イスタンブール 2014 (2)新市街 [ヨーロッパの町紀行]
新市街といってもそこはイスタンブール、その歴史は古く、12世紀にはすでに街が形成されていたという。東西交易の一大拠点である当時のコンスタンティノープルの中でも羽振りの良かったジェノヴァ人たちが、旧市街から見て金角湾の対岸のこの地に、半ば特権のように居留地の建設を進めたのである。今ではその痕跡はわずかというが、それ以来金角湾の北側は新市街と呼ばれ、今に至るまでヨーロッパの香りが強く自由闊達の気風あふれる地区として、格式ばった旧市街とは一線を画す雰囲気を培ってきた。現在では、若者やビジネスマンの多くは旧市街よりもこの新市街周辺に集まっており、いきいきとしたイスタンブールの今を感じるエリアである。
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旧市街側のエミノニュ埠頭から見た新市街の街並み。目立っているのはガラタ塔である。ジェノヴァ人入植の頃から物見の塔としてこの町と海を見守ってきた。
<カラキョイ>
カラキョイは、旧市街エミノニュよりガラタ橋で金角湾を渡ったところにある旧市街の入り口であり、金角湾に面してフェリーの埠頭をもっている。埠頭には魚を売る店が並び、奥まった所には古くからの金物屋、道具屋が密集するほか、海に面しているだけあって船具店、釣具店も多く、昔ながらのやや荒くれた雰囲気が残る男くさい下町である。
新市街の中心街であるベイオールは、台地の上にある。カラキョイ付近から上がってゆくときは、テュネルと呼ばれる地下ケーブルカーを利用する人が多い。
<イスティクラル通り>
カラキョイの埠頭からすぐ背後に小高い丘がせりあがっているが、この丘の上に広がるのがベイオールという地区。そのメインストリートがイスティクラル通りであり、今も昔も新市街の中心となる繁華街である。この通りは基本的に歩行者天国であり、車の通行がないため人々は大手を振って歩いている。面白いのは通りの中央に路面電車のレールが敷かれていることで、時々かわいらしい旧式の電車が歩行者に紛れながらゆっくりゆっくり走っている。
イスティクラル通りの小さな赤いトラムはノスタルジックトラムと呼ばれ、1.5キロほどの通りの端から端までを単純に往復しているが、歩行者天国のど真ん中を通るだけあってスピードは遅く、歩くより少し早い程度。本数も20~30分に一度来るだけなので、交通機関としての実用性は低い。観光用のアトラクションという人もいるが、地元の人も気が向くと乗るそうなので、まさに町のマスコット的な存在である。単線で、途中一か所に交換のできる停留所がある。
<ベイオール>
イスティクラル通りの左右に広がる地区をベイオールという。新市街というと普通この界隈を指し、イスタンブールでは「異人」であったヨーロッパ系の移民たちが長い間かけて育ててきたこの地区には、今も独特の文化的な雰囲気を持ち、カフェ、ギャラリー、ワインバー、古書店などが路地にひしめいている。その最盛期はオスマントルコ末期から共和国初期にかけて、ビザンチン時代から生き残ってきたギリシャ人ユダヤ人に加えて新たに革命を逃れてきたロシアの自由人たちなど、この街には世界各地から人が流れ込み、百花繚乱というべき有り様だったようだ。アール・ヌーヴォー建築が並び、ハイカラな路面電車が通り、オリエント急行でやってきたヨーロッパの上流階級の人々が集うその華やかさに、トルコの人々も憧れを募らせたという。
第二次世界大戦が終わりを迎えるころ、トルコにいよいよ共和制が根付き、トルコが「トルコ人」の国になってゆくに従って、外国人たちはイスタンブールを去って行った。あれほど華やかなりしベイオールは閑散とし、路面電車は廃線となり裏通りは荒んでスラム化し、街頭には娼婦がたむろする街になっていったという。20世紀後半は、ベイオールにとって冬の時代であったが、そんな時期にこの地区で生まれ育ち、トルコを代表する写真の巨匠となったアラ・ギュレルは、それでも「ベイオールっ子であるということは、ひとつの生き方だった」と言っている。
