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カトマンドゥ 2005-06 [アジアの町紀行]

子供の頃、愛読?していた本のひとつに、「世界の国旗」なるものがあった。

世界の国々の国旗がフルカラーで配列されている、ただそれだけの本であったが、行儀よく並んだ色とりどりの四角形を目で追っているだけで、そのころの私は数時間が過ごせた。
そのなかに、私の気を強く引く一つの国旗があった。他の国旗がことごとく判で押したように長方形をしているのに、その国旗だけが、三角形を二つ重ねたようなヘンテコな形をしている。それは、子供心に、異端というか、手の届かない神秘な感じを与え、私は本を開くたびに、何かおそろしいものを見るように、ちらちらとそれを横目で見ては、すぐに他の国旗へと視線を移すということを繰り返していた。

・・・私が30歳を前にして、ネパールという国へ行ってみたくなったのは、ひとつにはたぶんそんな幼児体験のせいかもしれない。

「カトマンドゥ」・・・私は、何か得体のしれない、遠くにあるものに、ふたたび引き寄せられていた。

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飛行機の窓から下を覗くと、尖がったヒマラヤの峰々がずっと続いている。 
その、剣のような山脈は、我々を突き上げんばかりにどんどん高くなってきているのだが、飛行機のほうは上昇の兆しも見せずに、ダラダラと低空飛行を続けている。 そうするうちに、いまや峰はすぐ窓下の手の届きそうなところまで迫り、おっと、このままでは前方の峰に激突か!と息をのんだ瞬間、飛行機はわずかにあえぐように首をもたげて、ほとんど擦れんばかりにして尾根を越えた。

と、次の瞬間、機体は急降下。何が起こったのかと、私の内なる狼狽をよそに飛行機はどんどん落下を続け、ついに地面に接した。

そこがカトマンドゥ、トリプヴァン空港であった。
カトマンドゥ・バレーは、ヒマラヤの峰々に抱かれた小さな肥沃の谷である。そのトリプヴァン空港は、世界で最も着陸の難しい空港のひとつだという。

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このカトマンドゥ、行ってみると、神秘の秘境とは程遠い、とんでもない町だった。

のっけから、立て続けに調子を狂わされる。

最初は、トリプヴァン空港の入国審査場でのこと。そこは入国審査場といっても何やら山小屋のような雰囲気で、審査官の女性も、どことなくアルプスの少女ハイジをふっくらさせたような素朴な感じである。問題はそこからだ。すなわち、その審査官が、私のパスポートを見て、笑うのだ。
・・・・要するに、パスポートに貼られている5年前の写真の私が、目の前にいる今の私と比べて格段にスリムで、カッコいいというのだろう。しかし、入国審査官にパスポートを見て笑われるなど、前代未聞の経験である。笑うのも一度ならまだ良いが、写真と実物とを何度も何度も見比べて、何度も何度もコロコロと笑う。こんなに屈託のない入国審査官というのもないだろう。釣られて苦笑してしまった自分が少し悔しくて、ますます複雑な気分である。このあたりからして様子がおかしい。

そして、エイヤーとばかりにポンコツタクシーに飛び乗ってからが、またひと悶着だ。運転手の他に、助手席にもう一人乗っている。「誰やねん、お前」と私が聞くまでもなく、助手席のオッサンは「ウェルカム、トゥ、ネパール!!」とわめき始めた。トレッキングガイドだという。運転手と結託して、観光客相手に「営業活動」をしているものと思われるが、この私のメタボな風体を見ておきながら、トレッキングに誘致しようなどとは、どうかしているのではないか。


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運転手も問題だ。何食わぬ顔つきで黙ってハンドルを握っているくせに、私が示した行き先「ホテル・スガット」とはまるで異なる方向へと車を進めている。分からないとでも思っているのだろうか。

