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リスボン(ポルトガル) 1996 [ヨーロッパの町紀行]

私にとって、記念すべき人生初の海外旅行は、ポルトガルだった。
19歳の春、アルバイトで貯めたお金を握りしめて、モスクワ経由で一人、パリに着いた。
パリには2泊だけして、それから、ポルトガルに向かった。
「南方急行」という名の、古びた列車に乗って・・・・

以下は、その時の記録である。
帰国してすぐに書き留めておいた内容を、ほぼそのまま載せてみようと思う。
今読むとさすがに少し恥ずかしいものがあるが、あらためて、あの頃は純情だったのだなあなどと感じる。

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SUD EXPRESS(南方急行)
目を覚ますと、列車は停車していた。国境のヴィラル・フォルモッソ駅。ここよりいよいよポルトガルだ。外はまだ暗かったが、時計は午前5時過ぎをさしている。まもなく空が白みはじめるだろう。殺風景でだだっ広い駅構内では、至るところに立てられたオレンジ色の電灯が煌々と輝き、ホームではなにやらさかんにアナウンスが繰り返されて、あたりじゅうの山々に響き渡っている。コンパートメントの電灯を点け窓を開けると、数名の鉄道員が機関車の付け替えのために、線路を歩き回っているのが見えた。山腹に散在する家々からは、まだ一点の明かりも認められないし、後ろに連なる寝台車もひっそりと寝静まっているようだけれど、駅の一日はもう始まっているようだ。しばらくすると機関車がホーと短い汽笛を鳴らし、列車はゆっくり動き出した。

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東の空が白み始める。ポルトガルの大地が、しだいに車窓に開けてゆく。ゆるゆるとどこまでも続く丘の合間を、列車は大きくカーヴしながら走っていた。それは、大きくて、限りなくたおやかな大地であった。小さくて可憐な黄色い野の花が、こぼれんばかりに一面咲き乱れている大地であった。・・・タンポポかな?・・・そう思わせるほどに僕の心に寄りそうような可憐さをもった花々。けれどそれはタンポポのような素っ気ないそぶりでは決してなく、満面いっぱいに歓迎の笑みをたたえて僕を迎えてくれた。列車の風にあおられて、それは皆僕に手を振った。驚いて窓を開けると、間髪いれず吹き込んでくるその朝の風は、本当に黄色い春の香りがしたのだった。

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 トンネルを抜けて、山あいの小さな駅で行き違いをする。崖っぷちを這うように進むかと思えば、民家すれすれを走って軒先の梢をそよがす。窓をしまいまで開けて僕は夢心地だった。朝7時。南国の太陽はまだ穏やかな表情ながら、この世界のすみずみまでをまんべんなく照らし出してくれる。ぷく、ぷく、と続く丘の中腹に木組みの古い一軒家が見え、近づいてくるとおりしも戸口からそこのおかみさんらしき人が、たくさんの洗濯物と青いポリバケツを抱えて出てきた。初めて見るポルトガルの人。僕は窓に立ち、思わず手を振った。小母さんは、何かしらと戸惑ったように立ち止まって、そしてそれから次の瞬間には、そのたくましい手を、昔ながらの家事にすっかり鍛えられたその腕を、思いっきりいっぱいに振ってくれたのだった。それはちょうど僕の子供の頃に、両腕いっぱいに僕を包んでいてくれた母親の、本当に、久しぶりにみる「お母さん」の、あの懐かしい笑顔だった。きっと家の中では、二人くらいの小さな坊やたちが、ミルク瓶をスプーンでチンチン鳴らしながら、「ママー、毎日おんなじパンだなんてやだー」なんて言ってるに違いない。ちょうど小母さんは、「さっさとお済まし! かたづかないでしょ」なんて言いながら出てきたところだっただろう。
・・・そんな楽しい幻想を追いかけるうちに、なんとなくいい気分になって、またウトウトまどろんでした。