20世紀の終わりごろから、トルコの経済成長を受けて、ベイオールも復興が進んだ。路面電車は観光用を兼ねて敷き直され、廃墟は修復されて灯がともり、レストランやショップ、バー、ギャラリーとしてそれらが再利用されるようになると再び世界各地の若者やアーティストたちが街に入り込んでくるようになる。いま、ベイオールは昼も夜も世界中からの観光客でいっぱいだ。ガラタ塔のすぐ近くに最後まで残っていた公娼街も、2010年ごろ閉鎖されたという。
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イスタンブールの地下鉄(2号線)。
イスタンブール発の本格的な地下鉄路線として2000年に短い距離で開業したが、その後南北に路線の延伸が続いており、2014年には旧市街まで直結となった。今回はタクシム駅からオスマンベイ駅までわずか井hと駅だけの乗車。
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<ニシャンタシュ>
イスティクラル通りの北の終点がビジネスセンターでもあるタクシム広場。ニシャンタシュは、そのタクシム広場からさらに北へ1キロ半ほどのところにある、イスタンブールきってのアップタウンである。その雰囲気は東京の代官山にも似て、洒落たブティックや高級レストランが並び、道行く人もセンスのよい大人が多い。グッチやヴィトンもよいが、トルコを代表するファッションブランド「ワッコ」や「ヤルグジュ」を覗くのが刺激的だ。
ニシャンタシュから、丘陵地にびっしり並ぶ住宅地の中を、坂を登ったり降りたりしながら縫うように歩いてゆく。少しニシャンタシュを離れるととくに高級住宅街というでもなく、どこにでもあるような現代イスタンブールの飾らない日常の時間が流れており、逆にそれが新鮮に感じられる。
<ベシクタシュ>
坂をだんだんと下りてゆくと、ボスフォラス海峡に面した港町、ベシクタシュに着く。港町としての歴史はビザンツ帝国時代にまでさかのぼるそうだが、いまは小さな魚市場と、それをとりまくように広がる庶民の繁華街、そしてサッカーチームで有名だ。ベシクタシュの繁華街の雰囲気は海沿いの街ということもあってなんだかとても開放的。あちこちで人は寝そべって昼寝している(けどホームレスではない)し、ハトにエサをやる人が多いので道路はハトとフンだらけだし、中心部の繁華街とはまた違った肩肘張らない楽しさがある。旅行者の姿は少ないが、現在2キロ手前のカバタシュが終点となっているトラム1号線が海岸沿いに延びてくれば、旅行者にとっても身近なエリアとなるに違いない。
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再び、足を南に向け、ベイオールのほうへと戻ってゆく。
<ジハンギル>
ベイオールの中でも、リベラルな風の吹く地域が、チュクルジュマ通りよりさらに東の、このジハンギル地区である。一見、何ということもない住宅街ではあるが、地元の人たち向けの小さなショップやカフェ、チャイハネが点在している。それらは、おしゃれというよりも自然に街に溶け込んでおり、こうした店々をこの地区の老若男女が使いこなしている様が見てとれ、今も昔も変わらないイスタンブール新市街のライフスタイルをよく伝えている。
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再び、イスティクラル通りへ。
<ガラタ>