しかし私は、状況を楽しむ男である。腹を決めてそのまま乗っていると、案の定着いた先は別の宿である。運転手は、「さあ、ここがスガットだよ」とうそぶき私を案内する。静かに指摘する私。しかし、相手は「スガットは場所が変わった。今はここだ。」などと平然とのたまう。私が首を横に振ると、やっこさんは舌打ちを隠しながら、その宿がいかに素晴らしいかを力説しだした。私は、「よくわかった。ありがとう。けれど私はやはりスガットに行くよ。」すると今度は向こうが首を横に振る。まじめくさった顔で、「ここは、静か、清潔、便利と三拍子そろっている。利用者がみな喜ぶ宿だぞ。どうしてお前はそう分からず屋なんだ?」と説教を始める始末だ。私は無視して荷物を降ろし、徒歩で歩き始めた。やれやれだが、こんなことは他国でも何度か経験しているので、格別なことはない。地図を見ればだいたいの方向は見当がつく。

気を取り直して、初めての街を歩く私。道すがら、運転手のまじめくさった顔を思い出して、今回はなぜかふと、一泊くらい試してみてもよかったかなと、後ろ髪を引かれる気がした。

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カトマンドゥは、混沌の極みを尽くしていた。迷路のように入り組んだ未舗装の小路を、人、自動車、牛、山羊、リークシャ、バイク、屋台、そして時にはゾウなど(!)、ありとあらゆるものが、てんでばらばらに行き交っている。おかげで、土ぼこり、排ガス、屋台の湯気、それに加えてお香の煙。通りの至るところに祠があり、そこでおびただしいお香が焚かれているのだ。こうしたものが入り混じり、町じゅうがもうもうとしていて、ノド飴なしに小一時間も歩けない。

それにしても、自動車の排ガスには閉口する。数は決して多くないのだが、エンジンが安物なのかガソリンが悪いのか、おそらくその両方だろうが、どれもこれも猛烈な黒煙と悪臭をぶっ放しながら、わがもの顔にごろついている。神々が住むというヒマラヤの山容など、見るかげもない。

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喧騒もすさまじい。破壊的な轟音をたてて路地の奥からオンボロのライトバンが現れたかと思うと、群集がよってたかって詰めかける。このライトバン、人々がわれ先に乗り込み、鈴なりになって走り去っていくところを見ると、機能的にはバスなのだろう。しかし、助手席には運転手の妻とおぼしき女性が赤ん坊を抱いて悠然と座っているし、長男らしき少年が乗り込んだ群集から銭を集めて回っている。このバスは家族経営なのか?? いったい、当局の公認は得ているのだろうか? そもそも、「当局」などというものは存在するのか?

・・・ためしにこの行き先不明の「バス」に乗ってみたところ、たちどころに少年が切符を売りにきた。ところが、あいにく小銭の持ち合わせがなかったため、その旨を伝えると、あっさり「じゃ、いいよ」とのこと。ただ乗りだ。気を良くした私は、続いてまた別の「バス」に乗り、したり顔でお札を示してみたが、今度の「車掌」は、お札をひったくるが早いか、「お釣りはないぜ」と、にべもなく言うのであった。

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だいたい、ネパールには定価なる概念がない。小売店は言うに及ばす、バスでさえもこんな具合だ。無論だいたいの相場はあるらしいのだが、いきなりこういう世界に放り込まれたら目を白黒させるばかりだ。とにかく、バスは経路どころか行き先さえ不明、タクシーは変なガイドが同乗してる、かといって、歩くとノドがやられる。次なる交通手段は・・・私は、レンタルバイク屋のオッサンと交渉することにした。

ここネパールは、国際免許が通用しない国だが、それ以前に、バイクに乗るのに免許なぞ要らない。したがって、外国人の私でも簡単にツーリングができてしまう。店主にレンタルの段取りを尋ねる。保険はどうなっているのか聞くと、店主はたしなめるように私を見て、「保険? なんだそれは。そんなものはない」とのこと。食い下がる私に対し、「自分で壊したものは自分で責任を取る。当たり前だ」との回答。じゃあ、誰かにぶつけられて壊れた場合はどうするんだ??と、詰め寄るも、相手は困った顔でお手上げポーズ。ムキになって他の店もあたったが、いずれも店でも似たような回答であった。

