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マウイ島 2015 ~ (2) パイアとマカワオ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

マウイで最もマウイらしい町がパイアだと思う。島の北岸を東西に走るハナ・ハイウェイとそこから分岐しアップカントリー方面へ登ってゆくボールドウィンアヴェニューとのT字路を中心に広がる町は決して大きくないが、並ぶお店のどれもがおしゃれで個性的なのに驚く。ラハイナのように観光客相手に楽しませようとするのではなく、まずは自分が良いと思ったものだけをお店に並べるということに徹している。しかしより大事だと思うのは、その店主たちの生き方、暮らし方が素敵だからこそ、そのどれもが洗練されて輝くのだろうな、ということ。こういうのは、マイペースとは言わず、「ダウン・トゥ・アース」というらしい。周りの時間と空間とに自らを調和させ、地に足を付けて無理なく無駄なく暮らす、そしてそんな生き方を楽しむ、そういうスピリットをビンビンに感じる町なのだ。そしてそれはマウイ全体のスピリットでもあると思う。
パイアからアップカントリーへ登って行ったところにあるマカワオにも、同じことが言える。パイアよりもさらに小さな町だが、内容は濃い。パイアがやや若者寄りのフレッシュ感に満ちているのに対し、マカワオはもう少し大人びていて、私のようなオジサンでも落ち着いてお店を見て歩けるのがなんとも嬉しい。

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パイアにて

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マウイ島 2015 (1) ラハイナ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

前回(2009年)のハワイ行きでは足を延ばせなかった念願のマウイ島に、ようやく行って来た。都会的なオアフ、自然派のビッグアイランド、それに続けて言うなら、最も街場的なのがマウイではないかと思う。
アメリカ的、オアフ的な巨大ショッピングセンターはこの島には似合わない。かといって、ビッグアイランドのようにのんびり鄙びているかというと、そうではない。やはり大自然に囲まれているのに、人々はみなどことなく垢抜けており、町にはキラ星のように小さな素敵な店がたくさんある。
そんなマウイの中でも、最も大きな町がラハイナである。「ハワイの古都」等と紹介されることさえあるけれど、1810年のカメハメハ大王による統一後、ラハイナは確かに最初に首都となった地。1845年にホノルルへ遷都となってからも、ラハイナは太平洋における捕鯨の大中心地となって船乗りたちで殷賑を極めたという。そんな時代が、20世紀の初めまで続いた。その栄華の名残りを色濃く残しながら、どこかまた新しいのがラハイナの魅力であろう。
ラハイナの町は、そうしていまも多くの観光客を引きつけ、ショッピングやグルメを楽しむ人々の声が、今宵も波間にさんざめく。

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ビッグ・アイランド(ハワイ島) 2009 ~(3)ハマクア・コースト [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

ハマクア・コーストに沿った高台を貫くハイウェイ19号線。ヒロからパパイコウ、ハカラウ、ラウパホエホエを経由して、ここをホノカア行きのヘレオン・バスは快走する。

この19号線はかつて、鉄道が走っていた線路跡をほぼそのまま転用したもの。ハマクア・コースト一帯は、かつてはさとうきびの一大産地として名を馳せたエリアであり、日系人の入植者がとくに多かった地域だという。鉄道は、さとうきびの輸送だけでなく、それらの住民の移動手段としても活躍したが、1946年の津波によりズタズタにされ、復旧することができずに消えていった。

一時間近くバスに揺られて、パアウイロという名の集落のあるところで私は一人降りた。ここもかつてはさとうきび栽培の拠点として、日系人たちで栄えた町のひとつだという。バス亭のかたわらには、その頃から営業しているという小さなゼネラル・ストアが、まるで田舎の小さな駅舎のように今も人の気配を感じさせながら、立っていた。ここから、いったん海岸近くまで降り、できればホノカアあたりまで歩いてみたかった。地図によると、海岸近くにもロウアー・シュガーケインロードという名の道があって、隣村のパアウハウ、そしてホノカア近くまで伸びているようだ。

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Paauilo, Hamakua Coast


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ビッグ・アイランド(ハワイ島) 2009 ~(2)ヒロ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

ヒロは、ホノルルに次ぐハワイ第二の都市。約4万人が住み、もちろんハワイ島では最大の街である。その人種別構成内訳は、白人17.12%、アフリカン・アメリカン0.45%、先住民0.34%、アジア38.30%、太平洋諸島系13.12%、その他の人種0.94%、及び混血29.74%。
のっけから堅い話となったが、ヒロはアジア系移民の比率がハワイの他地域と比べても格段に高い街なのである。その多くは、かつてサトウキビ農園で働くためにやってきた、日本からの移民の子孫たち。市内のリリウオカラニ公園には今でも日本庭園があり、夏には盆踊り大会も開かれるという。

