酒田 2016 [日本の町散歩(東北)]
最上川の河口に位置する酒田こそは、北前船の出発地として栄えた商業都市。東北各地から集められた米や紅花等が上方や江戸に運ばれ、米取引の中心地として栄えた酒田には、富裕な大商人たちが次々と登場して街を潤した。江戸へ出るには峻厳な山々を越えなければならないこれらの地方は、北前船との交易を通して、江戸よりもむしろ上方から多くの文化的影響を受けたり、逆に与えたりしたに違いない。今のこの地方の風土・気質に、どこか関西ふうな陽気さがあるのはこうした歴史的な歴史的な背景によるものかもしれないし、いずれにしても酒田はそれらの文化の混ざり合う中継地でもあった。
残念ながら市の中心部は昭和51年の大火ですっかり装いを変えてしまい、街歩きの面白みは減じたが、本間家や鐙屋といった廻船問屋の邸宅はいまもそのまま残っているし、街の西側に位置する日和山公園のふもとの一帯には、いまも料亭や小料理屋が残る界隈があり、どこか京都の祇園を思わせる雅趣を感じさせる。明治時代創建の木造の食料倉庫も、現役で使われている。平成の現在でも酒田港は、日本海側有数の国際貿易港であり、外国船が出入りすることも多いそうだ。
酒田における観光のシンボルは何といってもこの「山居倉庫(さんきょそうこ)」。
酒田港近くに並ぶ12連の堂々たる倉庫は、明治26年に建造されたコメの備蓄倉庫。
右端に見えるチェアが示すように、今は一部がレストラン、観光物産館や資料館に改装されているが、大部分が今も米倉庫として使用されているのが素晴らしい。
さて、それでは街を歩いてみよう。
「大通り」の西側一帯が繁華街であるが、駅へ向かうために今日は東側を歩いてみる。
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駅のほど近くに「本間美術館」なるものがあるというので行くことにする。
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この木立の道を抜けてゆくと、なんと降りる階段があり、民家が密集する一角があった。
寺町通りの南が、中心街となる中町地区である。
しかしこの寺町通り、さらに西へ進んで今町通りを超えたところから急に雰囲気が変わって、みやびやかな趣となる。
寺町通りに再び戻る。
再び、夕暮れの山居倉庫にやってきた。
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夕暮れの酒田の街へ・・
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残念ながら市の中心部は昭和51年の大火ですっかり装いを変えてしまい、街歩きの面白みは減じたが、本間家や鐙屋といった廻船問屋の邸宅はいまもそのまま残っているし、街の西側に位置する日和山公園のふもとの一帯には、いまも料亭や小料理屋が残る界隈があり、どこか京都の祇園を思わせる雅趣を感じさせる。明治時代創建の木造の食料倉庫も、現役で使われている。平成の現在でも酒田港は、日本海側有数の国際貿易港であり、外国船が出入りすることも多いそうだ。
酒田における観光のシンボルは何といってもこの「山居倉庫(さんきょそうこ)」。
酒田港近くに並ぶ12連の堂々たる倉庫は、明治26年に建造されたコメの備蓄倉庫。
右端に見えるチェアが示すように、今は一部がレストラン、観光物産館や資料館に改装されているが、大部分が今も米倉庫として使用されているのが素晴らしい。
表側から見た山居倉庫。
左側が物産館として使用されている11号棟。まだ朝早いのでオープン前。
左側が物産館として使用されている11号棟。まだ朝早いのでオープン前。
今も米倉庫として使用される2~10号棟。
庄内平野は今も昔も米どころである。
庄内平野は今も昔も米どころである。
北側(1号棟)から見た感じも重厚感があって良い。
山居倉庫の前を流れる新井田川。
庄内平野を流れてくる川に多くの運搬船が行き交ったのだろう。
庄内平野を流れてくる川に多くの運搬船が行き交ったのだろう。
さて、それでは街を歩いてみよう。
山居倉庫のほど近く、こちらの黒塀のお屋敷は「本間家旧本邸」。
本間家は酒田を代表する豪商。
