東京の電車(東急、京王、小田急、東武、西武) 1992 [鉄道少年の頃(関西鉄道写真アーカイブ~1994)]
関西に生まれ育った人間として、「東京なんか・・・・」という思いはずっと持ち続けていた。しかし、一方でやはり東京への単純な興味もあったのは事実である。東京では、関西よりもさらに多種多様な電車が走りまわり、またその車両たちは、写真で見ても明らかに関西とはテイストの異なったものであった。
青春18きっぷというものの存在を知り、高校1年の夏、それを使ってクラスメートとともに東京への旅行を計画した。都合良く、東京に単身赴任している伯父がおり、その伯父のアパートに転がり込んで3日間を過ごした。その間、電車ばかり乗りまわし、他のクラスメートを呆れさせたものである。
どこか重苦しく自己主張の強い関西の電車と違い、はじめて見て、乗ってみた東京の電車は、若々しく洗練されていた。当時の言葉でいう、トレンディでファッショナブルな電車たち。とくに、親しんでしたTVドラマや漫画等に登場する東急や小田急、井の頭線では、その登場人物の知り合いになったような、奇妙なくすぐったさを感じ悦に入ったものだ。その一方で、やはり車内や駅構内の造作などに、どこか貧弱で薄っぺらだなと感じ、わが関西へのプライドを再確認したりした。とにかく、私鉄を中心に、楽しかった1992年の東京の電車乗りまわしである。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
<<東急>>
やはり、ファッショナブルな東京の電車の筆頭は、この電車であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<京王井の頭線>>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<小田急>>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<西武>>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<東武>>
大学に入学する1995年以降の長い期間、私は東京に住み、これらの電車は身近な乗り物にになるわけだが、この頃はまだそんなことを考えたこともなかった。
青春18きっぷというものの存在を知り、高校1年の夏、それを使ってクラスメートとともに東京への旅行を計画した。都合良く、東京に単身赴任している伯父がおり、その伯父のアパートに転がり込んで3日間を過ごした。その間、電車ばかり乗りまわし、他のクラスメートを呆れさせたものである。
どこか重苦しく自己主張の強い関西の電車と違い、はじめて見て、乗ってみた東京の電車は、若々しく洗練されていた。当時の言葉でいう、トレンディでファッショナブルな電車たち。とくに、親しんでしたTVドラマや漫画等に登場する東急や小田急、井の頭線では、その登場人物の知り合いになったような、奇妙なくすぐったさを感じ悦に入ったものだ。その一方で、やはり車内や駅構内の造作などに、どこか貧弱で薄っぺらだなと感じ、わが関西へのプライドを再確認したりした。とにかく、私鉄を中心に、楽しかった1992年の東京の電車乗りまわしである。
東急東横線 渋谷-代官山で行き交う東急の電車。8590系8連の急行桜木町ゆき。1992年8月。
//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
<<東急>>
やはり、ファッショナブルな東京の電車の筆頭は、この電車であった。
東横線渋谷駅の様子。関西の駅に比べ色合いも明るく、軽やかな感じがする。
人々のファッションも垢ぬけているが、今からみればさすがに時代を感じる。1992年8月。
人々のファッションも垢ぬけているが、今からみればさすがに時代を感じる。1992年8月。
憬れの駅、代官山。まだ傍らには同潤会の代官山アパートが健在で、トレンドと安らぎが同居する
素晴らしい駅であった。9000系8連の急行渋谷ゆきが通過してゆく。1992年8月。
素晴らしい駅であった。9000系8連の急行渋谷ゆきが通過してゆく。1992年8月。
当時の東急の夏制服はなんとシャツの裾を外に出したもの。
その斬新さに、さすが東京の私鉄は違うと感じたものである。代官山。1992年8月。
その斬新さに、さすが東京の私鉄は違うと感じたものである。代官山。1992年8月。
代官山付近を走る9000系8連の桜木町ゆき。渋谷-代官山。1992年8月。
大阪でいえば南海高野線の岸ノ里-帝塚山あたりに雰囲気が似ているが
電車のほうはこんなにお洒落じゃない。
このあたりも2010年現在地下化工事中であり、間もなくこの風景も消える。
大阪でいえば南海高野線の岸ノ里-帝塚山あたりに雰囲気が似ているが
電車のほうはこんなにお洒落じゃない。
このあたりも2010年現在地下化工事中であり、間もなくこの風景も消える。
