下仁田 2009 [日本の町散歩(関東)]
ねぎ、こんにゃく等、名産が多い下仁田。それがどこにあるのか知らなくても、名前だけは知っているという人も多いだろう。とくに、なべ料理に入れる「下仁田ネギ」の、甘く、とろけるような美味しさといったらない。私も、これがネギなのかという衝撃を受けた記憶がある。長野や高崎などの近隣での生産も試みられているが、どれだけ品種改良をおこなっても、元の下仁田産のもののようには美味しくならないという。
地図で見ると、高崎からわざわざ下仁田まで上信電鉄という私鉄が敷かれているのがわかる。わざわざ鉄道を引くというのは、そこが重要な人や物資の集散地であったということであり、また鉄道を引くだけの富があったということでもある。
そういうことから興味をもった私だが、先般、ひょんなことから、下仁田を訪れることができた。
バイクに乗って、秩父から長野方面へ山越えをしていた私は、十石峠に向かう道路が土砂崩れで通行止めとなり、やむなく北方面へバイクを走らせた。狭く曲がりくねった山道を越えてゆくと、急に小さな盆地が開け、山に囲まれたような町が見えた。
そうして、降りて行ったところが、下仁田であったのだ。
バイクを降りて、小さな町を少し散策することにした。
夏の午後の下仁田は、町全体が、眠りこけているかのように静かだった。歩く人も見当たらず、駅に停まっている電車もピクリとも動かない。まるで白昼夢を見ているような、不思議な気分に襲われた。
駅の周りには、多くの倉庫があった。やはり、特産品を始め、物資の集散地として、賑わった町だったのだろう。今でも使われているものかどうかわからないが、他所では見ることのできないような、独特の塗装が施されていた。
駅からすぐ、町の中心街があった。
近寄ってみると、「撞球場」とある。ビリヤードだ。中は暗く、営業している風もない。
地図で見ると、高崎からわざわざ下仁田まで上信電鉄という私鉄が敷かれているのがわかる。わざわざ鉄道を引くというのは、そこが重要な人や物資の集散地であったということであり、また鉄道を引くだけの富があったということでもある。
そういうことから興味をもった私だが、先般、ひょんなことから、下仁田を訪れることができた。
バイクに乗って、秩父から長野方面へ山越えをしていた私は、十石峠に向かう道路が土砂崩れで通行止めとなり、やむなく北方面へバイクを走らせた。狭く曲がりくねった山道を越えてゆくと、急に小さな盆地が開け、山に囲まれたような町が見えた。
そうして、降りて行ったところが、下仁田であったのだ。
バイクを降りて、小さな町を少し散策することにした。
夏の午後の下仁田は、町全体が、眠りこけているかのように静かだった。歩く人も見当たらず、駅に停まっている電車もピクリとも動かない。まるで白昼夢を見ているような、不思議な気分に襲われた。
駅の周りには、多くの倉庫があった。やはり、特産品を始め、物資の集散地として、賑わった町だったのだろう。今でも使われているものかどうかわからないが、他所では見ることのできないような、独特の塗装が施されていた。
駅からすぐ、町の中心街があった。
近寄ってみると、「撞球場」とある。ビリヤードだ。中は暗く、営業している風もない。
撮影 2009年8月
本文 2012年11月
本文 2012年11月
2012-11-07 09:51
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