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栃尾 2016 [日本の町散歩(中部)]

「栃尾」という地名を聞いただけで、その名物がすぐに思いつく人は、かなりの玄人である。あなたはどうだろうか。栃尾というと・・・油揚げ! そう答えるなら、あなたはかなりのグルメか、飲ん兵衛であろう。最近は東京の居酒屋等でも一部定番メニュー化しつつあるからご存じの人もいるだろうが、栃尾にはなぜか通常の三倍はあると思われるジャンボ油揚げを供する豆腐店が沢山あって、知る人ぞ知る名物になっているのだ。私が、観光地としてはほぼ無名と思われた栃尾を訪ねたのは、この油揚げの食べ歩きを狙ってのことだったが、実は栃尾には町並み的にも日本屈指の名物をいまなお残している。それは、雁木。豪雪地帯ではかつて良く見られた、いわゆる歩道のアーケードである。青森なら「こみせ」と云ったが、信越地方では「雁木」。他の大都市ではどんどん消えているが、総延長4.3キロにも及んで残る雁木こそが、栃尾の誇る偉大なる遺産であり、少しずつ修復も進んでいる。私が栃尾を訪ねたのはあいにくの雨天の中だったが、それでもここが、実に味わい深い、興味の尽きない街であることはよく分かった。

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栃尾の中心街は、まずはこの「谷内」(やち)地区。
両側ともにずらりと雁木の並んだ商店街に、嬉しくなる。
谷内の雁木は、連続して一体感があり、まさにアーケードのようだ。

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道(商店街)はS字にカーブしている。


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まだ午前の早い時間とあって、人はちらほら・・


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空き店舗もままあるが、営業店舗も多そうな商店街だ。


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谷内の商店街からはいくつか横丁が伸びているが、
東に延びるこの「舞台小路」にも雁木が残る。
通り名の由来は分からなかったが、どことなく色気ある通り。


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舞台小路の雁木。


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谷内通りを振り返ったところ。


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路地は奥へと続く。
スナックや居酒屋が散見され、もとは盛り場だったのではと思われる雰囲気。


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看板に「木間美術商」とある。由緒感じさせる店構え。


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谷内の商店街は大布橋の東側で鍵の手に曲がるが、その角にある建物も見事な雁木を持つ。


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雁木の下を歩く人。今も昔も変わらない光景なのだろうか。


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鍵の手に回り込んだところも、雁木づくりの商店街(「本町通り」)となっている。

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名前は「本町」だが短く、谷内通りに比べると、やや古びて寂れた感じがする。


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雁木はお店ごとに高さ、材質などが異なり、谷内通りほど統一されたアーケード感はない。


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本町近くの路地。路地ひとつひとつの表情に味がある。


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役場小路と名付けられた道。ここは雁木はない。


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再び、谷内通り。

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役場小路の入口にある酒屋「大亀商店」の建物も、歴史を感じさせる。


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時間とともに、人の姿も増えて来た。
銀行などもあり、そう寂れた感じがしないのが嬉しい。
雁木の街並みが、どこか人の生活の温もりを感じさせるせいかもしれない。


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今度は、谷内通りの西側の路地へ。

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こちらもスナック等がちらほら。
川やお寺などが近く、東側よりもしっとりとした雰囲気だ。


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さて、谷内通りに戻りさらに進んでいくと、道の左右に続いてきた、アーケードのような雁木の商店街では無くなるが、ところどころにお店や雁木が残っている「滝の下町」だ。

道はゆっくり上り坂になっており、これをのぼってゆく。

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道はゆるやかな登り坂になっている。


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雁木は、お店が残っているところに、各店の判断で残されていたり
撤去されたりしているようだ。



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いまも店内で味噌・醤油の醸造を行う「三崎屋醸造」。貴重な町家のお店だ。


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「三崎屋醸造」脇の路地。


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路地から表通りを振り返ったところ。


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「三崎屋醸造」あたりから谷内地区を振り返って見たところ。



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「十二山小路」と名付けられた路地。十二山神社へ上がってゆく。


さらに、坂道をのぼってゆく。
同じ通りながら、町名はいつしか「旭町」へと変わっていく。

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左に「佐野豆腐店」の青いのぼりが見える。
有名な栃尾のジャンボ油揚げが食べられる、有名店のひとつである。


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「佐野豆腐店」で購入した、出来立ての油揚げ。
このボリュームで、たったの150円!