ガラタ地区は、カラキョイからベイオールに向かってせり上がる斜面にへばりつくように建物が立ち並ぶ一角である。そのど真ん中にガラタ塔がある。すっかり観光地となって復興したベイオールだが、ガラタはつい最近まで取り残されて安ホテルやら公娼街やらで荒んだ雰囲気だったそうだ。2010年頃からこの地区もきれいになってきたそうだが、どことなく煤けた建物や薄暗い路地が多く、今もかつての雰囲気を偲ばせる。ガラタ塔の展望台からのイスタンブールの眺めは絶景だと聞いて、夕暮れ時に昇ろうと二日続けて足を運んだが、二日とも長蛇の列で3時間待ちと聞かされ、断念した。
再び、カラキョイ。
カラキョイの波止場に戻ってきた。フェリー乗り場には多くの帰宅客が集まってくる。魚市場には煌々と電気が灯り、おびただしいカモメが集まってきている。朝も昼も夕方も慌ただしくにぎやかなこの場所で、ほんのちょっとセンチメンタルな気分になる。
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旧市街側のエミノニュ埠頭から見た新市街の街並み。目立っているのはガラタ塔である。ジェノヴァ人入植の頃から物見の塔としてこの町と海を見守ってきた。
<カラキョイ>
カラキョイは、旧市街エミノニュよりガラタ橋で金角湾を渡ったところにある旧市街の入り口であり、金角湾に面してフェリーの埠頭をもっている。埠頭には魚を売る店が並び、奥まった所には古くからの金物屋、道具屋が密集するほか、海に面しているだけあって船具店、釣具店も多く、昔ながらのやや荒くれた雰囲気が残る男くさい下町である。
延伸開通したばかりの地下鉄の電車が金角湾を渡る
カラキョイ波止場の朝
カラキョイのテュネル乗り場に続く地下鉄
新市街の中心街であるベイオールは、台地の上にある。カラキョイ付近から上がってゆくときは、テュネルと呼ばれる地下ケーブルカーを利用する人が多い。
テュネルの改札口
テュネルのカラキョイ駅。
オスマントルコ時代の1875年開業とあり、レトロ感たっぷり。
オスマントルコ時代の1875年開業とあり、レトロ感たっぷり。
約3分で上の駅(ベイオール)に到着
イスティクラル通りに入ると、小さいな赤いトラムが待っていた。
<イスティクラル通り>
カラキョイの埠頭からすぐ背後に小高い丘がせりあがっているが、この丘の上に広がるのがベイオールという地区。そのメインストリートがイスティクラル通りであり、今も昔も新市街の中心となる繁華街である。この通りは基本的に歩行者天国であり、車の通行がないため人々は大手を振って歩いている。面白いのは通りの中央に路面電車のレールが敷かれていることで、時々かわいらしい旧式の電車が歩行者に紛れながらゆっくりゆっくり走っている。
イスティクラル通りの周辺には、古びた邸宅、公館がいくつか残っている
夜は賑やかであろう街区。朝はひっそり
イスティクラル通りの小さな赤いトラムはノスタルジックトラムと呼ばれ、1.5キロほどの通りの端から端までを単純に往復しているが、歩行者天国のど真ん中を通るだけあってスピードは遅く、歩くより少し早い程度。本数も20~30分に一度来るだけなので、交通機関としての実用性は低い。観光用のアトラクションという人もいるが、地元の人も気が向くと乗るそうなので、まさに町のマスコット的な存在である。単線で、途中一か所に交換のできる停留所がある。
昔は、この通りにきちんと複線のトラムが行き交っていたそうだ。
ボスフォラス海峡に面した高級住宅地、ベベッキまで、電車で行くことができたらしい。
ボスフォラス海峡に面した高級住宅地、ベベッキまで、電車で行くことができたらしい。
<ベイオール>
イスティクラル通りの左右に広がる地区をベイオールという。新市街というと普通この界隈を指し、イスタンブールでは「異人」であったヨーロッパ系の移民たちが長い間かけて育ててきたこの地区には、今も独特の文化的な雰囲気を持ち、カフェ、ギャラリー、ワインバー、古書店などが路地にひしめいている。その最盛期はオスマントルコ末期から共和国初期にかけて、ビザンチン時代から生き残ってきたギリシャ人ユダヤ人に加えて新たに革命を逃れてきたロシアの自由人たちなど、この街には世界各地から人が流れ込み、百花繚乱というべき有り様だったようだ。アール・ヌーヴォー建築が並び、ハイカラな路面電車が通り、オリエント急行でやってきたヨーロッパの上流階級の人々が集うその華やかさに、トルコの人々も憧れを募らせたという。
