金山 2016 [日本の町散歩(東北)]
山形新幹線の終点、新庄駅からさらに北へ、バスで揺られること40分。山を越えてたどり着く静かな町、金山(かねやま)は、ほかにどこにもない町である。ここで育った子供達は、大きくなって他の町へ出ればきっと、そのつまらなさ、個性のなさに驚くだろう。そして、わが町金山を、あらためて誇らしく思うに違いない。
金山が「町並み(景観)づくり100年計画」を立ち上げ「新金山町基本構想」を策定したのは昭和58年。そこでは今後、街並みと自然・風景を調和させ、同時に林業等の地場産業の振興や人と自然の共生を図るということが謳われている。
それから30余年。金山は本当に自然の中で自然とともに息づく、 美しい町になった。建物は白壁と切り妻屋根を特徴とする、独特なスタイルのものが多い。山合いの谷間に、周囲の風光と調和していながらも、堂々たる木組みの家々が現れてくる光景は、もはやドイツの村のようにも思え、日本離れした斬新さすら感じさせる。こうした家屋は「金山型住宅」と名付けられ、この地方の風土に根差した在来工法で建てられるほか、地元産の木材がふんだんに使われる。実際のところ新しい住宅ほどこのスタイルで建てられているというから驚きだ。「100年計画」の完成が今から楽しみである。
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金山ゆき山形交通バスの車窓から
旧市街入口と思われる、国道との分岐あたりでバスを降りる。
庄内銀行のある角まで、少し戻る。
金山が「町並み(景観)づくり100年計画」を立ち上げ「新金山町基本構想」を策定したのは昭和58年。そこでは今後、街並みと自然・風景を調和させ、同時に林業等の地場産業の振興や人と自然の共生を図るということが謳われている。
それから30余年。金山は本当に自然の中で自然とともに息づく、 美しい町になった。建物は白壁と切り妻屋根を特徴とする、独特なスタイルのものが多い。山合いの谷間に、周囲の風光と調和していながらも、堂々たる木組みの家々が現れてくる光景は、もはやドイツの村のようにも思え、日本離れした斬新さすら感じさせる。こうした家屋は「金山型住宅」と名付けられ、この地方の風土に根差した在来工法で建てられるほか、地元産の木材がふんだんに使われる。実際のところ新しい住宅ほどこのスタイルで建てられているというから驚きだ。「100年計画」の完成が今から楽しみである。
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金山ゆき山形交通バスの車窓から
国道13号をひたすら北上する
上台(うわだい)峠を越えると、金山町域へと入る。
金山町域に入ると、桃源郷のような田園風景が広がっている
道路沿いに新市街と思しき街並みが続くようになるが
家並みが明らかに独特の様式を帯びているのに驚く。
家並みが明らかに独特の様式を帯びているのに驚く。
旧市街入口と思われる、国道との分岐あたりでバスを降りる。
国道13号線沿いの新しい町並み。
家は新しくても、木組みの柱と白壁の、どこかメルヘンのような様式は踏襲されている
家は新しくても、木組みの柱と白壁の、どこかメルヘンのような様式は踏襲されている
国道から街への分かれ道にある「一心堂」は地元のドラッグストア。
街の中心部へと続く道(羽州街道)。
左は定食屋の「栄屋」、右は「地主鮮魚店」。
そのあとも電器店、信用金庫など、様々なお店が健在だ。
左は定食屋の「栄屋」、右は「地主鮮魚店」。
そのあとも電器店、信用金庫など、様々なお店が健在だ。
「かねほ食堂」、右は「栗田米穀店」。
この通り、空き店舗がほとんどない。
この通り、空き店舗がほとんどない。
庄内銀行のあるこの角が、金山の銀座四丁目である。
国道との分岐からは300メートルと、実に小さな町。
国道との分岐からは300メートルと、実に小さな町。
庄内銀行の角を曲がると今度は東西の通り。
左の堂々たる家屋は、呉服屋「カネカ」。むろん今も現役で、カフェも併設している。
左の堂々たる家屋は、呉服屋「カネカ」。むろん今も現役で、カフェも併設している。
「カネカ」の向かいは旧郵便局。昭和53年まで使用されたという。
今は交流サロン「ポスト」として町民サークルの発表の場等として使用されている。
今は交流サロン「ポスト」として町民サークルの発表の場等として使用されている。
この「まるい邸」の角で再び羽州街道は北へ折れる。
歩いてきた東西の通りの様子。
庄内銀行のある角まで、少し戻る。
撮影:2016年9月
2017-09-27 01:18
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