長井 2016 [日本の町散歩(東北)]
最上川の河口にある酒田から北前船が出て、さかんに京・大坂との交易を行ったことはよく知られているが、この北前船、酒田からさらに最上川をさかのぼり、流域にある多くの町々とも直接交易を行っていたという。そのうち、最も上流にあった町が長井である。最上川河口からさかのぼること170km、北前船はここまでやってきた。長井の最上川畔にはふたつの船着き場が出来、長井は「山の港町」としてたいへん栄えた。
現在の長井は、観光ガイドにも取り上げられず、街並み保存という面でも名前が挙がることは少ない。中心市街地の衰退は著しく、連続した古い町並みは期待できないが、歩いてみるとそうした中に意外に多くの商家建築が残っていることに驚かされる。点在する豪商たちの住まいを訪ね歩けば、往時のこの街の繁栄を十分しのぶことができるし、味噌、醬油、酒等の昔ながらの蔵や、伝統産業の織物(紬)などの名産品がまだまだ現役なのも特筆すべきことだ。それだけではない。町には四方八方の山々から最上川へと流れ込む水が集まる。これらの水路が悠久の昔から町に張り巡らされ、いまも清冽な流れをいっぱいにたたえて町じゅうを潤している様子がなんとも心地よく、かけがえのないこの街の財産となっている。
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長井の旧市街は、この交差点より北側の「宮地区」と南側「小出地区」に分かれるようだ。
まずは県道を北にたどり、「宮地区」へ向かうことにする。
さて撞木橋を越えると、大町地区だ。
商店街になっている様子で、橋の北端に大きなアーチがかかっている。
大町商店街が終わる交差点から、今度は西へ入ってみる。
さて、再び「丸大扇屋」のほうに向き直る。
そしてびっくり、扇屋の裏には、またこんな瀟洒な洋館が緑に囲まれて鎮座していた!
この通りは「郡是通り」というらしい。郡是、とは「ぐんぜ」と読む。
そう、あの肌着メーカー「グンゼ」である。グンゼの工場が、この通りをもっと南に行ったところにあるらしい。
とにかく、商店も両サイドにちらほらあり、どことなく明るい雰囲気のする通りである。
途中、郡是通りからさらに西側へ、心惹かれる路地が伸びていたので、そちらへ入っていく。
こんな風景が住宅地の真ん中に残っているなんて、・・
長井の知られざる遺産ではないだろうか。
さて、再び撞木橋(しゅもくばし)へと戻ってきた。
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長井橋へと出て来た。
下を流れるのは最上川。このすぐ南側(上流側)に木蓮川の注ぎ口がある。
すばらしい湧水の川をたどってゆくと、ふと大きな建物が正面に見えて来た。
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午後、今度は菓子店「中央安城」のある交差点から、南側の「小出地区」をめぐってみようと思う。
このあたりから少し裏道に入ってみることにする。
ここから「大桶川」の流れに沿って、西(最上川)方面へ戻ってゆくことにする。
この立体交差水路は、もちろん人工的なものだが、江戸時代からあるものというから驚く。
大桶川は当時、少し下流で武家屋敷の敷地を貫通して流れていたらしいが、その流量を一定以下に抑えるための工夫であるという。昔の人の知恵はすごい。
全国的にも珍しい立体交差水路の昂奮冷めやらぬ中、町の中央部へと踵を返してゆく。
こんどは、旧羽陽銀行長井支店のある角から、町の中心部を戻る南北の道筋をたどる。
こちらはいまも「粡(あら)町」として明らかに商店街を形成しており、古い家並みが最も残る地区としても知られる。
と、美術館の裏側(東側)にこれまた素敵な流れを発見!!