ベイオール華やかなりし頃の残り香、チチェッキ・パッサージュ。
隣に魚市場があるのでシーフードレストランがたくさん。
隣に魚市場があるのでシーフードレストランがたくさん。
ベイオールの魚市場。
イスタンブールは小規模な小売用の魚市場があちこちにある。
イスタンブールは小規模な小売用の魚市場があちこちにある。
ここもパッサージュ。
第二次世界大戦が終わりを迎えるころ、トルコにいよいよ共和制が根付き、トルコが「トルコ人」の国になってゆくに従って、外国人たちはイスタンブールを去って行った。あれほど華やかなりしベイオールは閑散とし、路面電車は廃線となり裏通りは荒んでスラム化し、街頭には娼婦がたむろする街になっていったという。20世紀後半は、ベイオールにとって冬の時代であったが、そんな時期にこの地区で生まれ育ち、トルコを代表する写真の巨匠となったアラ・ギュレルは、それでも「ベイオールっ子であるということは、ひとつの生き方だった」と言っている。
20世紀の終わりごろから、トルコの経済成長を受けて、ベイオールも復興が進んだ。路面電車は観光用を兼ねて敷き直され、廃墟は修復されて灯がともり、レストランやショップ、バー、ギャラリーとしてそれらが再利用されるようになると再び世界各地の若者やアーティストたちが街に入り込んでくるようになる。いま、ベイオールは昼も夜も世界中からの観光客でいっぱいだ。ガラタ塔のすぐ近くに最後まで残っていた公娼街も、2010年ごろ閉鎖されたという。
チュクルジュマ通り。骨董品屋やギャラリーが点在する。
トルコといえばチャイハネ(伝統的なお茶屋)である。
こと新市街に関してはヨーロッパ風のカフェが多いが、メインはやはりチャイ。
チャイは紅茶風の飲み物で(ほとんど紅茶のように感じられるが、厳密には違うらしい)
トルコ伝統のこのチャイグラスがとても愛らしく、自分用に
お土産に買って帰れば良かったと後悔している。次回こそ。
こと新市街に関してはヨーロッパ風のカフェが多いが、メインはやはりチャイ。
チャイは紅茶風の飲み物で(ほとんど紅茶のように感じられるが、厳密には違うらしい)
トルコ伝統のこのチャイグラスがとても愛らしく、自分用に
お土産に買って帰れば良かったと後悔している。次回こそ。
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イスタンブールの地下鉄(2号線)。
イスタンブール発の本格的な地下鉄路線として2000年に短い距離で開業したが、その後南北に路線の延伸が続いており、2014年には旧市街まで直結となった。今回はタクシム駅からオスマンベイ駅までわずか井hと駅だけの乗車。
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<ニシャンタシュ>
イスティクラル通りの北の終点がビジネスセンターでもあるタクシム広場。ニシャンタシュは、そのタクシム広場からさらに北へ1キロ半ほどのところにある、イスタンブールきってのアップタウンである。その雰囲気は東京の代官山にも似て、洒落たブティックや高級レストランが並び、道行く人もセンスのよい大人が多い。グッチやヴィトンもよいが、トルコを代表するファッションブランド「ワッコ」や「ヤルグジュ」を覗くのが刺激的だ。
イスタンブールの無印良品はニシャンタシュにある。
ニシャンタシュから、丘陵地にびっしり並ぶ住宅地の中を、坂を登ったり降りたりしながら縫うように歩いてゆく。少しニシャンタシュを離れるととくに高級住宅街というでもなく、どこにでもあるような現代イスタンブールの飾らない日常の時間が流れており、逆にそれが新鮮に感じられる。
