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イスタンブール 2014 (3)アジア側 [アジアの町紀行]

エミノニュやカラキョイ、ベシクタシュからフェリーでボスフォラス海峡を渡る。海峡の幅は約3キロあり、対岸に見えている町まで、船で渡りきるのに20分~30分と、思いのほか時間がかかった。そうして上陸したユスキュダルの船着き場は、もはやヨーロッパ大陸ではなく、アジアなのだ。
そう思って町を眺めると、ここはまたこれまで見てきたイスタンブールの旧市街や新市街とは雰囲気が異なる。建物が密集しておらず、そのせいか空がとても広い。家々も飾り気がなく、人々も古臭い感じだ。おじさん方はみな口髭を生やしているし、ヒジャブ(スカーフ)を頭に巻いた女性はヨーロッパ側よりもずっと多い。そして、全体的に土臭いというか、街中にうっすらと砂埃の舞うような、茫漠とした感じがした。だからこそ、この街には肩肘の張らない気安さがあったし、歩けば人々の素直なやさしさが身にしみた。

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レゴン(熱貢)(同仁) 2013 (2) [アジアの町紀行]

レゴンの町の周辺地域は、チベットでも有数の仏教美術の里であると、先に書いた。
とくに、ロンウォ河に沿って開けた狭い盆地にあるセンゲション、ゴマル、ニェントホ、カサルの4つの村にはそれぞれ由緒正しきゴンパ(寺院)があり、その周辺にアーティストが多く住んで、創作活動に励んでいるという。
レゴン滞在二日目は、レゴン市内からロンウォ河のほとりを上流方面に歩き、郊外にあるニェントホ、ゴマル、センゲションの村を訪ね、その雰囲気を楽しんでみた。

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センゲションの村(五屯上村)


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レゴン(熱貢)(同仁) 2013 (1) [アジアの町紀行]

レゴンは、青海省黄南チベット族自治州の中心都市であり、その名はチベット語で金色の谷を意味する。サンチュ(夏河)から、一日一便のバスで山々を越え谷をわたり、約3時間半かけて到着してみると、高層ビル(マンション)も多く立ち並び、ずいぶんと開けた都会のように思われた。
だがここは由緒正しきロンウォ・ゴンパの門前町であるとともに、7世紀以上にわたるチベット芸術の中心地のひとつであり、タンカ(チベット仏教の仏画)、壁画、堆繍(小さな布を折りたたみ、縫い付けてゆく刺繍の手法の一つ)、彫刻•塑像(粘土塑像、木彫など)など各分野の工芸師がその周辺に数多く住みアトリエを持っていることでも知られる。
またチベット族だけでなく、土族、回族などの少数民族も集まり住む都であり、そうした居住地区を見て歩くのも興味深い。
なお、この地を中国側から見た地名は「同仁(トンレン)」であるが、最近は中国もこの地を少数民族と仏教美術の都として売り出そうとしているらしく、チベット名「レゴン」の音をそのまま漢訳した「熱貢」で表記されることも多い。

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サンチュ(ラプラン)(夏河) 2013 [アジアの町紀行]

念願のチベット圏に行ってきた。
チベットといっても、許可証がないからいわゆる「チベット自治区」には入れず、青海省と甘粛省に所属する町をはしごしただけであるが、それでもそこは十分チベットであった。

まず訪れたのは、行政区分上は中国甘粛省に入る、中国名「夏河」という町。チベットの地域区分の上ではアムド地方ということになり、町の名もチベット名では「サンチュ」。
ここには、ラプラン寺という非常に大きな寺院があり、町はその門前町として古くから存在したという。そのラプラン寺はチベット仏教の最大派閥であるゲルク派の六大寺院のひとつであり、アムド地方では唯一無二の大寺院として各地から修行僧や巡礼者を集めているという。

中国国内でも、この町は「中国の小チベット」と呼ばれ、チベット自治区まで行かずともチベットの文化や雰囲気を体感できる場所として中国人観光客にも人気があるという。

私はここを、巡礼の季節としては最後のほうになる3月初頭に訪れ、3泊した。その様子を写真で紹介したい。

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西安の夜 2009-11 [アジアの町紀行]