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さて、趣深い「粡(あら)町通り」をあとに、さらに北進すると、道はそのまま「本町通り」へと変わる。この辺りは、先ほども見たように拡幅工事が行われているようだ。
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翌朝。長井を発つ時間までの間、昨日印象深かった小出地区を再度歩いてみようとやってきた。
いよいよ粡(あら)町通り、再び。
さて、列車の時間が近づいてきたので、駅へ向かうとしよう。
現在の長井は、観光ガイドにも取り上げられず、街並み保存という面でも名前が挙がることは少ない。中心市街地の衰退は著しく、連続した古い町並みは期待できないが、歩いてみるとそうした中に意外に多くの商家建築が残っていることに驚かされる。点在する豪商たちの住まいを訪ね歩けば、往時のこの街の繁栄を十分しのぶことができるし、味噌、醬油、酒等の昔ながらの蔵や、伝統産業の織物(紬)などの名産品がまだまだ現役なのも特筆すべきことだ。それだけではない。町には四方八方の山々から最上川へと流れ込む水が集まる。これらの水路が悠久の昔から町に張り巡らされ、いまも清冽な流れをいっぱいにたたえて町じゅうを潤している様子がなんとも心地よく、かけがえのないこの街の財産となっている。
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山形鉄道フラワー長井線、長井駅に上り列車が到着。
一両の列車からは乗降客はいなかったが、若い運転士はホームに降りて手元の時計を確認。
一両の列車からは乗降客はいなかったが、若い運転士はホームに降りて手元の時計を確認。
待ち合わせとなる下り列車がやってくる。
先ほどの若い運転士は、乗客が少なくても挙手して安全の合図を送っている。
先ほどの若い運転士は、乗客が少なくても挙手して安全の合図を送っている。
そして、若い運転士の列車は定刻どおり出発していった。
静かな駅。
静かな駅。
水色の駅舎が、わずかな降車客を迎えてくれる。
開業当初からの面影を残す、レトロな長井駅の駅舎。
駅舎内は、ちょっとした食べ物屋のような店があり、ベンチや小上がり(!)が。
あと、壁際には本棚があり、小さな図書室のようにもなっている。
あと、壁際には本棚があり、小さな図書室のようにもなっている。
さらには野菜直売所になっている一角も。
しかし、ひと気はほとんどなく、駅は静まり帰っていた。
しかし、ひと気はほとんどなく、駅は静まり帰っていた。
長井駅正面。大きくはないが、町の玄関に相応しい堂々たる構えだ。
駅前にあるビジネスホテル「和泉屋」。
もとは駅前旅館だったのだろうか。小さくても清潔で快適なホテルだった。
もとは駅前旅館だったのだろうか。小さくても清潔で快適なホテルだった。
午前10時の長井駅前通り。人っ子ひとりいない。
駅前通りを東へ。町の中心部へ向けて歩いてゆく。
4分ほどで、県道9号に出る。
駅前通りと直交するこの通りが、長井の旧市街を南北に縦貫するメインストリートらしい。
ここまで来ると多数の車が走っており、人もちょこちょこ見掛けてちょっと安心。
角にある「中央安城」は、「はぎせんべい」で有名なお菓子やとのこと。
駅前通りと直交するこの通りが、長井の旧市街を南北に縦貫するメインストリートらしい。
ここまで来ると多数の車が走っており、人もちょこちょこ見掛けてちょっと安心。
角にある「中央安城」は、「はぎせんべい」で有名なお菓子やとのこと。
長井の旧市街は、この交差点より北側の「宮地区」と南側「小出地区」に分かれるようだ。
まずは県道を北にたどり、「宮地区」へ向かうことにする。
北に向かって歩き出すとすぐこの「芳賀醤油店」がある。
やはり長井は水の町なのか。
やはり長井は水の町なのか。
脇道の風情も味があるように思う。
しばらく北進したところで小さなせせらぎに架かる橋がある。
撞木橋(しゅもくばし)といい、欄干の行灯がおしゃれだ。
撞木橋(しゅもくばし)といい、欄干の行灯がおしゃれだ。
撞木橋の下を流れるのは撞木川。