リスボンは想像以上に大きな町だった。終着駅に着く30分の前から、車窓には高層マンションが並んでいる。目も覚めるように悠としたテージョの流れに添うように列車が走る頃には、窓外に郊外電車がひっきりなしに流れていくのだ。そして私の乗車した「南方急行」は、お昼12時を前に、サンタ・アポローニャの終着駅に滑り込んだ。「哀愁の・・」のキャッチコピーだけでこの地のイメージをつくってきた僕には、駅前の敷石に降り注ぐ太陽があんまりぎらぎらして眩しくて、とても面食らってしまった。石畳に跳ね返って踊る、うろこのような銀色の日のきらめきで、町中が蒸せかえっているような、人も車も、そんなフライパンの上で乱舞するような、というよりは、少し踊りつかれてゲンナリしているような、ここはまさしく南の国の、南の都であった。

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PRACA DA FIGUEIRA, Lisboa


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SOCORRO, Lisboa


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PRACA DA FIGUEIRA, Lisboa


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SOCORRO, Lisboa


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PLACA DO COMERCIO, Lisboa


バスで市中に向かったが、えらくドロまみれの車両で、ガタガタの石畳道をガンガン飛ばす。ところどころ敷石がはがれて土が露出し、とんでもないデコボコ道になるのだが、バスがドロまみれなのはこの土ぼこりのせいなのだろう。見ていると、バスの前や後ろには水兵たちが口笛を吹きながら飛び出してくるわ、背中の曲がったメガネのお婆さんまでもが平気で信号無視をしようとするわで実に危なっかしい。こちらはといえばクラクションをさかんに鳴らしながらも、少しもスピードを緩めることなく、走っていくのである。そうして肝を冷やしながら、旧市街の入り口であるコメルシオ広場まで来ると、お目当てのアンティックな路面電車がいた。

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ALCANTARA, Lisboa


僕がいったい何にさそわれて、こんな果ての都までやってきたのか? それはなかなか答えがたい問題なのだけれど、いつか乗り物の雑誌で見たこの鄙びたおんぼろ電車が、急な坂をギシギシと上り下りして僕の幻想をかき立てたことだけは間違いない。実は、ここ数年、観光名物でもある市電(リスボンの人達はエレットリコと呼ぶらしい)の路線はどんどん廃線になっているらしく、サンタ・アポローニャの駅前には傾いた停留所のポールと、錆び付いて砂に埋もれた線路があり、僕は少なからずショックを受けたのだった。最新の路線地図を買ってみると、日本で事前に入手したものと比べて、路線は半分以下に減ってしまっている。だからこそ、幻想の街路を行き来していたあの電車の生身の姿を、ここで見つけることができたのがひときわ嬉しかった。それは、愛らしい小さなハコを前後にゆらゆらさせながら、ちょこまかと、街を飛び跳ねるように走っていた。

地図を眺めると、リスボンきっての下町、アルファマを走り抜ける28系統というのがあるので、さっそく乗ってみることにした。

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ELECTRICO


路線は、思いのほか急坂が多い。モーターをうんうん言わせながら、それでも今にもとまってしまいそうになりながら、坂を上がる。かと思えば、次の瞬間には、空気ブレーキをいっぱいに引いて、だがそれだけでは足りず、ハンドブレーキも必死に回して、坂を下っていく。あまりの急勾配に、床に荷物がするすると移動するくらいだ。今にもバラバラになってしまいそうなボロ車両があんまり健気で、気をもんでいると、あれよあれよという間に、線路が単線になり、なんと車一台入り込むのも難しそうな裏路地へと曲がっていくではないか。

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ALFAMA, Lisboa


これには本当にたまげてしまった。電車が来ると、歩く人は文字通り壁に張り付かねばならないのだ。チン、チン、チン、と鈴を鳴らしながら、ゆっくり電車は進む。右も左も、古めかしいアパートメント。上層階では、はためく洗濯物の横の窓から、でっぷり肥えたオバさんが、電車の通過をみるともなく眺めている。アルファマの主人公は、洗濯板とバケツを共同洗濯場に持ち込んで世間話に興じているおかみさんたちと、やせっぽちの子犬を追いかけまわしている子供たち。男たちは、窓際でものも言わず、日がな道行く人々を眺めている。

