東京<椎名町> 2010~2016 [日本の町散歩(関東)]
わが街、椎名町。2010年からここに住み始めてかれこれ7年になる。自慢じゃないが、私はかれこれ20回程度引っ越しをし、それと同じ数だけの街に住んできた。どの街も捨てがたい、その街ならではの良さがあったがしかし、椎名町ほど私の肌によくなじみ、住んでいて飽きの来ない街は初めてである。2013年に私は縁あって結婚したが、結婚してからもこの街を離れることができず、やっぱり住んでいる。ありがたいことに、嫁もこの街を気に入ってくれている。
西武線に乗って池袋からわずかひと駅。サンシャインやメトロポリタンを間近に感じながらも、ここは一転、古アパートが並ぶ、普段着にサンダル履きの下町である。かといって台東、江東の下町のような江戸っ子気質的な狭量な雰囲気もなければ、板橋の下町のような不良少年的チャキチャキさもない。都心近くにありながら、若者が多いわけでもなく、至って特徴のない日々つつがない日常が当たり前のように繰り返されるだけの穏やかなこの街は、だからこそ離れがたく、もはや自分の体の一部のようにも感じられるほどに、何気ないのである。
だが何事にも終わりがある。2016年、ついにこの街を離れなければならない時がきた。これを機に、今まで少しずつ撮って来た自宅周辺の町並み写真を、ここでほぼ撮影時期順にまとめておきたいと思う。
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夕暮れ時の旧椎名町駅。
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朝の南長崎あたり。
私は2010年から2014年まで、ガスト豊玉北店で深夜アルバイトをしていた。朝陽の中、町を自転車で帰ってくるのが気持ちよかった。
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長崎一丁目界隈。西武線より北側、長崎神社のある一帯が「長崎」である。
2010年5月から2013年9月に結婚するまで、私はこの街の古アパートに住み、独身最後の日々を謳歌した。
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再び朝。
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梅雨空の路地もまた良きかな。
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秋の椎名町公園。
椎名町駅南口近くにあるこの公園は、いつも人がたくさんいて、活気のある公園。
午後から夕方にかけては、子供とママさん達が常に鈴なりで、日本の少子化問題をしばし忘れることができる。
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季節変わって・・・
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これ以降、デジタル一眼レフでの撮影となる。
長崎1丁目界隈。
千早二丁目~長崎二丁目あたり。
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<おまけ>
椎名町周辺、銭湯めぐり
西武線に乗って池袋からわずかひと駅。サンシャインやメトロポリタンを間近に感じながらも、ここは一転、古アパートが並ぶ、普段着にサンダル履きの下町である。かといって台東、江東の下町のような江戸っ子気質的な狭量な雰囲気もなければ、板橋の下町のような不良少年的チャキチャキさもない。都心近くにありながら、若者が多いわけでもなく、至って特徴のない日々つつがない日常が当たり前のように繰り返されるだけの穏やかなこの街は、だからこそ離れがたく、もはや自分の体の一部のようにも感じられるほどに、何気ないのである。
だが何事にも終わりがある。2016年、ついにこの街を離れなければならない時がきた。これを機に、今まで少しずつ撮って来た自宅周辺の町並み写真を、ここでほぼ撮影時期順にまとめておきたいと思う。
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2010年の椎名町駅。まだ橋上駅化されておらず、駅前は非常に狭かった。
だが、それが良かった。
だが、それが良かった。
街からすぐに改札、そして改札をくぐれば即電車に飛び乗れた。
夕暮れ時の旧椎名町駅。
右に立喰い肉うどんの「南天」が見える。
「南天」には大変お世話になった。
「南天」には大変お世話になった。
駅前から一筋北側、西武線と平行して伸びるこの細い商店街が、
椎名町のメインストリート。椎名町発祥の「福しん」も見える。
椎名町のメインストリート。椎名町発祥の「福しん」も見える。
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朝の南長崎あたり。
私は2010年から2014年まで、ガスト豊玉北店で深夜アルバイトをしていた。朝陽の中、町を自転車で帰ってくるのが気持ちよかった。
南長崎地区を東西に貫通する「清戸道」沿いに残る旧家「岩崎家」
いまも住まれている。
いまも住まれている。
奇跡のように残る未舗装の路地。南長崎二丁目。
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長崎一丁目界隈。西武線より北側、長崎神社のある一帯が「長崎」である。