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私はインドを知らない。アフリカも知らない。中国の街角で、中国人民の傍若無人ぶりに右往左往するくらいが関の山だった。しかるにいま、このカトマンドゥの街角に立ち、あの洗練された文明国である中国が恋しい。中国など、少しばかり人民が元気すぎるだけだ。ここカトマンドゥは、あらゆる統制がとれておらず社会的なシステムもなく、怪しげなことばかり。常識というものがまるで通用しない。いささか混乱気味で狭い旧市街をフラフラしていると、あちこちから「ハシシ、マリファナ、いらない?」と声がかかる。

喧騒と土ぼこりとカルチャーショックで、頭がくらくらし、めまいがする。

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カトマンドゥ中心部にあるこの小さな祠(寺院)は、非常に大切な進行の対象となっているようだ。
道行く老若男女は、どんなに急いでいても皆立ち寄り、拝礼してゆく。


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頭をかかえているうちに、大みそかになった。私は意を決してレンタル屋のおやじのところに行き、バイクを借りた。インド製の125cc。バッテリーは息切れ寸前、チョークは折れていて、それでももちろん保険はなし。そんなのに跨り目指すは、ヒマラヤの見える山稜、ナガルコットである。2006年の初日の出は、どうしてもヒマラヤからのご来光を拝みたかったのだ。

バイクなどどれも原理は同じ。乗り慣れるのに苦労はしなかったが、一面のカオスと化した市街を脱出するのにすったもんだし、郊外に出たら出たで、今度はデコボコと水溜りだらけの極悪路面に文字通り七転八倒。必死にアクセルをさばくもののバイクは荒馬と化し、飛んだり跳ねたりで、しがみついているだけで精一杯である。

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舗装された幹線道路も、近くに通ってはいた。しかし、そこは猛烈な黒煙を吐き出すトラックが次々に突進してくる。たまったものではなく、未舗装の旧街道を通ることにしたのだ。七転八倒だろうがなんだろうが、街道はつづく。

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カトマンドゥの町はずれにある火葬場、パシュパティナート近くにて。
ネパールの人のとって、火葬場は忌避されるものではなく、信仰の対象。


カトマンドゥの市街地を脱し、青空市場を抜け、川を渡る。

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川は、油や汚泥で覆われ、鏡面のように鈍い光を放っているうえ、
つゆも動かず淀みきっていたが、人々はそんなところで洗濯をしている。



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カトマンドゥ~ティミ~バクダプルを結ぶ旧街道の様子


やがて、旧街道はなだらかな上りになり、そこを上がってゆくと、しだいに道がふたたび市場のように賑やかになった。そこが、ティミという村であった。
さすが製陶で有名な地区というだけあって、右も左も陶器の商店が軒を連ねる。ほとんどが素焼きのようで、釉薬をかけ彩色を施したものは見当たらない。赤茶色、黄土色、はたまた黒土色の素朴な表情の鉢や壺類があふれんばかりに山積みになっている。
バイクを止めて、裏通りをめぐってみると、土をこね固めただけの簡素な窯と粘土の山がそこここにあり、職人たちが黙然と作業をしていた。女性たちによって綺麗に並べられた出荷待ちの陶器のまわりには、おびただしい陶器のかけらが無数に散らばっていた。

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ティミからさらに東へバイクを駆ること30分、街道は古都バドガオン(バクダプル)の門をくぐる。ここは、15世紀から18世紀まで、カトマンドゥ盆地に栄えた王国の都だったところである。

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こじんまりとした町だが、さすがに古都の貫禄。広場、路地、聖堂と街全体がひとつの宇宙をなしているようなさまで、さながら中世ヨーロッパの城塞都市もかくやというような情趣がある。旧市街は文化財としても保護されており、バイクを含め自動車は旧市街内に入ることが禁じられている。

ちょうど門をくぐってしばらくしたところに駐輪場があったので、バイクを止め、市街を探索するための準備をしていると、妙な笑顔の若い男が寄ってくる。見るからにあやしい。