<ベシクタシュ>
坂をだんだんと下りてゆくと、ボスフォラス海峡に面した港町、ベシクタシュに着く。港町としての歴史はビザンツ帝国時代にまでさかのぼるそうだが、いまは小さな魚市場と、それをとりまくように広がる庶民の繁華街、そしてサッカーチームで有名だ。ベシクタシュの繁華街の雰囲気は海沿いの街ということもあってなんだかとても開放的。あちこちで人は寝そべって昼寝している(けどホームレスではない)し、ハトにエサをやる人が多いので道路はハトとフンだらけだし、中心部の繁華街とはまた違った肩肘張らない楽しさがある。旅行者の姿は少ないが、現在2キロ手前のカバタシュが終点となっているトラム1号線が海岸沿いに延びてくれば、旅行者にとっても身近なエリアとなるに違いない。
ベシクタシュのフェリー乗り場
ベシクタシュからはエミノニュやアジア側のユスキュダル等にフェリーが出ている。
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再び、足を南に向け、ベイオールのほうへと戻ってゆく。
<ジハンギル>
ベイオールの中でも、リベラルな風の吹く地域が、チュクルジュマ通りよりさらに東の、このジハンギル地区である。一見、何ということもない住宅街ではあるが、地元の人たち向けの小さなショップやカフェ、チャイハネが点在している。それらは、おしゃれというよりも自然に街に溶け込んでおり、こうした店々をこの地区の老若男女が使いこなしている様が見てとれ、今も昔も変わらないイスタンブール新市街のライフスタイルをよく伝えている。
ジャーミィがあった。
ジハンギル・ジャーミィはボスフォラスを臨む高台にあり、絶景である。
ジハンギル・ジャーミィよりボスフォラスを挟んでアジア側を臨む。
誰かの窓辺になぜかカモメがずっと留まっていた
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再び、イスティクラル通りへ。
通りのど真ん中で突然を演説を始めた人。人気と知名度のある人らしく
若者たちも喜んで集まってきている。トラムも演説終了待ち。
若者たちも喜んで集まってきている。トラムも演説終了待ち。
<ガラタ>
ガラタ地区は、カラキョイからベイオールに向かってせり上がる斜面にへばりつくように建物が立ち並ぶ一角である。そのど真ん中にガラタ塔がある。すっかり観光地となって復興したベイオールだが、ガラタはつい最近まで取り残されて安ホテルやら公娼街やらで荒んだ雰囲気だったそうだ。2010年頃からこの地区もきれいになってきたそうだが、どことなく煤けた建物や薄暗い路地が多く、今もかつての雰囲気を偲ばせる。ガラタ塔の展望台からのイスタンブールの眺めは絶景だと聞いて、夕暮れ時に昇ろうと二日続けて足を運んだが、二日とも長蛇の列で3時間待ちと聞かされ、断念した。
ガラタの靴磨き。
あろうことかこの私から、20リラ(約900円)も巻き上げたやり手。
悔しいかったので写真にとってみた。
あろうことかこの私から、20リラ(約900円)も巻き上げたやり手。
悔しいかったので写真にとってみた。
つい最近まで公娼街だったという一角。今も名残の雰囲気がある。
夕暮れのガラタ橋から旧市街方面を見る。
再び、カラキョイ。
カラキョイの波止場に戻ってきた。フェリー乗り場には多くの帰宅客が集まってくる。魚市場には煌々と電気が灯り、おびただしいカモメが集まってきている。朝も昼も夕方も慌ただしくにぎやかなこの場所で、ほんのちょっとセンチメンタルな気分になる。
ガラタ橋の下、海面間際にあるシーフードレスラン街。
カモメに餌をやる魚市場の店主。トルコの人は優しい。
撮影:2014年3月
本文:2015年1月
本文:2015年1月
2015-01-31 10:35
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