なんの変哲もない町並みとなった現代の西安だが、この大都市の中心にいまも鎮座する明代の鐘楼、鼓楼の存在感だけは、さすがに名にし負う歴史都市と思わせる。

そして、そのすぐ北西側に広がっている「回民街」・・・
西安へ行ったなら、この回民街へ、ぜひ足を運んでいただきたい。
そこでは、トレードマークの白いイスラム帽をかぶった男達やスカーフをまとった女性達が日々生活を紡ぎ、商売をしているが、長い歴史を経て中国の風土に馴染んできた彼らの顔立ちは、漢民族と大差ない。でも、その立ち居振る舞いや表情などは微妙に違うし、もちろん生活習慣や風俗などは独自のものをいまも堅持し、漢民族とは別の社会を形成しているといっても過言ではない。

都心にありながら、再開発を拒み続けるこの回族居住区は、おそらく現代の西安で、唯一、この町がかつて世界の中心であったと思い起こさせ、遠いシルクロードの香りを今に伝える貴重な存在である。

西安の陽が落ちて、お腹がすいてきたなら、いざ回民街へ繰り出そう。
そうしたら思い出せるかもしれない、この街が、かつて世界のコスモポリタンであったことを。

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西安 2008-11 [アジアの町紀行]

私の仕事のホームグラウンドでもある、中国内陸部の都市、西安。
それはかつて、名にし負う花の都にして、ヨーロッパとアジアをつなぐシルクロードの終着点、長安であった。
だが、悠久の時を刻んだその名に、過度に期待してここを訪れると、見事に裏切られるであろう。
何といってもいま、西安はビル建築の立ち並ぶ大都市である。その景観も、生活文化も、他の中国の地方都市と大差なく、路地裏の生活空間に至るまで早々と再開発されてしまい、他都市と比べてさえも無味乾燥な印象を受ける。
むろん政府は、この街を観光地としても売り出そうと、一部で唐代の長安を模したようなテーマパーク的開発を進めているが、そんなところから、立ち上る歴史の香気など感じられるはずもない。

だが、そんな現代の西安で、シルクロード都市の面影を探そうと歩くのもまた興あるものだ。
さて、本業の合間をぬって撮影に赴いた、その成果やいかに。。。

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扶餘 2008 [アジアの町紀行]

歴史のはるかなる百済国、その都が置かれた地が扶餘(扶余)である。
私は、そこにゆきたいと、ずっと思っていた。

私の生まれ育った関西は、この百済王国との関係が深い。
大阪市や堺市にはいまも「百済」を名乗る土地がいくつかあり、
小さいころ、住んでいた家の近くを流れる汚れた川も「百済川」といった。
奈良県にも百済にちなんだ寺や村があるそうだ。
百済と大和とは、人物の行き来が盛んだったようである。

660年、百済王国は唐と新羅の連合軍により滅ぼされた。
百済滅亡のあと、多くの百済人が日本に落ち延び、現在の大阪や堺に定住したそうだ。
だから、百済は、私にとっても、ひょっとしたら、遠い故郷かもしれないのだ。

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宮南池(クンナムジ)の朝

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釜山 2008 [アジアの町紀行]

韓国第二の都市、釜山。日本から最も近い、異国の街でもある。
本州の西端、下関を夜19時に出港した巨大な「関釜フェリー」は、早朝、釜山に入港し、8時に入国審査事務所が開くまで、沖合に停泊する。
港内には、見渡す限りコンテナ貨物がどこまでも積みおかれており、早朝の仕分け作業がいたるところで行われている。さすがは世界に冠たる北アジアのハブ港である。
その背後では、薄明の中、いくつもの山が港にせり出すように鎮座し、海とのわずかな隙間に、押し黙った高層ビルがびっしりと林立しているのが見える。
想像を超える、それは都市の偉容であった。

私は大阪出身であるので、「第二の都市」というものに言いようのない親近感を覚える。マドリッドに対するバルセロナ、北京に対する上海。
この街は、いったいどのような表情を見せてくれるのだろうか。
ソウルとは異なった文化、ファッションを発信する街であろうか。