男「やあ、どこから来たの?」                
  ・・・・私「日本。」
男「そうか、学生か?」            
  ・・・・私「いや、仕事してるけど。」
男「それはいいことだ。私も仕事をしてる」   
  ・・・・私「へえ。どんな仕事?」
男「アイ アム、ウォッチング・マン!」
  ・・・・私「は? 何をウォッチするの?」
男「あなたのバイク」
  ・・・・私「??? どうして俺のバイクをウォッチするの?」
男「あなたのバイク、盗まれないように、私、20ルピーでウォッチする」
  ・・・・私「・・・・(アホか)」

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ネパールの犬は、大概ダラけていた。タイの犬ほどではないが。



数時間をかけて町を探索し、駐輪場に戻ってきてみると、男はバイクの傍らにしゃがみこんで、驚くべきことに、きちんと「ウォッチ」を続けていた。


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バクダプルから、ナガルコットまでの道・・・それは、カトマンドゥ・バレーの山すそをめぐる、とても気持ちのよい一本道だった。
私ははじめて、ネパールへ来て良かったと思った。道幅は決して広くはないが、きちんと舗装されていて、ゆるやかな弧を描きながら彼方へと続いている。右も左も、よく手入れされた青々とした田園。ところどころに崩れかかったような古風な建物が点在し、遺跡かなにかかと思って油断していると、窓から子供たちが顔を出す。れっきとした人の住む民家なのだ。

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路肩には菜の花がこぼれんばかりに咲き乱れ、こちらの農家の庭では作業中のご夫人が手を振ってくれたりするし、向こうのあぜ道からは、列をなして下校する小学生たちの嬌声が、春風に乗って聞こえてくる。

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ネパールはとにかく子供の多いところだ。
道すがら、ところどころでバイクを降り、風景撮影にいそしんでいると、どこからともなく子供が寄ってくる。
初めは、少し離れたところから指をくわえて見ている。私が気付くと、子供はすぐに恥ずかしがって物陰に隠れる。しょうがないなと思い私は再びカメラを山に向け、構図を考えている。
・・・ふと顔をあげると、子供は、ずっと近くまで来ている。もう、おびえてなんかいない。そのまん丸い瞳いっぱいに親しみの光をあふれさせ、私を見つめている。
「ハロー」を声をかけると、小さな声で「アロー」と返してくれ、とたんに私のもとに駆け寄ってくるのである。中には、ことわりもなくカメラの前に立ちふさがり得意のポーズを披露する子供も。私がきちんとシャッターを切るまで動かない。
なかには「マネー!」などと言ってくるちゃっかり屋もいるが、そこは子供。用意してきたアメ玉をいくつか握らせると、顔をくしゃくしゃにして喜び、「バイバーイ!」と上機嫌で駆け出していく。

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私は、そんな彼らに、しだいに心がほぐされていくのを感じた。
雲ひとつない暖かい午後、花の咲き乱れる山里の道を、子供たちとかくれんぼや追いかけっこをしながらゆっくりとバイクを進ませていると、私はいま、「いのちの洗濯」をしている、と、心底そう感じないではいられなかった。
空も、太陽も、水も、草木も、何もかもがあざやかに色めきたち、生気に満ち、舞い、踊り、歌い、ころころと笑っている。

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いまや市街の喧騒ははるか遠くに去り、一台の対向車もなく、前後の自動車もなく、午後の陽光を全身に浴びて、私はえも言われぬ愉悦を感じながら、排気音も軽やかに、バイクを進ませて行った。

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 ・・・ふと、はるかかなたの雲間に、何か途方もないものが佇立しているのに気づいた。よく見るとそれは、氷雪を抱いた、ヒマラヤの峰であった。

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道はいよいよ登りに入り、右に左に小刻みなヘアピンカーブを繰り返しながらしだいに高度を稼いでいく。もはや草木はなく、砂と岩だけの世界である。
30分後、私は、暮れだした裸の山塊の中腹を、蚤のように横断しながら、いよいよ有頂天のときを迎えていた。もはや下界は靄のかなたへ消えうせ、道だけが尾根づたいになぞって続き、うす桃色に染まって行く雲の中へと伸びていた。それはまるで私を天上へと導くビロードの絨毯を思わせ、私は世界をわが手にしたような思いでそれをトレースする。

