久留里 2015 [日本の町散歩(関東)]
久留里は上総地方の内陸にある小さな町。旅行ガイドを見ても、はたまた「ちいさな街紀行」などという書物を見ても、ここが出てくることは少ないが、何といってもその名を「久留里線」という鉄道路線が木更津から通っている。鉄道がわざわざそこを目的として敷かれたということは、当時それだけの賑わいのあった街ということではないか。そう思った私は、梅雨の明けた夏の一日、久留里線に乗って町を訪ねてみた。
山城のふもとに開かれた街は、いまは鄙びて歩く人も少ないが、よく風が通って清々しい。黒田氏三万石の城下町ということで、山の上の城までは足を延ばせなかったが、山麓の武家屋敷街であった通りなども雰囲気がある。そして、久留里の最大の魅力は、街の至るところで、ほのかに甘い地下水がこんこんと湧き出ていることだ。町中になんと200か所以上の井戸があるそうで、確かに歩いていると数百メートルごとに湧水の水桶やタンクに行きあたると言っても過言ではない。味は場所によって少しずつ違い、飲み比べも楽しい。まさに久留里は「生きた水の里」である。
久留里へは東京駅や浜松町方面から便利な高速バス(東京湾アクアライン経由)が最短。80分もあれば着いてしまう。だがここはやはり、ローカル鉄道に揺られて向かいたい・・・ ということで、電車旅。木更津まで快速で90分、そこから「久留里線」に乗り換えてのんびり45分。
さて、小さな駅前に、いきなり大がかりな水汲み施設がある。「生きた水の里」をアピールすべく造られた施設のようで、近隣の方や通りがかりの方など、皆車で続々と汲みに来る。
上町の端から少し西(久留里線の線路の方向)へ入ると、途端にのんびりした雰囲気に包まれる。
さて、今度は上町の端から東へ入ると、久留里城へと続く山並みの山麓に沿って、静かな住宅街が続いている。ここは「安住(あんじゅ)」と呼ばれる地区で、藩政時代は武家屋敷通りであったという。
安住の武家屋敷通りから、北へ脇道にはいっていく。
この近くにあった「紀平豆腐店」で、美味しい豆乳を頂いたことも記しておく。
水のいい地は豆腐や豆乳も美味である。
この道筋は、「上町」から「下町」に続いていた目抜き通りとTの字に交わる道筋で、「新町(しんまち)」と呼ばれる。かつてはここも店が立ち並んでいたようだ。
久留里の街はとても小さく、商店街を外れて裏手へ3分もあるけば、この景色である。
中町へといったん踵を返す。
「みゆき通り」へ潜入。。
下町から東に入ると、すぐに町外れらしい田園風景となる。小市部(こしべ)地区という。
再び市街へ戻る。円覚寺からでも歩いて5分程度。
山城のふもとに開かれた街は、いまは鄙びて歩く人も少ないが、よく風が通って清々しい。黒田氏三万石の城下町ということで、山の上の城までは足を延ばせなかったが、山麓の武家屋敷街であった通りなども雰囲気がある。そして、久留里の最大の魅力は、街の至るところで、ほのかに甘い地下水がこんこんと湧き出ていることだ。町中になんと200か所以上の井戸があるそうで、確かに歩いていると数百メートルごとに湧水の水桶やタンクに行きあたると言っても過言ではない。味は場所によって少しずつ違い、飲み比べも楽しい。まさに久留里は「生きた水の里」である。
久留里へは東京駅や浜松町方面から便利な高速バス(東京湾アクアライン経由)が最短。80分もあれば着いてしまう。だがここはやはり、ローカル鉄道に揺られて向かいたい・・・ ということで、電車旅。木更津まで快速で90分、そこから「久留里線」に乗り換えてのんびり45分。
久留里駅に到着。
小さな町の、小さな駅である。
さて、小さな駅前に、いきなり大がかりな水汲み施設がある。「生きた水の里」をアピールすべく造られた施設のようで、近隣の方や通りがかりの方など、皆車で続々と汲みに来る。
こちらは観光交流センター。蔵造りの立派な建物である。
ここで、久留里の湧水を汲むためのペットボトル(空)が販売されており、
2本ほど購入しようとしたところ、「タダでいいよ」とのことだった。親切~♪
ここで、久留里の湧水を汲むためのペットボトル(空)が販売されており、
2本ほど購入しようとしたところ、「タダでいいよ」とのことだった。親切~♪
駅前通りから駅を見る。