・・・そのうちに電車は路地を抜け、複線に戻った。反対側からは3台も電車が待っていた。

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ALFAMA, Lisboa



ポルトガルの人、をひとことで言えば「古くてカワイイ」ってことになるかもしれない。市電の運転手なんかにはいかめしい人もいるが、もっと歳をとったおじいさんなどは、バスに乗って隣り合わせに座ろうものなら、東洋人が珍しいのか臆面もなく首をこちらに向けて僕を見つめている。それがもう「あどけない」っていっていいくらいにクリクリっとした罪のない目なので、おもわず吹き出したくなるくらいだ。

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ROSSIO, Lisboa


こんなことがあった。
・・・廃止になったのを知らずに僕が市電を待っている。何かを感じてふと顔を上げると、道路のちょうど向かい側に、背の低い一人の初老の男が、両手をポケットに突っ込んだまま、ただ立って、僕を見ている。身なりもなんだかパッとしないし気持ち悪いな・・と思っていると、男はいよいよ僕のほうをじっと見つめて動こうとしない。こいつは厄介なことになった、変なのにつきまとわれたぞ、と思い、市電もなかなか来ないからここは早めに逃げることにするか、と僕が停留所を離れた瞬間、男は、それを見届けて、安心したように一息つき、ステッキを手によそよそとどこかへ行ってしまった。

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CAMPOLIDE, Lisboa


そこで、僕は合点して笑い始める。そうだ、あの男は、ここの市電は廃止されてもう来ない、と僕に言いたかったのに違いなかった。右も左もわかりそうもない僕がそれに気づくか心配で、じっと見てくれていたのだった。

・・・それなら何か合図するなり声をかけてくれるなりすればいいのに・・・親切が身にしみるというよりも、ポルトガルの人のこんな「罪のない」たたずまいが、僕にはとても素敵にみえたのである。ポルトガルの男の人は、歳をとるにつれて、小さく、可愛らしくなっていくようである。

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BAIXA, Lisboa


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リスボンの夜で一番魅力的なのは、バイロ・アルトの夜だ。
ここも昼間はやたら腕っぷしの強そうな大女がごろごろいて、陽だまりに集まっては大声でおしゃべりしている。夕暮れ時も騒がしい。家の中から、彼女たちが、古ぼけた小さな窓いっぱいに身を乗り出して、いつまでも路地で遊んでいる子供達をドラ声で呼びつけるのだ。それでも子供達は元気に逃げ回るから、堪忍袋の緒を切らした彼女たちは、戸口から魔神のように現われる。そしていとも軽々と子供達を腕にかっさらい、そのまま両手に一人づつ捕らえて再び家の中で入ってしまう。こうして、夕暮れ時のいつもの「騒動」が、戸口を荒々しく閉める音ともに終るころ、いよいよ日もとっぷり暮れてバイロ・アルトに夜が来る。

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BAIRRO ALTO, Lisboa


しばらくは道行く人もなく、さっきまでのあの騒動の余韻の残る狭い街角に、夕餉の炊事場のコトコトいう音々だけがこだまする。路地に走る影があると思うと、それは炊事場から追い出された猫のそれくらいのものだ。昼間のぎらぎらした太陽に、一日中照り上げられていた石畳たちが、ようやくホッと一息つくのが聞こえてきそうな夜8時。さらにあてもなく歩いてゆくと、数軒の古びたレストランが、ひっそりと営業している。

ポルトガルの民族音楽、ファドを聞かせる店が多い。まだ路地をうろつく人も少なく、幾人かの観光客が、おどおどしながら入っていくのみだ。しかし、夜も9時をすぎると、夕飯のあとに抜け出してきた親父さんたちがコソコソ集まりだし、それなりに賑やかになってくる。僕は、妙にヘコヘコした客引きの小男につかまり、ファド・レストランの一軒に入ってみた。

