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阪神電車 1991-1992 [鉄道少年の頃(関西鉄道写真アーカイブ~1994)]

阪神電車には結局なじみがないままであった。子供の頃から書籍等では阪神電車を目にすることはあったが、阪神の車両はどれも切妻型で地味であり、雨樋いや脚置きステップが車両正面に付いていたりと、子供心にも、決して美的な電車に映らなかった。その上、阪神は形式の数が非常に多く、その割に代わり映えがしないので系列を覚えるのもままならず、どうも疎遠なままになってしまったのである。
しかしながら、1984年以降登場した8000系電車の人懐っこい表情は、私にとっての阪神電車のイメージを一変させるものであった。その後、ジェットカーの加速、減速技術はもちろん、甲子園球場での野球開催時の臨時運転、また多種多様な種別による高密度運転の技術など、阪神特有のノウハウがこの小さな私鉄に沢山詰め込まれていることを知り、少しずつ興味を深めていった。
とくに、阪神本線には特急、区間特急、快速急行、急行、区間急行、準急、普通と多くの種別の列車が入り乱れて走っており、その上、上位種別の列車が停車する駅を下位種別の列車が通過したり、時間帯によって停車駅が変わったりと、いわゆる千鳥停車というにも非常に複雑を極めており、これが利用者にとってはどうなのかはともかくとして、実にきめ細かい運行形態が阪神の魅力のひとつでもあった。
 
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梅田ターミナルをあとに神戸を目指す8000系6連の快速急行三宮ゆき。
梅田-福島。1992年7月
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 福島駅周辺の都心部は、1993年に地下化された。以下の写真は、その直前の時期に、地上を走る阪神電車を撮影したものである。

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早朝の阪神梅田ターミナルの様子。
関西私鉄としては小ぶりであるが、機能的な古いターミナルである。1992年8月。


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梅田-福島間の踏切を通過する2000系電車。
上空に阪神高速のランプがあるのだが、ビルの中を突き抜ける高速道路として有名である。
背景のビルは毎日新聞の大阪本社。1992年7月。


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8000系一次車6連の特急新開地ゆき。梅田-福島。1992年7月。
8000系が大幅にモデルチェンジしたデザインで登場したのは二次車から。
1984年初頭に登場したプロトタイプの一次車は、在来車両のデザインを踏襲したものであった。
ただし、当初から6両固定編成であり併結の必要がないことから、在来車より
すっきりしたマスクとなった。


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2000系6連の快速急行三宮ゆき。2000系は2両編成や4両編成等だった在来車両を1990年~93年に
6両固定編成に組み直し改装したもの。8000系一次車に似たすっきりしたフロントマスクとなった。
この組み直しにより阪神車両の複雑な構成はかなり整理された。梅田-福島。1992年7月。


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梅田ターミナルをあとに神戸を目指す8000系6連の快速急行三宮ゆき。
梅田-福島。1992年7月


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クリームとオレンジの急行系車両が「赤胴車」と呼ばれるのに対し、
普通電車用の5000系列のジェットカーは「青胴車」と呼ばれる。梅田-福島。1992年7月。
なお、写真の5331形4連は5000系列の中でも少数派の電機子チョッパ制御車。


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福島駅前のなにわ筋の踏切にて。1992年7月。
地下化以前は、大阪市内でも一二を争う「開かずの踏切」として有名であった。
5001形の普通電車が発車していく。後ろはJR大阪環状線福島駅。103系が停車中。


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淀川駅で行き交う従来型の特急電車。7801形ほか6連の特急梅田ゆき(右)と3000系3201形6連
の特急須磨浦公園ゆき。ともに1960年代に製造され高度成長を支えた経済車。1992年8月。
コストダウンのため直線的なデザイン、3000系列は7801形を界磁チョッパに改造した形式。


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7801形後期車6連の区間急行梅田ゆき。
前期車に比べると裾に丸みがつき、少し柔らかい表情となっている。
姫島-淀川。1992年8月。


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淀川を渡る2000系6連の急行梅田ゆき。姫島-淀川。1992年8月。


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8000系6連の急行梅田ゆき。姫島-淀川。1992年8月。


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ジェットカー5001形4連の普通梅田ゆき。姫島-淀川。1992年8月。
ジェットカーの加速度は乗っていても如実に分かるくらい他の車両と違いがあった。
阪神は従来から駅停車時に何度かに分けて減速を行うため、減速度のほうはよくわからなかった。


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姫島駅に接近する8000系6連の区間特急梅田ゆき。千船-姫島。1992年8月。


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阪神の新顔、2000系の端正なマスク。従来車を踏襲していながらずっとスマートになった。
千船-姫島。1992年8月。


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マンション群を抜け、高架線上を驀進する7101形ほか6連の区間特急梅田ゆき。
この編成ものちに2000系に改造されている。杭瀬-千船。1992年8月。


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姫島駅での朝ラッシュの模様。2000系6連の準急梅田ゆきが到着。1992年8月。
阪神の準急は各駅停車の3駅に1駅くらいのわりあいで通過する程度で、優等列車というよりも
殆ど普通電車の補完のような役割を果たしていた。


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朝の姫島駅に5131形4連の普通梅田ゆきが到着。1992年8月。


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大物駅に接近する8000系6連の快速急行三宮ゆき。1991年7月。


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阪神で最も狭いホームの春日野道駅を通過する2000系の梅田ゆき電車。
手すりにつかまっていなければ危なくて仕方がなかった。1992年8月。


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西九条駅に進入する7901形他4連の西大阪線西九条ゆき。1991年7月。
難波延伸線が開業するまでの西大阪線は、10分間隔の運転頻度が確保されていたものの
港湾近くの工場地帯やそれに近いくすんだ色の町並みをかすめて走る、いかにも地味な、
冴えない路線という印象であり、それがまた独特の魅力でもあった。
とくに、水面ぎりぎりの位置を渡る西大阪線の淀川鉄橋の異様な光景には怖れおののいた
のを覚えている。社会人となった後年、その鉄橋付近で何枚か撮影を行っている。
→ 



以上

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