幕府の巡検使一行を迎える本陣宿として使えるように、武家屋敷として江戸時代に建築。
幕府むけの本陣宿を地元の商人が作ってしまうのがすごい。
本間家は酒田を代表する豪商。
幕府の巡検使一行を迎える本陣宿として使えるように、武家屋敷として江戸時代に建築。
幕府むけの本陣宿を地元の商人が作ってしまうのがすごい。
幕府ご一行が来ていない時には一部を本間家が自家使用したという。
家人用玄関の臥龍の松は本間家の理念を表現するものだそうだ。
家人用玄関の臥龍の松は本間家の理念を表現するものだそうだ。
市内を南北に走る県道24号線。酒田では単に「大通り」といえばここを指す。
「大通り」の西側一帯が繁華街であるが、駅へ向かうために今日は東側を歩いてみる。
何気ない相生町の裏通りの表情が好ましい
駅近くの幸町にはスナックの密集する一角がある
御多分にもれず、再開発でこうした光景も消えてゆくようだ
意外に質素な酒田駅舎。なんと1960年の建築と古い。
新潟からの秋田行き特急「いなほ」が到着したところ。
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駅のほど近くに「本間美術館」なるものがあるというので行くことにする。
本間美術館へと続く道。
途中、心惹かれるお宅があったので勝手ながら撮影させて頂く。
個人宅のようで、詳しいことはわからない。表札を見ると本間家ではなかった。
個人宅のようで、詳しいことはわからない。表札を見ると本間家ではなかった。
「本間美術館」はもともと本間家の別荘で、6000坪の敷地の中に池や庭園もある。
本間家の富を誇示する為ではなく、当時の労働者の雇用対策としての事業だったという。
豪商もここまで来ると次元が違う。
別荘本館である「清遠閣」は荘内藩主のお休み処として使用され、明治以降は
酒田市の迎賓館として数々のVIPを迎えたという。
酒田市の迎賓館として数々のVIPを迎えたという。
いまは美術館としてだれでも入場できるのが嬉しい。
庭園裏口。
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本間美術館裏手近くの住宅街の様子。
どことなく気品と格調高さを感じる街並み。
福稲荷神社。
少し南に進んだところにある妙法寺。
相生町の西側、妙法寺あたりは微妙に土地に起伏があり、坂道になっている。
古いのか新しいのかわからない、何気ない建物の趣に文化度の高さを感じる。
古いのか新しいのかわからない、何気ない建物の趣に文化度の高さを感じる。
お寺と住宅が混在する相生町の様子。
妙法寺前の通りは、どこかにかつて栄えたような跡がある。
この向こうの木立は、海晏寺(かいあんじ)である。
眞量院(しんりょういん)
このあたりは本当に寺町のようで、たくさんの院がある。
このあたりは本当に寺町のようで、たくさんの院がある。
學仙院(がくせんいん)
海晏寺の脇を抜けてゆく木立の道。
この木立の道を抜けてゆくと、なんと降りる階段があり、民家が密集する一角があった。
階段上からの眺め。
こうした民家の様子にも情趣がある。
振り返って階段を見る。
やはり丘の上にお寺が並んでいるのだ。
やはり丘の上にお寺が並んでいるのだ。
正面の寺町通りからみた海晏寺。
楚々とした三重塔が見え隠れする。
楚々とした三重塔が見え隠れする。
海晏寺の東側にある正徳寺。
西側にも龍巌寺、浄徳寺、浄福寺などまだまだ寺が並ぶ。
酒田の寺町もなかなかの規模だ。
西側にも龍巌寺、浄徳寺、浄福寺などまだまだ寺が並ぶ。
酒田の寺町もなかなかの規模だ。
すぐに先ほどの「大通り」に出る。
沿道の古いビルもひとつひとつ味がある。
沿道の古いビルもひとつひとつ味がある。
相生町の横道の表情。
手前の町家は「あいおい工藤美術館」といい、地元作家の絵画などを展示するという。
築昭和3年の元質屋の建物。
手前の町家は「あいおい工藤美術館」といい、地元作家の絵画などを展示するという。
築昭和3年の元質屋の建物。
寺町通りの南が、中心街となる中町地区である。
料亭などが並ぶ、落ち着いた「たくみ(内匠)通り」。
通りをまっすぐ西へ行くと飲み屋が連なる「たくみ銀座」となる。
通りをまっすぐ西へ行くと飲み屋が連なる「たくみ銀座」となる。
南北に走る細い通りの表情も良い。