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荒沢屋小路。


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「旭町」エリアに入るとまた少し、商店の密度が増してきた。
雁木の連続するところも多い。
そもそも、雁木は各お店の私有のもので、お上が統一的に作るものではなく、
各店がお客や歩行者の利便の為にと、私財を投じ隣近所と協力して作ってきたもの。
そういうところに文化があり、尊さがあるのだ。


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米屋、酒屋、和菓子屋、洋品店と、生活に必要な商店が残る町。


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だいぶ上の方に上がってきた。とぎれとぎれに続いてきた長い商店街も、このあたりまで。


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裏通りの風情


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山裾の小道。


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さてこんどは中心街の谷内地区に戻り、すぐ西側の、寺社が集まっている「秋葉公園」界隈を歩いてみる。

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谷内の商店街のすぐ裏手にある「常安寺」。開祖は上杉謙信公。
そもそもここ栃尾は、上杉謙信が少年期を過ごし、旗揚げを行った地だという。


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常安寺のすぐ東側にある「観音寺」


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観音寺の脇(奥)に、長い階段がある


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階段を上ってみると。。


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丘の上には、お社が鎮座していた。
「秋葉神社」といい、火防の神様として全国に点在する秋葉神社の総本山のひとつという。


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秋葉神社の周辺は公園になっている。


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秋葉公園から見る常安寺と栃尾の町。


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秋葉公園の裏手からも西谷川方面へ降りてゆくことができる。
向うに見える山に、謙信が旗揚げした栃尾城があった。


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秋葉公園をかすめ、栃尾の町を流れる西谷川。
町のはずれで刈谷田川(かりやたがわ)に合流し、最後は信濃川に注ぐ。


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西谷川にかかる神明橋。谷内地区と表町地区をつなぐ。


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さて、これまでは栃尾のメインストリートである谷内地区を中心に、本町、滝の下町、旭町と、西谷川の右岸の街並みを見て来たが、左岸にもこうした通りと対をなすように街並みが続いており、しかもこれまた立派な雁木通りであるという。
まずは、谷内地区から西谷川にかかる神明橋を渡り、川の上流方面につづく「表町」を歩いてみることにする。

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表町もまた、生活を感じさせる雁木の通り。
しかも、両側ともに形態や材質は違えど連続しており、なかなか圧巻である。


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通りをバスが通っていると、なんだか安心する。
長岡へ向かう越後交通バス。長岡まで約30分である。


さて、上の写真の左端に写っている雁木が、比較的新しく、またちょっと変わったデザインとなっているのが分かるだろうか。
じつはこの表町通り、1997年から住民と新潟大学の学生や先生らが一体となり、雁木の修復、新たな建築が行われているユニークな通りなのだ。実際に施主となるその家の住民の方と学生らが協議を重ね、その家ごとに独特なデザインの雁木を計画し建築してゆくのである。1年にほぼ1作ずつのペース、2015年時点で16の新たな雁木が生まれている。最近は新潟工業高校もコンペに参加しているという。

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あらためて、こちらは2002年作で、「円相の雁木」と名付けられたもの。


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個人宅をのぞき込んで申し訳ないが、雁木内部の梁が文字通り円を描いている。
家族や地域のつながりを表現するとともに、茶の湯を行う場所としても機能するという。


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「円相の雁木」の斜向かい、駐車場入り口にも新たな雁木が(写真右)。
こちらは古材を用いて温もりを表現した「歓待の雁木」(2006年作品)


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「歓待の雁木」の下あたりから。雁木の下の歩道はこんな感じ。


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また新しい雁木を発見!


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こちらはまだ新しい「三支の雁木」(2015年作品)
欄干がリズムを感じさせる、これも良いデザインだ。


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またまた、個性的な雁木が登場!
鶴城山(栃尾城のあった山)登山道入り口に設けられた「架け橋の雁木」(2004年作品)
奥に見えるのは登山道入り口にある石動神社


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謙信はこれを登っていたのか・・


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石動神社から「架け橋の雁木」を振り返ったところ。
印象的なデザインだ。


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こちらは二つ並んだ新しい雁木。
左の小さいものは雪解け水をモチーフにした「訪春の雁木」(2010年作品)
欄干にグラデーション付きのガラスがはめられているのが特徴。
右の大きいほうは2016年に出来たばかりの最新の雁木「樹幹の雁木」


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「樹幹の雁木」の内部


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こちらは「凛の雁木」(2014年作品)。なんと、ごみステーションにつけられた雁木!