店内は、ぼんやりして薄暗い。お客は、それぞれにテーブルを陣取って、一人でコップ酒をあおっている親父さんたちが多い。泣き止まぬ赤ん坊を背負ったまま、ひそひそ話をしているおかみさんもいる。こちらの人は、だいたいシャイで淡白なのか、めいめいが好き勝手に一人の時間を楽しんでいて、あまり他人に話しかけたりとかはないようだ。赤ん坊も泣きっぱなし。私はこっそりにらめっこを試みたが、効き目がない。母親は何をやっているのだ・・と、おかみさんのほうを覗き見すると、これがたぐい稀な醜い化粧である。眉などヘの字に太く縁取り、ベタベタの深紅の口紅で顔の下半分を塗りたくっている。おまけに耳のピアスと赤いかんざしが、顔と不釣合いに巨大で、これではまるでニワトリである。・・・あとは白人の観光客ファミリーが奥まった席で不安気にキョロキョロしている。何せ、壁に古びたギターがかかっているきりで、歌手らしい人も楽器奏者のような人の練習姿も見えない。僕はというと、一番安い白ワインを一人で飲みながら、これでは歌など始まりそうにないぞ、と少々いぶかしんでいた。

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料理が出揃ったころ、奥のほうで黙って飲んでいた二人の黒縁眼鏡の男性が立ち上がり、壁のギターを手に取った。なんと、彼らが弾き手なのだった。いよいよ開演である。歌手はいったい誰だろう、と思っていると、立ち上がったのはほかでもない、赤ん坊を負ぶった例のニワトリ女であった。

戸口にいた男が、司会に回る。皆様、こんばんは、本日はようこそ、アデガ・ド・リバテージョへ。お待たせしましたが、いよいよ本日も開演いたします。奥のほうで肩身の狭そうな表情をしていた観光客ファミリーは、そうだ、これでいいんだ、とばかりに目を輝かせてお互いにうなずきあっている。ガブガブやっていたおやじさんたちも、目をしばたかせてしばしご拝聴。男たちがギターをつま弾き始めると、給仕は皿を洗う手をとめ、コックもみな厨房から出てきた。・・・女が歌いだす。海の底をなぞるような、低い、恨みのこもる太い声であった。
「夫は、かつてここから船出した。私は今もここで毎日あの人を待つ。来る日も来る日も私はここに立っている。」・・そんな内容らしい。海よ、大いなる海よ、この小さな私が、夫を帰して欲しいとささやかに願うのは、そんなに畏れ多いことなの? もし、そうならそうだと、どうして知らせてくれないの? だまりこくってばかりいないで、なんとか答えてよ! 女がしだいに声を張り上げる、ものすごい声量でテーブルのグラスがぴりぴりと震える。何か言って頂戴よ!この果てしない無口な海を前に、つぶれる胸を、私はどうすればいいのさ!!

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SANTA APLONIA, Lisboa


・・・絶叫のうちに歌は終った。あまりの迫力に圧倒されて、皆しばらく身動きできない。僕はほとんどあっけにとられて、この町をめぐるとりとめもない随想を追っていた。まぎれもなく、この町は、たくましい海の男たちの数々の凄絶な生きざまの繰り広げられてきた、本当の意味での港町なのだった。二度と恋人と顔を見ることはないと知りながらも、奮って未知の海原へと乗り出していった漁師や水兵や航海者たち。そんな人達の繰り広げたであろうたくさんのドラマが、ぐるぐると僕のまわりを幾重にもとりまいて、あんまり激しく回るので、僕はめまいさえ感じたほどだ。気が付くと、店内は拍手の渦だった。打って変わって驚嘆の眼差しを向ける僕たちに女は一瞥さえも与えずに、赤ん坊を手にとって無愛想に店を出て行った。