たくみ通りの少し南を、やはり東西に走るのがこの「中通り」
歩道部分に、青森の「こみせ」風の屋根が付いた商店街になっているが、
シャッターを下ろした状態になっている店舗が多く、ちょっと寂しい。
歩道部分に、青森の「こみせ」風の屋根が付いた商店街になっているが、
シャッターを下ろした状態になっている店舗が多く、ちょっと寂しい。
中町通りのすぐ南に、見覚えのあるこの黒塀。
朝に見て来た本間家の旧本邸である。
朝に見て来た本間家の旧本邸である。
南側に回ったところに玄関がある。
道路(本町通り)をはさんだ南側に、本間家が代々営んできた
「お店(たな)」が残されている。屋号は「新潟屋」だったという。
「お店(たな)」が残されている。屋号は「新潟屋」だったという。
「お店」の裏側に、いくつかの蔵が一緒に残されている。
こちらは、本間家本邸の少し西側にある「旧鐙屋(あぶみや)」。
この鐙屋も酒田屈指の廻船問屋だったとの事。
この鐙屋も酒田屈指の廻船問屋だったとの事。
本間家本邸近くで見かけた、堂々たる瓦屋根の家屋。
立派な蔵と、その傍らの松。
とくに名所旧跡ではなく、町なかで見かけた個人宅のもの。
とくに名所旧跡ではなく、町なかで見かけた個人宅のもの。
こちらは酒田の町奉行所跡。
実際には現在跡地として残されている部分の5倍ほどの敷地面積があったという。
すぐ南に新井田川。向こうは山居倉庫である。
歩行者専用の山居橋。
山居倉庫の樹々を背に、再び市中心部方面へと戻る。
酒田市役所のすぐ東側にて。
酒田市役所のすぐ東側にて。
中心街近くにも、趣のある古い家屋が残る。
市役所の西側のこの通りが、国道112号。中心街を南北に貫く。
左奥の、青い看板を掲げる建物は、中町のランドマークである地元百貨店「清水屋」。
左奥の、青い看板を掲げる建物は、中町のランドマークである地元百貨店「清水屋」。
オレンジ色のアーケードが印象的な中町通り商店街。
空洞化が進む中心街だが、現役店舗も多く、頑張ってほしい。
その名の通り、柳の並木が印象的な「柳小路」。
中町通りとの交差点付近にて。
中町通りとの交差点付近にて。
昭和51年の大火までは、零細の飲食店が密集する通りだったという柳小路。
現在は昭和50年代ふうの小ビルが並び、個性的なお店が散見されて面白い。
現在は昭和50年代ふうの小ビルが並び、個性的なお店が散見されて面白い。
奥に「ケルン」なる緑字の看板が見えるが、ここがカクテル「雪国」を生んだ老舗バー
(であることを後で知った・・残念)
(であることを後で知った・・残念)
柳小路を北の方へゆくと寺町である。
中町通りの一筋北側が「たくみ通り」
ここには、美味そうな店がずらり。
ここには、美味そうな店がずらり。
たくみ通りを西へ進む。柳小路から西は「たくみ銀座」というようだ。
昼間は閑散と見える通りだが、少し進むと、飲み屋が軒を連ねるエリアとなる。
昼間は閑散と見える通りだが、少し進むと、飲み屋が軒を連ねるエリアとなる。
途中、古い木造の建物があった。
「最上屋旅館」とあり、現役の旅館のようだ。今日はここに泊まってみようと思う。
「最上屋旅館」とあり、現役の旅館のようだ。今日はここに泊まってみようと思う。
さまざまな飲食店が雑然とひしめく様子は、
ちょっと大阪のミナミに似ている。
ちょっと大阪のミナミに似ている。
北側の寺町通りも、このあたりまで来ると居酒屋が連なる。
ここら一帯が、昭和の雰囲気を残す飲み屋街なのだ。
ここら一帯が、昭和の雰囲気を残す飲み屋街なのだ。
右側の、なんとも興をそそる大衆的な構えのお店は老舗「久村の酒場」
と、思ったらお寺も見え隠れする。こちらは「大信寺」。
こうした、朽ちたような?夜の店の跡もちらほら。
しかしこの寺町通り、さらに西へ進んで今町通りを超えたところから急に雰囲気が変わって、みやびやかな趣となる。
大きな松の木のある赤塀の料亭?がひときわ印象的だ。
赤塀の建物は、酒田を代表する料亭「相馬屋」だったという。
1995年に惜しまれながら閉店となったが、現在は地元企業が買い取り、
現在は酒田舞妓の演舞が見られる茶房「相馬楼」として運営を継続しているそうだ。
酒田が誇る料亭文化の保全のために地元の民間企業が立ち上がるというあたり・・
やはり酒田人の気概というものは消えてはいないようだ。