期待を胸に、私は船を降りた。

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釜山港、チャガルチ市場にて。


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ソウル 2008 [アジアの町紀行]

 仕事で中国に携わるようになって早や5年。その間、アジアの中の、ひいては世界の中の日本、中国ということを、いやおうなく考えさせられることにもなった。そして、韓国という国の存在を、当然といえば当然だが、知らないでは済まされない、と思うようになった。
 世界の中で、日に日に影を薄くしてゆく日本。その一方、経済面でも文化面でも、堅調に影響力を増しているのが韓国である。中国でも、日本より韓国のほうが人々に明らかに人気があるし、当の日本でも「韓流」はすでにブームではなく、現代の日本のメディアを支える主要なジャンルとして定着した観がある。
 悔しいではないか。私は15年も前、高校の修学旅行で韓国を訪れた。そのとき、韓国の婦人達が嬉々として私達日本の男子高校生にボディタッチしに来たのを覚えている。いまや逆だ。日本のご婦人がたが、憬れの韓流スター達を拝もうと、喜び勇んで韓国に向かう。
 そんな韓国の魅力というのは何なのか? その原動力となっているものは何か? 日本はもう、韓国に勝てないのか? 
 まあ、そんなこともありながら、いつしかずっと近くなった、お隣の国をとにかく見てきたかった2008年の秋。たった二日ではあるが、私はソウルの街を歩いてみた。

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三清洞の街角にて

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カシュガル 2008 [アジアの町紀行]

あとで振り返ってみて、あれは本当に行ったのだろうかと、ふと思う街がある。

ひょっとしたら、行ったような気になっているだけで、
本当は、すべて夢の中の出来ごとだったのではないだろうか、そんな気がする場所。

カシュガルも、そんな街だった。

中国の最西端、というより中央アジアに限りなく近い、シルクロードのオアシス都市。
ここは、ウィグル人たちの都である。

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ホーチミン・シティ 2008 [アジアの町紀行]

 ホーチミン・シティは、街並みにかつてのフランス統治時代の影響をよく残していることから、東洋のパリなどと称されているが、タクシーが空港を出たその瞬間から、そんな甘い幻想は吹き飛んだ。
 そこは、想像とはまったくかけ離れた、苛烈で、けたたましい街だった。つまりは、バイクである。ベトナムはバイクだらけだよと聞いてはいたものの、これほどまでに凄まじいものとは思ってもみなかった。バイクの大群がまるでイナゴの群れのようにまさに四方八方からグルグルと渦巻きながら押し寄せてくる様子は、鳴門の大渦もかくやと思うほど、その猛威に息をのみ、恐怖すら覚える。これでは中国の街のほうがよほど穏やかだ。
 しかも、この地の人々は、我々エトランゼに対し決して笑顔を見せない。カメラを向けると、まるでつっかかって来んばかりに睨みを利かす。まるで媚びとか愛想というものがない。タイの人々とは大違いだ。
 かといって粗暴というのではない。笑顔をつくってくれる人もいる。だが、その目は決して私に笑いかけていない。彼らは、一日一日をひたむきに生きる自分達と比して、馬鹿みたく逍遥している能天気な外国人を、ひややかに憐れんでいるのだ。  ・・・私はそんなこの地の人々に、すぐに魅了されてしまったのだった。

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夜のドン・コイ通り。
バイクで繰り出すドライブこそが、暑いサイゴンで一番の夕涼み。

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バンコク 2007-08 [アジアの町紀行]

タイの首都バンコクの、この居心地の良さは、いったいどこから来るものなのだろうか。

べつにゴーゴーバーやマッサージ屋の女の子とイチャつかなくても、
街をぶらぶらしているだけで、このナマぬるい空気のなかから、抜け出せなくなってしまう。

適度の喧騒と、適度の洗練。
それらがまるで揺りかごのように代わる代わるやって来て、
まるで媚薬のように、私をとろんとさせる。

老若男女を問わず、毎年一回はこの街に来てしまう、そういう日本人が多いのは
どうにもしようがないように思える。

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バンコクゆきの列車にて。マハーチャイ駅。

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蘇州 2006 [アジアの町紀行]