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CAMPOLIDE, Lisboa


それからは、店にいた男や女たちが代わる代わる歌った。なんだかとても気のおけない舞台で、とても楽しかった。いかにも薄幸という感じのいで立ちをした掃除番のおばさんや、奥のほうで尻ごみをしていた給仕も引っ張ってこられて持ち歌を歌う。僕には歌詞の内容はよくわからないけれど、皆、上手に歌おうとするのではなく、自分らしく歌おうとしているようで、決して聞き飽きることがない。歌の感じも、激情吐露型のものもあればささやか、さわやかなものもあり、変化に富んでいる。機嫌よく司会をしていたおじさんが何やらはにかみ出したと思えば、「ではこの辺で私も」と歌いだす始末で、僕はずいぶん旨い酒を飲むことができた。面白かったのは、さっき戸口で客引きをしていた薄汚い身なりの小男までもが、妙に手をクネクネさせて、「朝の散歩でェ~、街角を曲がったときィ、そこにきみのォ、花が咲いていた~」なんて歌いだした時である(歌の内容は知りませんので想像ですが、そんな感じの歌に聞こえた)。ひどいしわがれ声でお世辞にもうまいなどと言えたものではなく、その上しきりに僕にウィンクをしてくるので、大層閉口した(その夜彼にひっかかった客は僕一人だったらしい)。

歌はいよいよ盛り上がる頃だったが、あんまり遅くなると宿のおかみさんが怖いので、そっと店を出た。嘘のような静けさで、店からもれるかすかなファドの調べと換気扇の音だけが、薄暗い石畳の路地にかすかに響く。一息ついて歩きだすと、壁際にうずくまる黒猫が僕についてきた。

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BAIRRO ALTO, Lisboa



ポルトガル料理というのはたいしたもので、とくに凝った味付けなど一切してそうにないのだが、素材のよさが素直に引き出されていて、いくら食べてももっと食べたくなる(これは僕だけか・・)。

魚介料理が豊富なのだが、中でもタラを玉ねぎと炒めて卵でとじただけの「バカリャウ・ア・ブラシュ」など、質素な感じだが味は絶品で、タラだけだと若干塩辛いが、卵の甘みがそれを中和し、タラのあっさりしたコクを引き出してくれる。南部のエヴォラという町で頼んだ「アロース・デ・マリシュコ」は、大きなエビやアサリがごろごろ入ったジューシーなリゾットで、3人分はあるかというぐらいの大きなパンに山盛り。潮の香りでむせ返りそうになるほどだった。肉類では豚が多く、アレンテージョ風などと銘打たれた豚肉とアサリの炒め物などは、コリアンダーがよく利いていて一押しである。ウサギなども特産らしく、なぜ日本でもっと紹介されないのか残念でしょうがない。

飲み物では、「ヴィーニョ・ヴェルデ」というスパークリングワインが特産らしいが、これがたいへんフルーティで口当たりがよく、ジュースがわりにガブガブ飲んでしまうからクセモノである。勘定を済ませ、立ち上がって初めて、自分が意外に「出来上がって」しまっていることに気づくのだが、時すでに遅し。人通りも少なくなった深夜の大通りで、そそくさと歩いてくる黒メガネの老人に「ボーアタルデ! ボーアノイテ・・(こんにちは! おやすみなさい・・)」とわめきたてたり、夜でも電気のついたみやげ物屋のショーウンィドウに接吻して怪しまれたり、宿にたどりついても、あたりかまわず呼び鈴をジリジリ鳴らしておかみさんに叱られたりすることになるのである。

・・・それはさておき、お酒の話で、あと面白かったのは、アマルギーニャ(アーモンド酒)と、やはりポルトガルに来たなら「お約束」という感じのポルトワイン。ポルトワインはさすがによく出来ている。酒屋で店番のきれいなお姉さんに「トライしてみて」と言われて初めて飲んだ赤は、ブルメスターのトゥニー10年ものだったが、これが僕には飛び上がるくらい美味しかった。それで僕は、「お約束」どおりポルト酒を奮発して4本も購入し、さらにあとで日本の税関で一本残らず徴税されたうえ、ひどい説教を受けた(そのとき僕は自分が未成年であることをすっかり忘れていたのだった)。

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■リスボンからのエクスカージョン■

1.オビドスへ

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Obidos



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Railway Driver


2.コインブラへ

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Coimbra


3.アヴェイロへ

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Aveiro


4.シントラへ

シントラは、リスボンのロッシオ駅から郊外電車で数十分。大阪から宝塚へ行くような感覚だ。木立に囲まれた山あいの小さな町で、傍らにおもちゃのような、浮世離れしたお城があった。

