下田 2016 [日本の町散歩(中部)]
この年になるまで、伊豆半島に足を踏み入れたことが無かった。東京から「スーパービュー踊り子」等の特急列車が頻繁に乗り入れている伊豆は、関東人の為の華やかなリゾート地、というイメージ。関西出身の私には、なんとなく敬遠されるにおいが、そこにはあったのだ。
しかし、その関東からもうすぐ離れなければならなくなった2016年の春。私はやおら伊豆に行きたくなった。まだ東京では三寒四温の日々が続く三月、私は南風に誘われて伊豆急行線に乗り、終点の下田まで来てしまった。伊豆半島の先端近くに位置する下田は、黒船に乗ったペリーが来航し、幕末開港の舞台となった、歴史の上でも重要な場所であるが、訪ねてみるとそこは、たおやかな春の風と、素朴なやさしい人情が迎えてくれる、小さくて気持ちの良い港町であった。よくよく考えれば伊豆はもう関東ではなく静岡県なのだ。
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まずは駅から、メインストリートと思われる大通りを南へと歩いてゆく。
「マイマイ通り」と名付けられている。
まさかカタツムリでもあるまいなと思っていると、本当にカタツムリにちなんで命名されたらしい。
その昔、ペリーが下田で新種のカタツムリ(シモダマイマイ)を発見したのだという。
表通りを歩いていてもあまり面白くないので、下田港寄りの町なかへと入っていく。
さて、殿小路通りと十字に交差する商店街が南北に続いているので、
今度はその商店街をたどり南へと歩を進める。
さらに商店街を南下する。
いつしか「池の町通り」から「伊勢町通り」に名前が変わっている。
日新堂からさらに南へ進むこともできたが、この交差点の右(西)方面のほうが商店街のようだったので、まずはそちらへ進むことにする。
この「大横町通り」・・先ほどから日新堂やらハーバーライトやら重鎮クラスの店が並ぶが、調べてみると、やはりかつては「下田銀座」と呼ばれ下田のメインストリートであったという。1961年に伊豆急の下田駅が出来て、賑わいはだんだん駅前付近に移っていったという。
さきほどの「日新堂」の角からさらに南へ進んでゆく。
今の下田で最もにぎわっているエリアが、このペリーロードだ。下田港から了仙寺までの、滑川(旧弥治川)沿いのわずか400メートルの道筋だが、上陸したペリーが下田条約締結の会場となった了仙寺まで、300人の部下を率いて歩いた通りでもあるという。
そうした歴史上の事象もさることながら、特筆すべきは、ここがかつて下田で最も栄えた花街であり、赤線地帯であったということであろう。いまや下田観光の目玉というべきエリアだが、旧赤線が観光地に生まれ変わった事例というのは、じつや全国的にも珍しいのではないだろうか。
ここでいったん踵を返し、ペリーロードを了仙寺方面へ戻っていく。
今回は、川を渡ってそのまま歩く。・・・とお寺に着く。
再びペリーロード。
ペリーロードを河口方面へ歩いていく。
旧澤村邸前を右に曲がると、澤村邸の背後にある丘に登ることができる。
この丘は北条氏の出城である下田城があったところである。
そろそろ、駅方面へ帰ろう。
しかし、その関東からもうすぐ離れなければならなくなった2016年の春。私はやおら伊豆に行きたくなった。まだ東京では三寒四温の日々が続く三月、私は南風に誘われて伊豆急行線に乗り、終点の下田まで来てしまった。伊豆半島の先端近くに位置する下田は、黒船に乗ったペリーが来航し、幕末開港の舞台となった、歴史の上でも重要な場所であるが、訪ねてみるとそこは、たおやかな春の風と、素朴なやさしい人情が迎えてくれる、小さくて気持ちの良い港町であった。よくよく考えれば伊豆はもう関東ではなく静岡県なのだ。
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特急列車等が並びいつも華やかな伊豆急下田駅。
左はJRの特急「スーパービュー踊り子」号。右は伊豆急の「リゾート21」。
「リゾート21」は特急のような風貌だが、普通列車である。
派手なラッピングをまとっている車両が多いが、これは珍しく伊豆急オリジナルカラー。
左はJRの特急「スーパービュー踊り子」号。右は伊豆急の「リゾート21」。
「リゾート21」は特急のような風貌だが、普通列車である。
派手なラッピングをまとっている車両が多いが、これは珍しく伊豆急オリジナルカラー。
リゾート感たっぷりの下田駅前。
このようにバスがずらりと並ぶ時間帯もある。
ロータリーの様子。「ひもの」の看板が旅情を醸し出す。
下田港の様子(下田公園あたりから見たところ)。
左に見える三角形の特徴的な山は「下田富士」。
このあたり一帯は、古代の海底火山群が隆起したところだという。
そんな時代にマグマの噴出口だった部分が下田富士となった。
左に見える三角形の特徴的な山は「下田富士」。
このあたり一帯は、古代の海底火山群が隆起したところだという。
そんな時代にマグマの噴出口だった部分が下田富士となった。
まずは駅から、メインストリートと思われる大通りを南へと歩いてゆく。
「マイマイ通り」と名付けられている。
まさかカタツムリでもあるまいなと思っていると、本当にカタツムリにちなんで命名されたらしい。
その昔、ペリーが下田で新種のカタツムリ(シモダマイマイ)を発見したのだという。
南国の港町に赤い自転車がよく似合う。
表通りを歩いていてもあまり面白くないので、下田港寄りの町なかへと入っていく。
殿小路通り。身分の高い武士が住んでいたという。
なまこ壁が特徴的な建物を発見。左は喫茶店「邪宗門」
1966年創業と非常に古く、鎌倉にある邪宗門とルーツは同じらしい。
1966年創業と非常に古く、鎌倉にある邪宗門とルーツは同じらしい。
反対側から見たところ。
右の建物の一階部分も改装されており、店舗が入る模様。
さらに進むと、また趣ある一角。
奥のなまこ壁は、「下田まち遺産」認定第一号となった旧商家「雑忠」(さいちゅう)
個人的には手前の美容院のたたずまいがツボ。並ぶ自転車も良い感じ。
奥のなまこ壁は、「下田まち遺産」認定第一号となった旧商家「雑忠」(さいちゅう)
個人的には手前の美容院のたたずまいがツボ。並ぶ自転車も良い感じ。
あ、おばあさんの自転車でしたか!