向うの木立ちは、摂取院というお寺のようだ。
向うの木立ちは、摂取院というお寺のようだ。
少し離れてみたところ。
ほとばしるような撞木川の流れ。
ほとばしるような撞木川の流れ。
さて撞木橋を越えると、大町地区だ。
商店街になっている様子で、橋の北端に大きなアーチがかかっている。
洋品店、薬局、精肉店など、なるほどちらほらお店がある。
歯抜けではあるが、完全なシャッター通りではなく安心する。
商店街は500メートルほど。北端にもアーチがある。
商店街方面をふりかえってみたところ。
商店街方面をふりかえってみたところ。
大町商店街が終わる交差点から、今度は西へ入ってみる。
この通りもいい雰囲気。
左に見える茅葺きの商店はなんと現役の荒物屋「鍋屋本店」
左に見える茅葺きの商店はなんと現役の荒物屋「鍋屋本店」
さらに少し進むと、また趣き深そうな古民家が左に。
ずいぶんと立派な商家だ。「扇屋」とある。
最上川の水運で関西と取引きして栄えた反物屋「丸大扇屋」の跡だそうだ。
いまはきれいに修復されて資料館として保存されている様子。
最上川の水運で関西と取引きして栄えた反物屋「丸大扇屋」の跡だそうだ。
いまはきれいに修復されて資料館として保存されている様子。
扇屋の前から今歩いてきた道筋を振り返る。
左の煙突のある建物は、あとで調べたら「長沼酒造」という現役の酒蔵だった。
(その時気付かなかったことを悔やむ・・)
左の煙突のある建物は、あとで調べたら「長沼酒造」という現役の酒蔵だった。
(その時気付かなかったことを悔やむ・・)
何気なく撮った、扇屋前の交差点の向こうにも面白い屋根の建物が。
これもあとで調べたら貿上(ぼうじょう)醤油店という現役の醤油蔵だった。
酒に醤油と、やはりここが水の町であることの何よりの証拠である。
このあたりは十日町地区といい、商家の多いエリアであった様子だ。
これもあとで調べたら貿上(ぼうじょう)醤油店という現役の醤油蔵だった。
酒に醤油と、やはりここが水の町であることの何よりの証拠である。
このあたりは十日町地区といい、商家の多いエリアであった様子だ。
さて、再び「丸大扇屋」のほうに向き直る。
通りに面した店舗?の背後に大きな茅葺の母屋があることに気づく。
見世蔵に入ってみると、かつての商家時代の雰囲気を伝える設え。
見世蔵を抜けると通路があり、様々な蔵が点在する商家独特の作り。
そして立派な母屋。
地域の物産を扱う小さなお店があることが好ましい。
奥にも迷路のように大小の蔵があり、かなり栄えた商家だったことが偲ばれる。
裏手に出て「扇屋」を振り返って見たところ。
そしてびっくり、扇屋の裏には、またこんな瀟洒な洋館が緑に囲まれて鎮座していた!
こちらは、なんと明治11年建築の旧西置賜郡役所だという。
戦国時代に「小桜城」という城があった地であるという歴史に驚く。
旧役所は美しく修復され、いまも「小桜館」名で、
地域の公民館がわりに使用されているというからまた驚く。
戦国時代に「小桜城」という城があった地であるという歴史に驚く。
旧役所は美しく修復され、いまも「小桜館」名で、
地域の公民館がわりに使用されているというからまた驚く。
「小桜館」正面へと続くこのプロムナードがまた素敵だ。
じつは先ほどの「大町商店街」から脇に入ればすぐだった。
じつは先ほどの「大町商店街」から脇に入ればすぐだった。
こちらは「小桜館」の南側の道筋。
そう言われれば、どことなく城跡のような風情も感じる。
そう言われれば、どことなく城跡のような風情も感じる。
小桜館の西側の通りに出て来た。
先ほどの大町通り商店街の一本西の通りである。
先ほどの大町通り商店街の一本西の通りである。
この通りは「郡是通り」というらしい。郡是、とは「ぐんぜ」と読む。
そう、あの肌着メーカー「グンゼ」である。グンゼの工場が、この通りをもっと南に行ったところにあるらしい。
とにかく、商店も両サイドにちらほらあり、どことなく明るい雰囲気のする通りである。
道路脇の民家の玄関先。
途中、郡是通りからさらに西側へ、心惹かれる路地が伸びていたので、そちらへ入っていく。
チャーミングな高野町界隈の路地。
と、民家の脇に、水路を発見!
