SSブログ
鉄道撮影行 ブログトップ

びわこ色の京津線 2020 [鉄道撮影行]

京阪電鉄の京津線(けいしんせん)は、関西に住む人でも知る人の少ない、地味な路線といえる。その名の通り、京都と大津(滋賀県)を結ぶ都市間連絡路線であるが、JR東海道線なら長いトンネルでわずか2駅、9分で結んでしまうのに対し、こちらの京津線は、くねくねと山越えをして22分。しかし京都の中心部と、琵琶湖畔の浜大津まで直結できるメリットがあり、京滋地区に縁のある人にとっては、存在価値がないとも言えない路線だ。そして、鉄道好きにとってはこたられないくらいに、電車が面白い走りをする路線でもある。
つまり、京都市内は地下線を走り、県境の山越え区間では最大61パーミル等という急坂や急カーブの連続をこなし、大津市内ではなんと道路の中を路面電車のように走るという、22分間で目まぐるしく路線環境が変化する路線なのだ。
この過酷な線区を、1997年の登場以来走り続けてきたのが、800系車両である。この800系、こうしたオンリーワンの路線を走るにふさわしく、京阪電車の中でも独特のカラーを身にまとってきた。琵琶湖の色をイメージしたという水色とグレー、そして京都西陣を象徴する伝統色のひとつである苅安色(かりやすいろ:やや青みがかった黄色)の帯。私は仕事でしばしばこの路線を利用し、何となくこの車体色が好きであったが、残念なことにこの度、京阪電鉄のCI戦略の一環で、他の車両と同じ緑色に塗り替えられることとなってしまった。
塗り替えが始まって3年。最後まで従来塗装で残った803Fを追って、久しぶりに鉄道撮りを敢行してみた。

FWDSC_7831-1.jpg

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 

さよなら「りんご特急」(長野電鉄2000系)~長野電鉄写真集 [鉄道撮影行]

2012年3月31日は、長野電鉄2000系、最後まで残ったD編成の引退日でもあった。

私が好きだった、ふっくらホッペのりんご色の特急電車、2000系。
1957年登場のA編成から1964年登場のD編成まで、日本が夢と活力に満ちていたあの時代に、4編成が作られ、以来、約50年もの長きにわたって長野電鉄の看板電車として愛されてきた車両。
志賀高原へ向かうスキー客や温泉客を乗せて、善光寺平を駆け回った電車である。
中でも、最後のD編成は、スカート付きでバランスがとれたスタイルを持ち、好ましかった。

2005年と2006年に、それぞれB編成とC編成が廃車となった。
その後も、残ったA編成とD編成によって特急運用が続いたが、それも新型特急2100系スノーモンキーの登場まで。2011年2月をもってA編成は引退、D編成も定期運用を外れ、廃車を待つばかりとなった。

だが、2000系の人気は引退後も続き、A編成もスクラップされることなく須坂駅構内に留置され、D編成に至っては引退を2012年3月まで延期され、細々とではあるが、普通電車や貸切電車として使用された。

そのD編成も、3月30日で定期列車としては運転を終了し、31日の記念運転をもってついに正式引退となった。

私にとっても、久しぶりに鉄っちゃん魂を取り戻し、2000系D編成を追いかけたこの2年間。
本稿では、その間の2000系D編成の写真を中心に、A編成や他の長野電鉄の車両、また沿線風景の写真を交えて、その活躍の頃を振り返りたい。

FWshinsyuRG170(1).jpg


続きを読む


屋代線、最後の日 [鉄道撮影行]

長野電鉄屋代線は、2012年3月31日をもって廃線となった。
その日、多くの沿線住民が駅につめかけ、その最後の姿を見送った。

屋代線は、利用する人も少なく、地域から忘れられたかのような存在と聞いていた。
そのような路線の廃止に対して、沿線の方が高い関心を寄せるとは、とても思えない。
集まるのは、私のような鉄道マニアか、好事家の人々ぐらいのものかと思っていた。

しかし、それは全く間違っていた。

本稿では、松代駅を中心に、運行最終日の3月31日の様子、その最終列車の発車までを、
ダイジェストにてお伝えする。


FWR0011003(1).jpg

続きを読む


鉄道撮影行 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。