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大阪(西周り) 2005-08 [日本の町散歩(近畿)]

在阪の写真家、妹尾豊孝氏のカメラになる「大阪環状線 海回り」という写真集をご存じだろうか。大阪環状線とは、もちろん大阪市内を環状に走る鉄道路線であるが、その東半分と西半分では、その車窓風景はじつはかなり異なる。東半分の路線は、ほぼビル街といっていい市街地を走り、電車本数も多ければ利用者も多いが、西半分は、臨海部に近い工場街や住宅地を走り、その沿線は独特の雰囲気を持っている。この違いに着目し、その西半分を「海回り」と詩情をこめて謳ったネーミングのセンスとともに、この地域が持つ、単なる下町とも異なる、なんとも言いようのない雰囲気を的確にとらえたその写真集は、確かに秀逸なものであった。
私にとっては、その地域こそがまさに、父や母の生まれ育った場所であり、お盆や正月に帰省するふるさとである。だから、その場所を客観的に対象化することひときわ難しいし、今回こうしてブログにアップする写真たちも、それをテーマに撮り歩いたわけでもない、ただの寄せ集めである。だが、どこか憂いを帯びて淀み、どこか貧しくすさんでうらぶれたこの地域に対する私のノスタルジアが、少しは表れているだろうか。

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<野田>
野田は、大阪駅から西側にたった二駅である。環状線の高架ホームから見下ろすと、古い家並みが続く下町だが、鄙びて乾燥していて、静かである。長屋、裏路地、傘、老人と子供。
かつては貨物列車の引き込み線もあった。廃線になったあと、ずっと線路は草ぼうぼうのままだったが、今はもう線路はない。

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<大正>
大正は、私にとってルーツともいえる場所である。両親にとっては故郷そのものであり、私にとっては、今も昔も懐かしいおばあちゃんの家のある場所。小さい頃は、よく預けられて、おばあちゃんと公園や商店街に行った。運河に囲まれた大正には、渡し船がある。あのころはたくさんあった。今は、7箇所だけである。

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大正内港。ヘドロの海と、音もなく浮いている汚れた船。
脇にある細長い公園では、ホームレスのような正体不明な人がたくさん寝ていた。
幼い私にとって、なんともおどろおどろしい場所だった。


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大正区内に7箇所残る渡船のうちのひとつ、千本松渡船。
はるか頭上に橋もかかっているが、自転車や人間にとっては今も大切な渡し船。無料である。


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大正区の最南部にある中山製鋼所。
大正区の経済を支える、心臓部ともいえる場所だ。
こわかったおじいちゃんも、ここに勤めに来ていたそうだ。


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<弁天町>

大正区から、淀んだ尻無川を渡ると弁天町である。ここには大好きな鉄道が展示してある交通科学館があって、よくおばあちゃんと渡し船に乗り連れて行ってもらった。その渡し船はたしか中渡しといったが、いまはもうない。この付近は市岡という町名で、市岡高校は頭のいい高校だから、がんばってそこへ行けと、小さい頃おばあちゃんによく言われた。

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浪速貨物駅に向かう貨物線だったが、2004年頃廃止されてしまった。


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弁天ふ頭の旧ターミナルビル。

昭和40年代から50年代にかけて、四国方面へのフェリーが発着し旅行者で賑わった場所。


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この弁天ふ頭には、今も当時の行き先表示看板や広告看板がそのまま残っている。


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<安治川>
海へと続く安治川にかかる環状線電車の橋。このあたりも倉庫ばかりでうらぶれて寂しい場所。ホワイトベースができたころは、このあたりもおしゃれな地域に変貌する等言われたが、全然そんなことはなかった。

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大阪の夕日は、やっぱり悲しい色をしてる。


撮影:2005年~2008年
本文:2014年8月


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