物だろうか。そうだとすればすごい歴史の遺産だ。
開口部にはトロッコのレールが。奥までずっと続いている模様。
向かいのこの何気ない家?も、どことなく趣がある。
「囲碁センター」??
なかなか多彩な前町通り。
なかなか多彩な前町通り。
「黒石ガス」も昭和の「こみせ」付き。
こんどは、中町と前町の境から西に延びている「横町」を歩く。
昭和の高度成長期には銀座通りと並んで、黒石随一の繁華街だった通りである。
こちらも昭和の「こみせ」のある店が多い。
「横町で揃わないものはない」とまで言われた商店街であった。
この横町の裏手に、先ほどの中町とをつなぐポケットパークのような隠れ広場がある。
商家の裏地、裏庭(かぐじ)をつないで作られたので「かぐじ広場」と呼ばれている。
トイレなどの他、水路なども整備されていて、ほっと一息つける
中町へ抜ける路地には「こみせ長屋」があり
カフェなど新たな四店舗が入る。
「こみせ長屋」は、隣接する髙橋家が私財を投じて建設したものという。
カフェなど新たな四店舗が入る。
「こみせ長屋」は、隣接する髙橋家が私財を投じて建設したものという。
さて、前町の通りが、いまは県道268号(黒石市役所通り)となっている内町の通りと交わる交差点から再び歩き出そう。
前町と内町の交差点にも、ちょっと目を引く建物が。
交差点を東に入ったところ。
県道268号線にて東方向を見る。こちらは山形町となる。
黒石温泉郷へとつながる重要な道で、旧国道102号でもある。
左奥に山形町消防屯所の赤い火の見櫓が見える。
黒石温泉郷へとつながる重要な道で、旧国道102号でもある。
左奥に山形町消防屯所の赤い火の見櫓が見える。
こじんまりとした「こみせ」?がついているところも。
これもまた「こみせ」であろう。
さて、こんどは前町、中町の一本東側の通り「浦町」を通って北上していこう。
すぐのところにある「工藤寝具店」
見事な看板建築。この通りもかつては栄えたのかもしれない。
見事な看板建築。この通りもかつては栄えたのかもしれない。
工藤寝具店の奥にはレンガ造りの立派な倉庫がある。
少し変わった、破風付き玄関の民家。ただの家ではない?
向かいの角地もその昔、賑わいを見せた様子がうかがえる
そして次の一角もどことなく・・
左の建物は理髪店だった様子。右は、どことなくカフェー風?
さらに北へ進むと、青い屋根と赤い屋根。
青い屋根は現役の「中村旅館」である。
「中村旅館」入り口。ちょっと普通と違う趣き・・?
と思ったら、明治9年創業の由緒正しき遊郭であったそう。
ほかにも浦町には遊郭が数軒あったとのこと。
この通りのどことなく艶っぽい名残の数々も納得である。
と思ったら、明治9年創業の由緒正しき遊郭であったそう。
ほかにも浦町には遊郭が数軒あったとのこと。
この通りのどことなく艶っぽい名残の数々も納得である。
むー、なんとも貴重な時代の語り部
つづく「赤い屋根」のほうは重厚な蔵。
こんなに大きな蔵はいったいどこの??と思ったら、このちょうど表通りである中町に
造り酒屋の鳴海醸造店があったことを思い出した。
こんなに大きな蔵はいったいどこの??と思ったら、このちょうど表通りである中町に
造り酒屋の鳴海醸造店があったことを思い出した。
中町方面をみたところ。
造り酒屋の裏手。いまも風情豊かに。
鳴海醸造店の裏側。それにしても大きいなあ。
もう少し北上したところに、木戸を開けて裏口から入れるようになっている敷地が。
入ってみるとまた重厚な蔵と庭。中町が表側、浦町側がその名のとおり裏口となる。
鳴海醸造店とはまた別の旧家のようだが、こちらも大きな敷地である。
鳴海醸造店とはまた別の旧家のようだが、こちらも大きな敷地である。
と、蔵はそば店となっている様子。
中庭の様子。鳴海醸造店の煙突が見える。
この敷地は現在、津軽こみせ株式会社という地元組織が
「こみせ駅」として観光物産施設やライブスペースなどを運営している。
1980年代半ば、旧家がここを手放したあと、マンションになろうとしていたのを
地元有志が共同で買い取って保存へと動いたものだという。
「こみせ駅」として観光物産施設やライブスペースなどを運営している。
1980年代半ば、旧家がここを手放したあと、マンションになろうとしていたのを
地元有志が共同で買い取って保存へと動いたものだという。
中央に水飲み場のようなものが見えるが、八甲田山系の湧水であるという。
黒石は豊富な伏流水の町。造り酒屋が目立つわけだ。
黒石は豊富な伏流水の町。造り酒屋が目立つわけだ。
「津軽こみせ駅」敷地内から中町通りを見る
ふたたび、中町通り。
中央の白い大きな町家が「津軽こみせ駅」
髙橋家住宅。
再び「松の湯」。
銭湯としての廃業は1993年、交流施設としてリノベーションされ再オープン
したのは、なんと2015年。20年以上経ての再生である。
銭湯としての廃業は1993年、交流施設としてリノベーションされ再オープン
したのは、なんと2015年。20年以上経ての再生である。
「松の湯」に入ってみよう!