「雑忠」のりりしい横顔。
元和歌山出身の廻船問屋とのことで「雑」は「雑賀衆」の雑だという。
元和歌山出身の廻船問屋とのことで「雑」は「雑賀衆」の雑だという。
右の水色の建物もステキ
さて、殿小路通りと十字に交差する商店街が南北に続いているので、
今度はその商店街をたどり南へと歩を進める。
「池の町通り」というようだ。
シャッターを閉めているところが多いが、人通りはそこそこある。
シャッターを閉めているところが多いが、人通りはそこそこある。
これは商店街と直交し「ひもの横丁」へ続く「仲横町通り」。
さらに商店街を南下する。
いつしか「池の町通り」から「伊勢町通り」に名前が変わっている。
「牛乳あんぱん」とは何ぞ
店名は「平井製菓」とある。買って来ればよかった。
伊勢町通りの突き当りの「日新堂」もマドレーヌの美味しい洋菓子店との事。
先ほどの「平井製菓」といい、下田は気取らない店が多いなあ。
先ほどの「平井製菓」といい、下田は気取らない店が多いなあ。
日新堂からさらに南へ続く道。
日新堂からさらに南へ進むこともできたが、この交差点の右(西)方面のほうが商店街のようだったので、まずはそちらへ進むことにする。
この東西の商店街は「大横町通り」という。
おっ、左端にいい感じの店が写っている。舵のモニュメントが尾道の「暁」を思い出させる。
おっ、左端にいい感じの店が写っている。舵のモニュメントが尾道の「暁」を思い出させる。
「ハーバーライト」。ビルは古びているが、扉の上の店名サインはしっかり鮮やか。
下田でなんと70年以上続くバーであるという。
下田でなんと70年以上続くバーであるという。
この「大横町通り」・・先ほどから日新堂やらハーバーライトやら重鎮クラスの店が並ぶが、調べてみると、やはりかつては「下田銀座」と呼ばれ下田のメインストリートであったという。1961年に伊豆急の下田駅が出来て、賑わいはだんだん駅前付近に移っていったという。
駅から「ペリーロード」へゆく女性達が、かつてのメインストリートを横切っていく。
かつての「下田銀座」。たしかに、言われてみるとその貫禄は感じられる。
右にまたなまこ壁あるし。
右にまたなまこ壁あるし。
こちらのなまこ壁は「平野屋」。
かつては旅館、現在は洋食メニューも充実した喫茶店である。
かつては旅館、現在は洋食メニューも充実した喫茶店である。
「仲横町」。
「三丁目通り」。右の家屋は喫茶店「油画茶屋」。
再び大横町通り。港方面を見たところ。潮の香り。
さきほどの「日新堂」の角からさらに南へ進んでゆく。
「弥治川町」通り。この先に谷地川(現:平滑川)というのがあり、
当て字でこの町名となった模様。
当て字でこの町名となった模様。
さらに南側の御幸通り。海の方をみたところ。
同心町通り。同心とは役人(下級役人)のこと。
下田奉行所の役人達が住んだ通りという。
下田奉行所の役人達が住んだ通りという。
突然、よく整備され柳並木の美しい道筋に出てきた。
これこそが、今の下田観光の目玉であるペリーロードである。
真ん中に流れる川が平滑川(旧弥治川)。
これこそが、今の下田観光の目玉であるペリーロードである。
真ん中に流れる川が平滑川(旧弥治川)。
今の下田で最もにぎわっているエリアが、このペリーロードだ。下田港から了仙寺までの、滑川(旧弥治川)沿いのわずか400メートルの道筋だが、上陸したペリーが下田条約締結の会場となった了仙寺まで、300人の部下を率いて歩いた通りでもあるという。
そうした歴史上の事象もさることながら、特筆すべきは、ここがかつて下田で最も栄えた花街であり、赤線地帯であったということであろう。いまや下田観光の目玉というべきエリアだが、旧赤線が観光地に生まれ変わった事例というのは、じつや全国的にも珍しいのではないだろうか。
左の蔵をリノベーションした風の建物は、
ハワイアンダイナー等が入る複合施設となっている。
ハワイアンダイナー等が入る複合施設となっている。
右の建物は明治42年築との事。元妓楼らしい艶っぽさを今に伝えているが
現在はレトロな喫茶店&雑貨「風待工房」となっている。
現在はレトロな喫茶店&雑貨「風待工房」となっている。
複合施設「蔵」の正面ファサード。