清らかな水がとうとうと流れている
このあたりは護岸すらされていない、自然のままの「瀬」である。
やはり最上川に注ぐのであろうか。
こんな風景が住宅地の真ん中に残っているなんて、・・
長井の知られざる遺産ではないだろうか。
先ほどの流れは、駅近くの栄町方面へと上流を辿ることができる
駅近くの栄町あたりも、よく見るとたくさんの水路がある。
さて、再び撞木橋(しゅもくばし)へと戻ってきた。
この撞木川は、さきほどの栄町のあちこちで見かけた水路の水を集めたものだろう。
撞木川のせせらぎに沿った散歩道は気持ちがいい
最上川に向かって注ぎ込んでいくのだろう
最上川への注ぎ口近く、撞木川と木蓮川の合流点あたり
木蓮川に合流しとうとうとした流れに。
まもなく最上川へと合流する。
まもなく最上川へと合流する。
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長井橋へと出て来た。
下を流れるのは最上川。このすぐ南側(上流側)に木蓮川の注ぎ口がある。
町の名前が付いた橋だけあり、長井の市街地から対岸に渡る唯一の橋である。
長井橋から北を見たところ。こちらが下流である。
ずっとずっと下ってゆくと、酒田なのだ。
ずっとずっと下ってゆくと、酒田なのだ。
そしてこちらが南側(上流側)。
河口から150kmも上がってきたかなりの上流なのだが、この川幅。さすが最上は大河である。
右の細い支流は木蓮川。
河口から150kmも上がってきたかなりの上流なのだが、この川幅。さすが最上は大河である。
右の細い支流は木蓮川。
そして木蓮川との分かれ目のあたりのこの場所が、かつての「宮」船着き場であるという。
少し上流の「小出」船着き場とともに、長井に文化と繁栄をもたらした港。
感慨深いものがある。
右が木蓮川、左は最上川の本流にある堰を避けるカヌー等の為の新しい「舟通し水路」
感慨深いものがある。
右が木蓮川、左は最上川の本流にある堰を避けるカヌー等の為の新しい「舟通し水路」
最上川の土手。
こちらは河川敷の遊歩道。
河川敷には梅林がある。
このあたりが「小出」船着き場があったあたりだという。
「小出」船着き場跡を南側から見たところ。
手前の川は、最上川に流れ込む野呂川の流れ。
手前の川は、最上川に流れ込む野呂川の流れ。
河川敷を蛇行する支流(大桶川?)の流れ。
すばらしい湧水の川をたどってゆくと、ふと大きな建物が正面に見えて来た。
旧・長井小学校・・・と思ったら大間違い!
なんと現役の長井小学校第一校舎、なのである。昭和8年建造。
なんと現役の長井小学校第一校舎、なのである。昭和8年建造。
どことなく優しさ、懐の深さを感じる建物である。
旧市街地のど真ん中に、こうして堂々と学び舎が残されているのが嬉しい
学校の西側のしげみにも湧水の水路が
ちょっとした道端にも湧水のせせらぎがある長井は素晴らしい
湧水の源は住宅街の中のようだ・・・
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午後、今度は菓子店「中央安城」のある交差点から、南側の「小出地区」をめぐってみようと思う。
「中央安城」のはす向かいは「鈴木薬局」
宮地区へ向かった午前と同様、まずは県道9号を、今度は南方向へと歩く。
奥の薄紫のビルは「New World 2005」とありスナックの看板が多数掲示されている
(どれほどが現役かは不明)
奥の薄紫のビルは「New World 2005」とありスナックの看板が多数掲示されている
(どれほどが現役かは不明)
振り返って北方面(宮地区)方面をみたところ。
こんなところに茅葺きのお店が! 「氷」の旗が出ているが、
帰ってから調べたら「駒屋食堂」という、焼き鳥の旨い名物居酒屋だった!
帰ってから調べたら「駒屋食堂」という、焼き鳥の旨い名物居酒屋だった!
「本町大通り」と書かれた街灯が続くこの通り。
昭和の頃はおそらく長井一の繁華街だったことだろうと思う。
しかしこの歯抜け具合は・・道路拡幅でも予定されているのではないかと思う。
昭和の頃はおそらく長井一の繁華街だったことだろうと思う。
しかしこの歯抜け具合は・・道路拡幅でも予定されているのではないかと思う。
このあたりから少し裏道に入ってみることにする。
一本東側の通りに出て来た。
繁華街の裏筋という雰囲気が残っている。
繁華街の裏筋という雰囲気が残っている。
このあたり、町名を「ままの上」というらしい。さらに最上川側は「ままの下」だった。
「まま」は武蔵野などでも使われる古来の言葉で「崖」のこと。
そして「ままの下」には湧水が出るのだ。(ここでは特に高低差を感じなかったが)
「まま」は武蔵野などでも使われる古来の言葉で「崖」のこと。
そして「ままの下」には湧水が出るのだ。(ここでは特に高低差を感じなかったが)
「ままの上」で見つけた素敵な路地。
とくに高低差は感じないが・・
とくに高低差は感じないが・・
と、またもや左側からいきなり清らかなせせらぎが現れる!