そうして私もまた、しだいに茜色に染まって、雲の合間に消えた。

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ヒマラヤ山腹の町、ナガルコットの街区。


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目を覚ますと、窓の外はまだ漆黒であった。星という星はまたたきもせず私を凝視している。
6時30分。もう少し寝よう、と思わず目を閉じる。

・・・再び目を開けた時、空はもう漆黒ではなかった。ごくかすかに、山々の稜線が確認できる。それは見ているうちにはっきりした形を取り、群青の中に、しだいにヒマラヤの怖ろしいシルエットが浮かび上がってきた。追い立てられるように私は、あわてて山小屋の寝床を這い出し、恐る恐るベランダに出てみる。空は青みを増し、山稜との境界線のあたりにほのかに赤紫を帯びる。逆向こうの空は逆に橙に変化し、まるで虹のさなかに迷い込んだように、空は不思議な色合いで覆われた。

突然、山々の頂に、強い光が射した。何を思う間もなく、険しい稜線の間から、猛烈な光がこぼれ出た。爪先ほどの大きさだったが、みるみるそれは到底目を向けられないくらい強い光となって全貌を現した。この間、わずかに二分。2006年元日の、初日の出であった。

山々はそれに呼応するかのように一層、自信に満ちたその気高い姿を輝かせ、私は、その間ずっと登りゆく太陽を見つめていた。そのまばゆいばかりの強い光に眼がくらみそうになりながら、それでも目をそらすことができなかった。私は、とてもうらやましかった。この太陽の前では、ヒマラヤさえ脇役にすぎなかった。知らず知らずのうちに、涙がたまった。

山を、降りよう。


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ナガルコットの山荘にて


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カトマンドゥに戻ると、そこは最初の印象とは、まるで違って見えた。
街は、ふるさとのような不思議な懐かしさに溢れていた。

人は毎日の生活を精一杯、紡いでいた。街角のいたるところにある祠は、どれも綺麗に花で飾られ、お香が添えられている。老婆が一心に祈っている。
引き返せば、水汲み場があって、少女が髪を梳かしている。路地の祠には、男性が頭を突っ込み、尻丸出しで、やはり祈っている。

人は貧しくとも、皆、ひたむきだった。大人は子供のために祈り、子供は友人のために祈っている。

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質の良い燃料が手に入らなくても、ポンコツのライトバンを狩り出してバスの営業する一家。
タバコ屋のオヤジから、小さな子供までもが、英語を操りながら、一生懸命働いている。
じっさい、英語圏でもないのに、こんなに会話に困らない国もあるまい。

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夜になると、路地という路地は、手製のイルミネーションで飾り付けられる。それは、クリスマスツリーに掛ける電飾のような、ささやかで子供っぽいものだったが、そのひとつひとつに、住む人の夢と願いが灯っては消え、そこには確かに神が宿っているように思えた。

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こうした人々の営みの生々しい交錯を前にして、社会システムや法や公共の統制だのという近代概念が、なんだというのだろうか。
そんな取ってつけたようなうさん臭いものがなくても、ここには思いやりも助け合いもあれば、おのずと生み出された組織や秩序さえもある。

だからこそ人はそれぞれ自分の行動に責任を持ち、だからこそお互いに高めあうことに意義が生まれる。古来、私たちはそのように生きてきたのではなかったか。物を壊せば保険会社が何とかしてくれると思い、仕事がなければ社会が悪い、政府が悪いと声をあげる私たちは、やはり何か大切なものを置き忘れてきているのではないだろうか。



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帰国が近付いたある日、カトマンドゥからほど近い、キルティプルの田園を歩いていたら、若い男に声をかけられた。
田舎から単身上京し、カトマンドゥの大学に通う医学生という彼は、まだ少年のようなあどけなさを残していたが、その眼はしっかり未来を見据えていた。私が日本から来たというと、彼の眼はいっそう光り輝き、さかんに日本への憧れを語ってくれた。
私は、彼の話がとても嬉しかったが、いったい彼がいまの日本に来たら、何と言うだろうかと、ふと思った。朗らかに笑う彼の白い歯が、ひときわ印象に残った。

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撮影 2005年12月-2006年1月
本文 2009年9月-12月




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