8590系8連の急行桜木町ゆき。渋谷-代官山。
ヤマケイ私鉄ハンドブックで見た東急8090系ほど、東京らしい洗練を感じる電車はなかった。
1992年当時すでに正面非貫通の8090系は大井町線に移っていたが
正面貫通扉となった8590系が急行運用で登場し私を喜ばせた。1992年8月
ヤマケイ私鉄ハンドブックで見た東急8090系ほど、東京らしい洗練を感じる電車はなかった。
1992年当時すでに正面非貫通の8090系は大井町線に移っていたが
正面貫通扉となった8590系が急行運用で登場し私を喜ばせた。1992年8月
8000系8連の桜木町ゆき。渋谷-代官山。1992年8月。
学芸大学駅でのスナップ。9000系の急行桜木町ゆきが発車してゆく。1992年8月。
学芸大学駅に接近する9000系8連の桜木町ゆき。1992年8月。
学芸大学-都立大学間を走る8000系8連の桜木町ゆき。1992年8月。
目蒲線多摩川園付近を走る7700系4連の蒲田ゆき。1992年8月。
目蒲線多摩川園付近を走る1000系4連の目黒ゆき。沼部-多摩川園。1992年8月。
新丸子-多摩川園で多摩川を渡る9000系電車。1992年8月。
関西にはこのように整備の行きとどいた河原がなく、新鮮な思いでシャッターを切った。
関西にはこのように整備の行きとどいた河原がなく、新鮮な思いでシャッターを切った。
多摩川を渡る8000系8連の桜木町ゆき。1992年8月。
多摩川の夏。8590系がゆっくりと鉄橋を渡る。1992年8月。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<京王井の頭線>>
渋谷-神泉間のトンネルを抜け神泉駅を通過する3000系急行吉祥寺ゆき。1992年8月。
神泉駅はトンネルに挟まれた半地下の不思議な駅。東京の街の起伏の多さにも驚いた。
神泉駅はトンネルに挟まれた半地下の不思議な駅。東京の街の起伏の多さにも驚いた。
神泉駅に到着する3000系5連富士見ヶ丘ゆき。1992年8月。渋谷の外れに位置するこの駅だが
周辺は繁華街の名残りもあるが独特のゆったりした雰囲気だった。
周辺は繁華街の名残りもあるが独特のゆったりした雰囲気だった。
駒場東大前-池ノ上間を走る3000系5連富士見ヶ丘ゆき。1992年8月。
下北沢駅でのスナップ。当時、私が熱中していた漫画に「YAWARA ! 」があるが
その魅力的な主人公が利用するのが井の頭線であり、最寄り駅がここであった。1992年8月。
その魅力的な主人公が利用するのが井の頭線であり、最寄り駅がここであった。1992年8月。
3000系急行吉祥寺ゆき。下北沢-新代田。1992年8月。
下北沢-新代田間で並ぶ3000系。1992年8月。
新代田駅にて。1992年8月。
吉祥寺の街をあとに渋谷を目指す3000系急行渋谷ゆき。
吉祥寺-井の頭公園。1992年8月。
吉祥寺-井の頭公園。1992年8月。
井の頭公園駅に到着する3000系渋谷ゆき。井の頭公園に隣接する静かで魅力的な駅であった。
京王はこの頃いち早くCI戦略を取り入れ、すでに駅看板や各種表示がデザイン的に統一されて
非常に洗練されたイメージを持った。1992年8月。
京王はこの頃いち早くCI戦略を取り入れ、すでに駅看板や各種表示がデザイン的に統一されて
非常に洗練されたイメージを持った。1992年8月。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<小田急>>
新宿副都心のビル街をバックに郊外を目指す4000形6連の向ヶ丘遊園ゆき。
南新宿-参宮橋。1992年8月。
南新宿-参宮橋。1992年8月。
異なる行き先の列車を併結して走る4000形他10連の急行小田原/片瀬江ノ島ゆき。
南新宿-参宮橋。1992年8月。
南新宿-参宮橋。1992年8月。
田園風景の残っていた鶴川駅付近を走る5000形ほか10連の急行箱根湯本/江の島ゆき。
現在では鶴川駅前の開発によりこの田畑は消滅している。柿生-鶴川。1992年8月
現在では鶴川駅前の開発によりこの田畑は消滅している。柿生-鶴川。1992年8月
柿生-鶴川間を走る7000形LSE11連接の特急「えのしま」片瀬江ノ島ゆき。1992年8月。
LSEはSE、NSEと続くロマンスカーの伝統を守る三代目で1980年登場。
その後続々と後継車が登場したが2010年現在、いまだ現役で走っているのがうれしい。
LSEはSE、NSEと続くロマンスカーの伝統を守る三代目で1980年登場。
その後続々と後継車が登場したが2010年現在、いまだ現役で走っているのがうれしい。
当時の最新鋭通勤車、8000形ほか10連の急行小田原/江ノ島ゆき。柿生-鶴川。1992年8月。
4000形6連の本厚木ゆき。柿生-鶴川。1992年8月。
町田駅をあとに新宿を目指す最新鋭(4代目)ロマンスカー10000形HiSE
11連接の新宿ゆき。1992年8月