振り返って見ると、家並みの背後を流れてゆくらしい。
家のすぐ背後に湧水のせせらぎが流れている暮らしってどんなだろう。
地図を見ると、これはさきほど最上川への合流点を見た木蓮川の上流らしい。
家のすぐ背後に湧水のせせらぎが流れている暮らしってどんなだろう。
地図を見ると、これはさきほど最上川への合流点を見た木蓮川の上流らしい。
美しい流れを、ついどこまでも辿ってしまう・・
木蓮川をさかのぼるうち、いつの間にか先ほどの本町通りを渡り西側に来ている
木蓮川をさかのぼるうち、いつの間にか先ほどの本町通りを渡り西側に来ている
薬師寺の裏手あたり
趣ある色に塗られた倉庫風の建物が見え隠れする
湧水の川に沿って、素敵な素敵な路地が続いている。
通りに出てきたら正面に「一生幸福」と看板に書かれた酒蔵があった。
この「鈴木酒造」、元は福島県浪江村にあったが、震災を期に長井で再出発した蔵という。
今も「磐城壽(いわきことぶき)」の名で長井の水で酒を醸す。心に沁みる味に違いない。
この「鈴木酒造」、元は福島県浪江村にあったが、震災を期に長井で再出発した蔵という。
今も「磐城壽(いわきことぶき)」の名で長井の水で酒を醸す。心に沁みる味に違いない。
鈴木酒造が面するこちらの通りは、再び「郡是通り」・・
ただし宮地区で歩いた時より2kmほど南側になる。落ち着いた街並み。
ただし宮地区で歩いた時より2kmほど南側になる。落ち着いた街並み。
右側のアジサイの咲く木立のもとにも、湧水「大桶川」が流れている
午後の光を受けて、キラキラと輝く「大桶川」の流れ。
ここから「大桶川」の流れに沿って、西(最上川)方面へ戻ってゆくことにする。
住宅の合間を流れる大桶川・・
と、何やら尋常ならざる、???な光景がそこに!
と、何やら尋常ならざる、???な光景がそこに!
手前から奥へと流れてゆく「大桶川」の流れの下に
右から左へと流れていく別の川(「野呂川」である)があるではないか!
右から左へと流れていく別の川(「野呂川」である)があるではないか!
大桶川をオーバーフローした水が、下の野呂川へと流下している。
この立体交差水路は、もちろん人工的なものだが、江戸時代からあるものというから驚く。
大桶川は当時、少し下流で武家屋敷の敷地を貫通して流れていたらしいが、その流量を一定以下に抑えるための工夫であるという。昔の人の知恵はすごい。
全国的にも珍しい立体交差水路の昂奮冷めやらぬ中、町の中央部へと踵を返してゆく。
交差点の角に、またもや由緒ありそうな白い建物が。
元、羽陽銀行長井支店(昭和9年建築)である
大きくはないが、ギリシャ風石柱を持つ白亜の建築。今は個人住宅の
一部らしく、よく見ると奥に通常の一般家屋が継ぎ足されているのが面白い
右の通りは、呉服屋や酒屋などがいまも軒を連ねており、
この辺りもかつて賑わった地であろうと思われる。
一部らしく、よく見ると奥に通常の一般家屋が継ぎ足されているのが面白い
右の通りは、呉服屋や酒屋などがいまも軒を連ねており、
この辺りもかつて賑わった地であろうと思われる。
左は「横忠呉服店」(現役です!)、右は「まるきち酒店」
羽陽銀行が角にあったところからみても、この通りは由緒ある道筋だったに違いない
羽陽銀行が角にあったところからみても、この通りは由緒ある道筋だったに違いない
こんどは、旧羽陽銀行長井支店のある角から、町の中心部を戻る南北の道筋をたどる。
こちらはいまも「粡(あら)町」として明らかに商店街を形成しており、古い家並みが最も残る地区としても知られる。