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この先も趣向の凝らされた雁木が、右に左に続いているのが分かる。
左は「間隙の雁木」(2009年)。
このように建物がなく歯抜けになったところにも積極的に雁木が架けられてゆく。


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「白壁の雁木」(2002年作品)。かつてここにあった白壁の蔵へのオマージュという。


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「白壁の雁木」の下から。




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なんだかとても好ましい感じのする建物。雁木は「想流の雁木」(2012年作品)。


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「暖簾の雁木」(2003年作品)。
アサガオ?の蔓が雁木に向かって伸びる様子も素敵だ。


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歩きながら見上げた「暖簾の雁木」。


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こうした屋号看板も新潟大学によるもので、ご神木から作られたものという。


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「双柱の雁木」(2008年作品)


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意匠巧みな「おどりの雁木」(2011年作品)
施主(家主)が舞踊の師匠の方という。


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こちらのお宅の家紋だろうか。実に趣深い看板である。
雁木もしっかり自前で掛けられており、瓦屋根付きである。


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この表町地区はとくに、住む人と心のつつましさ、穏やかさ、そしてそんな中にも、何か生活してゆく上での落ち着いた情趣を感じることが出来る。これは栃尾という町全体で言えることでもある。

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またまた面白いものが出て来た。
こちらは「へびの雁木」。水路のようなところに架かっている。
2000年に、これら雁木プロジェクトの第一作として作られたもの。


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「へびの雁木」の向かいは2001年の「木陽(こもれび)の雁木」。


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中に「大野屋雷蔵(?)」と木彫りの表札の架かった雁木も。


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右側に、ひときわ背の高い立派な雁木が。
伝統産業である「栃尾紬」がモチーフの2013年作品「紬木(つむぎ)の雁木」である。


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琴平神社へ向かう金毘羅小路。


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路地の石畳もまた美しい。


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こちら「機籠(はたご)の雁木」(2007年作品)で、現時点での全16作品完結(!)
施主に縁のある「織り機」と「旅籠」のふたつをモチーフに組み込んだものという。


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表町通りを振り返って見たところ
左は「雁木の駅」という施設で、この表町を始めとする栃尾の雁木に関する資料や
モックアップ等の展示があり、興味深かった。


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「大野町」と名をかえ、雁木はあまり見られなくなるが、さらに奥へと街並みは続く。


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さて、再度町の中心あたりの新明橋に戻り、同じ西谷川の左岸を、今度は下流方面に歩いてみようと思う。

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神明橋の西詰あたりは道が屈曲しているが、それでも雁木が備えられている。


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昔ながらの木製でなくても、なぜか居心地のよい(?)雁木の下


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さて、大布橋あたりまで来ると、また商店街の様相を呈する通りとなる。役所街として知られた「大町通り」へと続く通りである。

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右岸の谷内商店街と対をなす、立派な商店街であった様子だ。


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今も、茶葉店、精肉店、地場スーパー、洋品店と店が残っている。


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商店街は途中L字型に曲がっている。


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雁木と共に、見事な看板建築が残る商店も。


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いよいよ大町通りである。


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栃尾を代表する酒蔵「越銘醸」もこの大町に。


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かつての大手前通りであったのだろうか。
右岸に比べても、どこか風格のある街並みだ。


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「越銘醸」の雁木。
昔ながらの様式にのっとり、雪に覆われた時の採光窓が上部に付いている。


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内部に入ると、さらにその有難みが分かる。


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またまた趣MAXな建物が。
丹甚呉服店。


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すべてが洗練されている。


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この理容店も、である。


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横道の風情も美しい。


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しばらく進むと、大町通りはこのように鍵の手状に屈曲している


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屈曲している部分のお宅は「かさぜん」とあり
現役の栃尾紬の業者という。


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屈曲している部分の雁木の処理に、苦心のあとが偲ばれる。
左は「露石庵」の看板があり、「かさぜん」の染物工房という。


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ここでこの「かさぜん」の建物に興を惹かれ、路地から裏手(川辺)方面へ回り込んでみる。

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川辺に古い木造の建物が残る。


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再び大町通りの「鍵の手」あたり

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鍵の手を、振り返って見たところ。


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鍵の手を、バスも通る(!)


大町も、はずれまでやってくると「新町」に名を変える。
そしてその先は「栄町」・・じつはこの先に大正時代になって、鉄道の駅が出来た。
それに伴って、町が駅方面に拡大してゆくのはどこでも同じである。

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新町の民家。
建て替えと同時に、雁木も新たに建築されているのがすごい。


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新町の裏手にある「馬市小路」
昔、この通りで馬市が行われていたという。


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馬市小路で偶然見つけた「かさぜん織物工場」と書かれた建物


栄町方面へと歩いてゆく。
この先のバスターミナルから、帰途に就く為である。

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栃尾バスターミナルの周辺は、道が曲がっていたり少しややこしい。


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ずらりとバスが並んだ越後交通の栃尾バスターミナル。
なんとこの場所が、かつての栃尾鉄道、栃尾駅の跡であるという。(昭和47年廃線)
そういえば、どことなく駅のようにも見えてくる。


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長岡まで1時間の行程である。
ありがとう栃尾の町。


撮影:2016年6月
本文:2021年4月

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