久留里の市街は分かりやすく、目抜き通りが一本あるだけ。
藩政時代からの中心街であると思われ、約600メートルにわたり両側に店舗が並ぶ。
城に近い南側から「上町(かみちょう)」「中町(なかちょう)」「下町(しもちょう)」と呼ばれ
写真は中町あたりから下町方面をみたところ。シャッターが下りているところが多い。
藩政時代からの中心街であると思われ、約600メートルにわたり両側に店舗が並ぶ。
城に近い南側から「上町(かみちょう)」「中町(なかちょう)」「下町(しもちょう)」と呼ばれ
写真は中町あたりから下町方面をみたところ。シャッターが下りているところが多い。
中町(なかちょう)あたりは、銀行や高速バスのバス停等もあって、人通りがちらほら。
木村屋金物店。久留里は金物屋が多い。鎌も名産のひとつであるという。
残念なことに、この目抜き通り、ダンプカーの通行が非常に多い。
国道を兼ねているので仕方無いが、千葉は本当にダンプカーが多くて辟易する。
国道を兼ねているので仕方無いが、千葉は本当にダンプカーが多くて辟易する。
道端にある湧水の桶。
良い水のあるところに良い酒あり。
久留里の街にも造り酒屋が2軒あり、これは通りに面した吉崎酒造の蔵。
銘酒「吉壽」で有名。
久留里の街にも造り酒屋が2軒あり、これは通りに面した吉崎酒造の蔵。
銘酒「吉壽」で有名。
割烹旅館「山徳」。裏へ回ると風俗営業の鑑札も残っていて
賑やかだった往時が偲ばれる。
賑やかだった往時が偲ばれる。
上町(かみちょう)あたりは昔ながらの店が多く残っている。
「紙屋」という名の金物店。
久留里の湧水の中でも美味しいと評判の「高澤の水」
上町の端から少し西(久留里線の線路の方向)へ入ると、途端にのんびりした雰囲気に包まれる。
「藤平酒造」の蔵へと続く道。「福祝」の銘柄で知られ、吉崎と並ぶ名蔵である。
藤平酒造場の全景。
さて、今度は上町の端から東へ入ると、久留里城へと続く山並みの山麓に沿って、静かな住宅街が続いている。ここは「安住(あんじゅ)」と呼ばれる地区で、藩政時代は武家屋敷通りであったという。
安住の武家屋敷通りから、北へ脇道にはいっていく。
表通りにあった「吉崎酒造」の裏手である。
この近くにあった「紀平豆腐店」で、美味しい豆乳を頂いたことも記しておく。
水のいい地は豆腐や豆乳も美味である。
住宅地のあちこちに、このような湧水のタンクがあり、自由に汲めるようになっている。
やや大きい道筋に出てきた。
この道筋は、「上町」から「下町」に続いていた目抜き通りとTの字に交わる道筋で、「新町(しんまち)」と呼ばれる。かつてはここも店が立ち並んでいたようだ。
新町の途中にあるポケットパーク。ここにも大がかりな湧水施設があった。
新町から中町に出るT字路のあたりにて。
中町~新町あたりの路地。ここにも湧水タンク。
久留里の街はとても小さく、商店街を外れて裏手へ3分もあるけば、この景色である。
中町へといったん踵を返す。
右の建物の1F部分にぽっかり開いた何かの入り口があるが
これが有名な路地「みゆき通り」である。
これが有名な路地「みゆき通り」である。
「みゆき通り」へ潜入。。
いまも中華料理店やスナック等が並ぶ。
久留里で最も繁盛している飲食店、「喜楽飯店」である。
「みゆき通り」を抜けると久留里駅前広場に出る。
駅前側から見た「みゆき通り」入り口。
駅前側から見た「みゆき通り」入り口。
駅前広場に面してあった重厚な建物。
なぜか2CVが覗いている。
なぜか2CVが覗いている。
駅から南へ、ちょうど商店街の裏手にあたる道筋。
割烹料理「山徳」の裏口。この町にも、よき時代があったようだ。
駅から北(下町)方面へ歩くと、ここにもいわくありげな雰囲気の建物が。
下町のおわりの交差点。
下町から東に入ると、すぐに町外れらしい田園風景となる。小市部(こしべ)地区という。
町外れにある円覚寺。
再び市街へ戻る。円覚寺からでも歩いて5分程度。
三たび、中心街へ戻ってきた。左に東京駅直通の高速バスが見える。
私は列車で帰る。
撮影:2015年7月
本文:2016年6月
本文:2016年6月
2016-06-13 15:08
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