1995年に惜しまれながら閉店となったが、現在は地元企業が買い取り、
現在は酒田舞妓の演舞が見られる茶房「相馬楼」として運営を継続しているそうだ。
酒田が誇る料亭文化の保全のために地元の民間企業が立ち上がるというあたり・・
やはり酒田人の気概というものは消えてはいないようだ。
「相馬楼」の西隣は、現役の料亭「香梅咲(かめざき)」。
ふたつの料亭に挟まれた、この奇跡のような路地が美しい。
ふたつの料亭に挟まれた、この奇跡のような路地が美しい。
路地の奥にお寺があるのもまた趣深い(光国寺)。
寺町通りに再び戻る。
左のベージュの建物が「香梅咲」。向かいも料亭「治郎兵衛」である。
さらに西側も居酒屋や鮨割烹「鈴政」等が並び、奥には鳥居が!
料亭が並ぶその突き当りに神社とは、これ祇園と同じ構図ではないか。
神社は酒田の総鎮守である下日枝神社。酒田の八坂神社であろう。
料亭が並ぶその突き当りに神社とは、これ祇園と同じ構図ではないか。
神社は酒田の総鎮守である下日枝神社。酒田の八坂神社であろう。
南北の通りにもスナックが入る雑居ビルやバー・キャバレー等が。
閉店してしまっていると思われるお店も多いが・・
閉店してしまっていると思われるお店も多いが・・
左側に残る木造の建物は「山王くらぶ」といい、
料亭跡を活用した博物館で、ここも喫茶利用ができるという。
料亭跡を活用した博物館で、ここも喫茶利用ができるという。
ここでも「酒田舞妓(娘)」の演舞が見られるようだ。
「山王くらぶ」の向かいのビルがグランド・キャバレー「白ばら・ニューサカタ」。
昭和33年の開業以来、酒田を代表する社交場であったが、2016年で惜しまれつつ閉館。
何とも残念である。酒田のナイトカルチャーは一体どこへ行ってしまったのか・・
・・と思ったが、なんとクラウドファンディングにより2018年に復活したとの事!
酒田はやはり底力がある!!
昭和33年の開業以来、酒田を代表する社交場であったが、2016年で惜しまれつつ閉館。
何とも残念である。酒田のナイトカルチャーは一体どこへ行ってしまったのか・・
・・と思ったが、なんとクラウドファンディングにより2018年に復活したとの事!
酒田はやはり底力がある!!
ほかにも、昭和の栄華を伝える建物があちらこちらに・・
どこか雅やかな、この日吉町界隈。
「山王くらぶ」「白ばら」のある道より一筋西の道が、日吉町の西の端。
この山裾の道には、なぜかお店はほとんどなく、落ち着いた雰囲気を湛えている。
この山裾の道には、なぜかお店はほとんどなく、落ち着いた雰囲気を湛えている。
突き当りは蓮尚寺。
少し南にいったところに、酒蔵「酒田酒造」がある。
酒田酒造の前を東西に通るのは中町通りから伸びて来た道。
西方はゆるやかな坂道になっており、上ったところが日和山公園である。
西方はゆるやかな坂道になっており、上ったところが日和山公園である。
坂の途中にある「齋藤鮮魚店」。
店頭に干されている鮭?が興味をそそる人気店だ。
店頭に干されている鮭?が興味をそそる人気店だ。
坂の南側の斜面を降りると魚市場等のある酒田港である。
酒田の途中にある民家の表情
もうすぐ日和山公園。
日和山頂上近くにある洋風建築も旧料亭。
明治9年創業の「割烹小幡」は平成10年に廃業となった。
明治9年創業の「割烹小幡」は平成10年に廃業となった。
日本海も臨める景観の美しさが自慢だったというが・・活用が模索されている。
(その後、リノベーションを経て令和3年にカフェ「日和山小幡楼」としオープンしたという)
(その後、リノベーションを経て令和3年にカフェ「日和山小幡楼」としオープンしたという)
日和山頂上。こもれ陽が心地よい。
松林の中に見え隠れする清楚な洋館は「旧白崎医院」
大正8年建造で、本町通りより保存のため移築されたものという。
大正8年建造で、本町通りより保存のため移築されたものという。
公園には広々した芝生が広がり、池もある。
池には千石船(北前船)の模型が帆を張って、係留されているのが見える。
実際の半分のスケールというが、せっかくなら実物大が見たかった・・
池には千石船(北前船)の模型が帆を張って、係留されているのが見える。
実際の半分のスケールというが、せっかくなら実物大が見たかった・・
公園内に、可愛らしくも堂々たる白亜の灯台が出現!