落ち着いた雰囲気が心地よい、粡(あら)町通り。
「粡」の字は初めてお目にかかったが、精米されていない「あら米」のことらしい。
かつて米屋が多い一角だったのか。
「粡」の字は初めてお目にかかったが、精米されていない「あら米」のことらしい。
かつて米屋が多い一角だったのか。
ソフトクリームの看板があるイケてるお店は
「Music & Gallery WARMSTONE」
「Music & Gallery WARMSTONE」
ひときわ趣深いこちらの建物は「山一醤油店」。むろん現役である。
長井はほんとうに醤油屋が多い。水の町なんだなあ・・
長井はほんとうに醤油屋が多い。水の町なんだなあ・・
すぐ脇に火の見櫓が残されているのもオツだ。
ふりかえって山一醤油店の並びを見る。
長井でもピカ一の眺めだ。右にはお茶屋さん(「やまいち松龍園」)もある。
長井でもピカ一の眺めだ。右にはお茶屋さん(「やまいち松龍園」)もある。
角に見える白壁の蔵のある一角が「やませ蔵美術館」。
江戸時代からの紬問屋「山清(やませい)」のお屋敷跡という。
江戸時代からの紬問屋「山清(やませい)」のお屋敷跡という。
「やませ蔵美術館」正面。今日は休館のようで、とても残念。
心ある旅人は平日に来る。平日も時間限定でも良いので開けてほしい。
心ある旅人は平日に来る。平日も時間限定でも良いので開けてほしい。
と、美術館の裏側(東側)にこれまた素敵な流れを発見!!
平野川の美しい流れ。川沿いの歩道が素晴らしい。
平野川沿いの歩道から「山一醤油店」の裏側が覗ける。
醤油屋ならではの煙突が印象的。
醤油屋ならではの煙突が印象的。
うーむ、心洗われる水辺の径である。
以上、平野川沿いの遊歩道にて。
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さて、趣深い「粡(あら)町通り」をあとに、さらに北進すると、道はそのまま「本町通り」へと変わる。この辺りは、先ほども見たように拡幅工事が行われているようだ。
通り西側にそびえる、面白いドイツ風の建物は旧「小池医院」とのこと。
昭和6年の建造というが、長井は本当に豊かで先進的だったのだなあと思わされる。
昭和6年の建造というが、長井は本当に豊かで先進的だったのだなあと思わされる。
北側から見たところ。
本町通り。
向うに、先ほど見た薄紫のスナックビル「New World 2005」も覗く。
向うに、先ほど見た薄紫のスナックビル「New World 2005」も覗く。
こちらは長井駅に向かう、駅前通り。
朝は人っ子一人いなかったが、夕暮れにはちらほら人の姿があり、安心する。
朝は気が付かなかった洒落た店もある。
こちらはギャラリーショップ「Cielo」。
こちらはギャラリーショップ「Cielo」。
夕暮れの長井駅構内にて。
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翌朝。長井を発つ時間までの間、昨日印象深かった小出地区を再度歩いてみようとやってきた。
本町通り。
拡幅が済み、街並みが落ち着いて来たら、新たな魅力を放つ通りになるといいな~
拡幅が済み、街並みが落ち着いて来たら、新たな魅力を放つ通りになるといいな~
途中、こんな洋館も残されていた。夕方見るのと違うものに目が行くなあ~
「桑島記念館」といい、昭和2年築。昔、眼科医院だった建物であるという。
「桑島記念館」といい、昭和2年築。昔、眼科医院だった建物であるという。
と、その隣に「桑島眼科医院」という明らかに新しい建物がある!