上海から電車でわずか40分。
電車の切符を入手するに手こずるのを別とすれば、
蘇州へ行くのは、大阪から京都に向かうほどに、手軽である。

日本人には「蘇州夜曲」で有名な古都。
江南を代表する水郷でもある。

日帰りの予定であったが、
旧市街のゆるやかな時の流れの引き寄せられて
思わず一泊を決意。

かつて賢人たちが議論したという獅子林のほとりに
小さな安宿を見つけた。

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獅子林

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上海LOVE! 2004-11 [アジアの町紀行]

上海が大好きだ。
上海にいると、「今、自分が世界の変わり目に立っている」ということが実感できる。
それほどまでに、上海のパワーとエネルギーはすさまじいものがある。
私がいま、かた時とはいえ、ここで仕事ができることは大変幸運なことだと思う。
もちろん、上海を動かしているのは、ごく一握りの人たち、つまり
香港、台湾やらシンガポールやら欧米やらの外国資本と、ごく少数の政府筋の人間であって
間違っても、唾を飛ばしながら上海弁でわめきたてる、この上海人たちではない。

それでも、彼らが上海の変貌を支えている。
工事関係者、資材運び屋、車洗い屋、そして血相を変えたタクシー運転手。
上海でもっとも魅力的なのは、
着飾った夜の女たちではなく、
強い眼光を放つ、このようなオッサンたちである。

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長楽路×陝西南路



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北京 2006-08 [アジアの町紀行]

私は仕事柄、やはり北京に立ち寄ることが多い。
古くからの街並みを大きく変え、いまや世界的大都市としての近代的ビル群になってしまった北京。
北京の変貌は、上海以上にドラスティックだった。
一部、テーマパーク的に、伝統的家屋群を現代風に再現している(ただし家屋内は超モダン)エリアもあり、
それはそれで、富裕層が新たに住みついたりして興味深いのだが、
やっぱり、数年前まではそこここで見られた北京特有の「胡同」(ふーとん:路地のこと)の街並みが
わたしは懐かしい。
そこでは、車が大渋滞しながらしずしず進んでいるような、表向きの北京とは異なる、
穏やかな人間の生活の風があった。

今も、探せばあるんですけどね。

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現代北京の表通り。西直門付近。

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カトマンドゥ 2005-06 [アジアの町紀行]

子供の頃、愛読?していた本のひとつに、「世界の国旗」なるものがあった。

世界の国々の国旗がフルカラーで配列されている、ただそれだけの本であったが、行儀よく並んだ色とりどりの四角形を目で追っているだけで、そのころの私は数時間が過ごせた。
そのなかに、私の気を強く引く一つの国旗があった。他の国旗がことごとく判で押したように長方形をしているのに、その国旗だけが、三角形を二つ重ねたようなヘンテコな形をしている。それは、子供心に、異端というか、手の届かない神秘な感じを与え、私は本を開くたびに、何かおそろしいものを見るように、ちらちらとそれを横目で見ては、すぐに他の国旗へと視線を移すということを繰り返していた。

・・・私が30歳を前にして、ネパールという国へ行ってみたくなったのは、ひとつにはたぶんそんな幼児体験のせいかもしれない。

「カトマンドゥ」・・・私は、何か得体のしれない、遠くにあるものに、ふたたび引き寄せられていた。

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香港 2007 [アジアの町紀行]

春の香港。
九龍や上環の猥雑といえど、
中国本土の深センに比べて、なんと風が心地よいことか。
人の立ち居振る舞いの、なんというゆとり。

ここにはある種の混沌はあっても、埃はない。粗雑もない。
返還から10年が経つ香港であるが、中国とは何かが決定的に違っている。
香港はやっぱり香港なのである。

顧客企業の展示会への随行を名目に飛んだ二度目の香港。
客案内もそこそこに、
トラムに飛び乗って、半日間の休暇をめいいっぱい楽しんだ。

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