明治28年創建の旧酒田灯台という。現役時代はもっと港近くにあったそうだ。
明治28年創建の旧酒田灯台という。現役時代はもっと港近くにあったそうだ。
少し離れたところから見るこの六角灯台の存在感よ。
調べてみると、日吉町の料亭「相馬屋」と同じ佐藤泰太郎という人の設計とのこと。
驚くのがこの佐藤泰太郎の本職が、バリバリの棟梁だったということ。
現場たたき上げの職人が、かような設計を可能にする先進的な感覚と教養を持っていた事が
当時の酒田の街の力を如実に物語っているように思う。
調べてみると、日吉町の料亭「相馬屋」と同じ佐藤泰太郎という人の設計とのこと。
驚くのがこの佐藤泰太郎の本職が、バリバリの棟梁だったということ。
現場たたき上げの職人が、かような設計を可能にする先進的な感覚と教養を持っていた事が
当時の酒田の街の力を如実に物語っているように思う。
日和山からは、酒田港も臨める。
落ち着いた様子だが、外国船も出入りする、日本海側屈指の貿易港。
現役の貨物列車駅(酒田港駅)と並ぶコンテナに、酒田の躍動を感じる。
午後の光の中、静かに出発準備をする列車。
レールは鳥海山の方に向けてまっすぐに伸びてゆく。
酒田港駅の事務所。
港湾地区の街並みもまた、趣深い。
日和山ふもとに沿って。潮の匂いのする家並みが、なぜか懐かしい。
再び、夕暮れの山居倉庫にやってきた。
倉庫と倉庫の間、テラスが設けられカフェになっている区画も。
東側の表情。その一角はまた、資料館ともなっている。
そして、大部分は今も米倉庫であることがまた嬉しい。
一番南側の2棟は「酒田夢の倶楽(くら)」という物産館として活用されている
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夕暮れの酒田の街へ・・
中町通り。
「木村屋」は明治35年創業(!)のケーキ屋さん。
「木村屋」は明治35年創業(!)のケーキ屋さん。
中町通り。「木村屋」前から東側を見たところ。
こちらは一筋北の「たくみ通り」。「大和寿司」など名店が並ぶ。
柳小路、たくみ通りあたりには、そそるお店があちこちに。
柳小路と中町通りの交差点にある「北前横丁」は、かつて界隈の
ランドマーク的存在だったという「柳小路マーケット」跡地に作られた屋台村。
マーケットの賑わいが蘇るかのようだ。
ランドマーク的存在だったという「柳小路マーケット」跡地に作られた屋台村。
マーケットの賑わいが蘇るかのようだ。
今宵はここで沈没しよう。
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「最上屋旅館」玄関。
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酒田市の中心街、中町地区「たくみ通り」の朝。
宿泊した「最上屋旅館」のすぐ近くにて。
宿泊した「最上屋旅館」のすぐ近くにて。
寺町通り。
浄福寺。
京都や近江より職人を呼び東本願寺を模して作られたという「唐門」が覗く。
京都や近江より職人を呼び東本願寺を模して作られたという「唐門」が覗く。
歩道に屋根が連続する「中通り」商店街。
撮影:2016年9月
本文:2021年12月
本文:2021年12月
2017-09-10 00:02
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