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Sintra


■リスボンの国電■

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リスボンのど真ん中に位置するロッシオ駅の様子。
シントラ行きの電車が15分おきに発着する。


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シントラ線は1992年登場の新型2300系電車が主役。朝夕は8両編成。


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シントラ線ベンフィカ駅。このあたりはアザンブジャ線の電車も乗り入れてくるため
運転本数が多く、複々線となっている。


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都心近くなのにローカル線然としたアザンブジャ線の旧式2000系電車。
後ろはアグアス・リブレス水道橋。カンポリデ駅。


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カシュカイス線は、元私鉄の買収路線。3100系電車が活躍。


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テージョ川に沿って海まで走るカシュカイス線。本数も多く、郊外電車らしい。


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リスボン一のターミナル、サンタ・アポローニャ駅に並ぶ機関車。
長距離列車メインなので国電は30分に一本が発着する程度。


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テージョ川をフェリーで渡った対岸にあるバレイロ駅はうらさびしい雰囲気。
いちおう、リスボンのターミナルのひとつとして南部行きの列車が一部発着する。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヴィーヴァ、ポルトガル! ヴィーヴァ、リスボーア! この国には大掛かりなモニュメントや豊饒な大陸文化の遺産はあまりない。そのかわりに、はにかみ屋で、少しおどおどして、けれどいつもこっそり自分だけの世界を夢見ている、ちょっと素敵な人々がいる。サンタ・ルジアの展望台で、いつも観光客相手に船乗り時代の武勇伝を語り歩くハンチングおじさん。はなやかなアウグスタ通りの片隅で、人知れず弦の切れたバイオリンをつま弾く盲目の老人。カセラシュのバス停では、唾を飛ばしながらものすごい勢いで、こちらが一言も理解できないことなどおかまいなしに、とにかくしゃべりまくる黒装束のおばあさん。どうやら「近頃のリスボンと来たら・・」という話らしいと、適当に相槌を打ちながらもすっかり途方に暮れ、遅れてやってきたバスがとても恨めしかったことも今は思い出である。思い出といえば、「地球の歩き方」に載っているよと教えてあげたオビドスの宿屋の主人は、飛び上がらんばかりの喜びようだったが、今も元気に宿の手入れをしているだろうか。一緒バイロ・アルトをさまよったスウェーデン人のビョームは、まだ相変わらずヒッチハイクを続けているのだろうか。古ぼけたケーブルカーが面白くて、彼と二人でいたずらをしながら何往復もしたことが昨日のことのように思い出される。

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MIRADOURO DE SANTA LUZIA, ALFAMA, Lisboa


そしてポルトガルのEU加盟は、長く休息をとっていたリスボンの腰を上げさせた。1998年にはいよいよ待望の万博がここで開催されるとあって、町中に強い前向きの推進力が生まれてきている。いたるところで行われる地下鉄工事、町中のあちこちではためく「EXPO 98」のキャンペーンフラッグ。この町は、もう古いだけじゃない。町を闊歩する若い水兵の、女の子をひっかける声は威勢がいいし、それに応えるリスボンの女の子たちのはちきれそうなお尻を包んでいるのはビンテージもののジーンズである。テージョ川沿いの市電15系統には、滑るように走る近未来型車両が登場。金髪美女が颯爽とハンドルを握っているし、街角のレコードショップを覗いてみれば、みずみずしくてカッコイイ国内新譜のジャケットが目白押し! この愛すべきポルトガルの人々が、今度はどんな偉業をなしとげるだろうか。それは正直なところあまりアテにはならなそうだけれど、だからこそ楽しみでもある。・・・ただ、アルファマをギシギシ走る健気な電車と、道端に咲く可憐な黄色い花だけは、いつまでも残しておいて欲しいと思う。あの花の名は、今も知らずにいるけれど。

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ALFAMA, Lisboa


最後に、ファドレストラン「アデガ・ド・リバテージョ」の親愛なる客引き小男へ・・
・・・
歌ってるときの君の顔、でも随分きらきらしてカッコよかったぞ!


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CASTELO DE SAO GERGE, Lisboa


撮影 1996年3月
本文 1996年4月(2009年8月、2013年3月補訂)

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