こちらもユニーク。新旧桑島医院の対比ができるのが面白い。
こちらもユニーク。新旧桑島医院の対比ができるのが面白い。
そしてこの堂々たる「旧小池医院」。
こちらも新館が近くにあるかと思って探してみたが、見つからなかった・・
こちらも新館が近くにあるかと思って探してみたが、見つからなかった・・
脇道から「旧小池医院」の正面が見え隠れするのもいい。
その脇道を入ってゆくと・・
家並みの後ろを流れる、この清冽な木蓮川のせせらぎに行きあたるのだ。
さらさらと湧水が家並みの間を流れてゆく。
そして「本町通り」が「粡(あら)町通り」に変わる交差点付近
どことなく好ましさのあるこの建物は「長井屋」とありホテルのようだ。
今度はこちらに泊まってみたい。
どことなく好ましさのあるこの建物は「長井屋」とありホテルのようだ。
今度はこちらに泊まってみたい。
白つつじ公園近くに「長井道頓堀」なるスナック街?を発見。
「○○銀座」などというのはよくあるが、「○○道頓堀」は初めて。
しかも大阪から遠く離れた東北の地で。
長井と関西のゆかりの深さがこんなところに現れているように思う。
「○○銀座」などというのはよくあるが、「○○道頓堀」は初めて。
しかも大阪から遠く離れた東北の地で。
長井と関西のゆかりの深さがこんなところに現れているように思う。
「長井屋」の向かいから西へ入る道筋は「御殿通り」。
かつてこの道筋に、長井を統治する米沢藩主上杉家の別邸があったという。
かつてこの道筋に、長井を統治する米沢藩主上杉家の別邸があったという。
いよいよ粡(あら)町通り、再び。
午後は陰になっていた西側のお店がきれいに見える。
お茶の「やまいち松龍園」も心惹かれる店構え。
お茶の「やまいち松龍園」も心惹かれる店構え。
「山一醤油店」とは斜向かい。名前から親戚関係なのかと思われるがいかに。
「やませ蔵美術館」に立ち寄ってみたがやはりお休み。
悲しい・・・・
悲しい・・・・
門から覗き見た、「やませ蔵美術館」内部の様子。
美術館の脇を流れる平野川。北方向をみたところ。
振り返って美術館方向を見る。
平野川沿いの遊歩道から見た「山一醤油店」の裏手。
「横忠呉服店」脇の橋に出て来た。
正面の古い土蔵は明治30年築とのこと。
「壱ノ蔵」と名付けられイベント等に使用されている様子。
正面の古い土蔵は明治30年築とのこと。
「壱ノ蔵」と名付けられイベント等に使用されている様子。
「横忠呉服店」(右)が面するこの通りの雰囲気が好きだ。
いまも伝統の「長井紬」を作り続ける貴重な店。
この表示板には「置賜紬 伝統織物工場」と書かれている。
この表示板には「置賜紬 伝統織物工場」と書かれている。
平野川。「壱ノ蔵」近くから上流方面をみたところ。
再び、粡(あら)町通り。
登録有形文化財にも指定された「齋藤家住宅」が右手に。
登録有形文化財にも指定された「齋藤家住宅」が右手に。
薬師寺への入り口。
今度は通りの西側の路地と水路を巡りたい。
今度は通りの西側の路地と水路を巡りたい。
薬師寺本堂前から南へ。この川沿いに、また来てしまった
木蓮川の支流かと思われるが、名前はわからなかった。
木蓮川の支流かと思われるが、名前はわからなかった。
清流のみに生息するという梅花藻が美しい。
今度は「四ツ谷」交差点のすぐ脇を流れる大桶川だ
そして、この大桶川を少し下流にたどると・・・
そう、この「立体交差水路」である。
今朝も、オーバーフロー分が下の野呂川に落ちている。
面白いなあ・・
面白いなあ・・
さて、列車の時間が近づいてきたので、駅へ向かうとしよう。
「郡是通り」を歩ていると、通り名の由来となった
「グンゼ」の長井工場を発見。(今は長井アパレルとあり別会社化されている様子)
大正9年に長井紬の製糸工場として創業開始したのが始まりという。
そういえば「グンゼ」も京都府綾部発祥、本社は大阪の関西系企業である。
「グンゼ」の長井工場を発見。(今は長井アパレルとあり別会社化されている様子)
大正9年に長井紬の製糸工場として創業開始したのが始まりという。
そういえば「グンゼ」も京都府綾部発祥、本社は大阪の関西系企業である。
長井駅近くを流れる砂押川の流れ。
撮影:2016年8月
本文:2021年12月
本文:2021年12月
2017-09-04 00:39
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