センセーションを起こしたハイデッカー車両だが、兄貴分のLSEよりも先に廃車が進んでいる。
11連接の新宿ゆき。1992年8月
センセーションを起こしたハイデッカー車両だが、兄貴分のLSEよりも先に廃車が進んでいる。
町田-玉川学園間の2代目ロマンスカー3100形NSE11連接の特急「さがみ」新宿ゆき。
左は5000形4連の片瀬江ノ島ゆき。1992年8月。
NSEはロマンスカーをポピュラーにした立役者だが2000年に引退している。
左は5000形4連の片瀬江ノ島ゆき。1992年8月。
NSEはロマンスカーをポピュラーにした立役者だが2000年に引退している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<西武>>
池袋線石神井公園駅に進入する3000系8連の急行西武球場前ゆき。
西武池袋線はこの20年で大きく様相が変わった路線のひとつ。
まだ練馬高野台駅はなく石神井公園駅の手前は富士見台駅であった。
また列車の背後の風景を見て頂ければわかるとおり
石神井公園駅付近でも、まだ武蔵野の緑が色濃く残っていた。1992年8月。
西武池袋線はこの20年で大きく様相が変わった路線のひとつ。
まだ練馬高野台駅はなく石神井公園駅の手前は富士見台駅であった。
また列車の背後の風景を見て頂ければわかるとおり
石神井公園駅付近でも、まだ武蔵野の緑が色濃く残っていた。1992年8月。
石神井公園駅に到着する101系8連の西武球場前ゆき。1992年8月。
池袋線所沢駅に到着する101系8連の所沢ゆき。秋津-所沢。1992年8月。
所沢をあとに池袋を目指す101系8連の池袋ゆき。所沢-秋津。1992年8月。
所沢駅に進入する3000系快速池袋ゆき。1992年8月。
新宿線小平駅で並ぶ古参車両401系ほか8連の急行本川越ゆき(左)と
最新鋭2000系8連の西武新宿ゆき。1992年8月。
最新鋭2000系8連の西武新宿ゆき。1992年8月。
新宿線小平駅に到着する101系8連の急行本川越ゆき。1992年8月。
萩山駅をあとにする多摩湖線101系4連の国分寺ゆき。萩山-青梅街道。1992年8月。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<東武>>
夕ラッシュ時の東武浅草駅での改札風景。1992年8月
自動改札に慣れた私にとって、係員が着席のままパンチを入れるこの執務風景は、
はっきり言って衝撃であった。
自動改札に慣れた私にとって、係員が着席のままパンチを入れるこの執務風景は、
はっきり言って衝撃であった。
高架化工事中の北千住駅で「りょうもう」号の待避をする8000系ほか6連の準急伊勢崎ゆき。
1992年8月。
1992年8月。
梅島駅付近を通過する8000系6連の準急浅草ゆき。前面更新バーション。1992年8月。
北千住駅に進入する8000系準急浅草ゆき。1992年8月。後ろに日比谷線車両が見える。
谷塚駅に到着する最新鋭10000系6連の普通浅草ゆき。1992年8月。
谷塚付近を走行する8000系6連準急太田ゆき。1992年8月。
竹ノ塚-谷塚間の複々線をゆく20000系8連の普通東武動物公園ゆき。1992年8月。
谷塚駅付近をゆく200系6連急行「りょうもう」号浅草ゆき。1992年8月
この頃まだ「りょうもう」は急行であった。
この頃まだ「りょうもう」は急行であった。
草加-谷塚間をゆく8000系6連の普通浅草ゆき。1992年8月。
新型100系「スペーシア」は西の近鉄アーバンライナーと並び1990年代の私鉄特急の黄金時代を
拓いた車両。特急「けごん」「きぬがわ」などに使用され、今も東武の看板特急である。
谷塚付近。1992年8月
拓いた車両。特急「けごん」「きぬがわ」などに使用され、今も東武の看板特急である。
谷塚付近。1992年8月
大学に入学する1995年以降の長い期間、私は東京に住み、これらの電車は身近な乗り物にになるわけだが、この頃はまだそんなことを考えたこともなかった。
以上
2006-11-18 00:58
nice!(0)
コメント(1)
トラックバック(0)
こんにちは。
関東と関西で、鉄道の色合い、雰囲気もだいぶ違っているのが不思議です。今思えば、お写真の当時はまだ、高度成長期に作られた古い車両もまだまだ走っていて、私鉄各社ごとのカラーが今よりもはっきりしていた時代だったと思います。
関東の私にとっては、関西の私鉄は、同じように衝撃を受けることがあります。何番線ではなく何号線との表現や、ターミナル駅の規模(これは特に阪急梅田駅ですね)、車両のリニューアルに対する姿勢の違いなど、感じるところが多々あります。
それでも、お写真の時代から時間が経って、東西、だいぶ均質化してきたと言えましょうか。
関東の私から見ても懐かしいお写真、大変楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
by 風旅記 (2015-06-23 12:59)