「蔵」内部より弥治川の対岸を見たところ。
ペリーロードには観光地っぽくない部分も残っており、ほっとする。
橋のたもとになまこ壁の建物を発見。江戸時代の建物という。
現在は「土佐屋」というダイニングバーとして営業中。
現在は「土佐屋」というダイニングバーとして営業中。
お、瀟洒な石造りの蔵と洋館が。しかもその建物に向けて橋が架かっている。
スパゲティとピザの店「ページワン」である。
この建物も相当に趣深い。
ギャラリー&カフェ「草画房」である。
ギャラリー&カフェ「草画房」である。
この2階の窓がなんとも良い雰囲気である。
ビルにもなまこ壁意匠が施され。。
ここでいったん踵を返し、ペリーロードを了仙寺方面へ戻っていく。
右が複合施設「蔵」である。
さらに奥へ進むと、川は右にカーブし、道は川を渡って左へと続いていく。
川を渡らずにそのまま進んでゆくとこんな道。ひなびている。
今回は、川を渡ってそのまま歩く。・・・とお寺に着く。
これが下田条約締結の舞台となった、了仙寺の入口である。
了仙寺の境内にはしゃれたミュージアムがある。
「MOBS」つまりMuseum of Black Ship 黒船ミュージアム。
以前の了仙寺宝物館であるという。
「MOBS」つまりMuseum of Black Ship 黒船ミュージアム。
以前の了仙寺宝物館であるという。
再びペリーロード。
複合施設「蔵」の対岸に、このような魅惑的な路地を発見。
左はさきほど見た喫茶「風待工房」である。
左はさきほど見た喫茶「風待工房」である。
右は古民家風デザインのビル「Matthew's Square」。非常にセンスが良い。
この階段を上がった先には何があるのだろう。
了仙寺とは異なるお寺に出てきた。
こちらは長楽寺。日露和親条約の締結地であるという。
こちらは長楽寺。日露和親条約の締結地であるという。
ペリーロードを河口方面へ歩いていく。
弥治川は港に注ぐ直前で左に屈曲する。
その突き当りに残るなまこ壁の優美な家屋は旧澤村邸。
大正初期の建造といい、現在はなんと無料休憩所として開放されている。
その突き当りに残るなまこ壁の優美な家屋は旧澤村邸。
大正初期の建造といい、現在はなんと無料休憩所として開放されている。
ここで休憩していかなかったことが悔やまれる。
旧澤村邸前を右に曲がると、澤村邸の背後にある丘に登ることができる。
この丘は北条氏の出城である下田城があったところである。
右の旅館「大川屋」は現役。
少し登ったところに城山稲荷神社がある。
城山稲荷神社の境内から下田市街を臨む。
やはり「下田富士」がユーモラスだ。
やはり「下田富士」がユーモラスだ。
弥治川の河口の様子。
下田港の様子。
港付近はさすがに漁師町という感じが色濃い。
港のすぐそばに現役の銭湯「昭和湯」
なんと平日でも朝から営業している。
なんと平日でも朝から営業している。
左は「土藤(つちとう)商店」。古くからある酒屋だ。
土藤商店を北側から見る。右側が資料館、左側の石造りの建物が店舗となっている。
「清酒アケゴコロ」の看板がいい味を出している。(「明けごころ」は伏見の酒)
「清酒アケゴコロ」の看板がいい味を出している。(「明けごころ」は伏見の酒)
こちらのなまこ壁は「松本旅館」。
現役なら大変魅力的な宿だが、現在は休業中の様子。
現役なら大変魅力的な宿だが、現在は休業中の様子。
旧「安直楼」。「唐人お吉」のモデルとなった芸妓さんが
晩年にこの建物で料理屋を営んでいたという。(明治15年ごろ)
晩年にこの建物で料理屋を営んでいたという。(明治15年ごろ)
このあたりはなまこ壁があちこちに残っている。
ひもの横丁界隈。
左の「ランプハウス」は朝6時からひもの等の定食が食べられる。
地元の漁師さんも集まる店として知られる。
左の「ランプハウス」は朝6時からひもの等の定食が食べられる。
地元の漁師さんも集まる店として知られる。
二丁目界隈。
そろそろ、駅方面へ帰ろう。
撮影:2016年3月
本文:2017年4月、2020年3月
本文:2017年4月、2020年3月
2017-04-09 00:25
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