旧浴室部分には、浴槽などが当時のままに残されつつ
そこで観光情報をパソコン等で検索できるという面白さ。
そこで観光情報をパソコン等で検索できるという面白さ。
旧男湯のほうはサロンとして大幅にリノベーションされ
テーブル等が並んで会議や勉強会などが開けるようになっている。
テーブル等が並んで会議や勉強会などが開けるようになっている。
そして奥には座敷がいくつか。
観光客向けの施設にとどまらず、市民が気軽に利用できる交流の場にした点が良い。
営利目的でなければ、座敷もサロンも数百円で利用できるらしい。
観光客向けの施設にとどまらず、市民が気軽に利用できる交流の場にした点が良い。
営利目的でなければ、座敷もサロンも数百円で利用できるらしい。
・・・・
こんどは横町から。
昭和の時代に、繁華街として賑わった街並みを歩く。
横町を西へ進むと、やや営業店舗の多く残る界隈になる。
ここが南北に走る「銀座通り」との交差点。
戦前から高度成長期にかけて、最も賑わったところだという。
ここが南北に走る「銀座通り」との交差点。
戦前から高度成長期にかけて、最も賑わったところだという。
横町と銀座通りの交差点。
銀座通りも、ランドマークの「大黒デパート」も消え、
今は歯抜けのようになってしまった。
銀座通りも、ランドマークの「大黒デパート」も消え、
今は歯抜けのようになってしまった。
さびれ切った中心街だが、交差点付近にはいまも銀行が並ぶ。
横町も、銀座通りを超えて西側は「上町」となる。
上町も、昭和の「こみせ」を持つ店舗が多い。
とはいえ、やはり悲しくなるほどの歯抜け状態だ。
とはいえ、やはり悲しくなるほどの歯抜け状態だ。
一軒、立派な店構えの現役店舗があった。「山田肥料店」
斜向かいのこちらの写真屋さんがまたすごい。
上町の突き当りに、また立派な櫓つきの消防屯所。
消防が本当に大事だったことが分かる。
いまも健在の飲み屋街「よされ小路」への入口。
甲徳兵衛町。
商店街はさびれたが、飲み屋街は不滅です!
商店街はさびれたが、飲み屋街は不滅です!
それにしても、黒石の印象は歯の抜けたような街並み。。
陰影と変化に富んだ町なのだが・・
なんとなく、寂しい気持ちのまま、駅方面へあるいていく。
健全な住宅街・・と思っていたら
突如スナックのなれの果て??のような建物が。
建物の間にひそやかな路地があるので、抜けてみる。
突如スナックのなれの果て??のような建物が。
建物の間にひそやかな路地があるので、抜けてみる。
斜陽・・・
すぐに通り抜けてしまったが、白昼夢を見たような一角。
「新興街」。
「新興街」。
黒石駅に戻ってきました。
西陽の差す中、弘前へ戻ろうと思う。
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◎弘南鉄道弘南線の旅◎
広い構内を持つ黒石駅。
昭和59年まではこの左側に同じくらいの広さの国鉄黒石駅もあった。
昭和59年まではこの左側に同じくらいの広さの国鉄黒石駅もあった。
黒石から二駅目の「田舎館(いなかだて)」駅。
「田舎」と名が付くのに、なんとなくカッコイイ駅名に惹かれて降りてみる。
津軽平野の真っただ中に位置する田舎舘村の唯一の駅という。
駅前は倉庫と田んぼだけ。雄大な眺め。
村の中心は駅からだいぶ離れたところにあるそうだ。
村の中心は駅からだいぶ離れたところにあるそうだ。
田舎舘駅の待合室。以前は喫茶店を併設していたそうだ。
いまは喫茶店も閉まり、無人駅。
いまは喫茶店も閉まり、無人駅。
田舎舘駅をあとにし、さらに3駅先の「津軽尾上(つがるおのえ)」駅で降りる。
津軽尾上駅は旧尾上町(2006年に平賀町等と合併し平川市となる)の中心駅。
立派な駅舎にはいまも駅員が勤務し、駅前には銀行や商店も健在である。
立派な駅舎にはいまも駅員が勤務し、駅前には銀行や商店も健在である。
駅近くにある大きなりんご倉庫
尾上高校前駅と、弘南線の電車。
写真:2016年5月
本文:2017年5月、2020年5月
本文:2017年5月、2020年5月
2017-05-19 00:13
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