日系移民によって開発され栄え、当時の面影を色濃く残す街といわれるこのヒロの街に、私はのんびりするためにやってきた。

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Waianuenue Street, Hilo


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ビッグ・アイランド(ハワイ島) 2009 ~(1)コナからヒロへ [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

さて、ホノルルに二泊したあと、独り身の私は、さっさとオメデたいオアフ島を後にし、ハワイ島(ビッグ・アイランド)へ飛んだ。ここでのんびりする計画なのだ。

しかし、私の心にはある不安があった。・・・・実は私、ハワイにやってくる直前に、中国でカード類をすべて紛失してしまったのだ。クレジットカードやキャッシュカードはおろか、免許証もである。
免許証もクレジットカードもない、ということは、レンタカーを借りることができないということである。公共バス網が整備されているオアフ島ならともかく、ここビッグ・アイランド(ハワイ島)では自動車が必需品というのが常識である。しかるに私は目下、ハワイで自動車に乗ることができない。
こうなった私は、ハワイ旅行のキャンセルも検討しなければいけない状況に追い込まれたわけだが、余りに惜しい。
・・・・いろいろ調べたところ、ハワイ島にも一応、バスがあるという情報を入手した。ただ日本人観光客にはその存在は殆ど知られていない上、実際に本数や路線も限られているらしく、非常に断片的な情報しかない。だが、あきらめてしまうよりマシである。なんとかやってやれないことはないだろう。

ということで、クルマなしにビッグ・アイランドを一人旅である。

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Kona Airport

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ホノルル 2009 [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

この夏、「ハワイに一人旅」をしてみようと思い立った。

だが、カップル等のおめでたい人々が闊歩するワイキキを元気に歩ける自信は無かったし、まして一人きりでビーチに寝そべったりするのもしゃくだ。だから今回の旅では、ホノルルには二泊だけしかしない。

ホノルルは二回目。
7~8年も前になるだろうか、会社の慰安旅行で、3日間ワイキキに滞在したのが最初である。
その時は、ハワイに興味なんてこれっぽちもなかった。なんだよこれがハワイかと、鼻白みながら空港ロビーを出ようとしたそのとき、玄関口にふっくらした、若い土地の女が立っているのが見えた。
彼女は、花を編んで大きな輪にしたものを手に立っていたが、私は、この花輪がいわゆるレイと呼ばれるものであることさえ知らなかった。
気にせず通り過ぎようとすると、彼女は他の誰でもない私の前に進み出て、ちょっと恥ずかしそうに、慎み深い所作でその大きなレイを私の首にかけてくれたのである。
南国の花の、かすかな甘い香り。
なぜ彼女が見ず知らずの私にそんなことをしてくれるのか見当もつかない。
おそらくは、彼女は観光局の職員か何かなのかもしれない。
しかし私はそのとき、彼女の瞳の奥底に、義理でも仕事でもない、遠来の客を迎える底抜けのよろこびの光が、確かに宿っているのを見た。

私は、気恥ずかしさからレイをすぐにほかの同僚にやってしまったが、ただ、そのとき、ハワイというところは、なにかがほかと根本的に違うのかもしれないということを、私は直感的に理解できたである。

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Papakolea, HONOLULU

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ブリスベン / ゴールドコースト 2007 [ハワイ紀行/オーストラリア紀行]

サラリーマンだった頃、社内旅行でゴールドコーストへ行ったことがある。会社経費で旅行に行ける等、ありがたい話には違いないのたが、そこがひどくつまらく感じられた私(ゴールドコーストは、以前に訪れたハワイのワイキキとは、似て非なる場所であった)は、近くにあった郊外電車の駅から、すぐさまブリスベンの町にトリップした。

ゴールドコーストは、オーストラリア第三の都市、ブリスベンの郊外に位置し、ブリスベン市民の週末の行楽地として発展してきた地。
逆にいえば、ゴールドコーストからブリスベンへのアクセスは容易なのであるが、日本ではゴールドコーストばかりが有名で、ブリスベンに立ち寄る日本人観光客は少ない。

あまり期待もせずに訪れたブリスベンは、どこも清潔で街区の表情が若々しく、ストリートは賑やかだが、洒落ていながら、ギラギラしたところがなく、どこかのんびりした雰囲気も持っていて、すぐに気に入ってしまった。私には、お仕着せのショップやレストランしかないゴールドコーストよりも、ずっとリゾートを感じることができる都市であった。

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