2010年5月から2013年9月に結婚するまで、私はこの街の古アパートに住み、独身最後の日々を謳歌した。
猫の多い町でもあった。
わがアパートのすぐ近くにあった氷屋「小村氷室」。
小さな工場のようなところもちらほらあった。
こちらでは、木材の加工のような仕事をされていた。
こちらでは、木材の加工のような仕事をされていた。
ちょっとした路地がたくさんあった。
その奥にアパートや家。草むした路地は椎名町の魅力のひとつ。
その奥にアパートや家。草むした路地は椎名町の魅力のひとつ。
西武線はやはりこの黄色い電車でなくては。
東長崎駅界隈
今日はここまで・・
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再び朝。
自宅アパート近く、「小村氷室」前の路地
椎名町在住の誰もが愛する名店、中華の「タカノ」近くにて。
長崎神社
細い、魅力的な路地
椎名町の不動産といえば・・アクティスさんです。
お世話になりました。
お世話になりました。
こちらの路地は、アパート「小林荘」の入口。
右側の階段の下が私の部屋。
右側の階段の下が私の部屋。
小林荘の小さな庭。
干してある布団は、何を隠そう、私のです。
干してある布団は、何を隠そう、私のです。
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椎名町駅改札からほど近い、短いアーケード街「すずらん通り」
駅側入口脇の果物屋さんが代替わりして、ほっこりカフェ「のら」に。
名物はもちろん、季節のフルーツのパフェ。
駅側入口脇の果物屋さんが代替わりして、ほっこりカフェ「のら」に。
名物はもちろん、季節のフルーツのパフェ。
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東長崎駅近くの「椎名町6号」踏切。
こちらも町に溶け込む零細企業。
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梅雨空の路地もまた良きかな。
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こちらもまた文化財的アパートメント。
椎名町5号踏切近く。
椎名町5号踏切近く。
この「山野荘」へのアプローチも心憎いばかり。
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秋の椎名町公園。
椎名町駅南口近くにあるこの公園は、いつも人がたくさんいて、活気のある公園。
午後から夕方にかけては、子供とママさん達が常に鈴なりで、日本の少子化問題をしばし忘れることができる。
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季節変わって・・・
左にエアポケットのように小さな公園。南長崎3丁目第二公園。
右に、これまた小さな「すぎのこカフェ」。
右に、これまた小さな「すぎのこカフェ」。
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これ以降、デジタル一眼レフでの撮影となる。
長崎1丁目界隈。
千早二丁目~長崎二丁目あたり。
珍しくカーブする道筋。
長崎も千早の境目あたりで、このような道が見られた。
私のジョギングコースでもあった。
長崎も千早の境目あたりで、このような道が見られた。
私のジョギングコースでもあった。
東京の住宅地は、関西の下町住宅地に比べて緑が多いように思う。
住宅街の中にも、理髪店や青果店等、ちょこちょこ店がある。
こうした飾らないたたずまいが本当に好きだった。
この通りは長崎地区を東西に貫くメイン通りであり、お店も多い。
道に張り出した樹木。
このあたりが農村だったころから生えているのだろう。
このあたりが農村だったころから生えているのだろう。
「クラシックレッドアロー」が見える。
椎名町のメインストリートの一つ、サンロ~ド
マツキヨの向こうが、地元密着スーパー「アルス」。
駅前の「サミット」ともども椎名町には無くてはならない存在。
右には「四文屋」「博多屋」と、焼きとん屋が並ぶ。
マツキヨの向こうが、地元密着スーパー「アルス」。
駅前の「サミット」ともども椎名町には無くてはならない存在。
右には「四文屋」「博多屋」と、焼きとん屋が並ぶ。
スーパー「サミット」脇の細い商店街。
居酒屋の教科書とまで言われる名店「北の誉(ほまれ)」、
おじさんが一人で頑張っている洋食屋「キッチン彩」等、
懐かしきお店の数々が、この通り沿いにある。
居酒屋の教科書とまで言われる名店「北の誉(ほまれ)」、
おじさんが一人で頑張っている洋食屋「キッチン彩」等、
懐かしきお店の数々が、この通り沿いにある。
駅前のサミット横踏切。
ホロトンラーメンの向うに親子連れでにぎわう椎名町公園。
南長崎1丁目。富士見台小学校裏手。
こちらの瀟洒?なマンションこそが、結婚後の我々夫婦の住まい「メゾンカルム椎名町」
1983年築。やや時代を感じさせる造作が、むしろ心地よかった。
よく手入れされた、良いマンションでした。
よく手入れされた、良いマンションでした。
私の愛機。大阪時代から10年近く乗っている。
メゾンカルム、すぐ裏手のこの風景が好きでした。
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<おまけ>
椎名町周辺、銭湯めぐり
2017-06-02 01:02
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